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龍の女神 ~南島の姫君アクア・モオ~  作者: M38
第5章 ローマ帝国
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第39話 「マリア」

「アクア姫……」


「なっ……なんで……」



 アクアはアル・タヌイーンを前にうろたえた。

 こんな形で再会するとは、思ってもみなかったからだ。

 黒い衣装に漆黒の髪をたなびかせたアル・タヌイーンは、相変わらず凛々しく美しかった。



「こちらへ……」



 少し痩せた面の眉間に皺を寄せ、アクアの手を取り暗い路地へと連れていった。

 


「……マリアの家の女中が、廊下の隅でサンドローズを眺めていたのです。聞けば、マリアを訪ねてきた赤毛の尼僧がくれたという……。尼僧と聞いて教会を訪ねたら、昨夜、そのような女性が修道院へ向かったと教えてくれました。ずっとこちらでお待ちしていました……姫……よくぞご無事で……」



 アル・タヌイーンは碧い瞳を潤ませながら、アクアの手を握りしめ、じっとアクアの目を覗きこんだ。

 アクアは懐かしさとうれしさで胸がいっぱいになりながら、口を開いた。


 

「勝手にこんなところまで来て……お、怒ってないのか……」


「そんなことはありません……むしろ、とてもうれしいです……。わたしはあなたを置いて、勝手にオスマン陣営を飛び出してきてしまった……。怒られるべきは、わたしです……」


「そ、そんなことはない! し、仕方のないことが……あったのだから……」



 アクアはしどろもどろになりながら、アル・タヌイーンに落ち度はないことをなんとか伝えようとした。

 彼を責めてはいけない!

 マリアと子供のために、彼は出奔したのだから。

 


「姫……一緒に来てください……」


「ア、アル……」



 アクアはアル・タヌイーンに手を引かれ、夕暮れのローマの市内を歩いていった。

 やがて、マリアの屋敷に着いた。

 アル・タヌイーンが門番に話し掛けると、すぐに中へ通してくれた。


 とても立派なお屋敷で、天井も高く美しい絵やタペストリー、陶器などがいくつも飾られていた。

 女中に先導されて奥の間へと案内された。

 


――そこには。



「マリア殿!」


「……アクア姫」



 お腹の大きなマリアが、ソファに座っていた!



「身体は……大丈夫なのか……?」


「……姫……勝手なことをして……たいへん、申し訳ありませんでした……すべてはわたくしの責任です。なんなりと処分を……でも、この子だけは……」


「処分? 責任? そんなことのために来たのではないぞ!」


「ですが……こちらにいらしたのは……ドーファンさまの御意向……ですよね」


「それは……そうだが……」



 アクアとしても、なんと言ってよいのかわからなかった。

 マリアに会って、具体的にどうしようと考えていなかった。

 ドーファンとて、そうであろう。

 


「あなたが元気なら、それでよい……。ドーファン王が心配していたぞ……その……」


「おやさしいアクア姫さま……わたしのせいでドーファン王と結ばれなかったのに……ここにいらっしゃるということは、そういうことですわね? 申し訳ありませんでした……どうやってこちらまで? 危険を犯して来られたのでは……」




「マリア! そんなに興奮しては、だめだ! アクア姫、姫がこちらを訪ねたと女中に聞いたあと、マリアにアクア姫を連れてくると話しておいたのです。アクア姫、ドーファンに要請されてローマまでいらしたのですか? どうやって……? 尼僧の姿をしているということは、逃走する敵に紛れてきたのですか?」


「そのとおりだ……ドーファン王とモハンマドに頼まれた。アルとマリアの……駆け落ちの真相を探ってきてくれと言われた……。コソボの戦い終了のどさくさに紛れてローマへ渡った。こちらには昨日、着いたばかりだ」


「コソボでは大勝利だったそうですね……。そのマメの出来た傷だらけの手はもしや……アクア姫も一緒に闘ったのですか?」


「ああ! そうだ! わたしは遂に、女剣士としてのデビューを飾ったぞ! アルのお蔭だ! 馬の操作も上手に出来たぞ!」


「……そのような危険な戦に参加するために、あなたを騎士に任命したわけではないのですが……。だが、こうして無事でよかった……。前よりも生き生きとして見えますね? 爺や殿やエミネ殿はどうされましたか?」


「ああ! 2人とも元気だ! 爺やとエミネ殿はエディルネから徐々に移動して、遂にコソボまで会いに来てくれたんだ! それと……ドーファン王とモハンマドが、2人を心配している……。ぜんぜん誰も、怒ってなんかいないぞ! いつでもオスマンへ、帰ってきてくれ!」




「……アクア姫……では、何もご存知ないのですね……コソボの戦いからすでに二週間以上……オスマン帝国のウワサは、尼僧の間には伝わらなかったとみえる……」



 アル・タヌイーンが悲痛な面持ちでこちらを見ている。

 マリアも気の毒そうにアクアを見た。



「なんだ……? どうしたんだ? まさか……ドーファン王になにか!」



 アクアはローマへの道中も着いてからも、まともに他人と話をしていないので、うわさ話を何も聞かずにきた。

 もしかしたら、アクアがコソボを離れてから、オスマン帝国に大きな変化があったのかもしれない!



「実は……わたしも昨日はじめて知ったことですが……オスマン皇帝が謁見中、セルビアの貴族に刺殺されました。急遽キュウキョ、戴冠式が執り行われ、オスマン帝国の現在の皇帝はドーファンです!」


「なんだって……! あの、オスマン皇帝がか?」



 アクアは、やさしい瞳のオスマン帝を思い出していた。

 好々爺然コウコウヤゼンとしたあの話し口調とあたたかい眼差し。

 爺やを褒め、初対面のアクアにもとても親切に心配りをしてくれた。

 あんなに立派な皇帝が、あっけなく刺し殺されてしまったとは。

 爺やもさぞかし、嘆き悲しんでいることだろう。

 一緒にいてあげられないことに、アクアはもどかしさを感じていた。


 ドーファンは皇帝に、小さい頃からとても可愛がられていたと聞いている。

 激しい衝撃と心痛の最中に跡を引き継ぐ苦労は、並大抵のことではなかったであろう。

 実の父親に引き続き親代わりの皇帝まで亡くすとは――2人の強大な後ろ盾を失くしたドーファンの心中を思うと、気の毒で仕方がなかった。

 


「アクア姫……わたくしはもう、オスマン帝国には戻れません……。わたしは国を惑わす、悪い女です……。ドラッヘン王国の謀反も、わたしが捕らえられなければ、失敗に終わったものを……。アクア姫もドーファン王と婚姻し、いまごろ王妃として君臨していらしたはず……。なのにわたしは……勝手にアルを連れて実家に逃げ帰ってしまいました。重ね重ね、申し訳ございません……」


「マリア殿! そんなことは……! それよりも……ドーファン王が気にしておられた……お腹の子は……」


「姫さま……」



 マリアの顔が暗く落ち込んだ。

 どうしても、話したくないらしい。



「マリア……」



 そのとき、アル・タヌイーンがマリアの横に座り、手を握りしめて顔を覗きこんだ。



「アル……」


「アクア姫はここまでして、わたしたちに会いに来てくれたんだ……本当のことを言いましょう」


「でも……」


「アクア姫……ドーファンとは? どうなりましたか? その……婚姻は……」




「それなら、ハッキリ断った。オスマン皇帝から正式に婚約破棄の承認を得ることができた。わたしとドーファンはお互い、再会してから恋愛感情はまったく持てなかったからだ。もっと早くに、こうするべきだった……」


「なんと……婚約を正式に破棄されたのですか? それで、こちらに……。姫……申し訳ありませんでした……。すべては過去からサカノボり、無責任な行動を取り続けたわたしの仕出かした結末です……」


「アル! 何を言うか! アルのせいではない! わたしとドーファンさまの問題だ! だから、その件は2人とも、もう気にしなくてもよい!」




「アクア姫さま……ならば……わたしも本当のことを申し上げます! このお腹の子は……」


「そのお子は……?」


「……ドーファン王のお子です……。アクア姫さま、申し訳ございません……あなたさまになんとお詫び申し上げればよいのか……。このことでお家争いなどにならないよう、わたくしが大切に1人で育てて参ります! アルはまったく関係がありません! わたくしはひとりでエディルネから逃げる勇気がなく、直前にアルに護衛を頼んだのです! アルはそれまで、わたくしの妊娠のことをまったく知りませんでした……。ですが……わたくしがエディルネで嫌がらせにあっていることなどを話すと、同情してくれて心配のあまり付いて来てくれました……。わたくしはアルに、友人や仲間を裏切らせてしまいました……わたくしは悪い女です! でも、あのときは……」



 アクアは強い衝撃を受けていた。

 やはりモハンマドたちの推察どおり、マリアのお腹にいるのはドーファンの子供だったのだ。


 

「マリア殿……やはり、ドーファン王の御子でしたか……。それは……悩んだことでしょう……。わたしのことは何も気になさらずに! ドーファンさまが心配しておいでです……」


「それでしたら……! アルだけでも、名誉の回復を! 彼をむりやり巻き込んでしまったのはわたくしです!」


「でも……アルも……自分の意思で……」


「いいえ! 彼は義務を感じた、だけです!」


「義務……? もしや……元恋人としてのですか……?」



 アクアは胸の痛みを押し退けながら、それを口にした。

 


「恋人? アクア姫……わたしとマリアがですか……?」



 アル・タヌイーンが怪訝な顔をしながら口を開いた。



「はい……ドラッヘン王国の者は皆、そう思っております……」


「幼馴染では、なく……?」


「はい……その……幼馴染というのは……嘘であろうとドーファンさまたちが……。身内のように親密なので……」


「……そうですか……どうやら、見抜かれていたようですね……。アクア姫、申し訳ありませんでした……ウソを吐いていました……。わたしたちは確かに、子供の頃からの知り合いではありません」


「やはり……ドーファン王の調べで、あなた方は同時期にローマに滞在した事実がなかったと判明したそうです……」


「ドーファンは、そこまで調べましたか……。アクア姫、わたしたちは幼馴染でも昔付き合っていた男女の関係でもありません。わたしたちは……」


「2人は……? 教えてくれ! アルとマリアは、いったいどういう関係なんだ?」

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