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龍の女神 ~南島の姫君アクア・モオ~  作者: M38
第4章 オスマン帝国
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21/52

第21話 「ドラッヘン王国」

――ハラリッ、ハラリッ。



 1つ、また1つと枯れ葉が散っていく。

 


「……つまらない……」


「アクア・モオ! なんというところに座ってるんです!」


「爺や……」



 アクアはドラッヘンの王城の中にある大きな落葉樹に腰掛けていた。

 


「どうやって、そんなところに……!」


「その窓から枝を伝ってきたのだ! 爺やも来るか? ここはとても、眺めがいいぞ……遠くに海が見える……」



 アクアは幹に掴まりながら木の上に立ち上がると、王城の遥か向こうを見据えた。

 陽光を受け、キラキラと青く光る水平線が見える。

 アクアの心に、アル・タヌイーンと旅した海上での思い出が蘇る。

 ドラッヘンの船乗りカールや海賊の船長ジャワスミたちは、今頃どこでどうしているのだろう。

 遥か向こうの水平線を目指し、大海原を縦横無尽に走り回っているのか。



「うらやましいな……」


「アクア・モオ! そんなところに突っ立っていると、危ないし、嫁のもらい手がますます無くなりますぞ!」


「爺や……木に登らなくとも、最初からわたしと結婚する男性はおらぬわ! それにしても……退屈だな……ドラッヘンがこんな所とは思わなかった……」


「何をおっしゃいますことやら! モーシャス島のような南海の孤島に比べたら、ここには何もかも揃っているではありませんか! 文化、人、音楽、芸術、娯楽、先端技術……数え上げたらキリがありません!」


「そんなことは、わかっておるわ……」



 そうだ。

 アクアにはわかっていた。

 退屈の原因はアル・タヌイーンだ。

 ながねん恋い慕っていたドーファンでないところが、なんとも納得できないところなのだ。


 

 ◇ ◇ ◇ ◇


 

 爺やを含む救助隊と出会えたアクアは、一目散に山を越えてアル・タヌイーンの待つ北の砦跡へ戻った。

 なんと、アクアが去った後にアリーとモハンマドが逃げ込んで来ていて、アル・タヌイーンの看病をしてくれていた。

 救護班がアル・タヌイーンの解毒をしてくれた。

 彼の熱はすぐに下がり、彼は正気を取り戻した。

 


「アクア・モオ……」


「アル! ドラッヘンから、助けが来たぞ! モハンマドたちもいる!」


「モハンマド……そうか……助かったんだな……よかった……」


「ああ! アルが床に刀剣を落としてくれたから、モンゴルの王子を討つことができた! どうもありがとう! わたしの命も、貴殿の咄嗟の機転で救われた。心から礼を言う……」


「…………」


 

 アル・タヌイーンは再び昏睡状態に陥ってしまった。

 しばらく皆で休んだあと、アル・タヌイーンを馬に乗せドラッヘンへ出発した。

 再びの山越えは無理だとみなし、遠回りだが平地を選んだ。

 モハンマドとアリーもついてきた。

 ロバで山頂まで案内してくれたキャラバンの男とは、爺やから金を渡してもらって砦で別れた。



 ◇ ◇ ◇ ◇


 

 それから三週間近くかけて、ドラッヘンへ到着した。

 アル・タヌイーンの身の回りの世話はアクアがずっとやっていた。

 とても甲斐甲斐しく看病していたので、モハンマドから奥方のようだとからかわれ続けた。

 アル・タヌイーンは順調に回復し、ドラッヘンへ入国する頃には自身の足で歩けるほどだった。

 念のため、馬に乗ってもらったが。



 ◇ ◇ ◇ ◇


 

 そしていよいよドーファンの待つドラッヘンの王城へと入城した。

 新王となったドーファンから熱い歓待を受けたアクアたちは、そのまま王城に住まわせてもらっている。

 あんなに逢いたかったドーファンなのに、懐かしいという意外になんの感情も持てなかった。

 それどころか、マリー・ベルといまだに婚姻を結べていないことに同情を禁じえなかった。

 喪中という理由もあるが、王族からの反対が大きいそうだ。

 ドーファンは、もしかしたらマリー・ベルと結婚できないかもしれないと言っていた。

 だが、特にがっかりしている様子はなかった。

 男心とは不思議なものだとアクアは初めて知った。


 ドーファンは相変わらずやさしく親切だった。

 アル・タヌイーンとアクアの無事を心から喜んでくれた。

 父親が亡くなったことを悲しんではいたが、前々から臥せっていたこともあり、そんなに大きな衝撃を受けてはいないようだった。

 彼の母親である元王妃は、剃髪して尼僧院に隠居したそうだ。

 

 ドーファンは王族内での争いに、ひどく心を痛めていた。

 王座に着くにあたりひと悶着あったそうだが、詳しい話を聞くことはできなかった。

 自分たちの誘拐事件に関係がありそうなので、慎重に調査をしている最中なのだそうだ。

  


 問題はここからだ。

 ドラッヘンに着いた直後から、アル・タヌイーンがアクアを避けるようになった。

 それも、ひどくあからさまに。

 


「なあ、爺や……アル・タヌイーンはどうしてわたしを避けるのだろう……ペルシアに居たときは、とても親切にしてくれたのだが……城内の口さがない連中が、嫁入り前の粗野な野蛮人の南国娘なんかと一緒にいると、黒騎士さまが穢れるとウワサをしているからか?」


「姫さま! どうしてそれを……!」


「城内を探索していると、いろいろなウワサ話が聞こえてくるものだ……じゃあ、誰かがアル・タヌイーンに入れ知恵したのだな? だから、彼はわたしを避けて……」


「姫さま、それは違いまする! 姫さまとあまり交流しないようにしているのは……アル・タヌイーンさまの意思でございまする!」


「なんだって! アル・タヌイーンが? わあっ!」


「姫さま! 危ない!」


 

 アクアはビックリして、木から転げ落ちそうになってしまい、なんとか持ちこたえた!



「ふう……」


「なんということを! 早く建物内に戻ってください! 爺やの寿命がまた縮みます! それでなくとも、腰痛がまた復活しそうなんですから……」


「勝手に救出隊に混じって山越えなんかするからだろう! そういうのを年寄りの冷や水……」





「アクア! あっちに湖があるぜ! 泳ぎに行こうぜ!」


「モハンマド……!」



 木の下からモハンマドが呼びかけてきた!

 四角い帽子を被り、美しい刺繍の施された長衣の下は足首を留めたゆったりとした長ズボンに爪先の曲がった靴を履いている。

 彼もアクア同様、オスマン帝国の一般的な衣装を身に着けている。

 モハンマドは髭を剃り髪を整え、絶世の美青年に変身していた。

 ペルシアの元王太子であることは秘密にしている。

 ドーファンはモハンマドに会ったが、彼が誰だかわからなかった。

 アル・タヌイーンは見抜いたというのに。



「これは、これは……ペルシアの王太子さま……姫を誘惑するのはお止めください! あなたのような浮気者は、姫にふさわしくございません! お引取りを!」


「爺や……モハンマド! これからアル・タヌイーンのところへ行くからダメだ! アリーとでも行ってくれ!」


「そうか……アル・タヌイーンだと? 奴はあんたのことを避けてんだろ? いいのか?」


「……うるさい! そんなことないぞ!」



 アクアは図星を差され、面白くないのでモハンマドの視界を避けて枝を伝わり、爺やの待つ窓まで歩いていった。

 


「よいしょっ!」


 

 建物の中へ飛び込んだ。



「アクア姫! なんというはしたない! ここはモーシャス島のように原住民が住む田舎ではないのですよ!」


「アクア・モオ! 他の令嬢でも誘って舟遊びでもしてくる! アル・タヌイーンにフラれたら来いよ!」


「うるさい! サッサと行け!」


 

 アクアが窓から下を覗くと、モハンマドが笑いながら走り去っていくところだった。



「姫! なんという言葉遣い! 誰かに聞かれたらどうするのです!」


「爺や……心配しなくても、わたしの評判はとっくに地に落ちているわ!」


「そんなことは、ございません! これからゆっくりと挽回していけばよろしいのです! それと……あまり男のご友人方と話したり会われたりするのも、どうかと……女性の知り合いをおつくりになられてはいかがですか? ローマから、素敵なご令嬢がいらしているとか……」


「女の友人か? その令嬢は、剣は使えるのか? 遠乗りは? 湖で遠泳する気はあるのか?」


「アクア姫……そのようなことを、普通の女性がスキ好んですると本気でお思いですか! 女性というものは、お屋敷の奥でひっそりと刺繍や芸術をタシナみ、そして子育てのために……おやっ? 姫? アクア姫? どこいった!」



 ◇ ◇ ◇ ◇



 アクアはうるさい爺やの小言を無視して中庭に来ていた。

 さきほど窓から、アル・タヌイーンが下を歩いていく様子が見えたのだ。

 案の定、池のほとりに彼が佇んでいた。



「アル! アル・タヌイーン!」



 水面を眺めていたアル・タヌイーンが駆け寄ってくるアクアに目を転じた。

 碧い瞳が悩ましげにこちらを見ている。

 


「姫……どうされました?」


「アル、剣の稽古をしてくれ!」


「……ご紹介した騎士団長はこの国いちばんの剣の使い手です」


「だが、女だと思って手加減するからつまらないのだ! わたしはおまえに習いたい! アルに鍛えられてすごく上達した! モンゴル軍と闘ったときも大いに役立った! わたしが無事なのは、アルの教えのお蔭だ!」



 アクアは満面の笑みでそう答えた。

 太陽の光に貝細工の髪飾りがキラキラと反射している。



「アクア姫……ここは異国ではありません。姫の体面もあります。未婚の男女が剣を交えるものではありません。あらぬ噂が立つと、姫の縁談に差し支えます。それと……そのような髪飾りも、ここではふさわしくありません……」


「この髪飾りがか? とても気に入っているのだ! 次の舞踏会にもつけていく予定だ! アルは? 舞踏会には……」


「わたしのことは、お気になさらずに……。わたしはただの剣士です」


「アル……そうだ! 傷は? まだ痛むか?」


「大丈夫です。アクア姫……その節はたいへんお世話になりました。あなたのお蔭でわたしの命は助かりました。ですがときどき、あのまま亡くなってしまったほうがよかったのではないかと考えることもございます……。至福の時のなかで死を迎える。わたしの人生に取って、最高の幸せだったのかもしれません……」


「アルは……何か悩みがあるのか? それは……死ぬほど辛い内容なのか?」


「アクア姫……」


 

 日光が眩しいのか、アル・タヌイーンが眉間に皺を寄せる。

 碧い瞳が切なげに揺れる。

 端正な彼の顔がわずかに歪んだ。

 太陽を背にしたアクアは、アル・タヌイーンの表情にしばし見蕩れた。



「アル・タヌイーン……すっかり髭が無くなったな……フフ……水を飲ませるとき、邪魔で苦労したぞ……」


「……失礼いたします!」


 

 突然、アル・タヌイーンがうしろを振り向いてスタスタと歩いていってしまった!

 アクアは唖然としながらその背中を追っていた。



「なんだ……! 切なげに顔を歪ませたかと思ったら、突然、不機嫌になりおって! なんだ? 何を悩んでいる! 水臭いじゃないか! わたしに相談してくれても……あれ?」



 アル・タヌイーンは中庭を出ようとしたところで、どこかの令嬢に呼び止められた。

 アクアは思わず走り寄り、木の陰に隠れて様子を伺った。


 その令嬢は金色の髪にアル・タヌイーンのような濃く碧い瞳をしたほっそりとした美女だった。

 淡い薄紅色のローマ風のシフォンのドレスを身に纏っている。

 年の頃はアル・タヌイーンよりも年上だろうか。

 とても気さくに彼と話をしている。

 女性とこんなに気軽に話す彼を、アクアは初めてみた。

 自分とだって、ここまでくだけた話し方はしない。


 彼女の金髪を見て、思い出したことがあった。

 アル・タヌイーンがアクアの香膏で急死に一生を得たとき、彼の懐にはもう1つお守りがあった。

 赤毛と古びた金髪を一緒に縛った物だった。

 赤毛のほうは、アクアがモーシャス島を出るときに切り取った物だろう。

 アル・タヌイーンは乙女の髪は船の守り神だと言っていた。

 古びた金髪は、目の前の美女の物なのだろうか。


 2人は楽しげ笑い合い、和気藹々(ワキアイアイ)と他愛のない話を続けた。

 そのうち、風が出てきた。

 令嬢は薄着だったので、アル・タヌイーンが自分のマントを彼女の肩に掛けてあげた。

 アル・タヌイーンが美女と目を見交わしながら、城の中へと消えていく。


 ひとり取り残されたアクアは、ものすごく面白くなかった。



「ふんっ! アルもモハンマドと同じ穴のムジナだ! 男なんて、みんなそうだ! 彼だけは、例外だと思っていたのに……。アルのバカ! 悩みなど何も無さそうじゃないか! あの令嬢といて、とても楽しそうだった……」



 ◇ ◇ ◇ ◇



「……というわけなんだ……爺やの知っている令嬢か?」


 

 アクアは自分の部屋に戻り、爺やにさっき見た光景を説明していた。



「その方こそ、ローマから来たご令嬢ですよ! 実は……アル・タヌイーンさまとたいへん仲が良いと評判なのです。お似合いの2人だと……。どうやら、アル・タヌイーンさまとはローマ時代からのお知り合いのようです」


「ローマだと? では……2人は幼馴染なのか?」


「そうなのでしょう。彼女の名はマリア。それしか情報がありません。とにかく謎の多い令嬢で、ローマの貴族の娘なのですが、父親がハッキリわかっていない模様です。ですが、高貴な出であることはたしかなようです。爺やは、できたらアクア姫にはあのような女性を見習ってもらいたいと心より思っております」


「単なる幼馴染が、あんなに親しく話すかな?」


「ですから! 特別の仲と言われているんです! アル・タヌイーンさまは女性にたいへん人気があり、とてもオモテになる殿方です! ここだけの話、王となられたドーファンさまよりもです。ですが、決して女に尻尾を振りません! 毅然と断る方なのです! 一説には、子供の頃から心に決めた方がいるとか……」


「では、その……マリア嬢が……?」


「はい……ですが、アル・タヌイーンさまは、モーシャス島に行く一年ほど前から表情を曇らせるようになったそうです。マリア譲と何かあったのではないかとウワサされています」


「……あったのか?」


「さあ、それは……ですが、その頃マリア嬢はある殿方と婚約をされたそうです。アル・タヌイーンさまはこのたび、国に戻ってから更に悩ましげな顔をなされているとか……」


「なんと! それで?」


「どういう理由かはわかりませんが、マリア嬢は最近、その婚約を破棄されたのです! 傷心の彼女は、戴冠式にかこつけてドラッヘン王国へ滞在しているのです。たぶん、アル・タヌイーンさまに会うために……」


「そうか……そうだったのか……」



 アクアはアル・タヌイーンの様子と噂話から、彼が自分の意思でアクアを避けているという、さきほどの爺やの言い分にも納得ができた。 

 だからアル・タヌイーンは、自分に対してあんなに冷たい態度に出るのだ。

 彼はアクアに親切にすることで、マリア嬢に誤解されたくないのだ。

 彼女にフラれ、かっこよく英雄として死にたかったのに、それをアクアに邪魔されたことも気に入らないのだろう。


 アクアはひどくがっかりした。

 自分はなんだって、こんなに遠い異国の地までやって来てしまったのだろう。

 城や文化は素晴らしいが、自分にはまったく退屈なだけだ。

 いますぐにでも、自然あふれるモーシャス島に帰りたいと思ってしまった。



「爺や……相変わらず、すごい情報網だな……」


「はい。海賊たちに守られながら紅海を北上し大陸に辿り着く間も、爺は常にさまざまな情報を得ながら知り合いを増やしていきました。いつ何ぞや、姫の未来の婿殿に出会うとも限りませんから! いまや爺の生きがいは、アクア姫の嫁ぎ先の選定のみです! ドラッヘン王国に入ってからは、ドーファンさまたちが追いついてこられるまで、皆で市街地で待機しておりました。王太子一行が誘拐されたことを、わたしたちはドーファン国へは知らせていませんでした。なのに、ドーファンさまたちと合流して我々が入城した際、王侯貴族たちは誘拐の事実を知っておりました。ドーファンさまが行方不明になったと同時に国王が崩御したため、急遽、国王の弟君が政治を執り行っていたのです。お可哀想に……ドーファンさまはお父上の死に目には会えませんでした……。国王が亡くなられたことはすぐには発表されず、戴冠式の準備だけが先に行われました。跡取りをめぐり、王族内で揉め事があったからです。その後、戴冠式を無事に終えたドーファンさまが国王の死を民に公示され、喪に服しました」


「揉め事? ドーファンに兄妹はいない……争うような内情がなかろう?」


「だから不思議なのです! しかも、お家争いは国王が身罷ミマカられる前から行われていたようなのです。爺が思うに……」


「なんだ? 憶測でいいから言ってみろ!」


「ドーファンさまがいらっしゃらない間に政治を執り行っていたのは、崩御された国王の弟君、現宰相の叔父です。彼は妻帯をしておりません。ですが、隠し子がいるともっぱらのウワサでした」


「隠し子が……? ドーファンの叔父はなぜ、その子供の母親と婚姻を結ばないんだ?」


「高級娼婦との間の子供だとか……。この場合、王族であるドーファンさまの叔父上との婚姻は許可されません。娼婦は王族の妻には絶対になれません。ですが養子縁組を結べば、子供は跡取りになれます。まして、それが女性ならば……」


「女性ならば? なんだ?」


「ドラッヘン王国は特殊な世襲制度があります。元々が女王の国だったからです。当主の座は、女の庶子が優先されます!」


「なんだと! では、ドーファンの叔父の隠し子は、娼婦を母に持つ女性だというのか?」


「はい、そうです! 近々それが明るみに出て、その隠し子がドーファンさまを退けて王位を継ぐとウワサが飛び交っております。隠し子は、他所ヨソの国で育てられていたようです。その容姿は、金の髪に青い瞳……」


「なんだと! だったら……その隠し子とは、ローマから来た……」


「……そうとばかりは限りませんよ! マリー・ベルさまだってそうですし、アクア姫! あなただって、幼い頃は金髪碧眼だったではありませんか!」


「わたしがあ~? まさかあ~っ!」


「そのまさかのために、ドラッヘンの前王は毒殺された疑いがあるのですよ!」


「その話は、ペルシアでも聞いた……本当のことなのか?」


「さあ……ですが、ドラッヘン国内はもとより、近隣の諸外国では当たり前のようにウワサされております。その隠し子が近々ドラッヘンにやってくる。もしくは、すでに入国していると……」


「恐ろしいウワサだな……だが、どうしてドーファンの叔父は、サッサと隠し子を養子にして王女に仕立て上げなかったのだ?」


「前国王が生きている間にそれをすれば、すぐに国王は側室を娶り子供をつくろうとしたでしょう。女が産まれれば、そちらが優先になります……亡くなられた前国王は、ドーファンさまをそれはそれは可愛がられていました。他に子供をつくらず、溺愛する我が子を時期国王にすることを強く望んでいらしたそうです」


「そうか……ドーファンもたいへんだな……。それにしても、爺やのスパイ活動が精巧すぎて驚くわ。どうしてそんなにウワサ好きなんだ? 爺やが社交的だと知ってはいたが……ドラッヘン王国に来たのは、初めてなのだろう?」


「はい。ですがドラッヘンは、かつて爺が過ごしていたオスマン帝都が支配する国の1つ。オスマン時代の知り合いが、何人かこの国に派遣されて暮らしているのです。ローマから流れてきた貴族も大勢います。そちらとも、なるべく懇意にさせていただいております。さきほども申し上げましたが、爺はいつでも、姫の婚姻に備えております! この爺にお任せください! 必ずや! 姫に似合いの素晴らしい殿方を探し出して見せます! そのためにあらゆる隠密活動を……」


「よい、よい! ここは退屈でいかん! マリー・ベルの婚姻が済んだら、モーシャス島へ帰るぞ!」


「なんですと! こんな素晴らしいチャンスは2度とありません! ドラッヘンの文化と教養を身につけ、一般的な令嬢のようにマナーや会話のセンスを養うのです! 辺境の地に戻るのは、立派なレディになってからです!」


「やれやれ……」



 ◇ ◇ ◇ ◇



――構え! 突きーっ!


――やああーっ! とぉああああーっ!



「やあーっ!」




――止めーッ!


――ありがとうございましたー!



「ハアハア、ハアハア……」



 アクアは翌日の早朝、鎖帷子を身につけ騎士団の剣の稽古に参加していた。

 最後尾で皆の動作を真似していた。

 汗を拭っていると、騎士団長が近づいてきた。

 細面のやさしそうな中年男だ。

 見かけによらず、国1番の剣の使い手らしい。



「アクア姫殿……荒くれ男に混じって稽古をするのはお止めください! わたくしが稽古をつけるのも憚られるというのに……」


「なに、かまわぬ! 故郷の島ではいつもやっていた!」


「……アル・タヌイーンさま直々(ジキジキ)に、姫にくれぐれも気をつけるようにと頼まれているのです」


「午後から速駆けに行かぬか? こちらの道にも慣れておきたい」


「失礼ながら……わたくしは令嬢が馬に乗って逃げるような事態はこの先、想定をしておりません! 明日からは……」



「ハハハハッ! アーサー! 良いではないか!」


「王太子! いえ……王!」



 アクアが振り返ると、そこにはドーファンがいた。

 朝日をバックに美しい金髪を波打たせている。

 男だというのに、神々しいばかりの美しさだ。

 騎士団長がドーファンに遠慮して離れていった。



「アクア姫、速駆けでしたらアル・タヌイーンに頼まれては? 彼はドラッヘン中の道を、すべて把握しております」


「アルか? アルは……わたしが城から出たらだめだというんだ。危ないから……」


「そうなんですか? あなたのことが心配なのでしょうね。ペルシアではいろいろと危険な目にあったようですから……どうです? あとでわたしの部屋でお茶でも? アル・タヌイーンも同席させましょう。わたしもひと段落ついたので、ペルシアの話を色々とお聞きしたいです。モハンマドという男も呼びましょう! ペルシアで助けてもらったそうですね。彼は、とても興味深い男ですよね? 女性がいませんね……では、マリー・ベル嬢もご一緒に」


「マリー・ベル……」


 

 アクアはドラッヘンに来てから、1度もマリー・ベルに会っていなかった。

 彼女はドーファン以外の男たちと、派手に遊びまわっているらしい。

 ある意味、彼女らしいなとアクアは思った。

 それについてドーファンは、どう感じているのだろうか。



「マリー・ベル嬢の噂はお聞き及びで? たしかに、褒められたものではありませんが……。実はわたしは、なんとも思っていないのです。これには自分自身でビックリしてしまいました。最初は彼女の容姿に惹かれました。幼い頃の約束もありましたし、なんといっても正式な婚約者ですから。ですが、わたしはドラッヘンに戻って確信したのです。わたしは、マリー・ベル嬢をひとりの女性として見ることができないと。わたしに兄妹はおりませんが、マリー・ベル嬢はまるで、妹のような存在です。実際に、そうとしか感じられません。だから、彼女がわたしに不満を持つのもわかります。わたしたちはたとえ婚姻を結んだとしても、夫婦の契りを交わすことはないでしょう。アクア姫……わたしの婚約者はなぜ、あなたではなかったのですか……」


「ド……ドーファンさま……」


 

 ドーファンにまっすぐに見つめられ、アクアは焦った。

 いまさら婚約の話を蒸し返されても困る。

 たしかにアクアは、島にいるときは婚約破棄にひどく傷ついた。

 だが、その後ペルシアに旅してさまざまなことを体験してみると、自分の悩みなど取るに足らないことだとわかった。

 むしろ、まいにち危険と隣り合わせで暮らしていたので、ドーファンとのことは頭からすっかり抜け落ちていた。


 ドーファンはアクアと、どうかなりたいのだろうか。

 だとしたら、わたしは?

 わたしはいま、ドーファンのことを本当のところ、どう思っているのだろうか。

  

 

「これは、すまない……。あなたを困らせるつもりはありません。ましてあなたは、マリー・ベル嬢の姉上ですからね? それでは、わたしはこれで……お茶会へは迎えの者を行かせます」



 ドーファンはやさしく微笑むと、金髪をヒルガエし去っていった。

 


「ううむ……わたしは頭を使うのが苦手なんだが……」


「アクア・モオー! アクア姫ー!」



 そのとき、アクアを呼ぶ声がした。

 顔を振り向けると、モハンマドがいた。

 あきらかに朝帰りという格好で、手を振りながらこちらに歩いてくる。



「モハンマド……いい加減にしろよ! 噂になってるぞ? オスマンの男は大層な女好きだとな!」


「それは結構! そのほうが情報が得やすいからな。女があっちから寄ってくる!」


「情報? 何か目的があって、女たちと付き合っているのか?」


「ああ、そうだ。おれの目標はペルシア王国の復活だ。そのためには手段は選ばない。まずは味方を増やすべく暗躍し、オスマン帝国の同盟国であるローマの内情を探っている。ドラッヘン王国にはローマから流れてきた貴族が大勢いるから、情報が収集がしやすいんだ。ローマの支配なくして世界は存在し得ない。ローマ帝国を味方につけないことには、モンゴルをやっつけることは出来ないからな!」


「そうか……すまない。そのような計略があったとは……」


「まあ、……一挙両得でもあるがな? 西洋の女は中近東の女より容易タヤスい。あんたの義妹も、相当なもんじゃないか?」


「マリー・ベルを、知っているのか? 義理と言っても、まったく血は繋がっていない。ドーファンもそのことで、心を痛めている……」


「ドーファンだあ? あのやさ男の国王か? たしかに立派な男だが……あいつもヨーロッパの伝統に興じているじゃないか? さっきの服装、昨夜と一緒だったぜ?」


「国王の悪口はやめろ! おまえの幼馴染だろう?」


「たしかに、幼い頃は一緒に過ごしたはずだが……あっちはまったく憶えていないんだぜ? おれもだ。ドーファンには、まったく昔の面影がないな……髪と瞳の色ぐらいだ」


「……幼い頃の記憶なんて、みんなそんなものなのかな……わたしも子供の頃のドーファンと面識があるんだが、まったく違う人間みたいに感じるんだ……」


「十年も経てば、記憶なんて曖昧になるもんだぜ! いつまでも記憶が鮮明なのは、あんたのあの爺さんぐらいだろうよ? おれの心象は相当、悪いみたいだけどな! 最初に爺さんと会ったとき、おれは一生懸命アルの看病をしてたんだぜ? それを……いきなりやってきて、強盗だって怒鳴りつけたんだからな! しかも、老人のくせにあの険しい山を夜越えしてきたんだろ? なんだありゃ? 怪物じいさんだな!」


「爺やは、特別な老人なんだ……」


「それよりも……おれはずっと疑問に思ってきたことがあるんだ! モンゴル軍からヤットコサ逃げ出したおれとアリーは、あんたとアルを必死で追いかけた。出発したのが何時間もあとだったから、行けども行けどもなかなか追いつかなかったよ……。それで……途中でおかしな光景に出くわしたんだ。モンゴル軍が輪になって倒れていたんだ……! それも、馬ごと……。まるで雷に打たれたかのようだった。全員、死んでいた。倒れたシャーマンのそばに、儀式用の長い刀剣が落ちていた。割れた香膏もだ。あの日あの草原で、いったい……何があったんだ?」


「……よく……憶えていない。アル・タヌイーンを連れて逃げた……それだけだ!」


「そうか……話したくないならいい……。おれたちはとりあえず、そのまま北の砦跡を目指した。中に入ると瀕死のアルが寝ていた……心底びっくりしたよ! 救出隊が間に合って、本当によかったな!」


「……無理に山越えをしてきてくれた、爺やのお蔭だ……あと1時間でも遅かったら、アルがどうなっていたことか……」


「そうだな……ところで、湖に行ってみないか? 城と地続きだから、危険はないぞ!」


「湖か……水に触れていないから、行ってみたいな……」


「昨日、舟遊びをしながら手を入れてみたが、水はまだ生ぬるいから泳げそうだぞ!」


「そうか? では……久々に泳いでみよう! それでは、参ろう! 案内してくれ!」


「こっちだ!」



 ◇ ◇ ◇ ◇



 モハンマドとアクアは十五分ほど歩いて小さな湖に出た。

 木々に囲まれたとても美しい湖で、小船が一そう浮いていた。

 


「なんと、素晴らしい眺めだろう! 紅葉がきれいだ……」


 

 アクアは、鏡のように紅葉を映し出す、美しい湖の水面を眺めていた。

 大量の水を見たのは久しぶりだ。

 故郷のモーシャス島へ帰りたくなった。



「散策しているカップルが大勢いるぞ! ここはお忍びには絶好の場所なんだ! そりゃあっ!」




――ドッポーンーッ!




 いつの間にか上半身裸になっていたモハンマドが、湖に飛び込んだ。

 砂漠だらけの土地で育ったわりには、泳ぎが達者なようだ。



「アクア姫も早く来いよ! まだ水はぬるいから大丈夫だ! 泳ぎは、ドーファンに子供のころ習ったから自信がある! あっちの小島まで競争だ!」




――ザザザザ、ザザーッ!




 モハンマドが湖の中心目指して泳ぎはじめた。

 宣告どおり、なかなかの泳ぎの達人だ。

 


「待ってくれ! いま、行く!」


 

 アクアはいそいで鎖帷子を脱ぎ捨てた!

 上に着ているローブに手をかけたところで、誰かにうしろから腹を持ち上げられた!



「誰だ!」



 アクアは、いそいでうしろを振り返った!

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