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薄暗い部屋の、布団の中へもぐりこむ。
「ひよちゃん……そっち行ってもいい?」
そう言って、わたしの布団に遠慮がちに入ってきた、寂しがり屋な『かなたん』はもういない。
今日十八歳になった奏多は、あの小さかった『かなたん』じゃなくて、わたしの知らない世界を持っている、ひとりの男の子なんだ。
「もしもし? 日和?」
もぐりこんだ布団の中で、慶介くんの声を聞く。
「どうした? こんな時間に」
「うん……ごめん」
「おれと付き合う気になったか?」
「そ、そんなんじゃないけどっ……ちょっとだけ、慶介くんの声、聞きたくなって」
電話の向こうで、慶介くんがふっと笑う。
「今夜はずいぶん、可愛いこと言ってくれるなぁ」
「だって慶介くんって、何の悩みもなさそうに、いつもへらへら笑ってるから……その声聞くと、悩んでる自分がバカみたいに思えてきて、すごく楽になれるっていうか……」
「なんだ、それ。まるでおれが、能天気なお気楽男みたいじゃねぇか」
そう言って笑う慶介くんの声が、耳に優しく響いてくる。
「寂しいのか?」
「え?」
「寂しかったら、おれが一緒に寝てやってもいいんだぜ?」
「だ、誰もそんなこと……」
「五分でそこへ行ってやろうか?」
ウソ。この人、来るって言ったら、本当に来る。
思わず言葉を詰まらせると、慶介くんの笑い声が聞こえた。
「バーカ、ウソだよ。そんな夜這いみたいなこと、しないって」
ふうっとため息を吐きながら、ほんの少しだけ、期待していた自分に気づく。
「だけどな、日和」
電話の向こうで笑うのをやめ、慶介くんが少し真面目な声でつぶやいた。
「おれ以外の男に、寂しいとか、声が聞きたいとか、言うなよ?」
「い、言わないよ。そんな男の人いないもの」
「そうかな?」
とくんっと胸の奥が音を立てる。
「すぐ近くに、お前の一番大事な男がいるだろ?」
「……奏多?」
「そう。奏多」
一つ屋根の下。狭い廊下を挟んだ、向かいの部屋にいる奏多。
確かに奏多はわたしにとって、とても大事な人だけど。
「奏多は、家族だよ?」
「でも家族じゃねぇだろ?」
「家族だもん」
「向こうはそう思ってねぇんだよ」
心臓を、ぎゅっと何かにつかまれたような気がした。取り乱しそうになる気持ちを抑えようとするけど、うまくいかない。
「本当は、かなり前から気づいてた。あいつの言動見ればわかるから。あいつはお前のこと、家族だなんて思ってねぇよ」
「じゃあ……わたしは何なの?」
少しの間があいてから、慶介くんがわたしに言った。
「ひとりの女として、見てると思う」
携帯を耳に当てたまま顔を上げる。少し開いたカーテンの隙間から、ぼんやりとした春の月が見える。
――お月さまにはね、ウサギさんが住んでるんだよ?
そう言って布団の中で、わたしの髪を触りながら眠った奏多。
あの頃、寂しそうに見えた奏多を、守ってやらなきゃって思っていたけど……誰よりも寂しがり屋で、誰かに守ってもらいたかったのは、わたしのほうだったのかもしれない。