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土曜日、久しぶりの雨音で目を覚ますと、もう昼近い時間だった。
布団の中で耳をすまし、台所の音を聞く。わたしを起こしに来ない奏多が、仕方なく昼食の支度でもしているかな、と思ったけれど、何の音も聞こえてこない。
二階の自分の部屋を出ると、狭い廊下の向かい側にある、奏多の部屋のドアが少し開いていた。
「奏多? いないの?」
一応ドアを叩きながら、部屋の中を覗き込む。だけどそこに奏多の姿はない。
「あー、もう、散らかして……」
ドアを大きく開き、足元に脱ぎ捨てられていた服を拾う。それをハンガーにかけてから、床に落ちている雑誌を集め、机の上にのせる。
中学生の頃、「部屋に入るな」と文句を言われ、「だったら自分で掃除しなさい」と約束させたのに、掃除している気配は全くない。
だから時々、奏多のいないうちに、こっそり掃除をしてしまうんだけど。
「しょうがないなぁ、もう」
ため息をつきながら、机の上に置きっぱなしのバッグを見る。いつも通学に使っているその中から、教科書が半分出ていて、一番上にピンク色の紙が見えた。
なんだろう。男の子の部屋には似合わない色に興味を持ち、すっと指先で引っ張り出したら、それは可愛らしいイラストの描かれたバースデーカードだった。
「えっ、もしかしてこれって……女の子から?」
『奏多くんへ』と丸っこい文字で書かれた下に、『ふうこより』と書いてある。
わたしはしばらくその文字を見つめた後、教科書と一緒にバッグの中へ押し込んだ。
一段一段階段を踏みしめ、二階から降りる。居間も台所もしんとしていて、かすかな雨音だけが窓の外から聞こえる。
冷蔵庫を開けて、麦茶を取り出した。それをグラスにいれ、一気に飲み干す。
今日は奏多の十八歳の誕生日。
ちょうど仕事も学校もお休みだから、どこかにお昼でも食べに行かない? って誘おうと思ってたのに。
わたしがなかなか起きてこないから、出かけちゃったのかな。今日はバイトないって言ってたんだけどな。
約束していたわけではないし、別にどこへ遊びに行ったって、かまわないんだけど。
麦茶を継ぎ足し、居間へ向かい、卓袱台の上へコトンと置く。雨が窓を濡らしている。
奏多って……彼女いるのかな。もう十八歳なんだもの。いたって全然不思議じゃない。
でも今まで、女の子がこの家に来たことはなかった。男の子の友達でさえ、めったに遊びに来たりしない。
遠慮してたのかな……なんて今になって思う。奏多はこの家を、窮屈だと思ったりしてたのかな。
居間に座って、ひとりで麦茶を飲む。雨の音が聞こえるはずなのに、なんだか家の中がいつもより静かだ。
卓袱台に突っ伏し目を閉じると、頭に浮かんだ丸っこい文字が、雨に流されるように消えていった。
携帯の着信音で目が覚めた。あわててそれを手に取り、耳に当てる。
「もしもしっ……奏多?」
どうしてそんなことを言ったのか、自分でもわからない。ただ、うとうとしていた夢の中に、奏多が出てきたような気がして……。
「残念でした。奏多じゃなくて」
「あ、慶介くん……」
「奏多いないの?」
慶介くんの声を聞きながら、なんだか無性に恥ずかしくなった。
「う、うん。どこか行ったみたい」
「なんだ。暇だから、誘ってやろうと思ったのに」
窓を叩く雨の音が、さっきより強くなっている。奏多……どこに行ったんだろう。
「なぁ、日和」
「うん?」
「お前、昼飯食った?」
「まだだけど」
「しょうがねぇ、お前でいいや。なんか食いに行かねぇ?」
「……その言い方、すごく失礼だと思う」
電話の向こうで慶介くんが声を立てて笑う。じっとりと重苦しい空が、ぱっと晴れていくかのように。
「どうせお前も暇なんだろ? 今から迎えに行くから、さっさと支度しとけ」
「え、ちょっと……」
「十分で着く」
えー、ちょっと、待って……。電話が切れたのと同時に立ち上がる。
とにかく着替えなきゃ。髪も寝癖ついてるし。あー、顔も洗ってない。
慶介くんは人の返事なんてお構いなしに、来るって言ったら必ず来る。
部屋に戻って服を選んで、やっと着替え終わった時、わたしをせかすように車のクラクションが響いた。