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「なぁ、一緒に飯食いに行かねぇ?」
外が暗くなってきた頃、現場から戻ってきた慶介くんに声をかけられた。
「え?」
「焼肉」
「ああ」
そういえば、奏多のバイト先に、偵察に行くって言ってたっけ。
「でもわたしが行ったら、奏多きっと嫌がるよ」
「は? 嫌がる資格なんてあいつにはねぇよ。あいつがちゃんと、人様のお役に立てているか、見届けるのがおれたちの仕事だろ?」
よくわからないけど、そうなのかな?
「よし。じゃあ行くぞ!」
「え、今から?」
「さっさとそこ片づけろよ。お疲れさーん!」
慶介くんが事務所の人たちに手を上げて、外へ出て行く。わたしはあわてて机の上を片づけ、「お先に失礼します」と事務所を出た。
ちょっと歩くのが速い、慶介くんの後を追いかけるように歩道を歩く。奏多のバイト先は、会社とわたしの家の、ちょうど中間くらいだ。
バスに乗って行くほどでもなく、ビールを飲むから車は出せないと言う慶介くんの後について、わたしは焼肉店へ向かった。
「いらっしゃいませー! お二人さまですか?」
「おおっ、二人な」
元気の良い店員さんに迎えられて、背の高い慶介くんの陰から店内を見回す。するとわたしたちのほうを見て、ぎょっとした顔をしている奏多を、すぐに見つけた。
「おう、奏多! 真面目に働いてるか」
「……慶介さん。来たの?」
「来ちゃ悪いか? 日和も連れて来たぞ」
慶介くんに背中を押されて、わたしは苦笑いをする。思った通り、奏多がうんざりしたような表情を見せた。
「とりあえず、生中二つな」
「はぁ……」
「はぁ、じゃねぇ。はいっ、かしこまりました! だろ? おれたちは客だぞ?」
「そんなこと、わかってますって」
オーダーをとった奏多が、しぶしぶわたしたちの前から去って行く。
普段生意気で、わたしのことを足で蹴飛ばす奏多も、慶介くんには逆らえないようだ。
「日和。何食う?」
「慶介くんのおごり?」
「いや、きっちり割り勘で」
「それ、ずるくない? 絶対慶介くんのほうが飲むし、食べるくせに」
わははっと声を上げて笑う慶介くんを見る。いいな、この人、いつも楽しそうで。
でもわたしも、こんな慶介くんと一緒にいるのは、けっこう楽しい。
だからちょっとだけ……慶介くんに誘われたのは、嬉しかったんだ。
「はいっ! 生中二つ、お待ちっ!」
いきなり目の前に、ビールジョッキが音を立てて置かれた。顔を上げると、なぜか不機嫌顔の奏多が立っている。あれ? どうかした?
「おいおい、こぼれたぞ? 店員さん」
おしぼりで服を拭きながら、慶介くんが言う。
「わざとですから」
「なに?」
「ちょっとやってみたかっただけ。注文決まりましたら、他の店員に言ってください」
「は? なんだ、それ、お前……」
慶介くんに背中を向けて、さっさと行ってしまう奏多。
「なんだ、あれ」
「さあ……」
なんだかわからないけど、奏多が怒っていたことだけは確かだ。
二人で暮らす年月が長くなればなるほど、お互いの気持ちをより理解し合えるはずなのに、逆に理解できないことが増えていく気がするのは、なぜなんだろう。
奏多の母親である恵さんが亡くなったのは、奏多が小学一年生の時。
恵さんが病気に気づいた時、もうそれはかなり進行していて、一年間の闘病生活の末、彼女は力尽き天国へ旅立ってしまった。
あの日、必死に涙をこらえていた奏多の姿を、わたしは見ていられなくて、母に「かなたんを助けてあげて」と懇願した。
だけどその時すでに、母の気持ちは固まっていたという。
親友だった恵さんと最期に交わした約束。
「かなたんが大人になるまで、わたしがちゃんと見届ける」
恵さんは母の前で、安心したように微笑んだという。
母は奏多を引き取って、わたしたちは三人で暮らすようになった。けれどその生活も、長くは続かなかった。
奏多が小学六年生になった時、わたしの母が交通事故で亡くなったのだ。
それは本当に突然のことで、わたしはしばらく母の死を受け入れることができなかった。
泣いて、泣いて、毎日泣いて……そんなわたしの隣で、奏多はやっぱり涙をこらえていた。
「奏多……」
数日後、わたしがやっと言葉を交わせた相手は、奏多だった。
「わたし、ひとりぼっちになっちゃった」
「……ひとりじゃないよ」
母のいない、何の音も聞こえない部屋に、奏多の声が聞こえた。
「ぼくがいる」
その頃、周りの大人たちは言っていた。奏多のことを、施設に預けたらどうか、なんて。
わたしは成人していたけど、まだ働き出したばかりの、今よりもっと頼りない人間で、自分のことで精一杯だった。だから奏多と暮らすなんてとても無理だろうと、自分でも思ったりしたけれど……。
だけどその時、思い出したのだ。
――かなたんが大人になるまで、わたしがちゃんと見届ける。
母が恵さんとしたという、あの約束を――。
わたしは隣に座る奏多の手を握った。奏多もその手を握り返してくれた。
小さな頃と同じように。少し大きくなった、でも変わらないあたたかい手で。
ひとりぼっちの奏多と、ひとりぼっちのわたし。
そしてその時、わたしは決めた。奏多と二人で生きて行くって。