表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/30

「なぁ、一緒に飯食いに行かねぇ?」

 外が暗くなってきた頃、現場から戻ってきた慶介くんに声をかけられた。

「え?」

「焼肉」

「ああ」

 そういえば、奏多のバイト先に、偵察に行くって言ってたっけ。

「でもわたしが行ったら、奏多きっと嫌がるよ」

「は? 嫌がる資格なんてあいつにはねぇよ。あいつがちゃんと、人様のお役に立てているか、見届けるのがおれたちの仕事だろ?」

 よくわからないけど、そうなのかな?

「よし。じゃあ行くぞ!」

「え、今から?」

「さっさとそこ片づけろよ。お疲れさーん!」

 慶介くんが事務所の人たちに手を上げて、外へ出て行く。わたしはあわてて机の上を片づけ、「お先に失礼します」と事務所を出た。


 ちょっと歩くのが速い、慶介くんの後を追いかけるように歩道を歩く。奏多のバイト先は、会社とわたしの家の、ちょうど中間くらいだ。

 バスに乗って行くほどでもなく、ビールを飲むから車は出せないと言う慶介くんの後について、わたしは焼肉店へ向かった。


「いらっしゃいませー! お二人さまですか?」

「おおっ、二人な」

 元気の良い店員さんに迎えられて、背の高い慶介くんの陰から店内を見回す。するとわたしたちのほうを見て、ぎょっとした顔をしている奏多を、すぐに見つけた。

「おう、奏多! 真面目に働いてるか」

「……慶介さん。来たの?」

「来ちゃ悪いか? 日和も連れて来たぞ」

 慶介くんに背中を押されて、わたしは苦笑いをする。思った通り、奏多がうんざりしたような表情を見せた。

「とりあえず、生中二つな」

「はぁ……」

「はぁ、じゃねぇ。はいっ、かしこまりました! だろ? おれたちは客だぞ?」

「そんなこと、わかってますって」

 オーダーをとった奏多が、しぶしぶわたしたちの前から去って行く。

 普段生意気で、わたしのことを足で蹴飛ばす奏多も、慶介くんには逆らえないようだ。


「日和。何食う?」

「慶介くんのおごり?」

「いや、きっちり割り勘で」

「それ、ずるくない? 絶対慶介くんのほうが飲むし、食べるくせに」

 わははっと声を上げて笑う慶介くんを見る。いいな、この人、いつも楽しそうで。

 でもわたしも、こんな慶介くんと一緒にいるのは、けっこう楽しい。

 だからちょっとだけ……慶介くんに誘われたのは、嬉しかったんだ。


「はいっ! 生中二つ、お待ちっ!」

 いきなり目の前に、ビールジョッキが音を立てて置かれた。顔を上げると、なぜか不機嫌顔の奏多が立っている。あれ? どうかした?

「おいおい、こぼれたぞ? 店員さん」

 おしぼりで服を拭きながら、慶介くんが言う。

「わざとですから」

「なに?」

「ちょっとやってみたかっただけ。注文決まりましたら、他の店員に言ってください」

「は? なんだ、それ、お前……」

 慶介くんに背中を向けて、さっさと行ってしまう奏多。

「なんだ、あれ」

「さあ……」

 なんだかわからないけど、奏多が怒っていたことだけは確かだ。

 二人で暮らす年月が長くなればなるほど、お互いの気持ちをより理解し合えるはずなのに、逆に理解できないことが増えていく気がするのは、なぜなんだろう。


 奏多の母親である恵さんが亡くなったのは、奏多が小学一年生の時。

 恵さんが病気に気づいた時、もうそれはかなり進行していて、一年間の闘病生活の末、彼女は力尽き天国へ旅立ってしまった。

 あの日、必死に涙をこらえていた奏多の姿を、わたしは見ていられなくて、母に「かなたんを助けてあげて」と懇願した。

 だけどその時すでに、母の気持ちは固まっていたという。

 親友だった恵さんと最期に交わした約束。

「かなたんが大人になるまで、わたしがちゃんと見届ける」

 恵さんは母の前で、安心したように微笑んだという。

 母は奏多を引き取って、わたしたちは三人で暮らすようになった。けれどその生活も、長くは続かなかった。

 奏多が小学六年生になった時、わたしの母が交通事故で亡くなったのだ。

 それは本当に突然のことで、わたしはしばらく母の死を受け入れることができなかった。

 泣いて、泣いて、毎日泣いて……そんなわたしの隣で、奏多はやっぱり涙をこらえていた。


「奏多……」

 数日後、わたしがやっと言葉を交わせた相手は、奏多だった。

「わたし、ひとりぼっちになっちゃった」

「……ひとりじゃないよ」

 母のいない、何の音も聞こえない部屋に、奏多の声が聞こえた。

「ぼくがいる」

 その頃、周りの大人たちは言っていた。奏多のことを、施設に預けたらどうか、なんて。

 わたしは成人していたけど、まだ働き出したばかりの、今よりもっと頼りない人間で、自分のことで精一杯だった。だから奏多と暮らすなんてとても無理だろうと、自分でも思ったりしたけれど……。

 だけどその時、思い出したのだ。

 ――かなたんが大人になるまで、わたしがちゃんと見届ける。

 母が恵さんとしたという、あの約束を――。

 わたしは隣に座る奏多の手を握った。奏多もその手を握り返してくれた。

 小さな頃と同じように。少し大きくなった、でも変わらないあたたかい手で。

 ひとりぼっちの奏多と、ひとりぼっちのわたし。

 そしてその時、わたしは決めた。奏多と二人で生きて行くって。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ