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「どうして三者面談のこと、黙ってたのよ」

 よく晴れた五月の日曜日。会社の裏にある慶介くんの家に向かって、久しぶりに奏多と歩く。

「三者面談?」

「そう、この前あったんでしょ? 先生から進学を勧められてるんだって?」

 わたしの隣で、奏多がわざとらしいため息をつく。

「それ、もしかして風子に聞いた?」

「え、ちがっ、違うよ?」

「お前って、ほんと、嘘つけないよな」

 あ、バレた?

「いつどこで、風子と会ったんだよ?」

「どこだっていいでしょ?」

「なに話したんだよ?」

「それは……言えない」

 奏多がもう一度、ため息をつき前を向く。

「進路のことだったら、大丈夫。おれ、ちゃんと自分で考えて、先生とも相談してるから」

「でも、わたしも一緒に……」

「日和は頼りにならないから、必要ない」

 なによ、それ。ひどい。


 心地よい風が吹く。空から差す日差しが眩しい。

「……やっぱり、進学はしないつもりなの?」

 赤信号で立ち止まる。奏多は前を向いたまま答える。

「別に、無理してるわけじゃないから。おれ早く社会人になりたいんだよ。誰にも迷惑かけないで生きていけるような大人に、早くなりたいんだ」

「……無理してるじゃない」

「だから無理なんかしてないって。日和はおれのこと、信用してないの?」

 隣に立つ奏多を見上げる。手をつないで、見下ろしていた奏多のことを、こんなふうに見上げるのは、いつまでたっても不思議な感じだ。


「信用してるよ、奏多のことは。奏多が自分で決めたことだったら、わたしは反対しない。でも……」

 信号が青に変わる。歩き出さないわたしのことを、奏多も立ち止ったまま見る。

「でももし奏多が、わたしに負い目を感じてるとか、遠慮してるとか……わたしと、その、一緒にいてくれるためにとか……そういう理由で進学あきらめたんだったら……」

「バーカ」

 奏多の手がぎゅっとわたしの手を握る。そしてそのままわたしのことを引っ張るようにして、横断歩道を渡りはじめる。

「あきらめたんじゃない、選んだんだよ」

 奏多に握られた手から、そのぬくもりが体の奥にまで伝わってくる。

「おれが自分で選んだんだから、後悔はしない」

 ゆっくりと顔を向けると、奏多が歩道の上で立ち止まった。

「おれが選んだんだよ? 日和のことも」

「奏多……」

 そうつぶやいて、奏多のことを見つめる。小さく笑った奏多が、わたしの手をそっと離す。


「でもまぁ、少しは不純な動機もあるかなぁ……」

「え?」

 そっぽを向いて歩き出した奏多を追いかける。

「もちろん先生には言えないけど」

「何を?」

 ちらりとわたしを見た奏多が、いたずらっぽく笑う。

「早く就職したい理由の一つは、早く一人前になって、早く金を稼いで、早く好きな子と一緒に暮らしたいってこと」

「す、好きな子って……」

「寂しがり屋な、ウサギみたいな子」

 もう一度立ち止った奏多の手が、ゆっくりと伸びる。そしてその指先が、初夏の風に揺れるわたしの髪に、そっと触れる。

 ――ひよちゃんの髪の毛、ウサギさんみたい。

 いつもそばで聞いていた、奏多の声を思い出しながら、目を閉じる。

 さわさわと、わたしの髪と耳と頬に触れる、奏多の指先が心地よい。

 ああ、なんだか気持ちがいいなぁ。天気もいいし。このまま眠ったら、きっと素敵な夢が見られそう。

「寝るなっ」

 頭をぱこっと小突かれて、目を覚ます。

「こんな道路の真ん中に突っ立って、よく眠れるな」

「寝るわけないでしょ!」

「今一瞬、寝てただろ? 信じられねー」

 歩道の上で、言い合っているわたしたちの脇に車が停まる。


「何やってんだ? お前ら」

「あ、慶介くん」

 窓を開けた慶介くんが、奏多の方へ視線を移す。奏多はふてくされたような表情で、慶介くんから顔をそむける。

「おれんち来るんだろ? 乗ってけよ」

「いいの? 奏多、乗せてもらおうよ」

「おれはいい」

 わたしたちを見ないまま、奏多がぼそっとつぶやく。

「あ、そう。じゃあお前は歩いてけ。ほら日和、乗れよ」

 慶介くんが手を伸ばし、助手席のドアを開けてくれる。わたしが少し戸惑っていると、奏多が近づいてきて、そのドアをつかんだ。

「やっぱ、乗る」

「は? お前、ずうずうしいな」

「だって慶介さん、すぐ日和に手を出そうとするから」

 奏多はさっさと助手席に乗り込み、ドアを閉める。仕方なくわたしは、後ろの席のドアを開いた。


「あのさ、言っとくけど、おれ、慶介さんに会いに行くわけじゃないから。綾子さんに会いに行くんだから」

「ほうほう、そうですか」

 二人の会話を聞きながら、わたしも車の中へ乗り込む。

「それからさ」

「なんだよ」

 慶介くんがウインカーを出し、車が動き出す。わたしは後ろの席から、二人の背中を見つめる。

「その頭に巻いてるタオルやめたら?」

「はぁ?」

「仕事中はともかく、休みの日もそれかよ」

「うるせぇな。仕事中は白。プライベートは黒って決めてんだ」

「なんだそれ、カッコつけてるつもり? だっさー」

「お前な……車降りたら覚えてろ?」

 なんだかなぁ……小学生の口げんか聞いてるみたい。でもまるで二人は本物の兄弟のようで、わたしはそんな二人の会話を聞くのが好きだ。


 車はすぐに慶介くんの家に着いた。わたしと奏多は綾子さんと社長に迎えられ、美味しい手料理をご馳走になり、わたしはお酒も少しいただいた。

「またいつでも来てね」

「ありがとうございます」

「ごちそうさまでした」

 わたしたちが帰る頃、社長はすっかり酔いつぶれて眠ってしまった。慶介くんも酔っているせいか、なんだかご機嫌で、部屋の中から手を振っている。

「悪いな。飲んじまったから送れない」

「大丈夫だよ」

「おい、奏多! ちゃんと日和を家まで送れよ?」

「言われなくても、わかってる」

 奏多と一緒に、もう一度綾子さんにお礼を言って、家を出る。

 外はすっかり暗くなり、夜空には月がのぼっていた。

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