27
「どうして三者面談のこと、黙ってたのよ」
よく晴れた五月の日曜日。会社の裏にある慶介くんの家に向かって、久しぶりに奏多と歩く。
「三者面談?」
「そう、この前あったんでしょ? 先生から進学を勧められてるんだって?」
わたしの隣で、奏多がわざとらしいため息をつく。
「それ、もしかして風子に聞いた?」
「え、ちがっ、違うよ?」
「お前って、ほんと、嘘つけないよな」
あ、バレた?
「いつどこで、風子と会ったんだよ?」
「どこだっていいでしょ?」
「なに話したんだよ?」
「それは……言えない」
奏多がもう一度、ため息をつき前を向く。
「進路のことだったら、大丈夫。おれ、ちゃんと自分で考えて、先生とも相談してるから」
「でも、わたしも一緒に……」
「日和は頼りにならないから、必要ない」
なによ、それ。ひどい。
心地よい風が吹く。空から差す日差しが眩しい。
「……やっぱり、進学はしないつもりなの?」
赤信号で立ち止まる。奏多は前を向いたまま答える。
「別に、無理してるわけじゃないから。おれ早く社会人になりたいんだよ。誰にも迷惑かけないで生きていけるような大人に、早くなりたいんだ」
「……無理してるじゃない」
「だから無理なんかしてないって。日和はおれのこと、信用してないの?」
隣に立つ奏多を見上げる。手をつないで、見下ろしていた奏多のことを、こんなふうに見上げるのは、いつまでたっても不思議な感じだ。
「信用してるよ、奏多のことは。奏多が自分で決めたことだったら、わたしは反対しない。でも……」
信号が青に変わる。歩き出さないわたしのことを、奏多も立ち止ったまま見る。
「でももし奏多が、わたしに負い目を感じてるとか、遠慮してるとか……わたしと、その、一緒にいてくれるためにとか……そういう理由で進学あきらめたんだったら……」
「バーカ」
奏多の手がぎゅっとわたしの手を握る。そしてそのままわたしのことを引っ張るようにして、横断歩道を渡りはじめる。
「あきらめたんじゃない、選んだんだよ」
奏多に握られた手から、そのぬくもりが体の奥にまで伝わってくる。
「おれが自分で選んだんだから、後悔はしない」
ゆっくりと顔を向けると、奏多が歩道の上で立ち止まった。
「おれが選んだんだよ? 日和のことも」
「奏多……」
そうつぶやいて、奏多のことを見つめる。小さく笑った奏多が、わたしの手をそっと離す。
「でもまぁ、少しは不純な動機もあるかなぁ……」
「え?」
そっぽを向いて歩き出した奏多を追いかける。
「もちろん先生には言えないけど」
「何を?」
ちらりとわたしを見た奏多が、いたずらっぽく笑う。
「早く就職したい理由の一つは、早く一人前になって、早く金を稼いで、早く好きな子と一緒に暮らしたいってこと」
「す、好きな子って……」
「寂しがり屋な、ウサギみたいな子」
もう一度立ち止った奏多の手が、ゆっくりと伸びる。そしてその指先が、初夏の風に揺れるわたしの髪に、そっと触れる。
――ひよちゃんの髪の毛、ウサギさんみたい。
いつもそばで聞いていた、奏多の声を思い出しながら、目を閉じる。
さわさわと、わたしの髪と耳と頬に触れる、奏多の指先が心地よい。
ああ、なんだか気持ちがいいなぁ。天気もいいし。このまま眠ったら、きっと素敵な夢が見られそう。
「寝るなっ」
頭をぱこっと小突かれて、目を覚ます。
「こんな道路の真ん中に突っ立って、よく眠れるな」
「寝るわけないでしょ!」
「今一瞬、寝てただろ? 信じられねー」
歩道の上で、言い合っているわたしたちの脇に車が停まる。
「何やってんだ? お前ら」
「あ、慶介くん」
窓を開けた慶介くんが、奏多の方へ視線を移す。奏多はふてくされたような表情で、慶介くんから顔をそむける。
「おれんち来るんだろ? 乗ってけよ」
「いいの? 奏多、乗せてもらおうよ」
「おれはいい」
わたしたちを見ないまま、奏多がぼそっとつぶやく。
「あ、そう。じゃあお前は歩いてけ。ほら日和、乗れよ」
慶介くんが手を伸ばし、助手席のドアを開けてくれる。わたしが少し戸惑っていると、奏多が近づいてきて、そのドアをつかんだ。
「やっぱ、乗る」
「は? お前、ずうずうしいな」
「だって慶介さん、すぐ日和に手を出そうとするから」
奏多はさっさと助手席に乗り込み、ドアを閉める。仕方なくわたしは、後ろの席のドアを開いた。
「あのさ、言っとくけど、おれ、慶介さんに会いに行くわけじゃないから。綾子さんに会いに行くんだから」
「ほうほう、そうですか」
二人の会話を聞きながら、わたしも車の中へ乗り込む。
「それからさ」
「なんだよ」
慶介くんがウインカーを出し、車が動き出す。わたしは後ろの席から、二人の背中を見つめる。
「その頭に巻いてるタオルやめたら?」
「はぁ?」
「仕事中はともかく、休みの日もそれかよ」
「うるせぇな。仕事中は白。プライベートは黒って決めてんだ」
「なんだそれ、カッコつけてるつもり? だっさー」
「お前な……車降りたら覚えてろ?」
なんだかなぁ……小学生の口げんか聞いてるみたい。でもまるで二人は本物の兄弟のようで、わたしはそんな二人の会話を聞くのが好きだ。
車はすぐに慶介くんの家に着いた。わたしと奏多は綾子さんと社長に迎えられ、美味しい手料理をご馳走になり、わたしはお酒も少しいただいた。
「またいつでも来てね」
「ありがとうございます」
「ごちそうさまでした」
わたしたちが帰る頃、社長はすっかり酔いつぶれて眠ってしまった。慶介くんも酔っているせいか、なんだかご機嫌で、部屋の中から手を振っている。
「悪いな。飲んじまったから送れない」
「大丈夫だよ」
「おい、奏多! ちゃんと日和を家まで送れよ?」
「言われなくても、わかってる」
奏多と一緒に、もう一度綾子さんにお礼を言って、家を出る。
外はすっかり暗くなり、夜空には月がのぼっていた。




