26
「奏多は……」
正面に座る風子ちゃんと目が合った。思わず視線をそらしたくなる衝動をぐっとこらえて、わたしも風子ちゃんだけを見つめて言う。
「わたしのたった一人の家族で……それ以上に、他の誰よりも大切な人、だと思ってる」
「それって……恋人としてってことですか?」
八歳も年下の女子高生に、『恋人』だなんて言葉を投げつけられ、どうしたらいいのかわからなくなる。
だけどここで目をそらしては、目の前の彼女に対して失礼だ。
「奏多が高校を卒業して、成人するまでは、わたしがすべての責任を負うつもり」
――かなたんが大人になるまで、わたしがちゃんと見届ける。
そう決めたから。
「だけどその後、もし奏多がわたしでいいって言ってくれるなら……そういう関係になりたいって思ってる」
「……信じられない」
わたしの前で、風子ちゃんがつぶやいた。
「だって小さい頃からずっと、本当の家族のように暮らしてきたんでしょ? そんな人のことを、どうしてそんなふうに思えるの? それとも最初から、奏多くんのことをそういう目で見てたんですか?」
「ううん、違う」
わたしは首を横に振る。
小さくて頼りなかった奏多のことは、本当の弟のように思っていた。わたしが守ってあげなくちゃって思っていた。
だけどその立場が、いつの間にか逆転して……わたしが奏多に頼っているって気づいた時、わたしの中で奏多は、家族以上に特別な存在に変わったのだ。
「納得できません」
風子ちゃんの声が少し震えていた。
「八つも年下の高校生のこと、お姉さんが本気で好きになるとは思えないし、奏多くんだって二年後に誰を好きになってるか、わからないじゃないですか」
膝の上の両手をぎゅっと握る。
「わたしは納得できない。そんなあやふやな関係のために、奏多くんが進学をあきらめて、就職するのなんて、絶対おかしい」
「……そうかな」
両手を握ったまま、わたしは一言ずつ、自分自身を確認するかのようにつぶやいた。
「奏多の進路のこと、ちゃんと話し合っていなかったのは、良くなかったって思ってる。でもね、奏多が自分で決めた未来は信じてあげたい。今までだってそうしてきて、ちょっと道から外れた時もあったけど、間違った方向へは進んでいないから」
「そんなの……」
「それにわたしは、今の気持ちを大事にしたい。確かに二年後には、どうなってるかなんてわからないけど……でも今の気持ちは本当の気持ちだから」
「……好きってことですか?」
風子ちゃんがじっとわたしの顔を見つめている。
「奏多くんのことが、好きってことですか?」
「……うん」
静かにうなずきながら、自分の気持ちを確認する。
うん――わたしは奏多のことが好き。
静かな居間の中に、柱時計の時を刻む音だけが響く。少し開いた窓から、生温かい風が吹き込んでくる。
風子ちゃんは黙ったままうつむいていた。そんな彼女に、わたしは声をかけてあげることができない。
やがて風子ちゃんが肩を揺らし、震える声でつぶやいた。
「あたしだって……好きなんです」
わたしは黙って、風子ちゃんの声を聞く。
「二年生の時、隣の席になって、ノート貸してもらったり、勉強教えてもらってるうちに仲良くなって。話してると楽しかったし、笑ってくれると嬉しかったし。もっと近づきたい、ずっとそばにいたいって思うようになって。それで思い切って告白して、結果フラれちゃったけど、それでもあきらめきれなくて。誕生日にカード渡したり、おじいちゃんのアパートに住んでくれれば、近づけるかもしれないなんて、密かに期待したりして……」
風子ちゃんの声が、涙声に変わった。
「あたし、ウザいですよね。こんな女、引きますよね。でもあたしだって、今の気持ちは本当の気持ちで……」
その先は声にならず、代わりに泣き声が聞こえてきた。
「風子ちゃん……」
ぽろぽろと涙をこぼし、声を上げて泣いている風子ちゃん。
彼女を泣かせたのはわたしだ。
大人と呼ばれる年齢のくせに、八歳も年下の高校生を好きになったりして……しかもわたしは、彼を守らなければならない立場だというのに。
今、目の前で泣いている、奏多と同じ制服を着た彼女のために、わたしが身を引けばいいのかな。
奏多は奏多の生活の中で、自然に知り合った同年代の彼女と、付き合ったほうがいいのかな。
そんなことを一瞬だけ思い、わたしは小さく首を振る。
――今の気持ちを大事にしたい。
ついさっき、自分で言った言葉じゃないか。
わたしは今の気持ちを大事にしながら、自分に正直に生きていきたい。
「もう、ここで大丈夫です」
バス停で立ち止まった風子ちゃんが、わたしを見て言う。
「今日は突然押しかけて泣いたりして……本当にすみませんでした」
「ううん、わたしこそ……ごめんね?」
短い髪をさらりと揺らして、風子ちゃんはさっぱりした表情で、わたしに笑いかける。
「お姉さん、なんで謝るんですか? 謝られたら、あたしがみじめになるだけです」
「あ、ごめんなさ……」
言いかけて口を閉じたわたしを見て、風子ちゃんは声を立てて笑った。
「お姉さんって、可愛いですね」
「えっ、全然そんなことないよ?」
「ううん、可愛いです。天然っていうか、しっかりしているようで、どこか抜けてるところとか」
それ、奏多にもよく言われる。
「それからあたし、まだあきらめていませんから」
「え?」
「奏多くんのこと」
にっこりと微笑む風子ちゃんの後ろに、バスのライトが見える。
「二年後、もしかしたら奏多くん、あたしに気持ち傾いてるかも」
「そうだね、二年後のことなんて、誰にもわからないものね」
わたしたちの立つバス停に、バスが近づく。ヘッドライトの灯りに照らされながら、風子ちゃんが聞く。
「お姉さんの名前、何ていうんですか?」
「日和。日曜日の日に、和むって書いて日和」
「あー、そう言えば奏多くん言ってました。日曜日のお姉さんは、お日様の当たる縁側で、のんびりごろごろお昼寝ばかりしてるって」
「ええっ、そんなことないよ?」
くすくす笑う風子ちゃんの後ろで、バスが停まりドアが開いた。
「日和さん。今度また、おしゃべりしに来てもいいですか?」
「うん。わたしなんかでよかったら」
「絶対来ます。それじゃあ」
小さく手を振って、バスに乗り込んでいく風子ちゃんを見送る。
バスの灯りが消えてから、なんとなく空を見上げてみると、ぼんやりとかすんだ月が、雲の隙間から顔を出した。




