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「お先に失礼します」
「ああ、お疲れー」
社長に挨拶して事務所を出る。外はすっかり暗くなっていたけれど、慶介くんはまだ現場から戻っていない。
いつものようにバスに乗り、早足で家へ向かうと、玄関の前に制服を着た女の子の姿が見えた。
「……風子ちゃん?」
わたしがその名前をつぶやくと、彼女は顔を上げて、小さくわたしに頭を下げた。
「突然来ちゃって、すみません」
「ううん、こちらこそ、ごめんね? ずいぶん待ってたんでしょう?」
風子ちゃんを家へ誘うと、彼女はすんなりと中へ入り、居間の卓袱台の前に座った。
「あの、奏多が何かご迷惑でもかけました?」
そう言いながら、わたしは少し戸惑っていた。奏多のいないこの家へ、どうしてこの子が一人でやってきたんだろう。
「いえ。そんなんじゃないんです」
「じゃあ、どうして……」
グラスに注いだ麦茶を風子ちゃんの前に置き、わたしも腰をおろす。風子ちゃんはまた小さく頭を下げると、そのグラスに手を伸ばした。
「今日学校で、三者面談があったんですけど」
「え、三者面談? 聞いてない……」
「知ってます。奏多くん、お姉さんには話してないって言ってましたから」
どうして? 学校の行事には必ずわたしが参加していたのに。
麦茶を一口飲んだ風子ちゃんは、グラスを静かに置いて、わたしのことを見た。
「それでたぶんこれも、奏多くんはお姉さんに話さないと思いますけど」
「何を?」
「ずっと先生から言われてるみたいなんです。奏多くん、就職するつもりらしいけど、大学に進学する気はないのかって」
「ああ……」
その話は、確かにわたしも気になっていた。
奏多の通っている高校は進学校で、ほとんどの子が大学に進学してるってこと。去年までは奏多も進学するつもりでいたけれど、今年になって急に就職するって言い出したこと。
「家庭の事情とか、いろいろあるのかもしれないですけど。学費の問題だったら、奨学金もあるし……だって奏多くんって、すごく頭がいいから、もったいないって思うんです」
わたしは何も言えなかった。わたしがぼうっとしていたせいで、奏多の進路のこと、ちゃんと考えてあげてなかった。
「それにあたしだって……奏多くんと同じ学校に行きたくて、ずっと勉強頑張ってきたのに」
そこまで言うと、風子ちゃんがうつむいた。なんだかすごく悲しそうに。
「ご、ごめんね? わたしからもちゃんと奏多に話してみるから」
すると風子ちゃんがいきなり顔を上げて、強い視線でわたしを見た。
「あたし……知ってるんです」
「え?」
「お姉さんって、奏多くんの本当のお姉さんじゃないんですよね?」
心臓が音を立てて、よくわからない罪悪感が押し寄せてきた。
別に隠しているつもりはなかったけれど、わたしたちが姉弟でも従姉弟でもないことは、一部の人しか知らないはずだった。
黙り込んだわたしの前で、風子ちゃんが続ける。
「奏多くんが家を出たいって言ってきた時、あたし、お姉さんと喧嘩でもしたのかなって思ったんです。奏多くんとお姉さんが、二人暮らしだってことは知ってたし。でもそうじゃないって奏多くんに言われて、じゃあなんでって聞いたら教えてくれました。お姉さんとは本当の家族じゃないから、いろいろとあるんだって」
置いたグラスを両手で包む。目の前にいる風子ちゃんのことを、どうしてだかちゃんと見れない。
「あたし奏多くんに、『好きな人がいるから』ってフラれて、それからずっと『好きな人』って誰だろうって考えてたんですけど。それを聞いた時、なんとなく気付いちゃったんです。もしかして奏多くんの好きな人って、お姉さんなんじゃないかって。奏多くんはお姉さんのために、就職するって言い出したんじゃないかって」
風子ちゃんははっきりとした口調で、真っ直ぐわたしを見ながら話す。
そんな彼女の前で、うつむくことしかできない自分が恥ずかしくて、わたしはゆっくりと顔を上げた。




