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「よう、奏多。バイト終わったのか?」

 運転席の窓を細く開けた慶介くんが、少し笑って奏多に言う。

「何やってんの?」

「あ?」

「何やってんだよ?」

 雨音に混じって、奏多の張りつめたような声が聞こえるのに、わたしは顔を上げることができない。

「何って……日和が男に絡まれてたら、そいつ追い払って一緒にいてくれって言ったの、お前だろ?」

「キスしろとは言ってない」

「のぞいてたのか? いやらしいやつだな。おれたちは大人なんだから、キスぐらいはするさ」

「慶介くん!」

 あわてて顔を上げたわたしの隣で、慶介くんがつぶやく。

「一人じゃ何にもできねぇ子どものくせに……十年早えんだよ」


 雨の中、奏多の手が伸び、運転席のドアが開く。雨はさっきより強くなっていて、髪を濡らした奏多の姿が、街灯の灯りにぼんやりと映った。

「大人だからって何してもいいのかよ! 日和のこと、何にも知らないくせに。おれはあんたよりずっと長く、日和と一緒にいるんだぞ!」

「それがどうした。日和はかわいそうなお前のことを、仕方なく面倒みてただけだ」

「違う!」

「違わない。そんなこともわかんねぇのか? これだから頭の悪いガキは……」

 奏多の手が慶介くんの胸元をつかみ、ぐっと引っ張りあげる。

「お? やるのか?」

「外出ろよ」

「おもしれぇ」

 ちょっ、ちょっと、なんなの?

 車から降りる慶介くんの後を追い、わたしも助手席から飛び降りた。

 雨の中、向かい合って立つ、慶介くんと奏多の姿。やがて慶介くんの手がゆっくりと上がり……。

「慶介くん、やめて!」

 思わず叫んだ声と同時に、慶介くんは伸ばした人差し指で、奏多の額をつんっと小突いた。二、三歩よろけた奏多の体を、駆け寄ったわたしが受け止める。


「バーカ。おれにケンカ売るなんて、百年早いわ」

 わたしの前で、気が抜けたような顔をして慶介くんを見ている奏多。

「まったく、この恩知らずが。本当は二、三発ぶん殴ってやりたいところだが、勘弁してやる」

「な、なんだよ。偉そうに……」

 慶介くんが、わたしと奏多の顔を見比べるように見て、ふっとあきれたように笑う。

「あー、もう、やってらんねぇ。おれもう帰るわ」

「あ、あのっ、慶介くん……」

 慶介くんはわたしに笑いかけ、その後、もう一度奏多に言った。

「だがな、奏多。日和を悲しませるようなことしたら、二、三発じゃすまないからな? よく覚えとけ」

 そしてわたしたちに背中を向け、車に乗り込むと、そのまま走り去った。


「なんなんだよ……あの人」

 雨の中、慶介くんの車を見送りながら、奏多がつぶやく。

「あの、あのね。慶介くんがあの男を追い返してくれたの。でも慶介くんに、ここに来るように言ってくれたのは、奏多なんでしょ?」

 ちらりとわたしを見た奏多に、小さく言う。

「ありがと……奏多」

 奏多はふうっとため息をついて、あきれたような表情をする。

「だから今朝言っただろ? しばらくこの家には帰ってくるなって」

「……ごめん。でも大丈夫。もう来ないと思う」

「慶介さんが追い払ってくれたから?」

 もう一度息を吐いた奏多は、わたしから視線をそらしてつぶやく。


「……キス、したの?」

「え?」

「慶介さんと」

「してないよ!」

 ああ、もう。慶介くんがヘンなこと言うから……。

「じゃあ、かわいそうなおれのことを、仕方なく面倒みてた、ってのは?」

 隣に立つ、雨に濡れた奏多の顔。その顔を見ながら、わたしは答える。

「それも、違うよ?」

 奏多が黙ってわたしに振り向く。

「奏多だって……わかってるでしょう?」

 ずっとずっと長く、わたしたちは一緒にいたんだから。


「中、入れば? びしょ濡れだよ」

 わたしの言葉に奏多が答える。

「おれはいい。このまま自転車で帰るから」

「でも……」

 奏多はそばに停めてあった自転車に手をかけ、わたしを見る。

「日和こそびしょ濡れだろ。さっさと家帰って鍵かけて、風呂入って寝ろよ」

「……うん」

 やっぱりあのアパートに帰っちゃうんだ。奏多の家はここなのに……。

「奏多も……ちゃんとお風呂入って、あったまりなさいよ。寝る時はしっかり布団かけて……あんたこの季節に、いっつも風邪ひくでしょ?」

 自転車にまたがった奏多がふっと笑う。

「わかってんよ。小学生じゃないんだから」

 そして前を向きかけてから、もう一度わたしの顔を見て言った。


「あのさ、日和」

「ん?」

「明日から、家に着いたらおれにメールして」

「え?」

「ストーカー親父のことも心配だし……それ以上に慶介さんが日和に手を出してきそうで……」

 そこで言葉を切ったあと、奏多はすっとわたしから視線をそらす。

「確かにおれはまだ子どもだけど……でもあの人には絶対負けないから。あの人が偉そうなこと言えなくなるような、ちゃんとした大人になるから」

「奏多……」

「だから、あいつとキスなんかするなよ?」

 しとしとと降る雨の音にまぎれ、奏多の声が耳に響く。

「しないよ。そんなこと」

 照れくさそうにそっぽを向いている奏多に言う。

「絶対?」

「絶対」

「絶対するなよ?」

「しつこいなー、もう」

 でもこの二人、負けず嫌いなところがよく似てるんだ。

 わたしは奏多に近寄って、雨で濡れたその頬にそっとキスする。奏多は驚いたような顔で、わたしのことを見た。

「じゃあ、おやすみ」

「……うん」

 奏多に背中を向けて、家の中へ駆け込んだ。

 もう大人のはずなのに、胸がドキドキして、ちょっとだけ切なかった。

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