20
その日は平日だったから、わたしは仕事へ、奏多は学校へ行かなければならなかった。
二人で朝食を食べ終えると、片づけもそこそこに支度をし、わたしたちは一緒に外へ出る。
一瞬、あの男の姿がよみがえり、わたしは足がすくんで立ち止まってしまった。
「日和?」
「何でもない。大丈夫」
そう言って笑ったわたしの前を、奏多が自転車を押しながら歩き出す。わたしはそんな奏多の後ろを黙って歩く。
大きくなったなぁ、奏多の背中……そういえば自転車に乗れずに、いつもめそめそ泣いていた奏多を特訓して、乗れるようにしてあげたのはわたしだった。
ふらふらと、頼りなく揺れている自転車の後ろを支えて、奏多の小さな背中を見守りながら……。
「日和、お前さ。今晩から慶介さんとこ、泊めてもらえよ」
「え?」
目の前を歩く奏多を見る。奏多は前を向いたまま、わたしにつぶやく。
「あそこなら会社のすぐ裏だし。しばらくこの家には帰って来ない方がいいと思う」
「でも……」
「大丈夫だよ。事情を話せば、綾子さんだってわかってくれるだろ?」
そうだけど……。
奏多が立ち止り、わたしに振り向いた。バス停は右へ、奏多の高校は左へ。別れ道に来ていた。
「それじゃ」
自転車にまたがり、左へ曲がろうとする奏多を見ながら思う。
奏多は何にも感じないのかな。わたしが慶介くんにお世話になっても、何も感じないのかな。
なんだろう……胸の奥がヘンな気持ち。
「風子ちゃんに……よろしくね」
思わず出たその言葉に、奏多が動きを止めてわたしを見る。
「わたしこの前、アパートのそばで会ったの。可愛くていい子だよね、あの子」
「あのさ、念のため言っとくけど」
奏多がため息をつくようにつぶやく。
「おれ、風子とは何にもないから。高二の時、『付き合って』とは言われたけど」
「え……」
「でも断った。そしたら普通の友達でいてっていうから……それだけだよ」
普通の友達……風子ちゃんは、本当にそう思っているのかな。
奏多の部屋で見た、バースデーカードの文字が頭をよぎる。
「だけど風子ちゃんには、ずいぶんお世話になってるでしょ? 今度風子ちゃんのお母さんにも、お礼に行かないと」
「いいよ。そんなの」
「でも保護者として挨拶くらいは……」
そこまで言ってハッと気づく。保護者……そうだ、わたしは奏多の保護者なんだ。
顔を上げると、奏多が怒ったような顔でわたしを見ていた。
「そうだよな。保護者として、勝手に挨拶でもすれば」
「あ、ちょっと、奏多!」
わたしに背中を向け、振り向きもせず走り去って行く奏多。
ああ、怒っちゃった。
だけどわたしは奏多を見守る立場で……それなのにキスとかされてうかれちゃって……何やってるんだろう。
もやもやした気持ちのまま、バス停へ向かって歩く。
これから奏多とどういう気持ちで接したらいいのか、わからなくなっていた。




