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わたし、この子の育て方、間違ったかなぁ……。
朝食の並んだ卓袱台に頬杖をつき、猫背でテレビの画面を見続けている、制服姿の男子高校生。
手に持った箸は、さっきからずっと止まったままだ。
「奏多」
そうつぶやいて、返事を待つ。けれど返ってきたのは、わたしを無視する笑い声。
「もう、奏多ってば!」
右手を伸ばし、リモコンをつかむと、わたしはテレビの電源を切った。
「何すんだよ。見てんのに」
目の前に座る奏多が、今日初めてこっちを向いた。
「食事中にテレビは見ないって約束でしょ? 箸止まってるよ。それから肘ついて、ご飯食べない」
「あー、もう、ごちゃごちゃうるせぇなぁ。小学生じゃないんだから」
ふてくされた顔で箸を置き、奏多は立ち上がる。
「ちょっと。ご飯もういらないの?」
「いらね」
畳の上に脱ぎ捨てられていたブレザーをはおり、バッグを肩にかける奏多を見て、わたしもあわてて立ち上がった。
「奏多、待って。お弁当、お弁当」
居間から台所へ移動して、年々大きくなっていく弁当箱にふたをする。青いバンダナでそれを包み、奏多に声をかける。
「奏多っ、お弁当!」
「わかってる」
玄関で靴を履いている奏多が、バタバタと駆け寄ったわたしに、背中を向けたまま右手を上げる。
わたしがその上に弁当箱をのせると、奏多は無言でそれをバッグの中へ突っ込んだ。
「いってらっしゃい」
「……ん」
振り返ることなく玄関を出て行く、見慣れた背中を見送りながら、わたしは小さくため息を漏らす。
やっぱり育て方、間違ったかなぁ……。
いやいや、これでも、中学の頃よりだいぶマシだ。
だってあの頃は、わたしと一緒にご飯なんて、絶対食べてくれなかったもの。
玄関から居間へ戻り、残り物にラップをかけるわたしは、これでも二十五歳の独身OLだ。
もちろん子供を産んだわけではないけれど、わけあって一緒に暮らす八歳年下の奏多のことは、どうしても母親目線で見てしまう。
確かに、周りにいる同世代の友達と比べると、わたしって所帯じみてるなぁ、なんて思うけど。
だけどわたしは決めたのだ。五年前に母が亡くなった時、わたしが奏多の母親代わりになるって。
だってそれは、母が、奏多の母とした、最期の約束でもあったから。
「わ、もうこんな時間」
洗い物を途中でやめ、わたしはあわててエプロンをはずす。
朝の家事を予定通り終わらせることができずに、バタバタと出勤するのはいつものこと。でも朝食とお弁当だけは手抜きをしたくなかった。
わたしの母は、どんなに忙しくても、食事にだけは気を使ってくれていたから。
……だけど明日こそは、あと十分早く起きよう。
そう心に誓いながら外へ出る。確か昨日も、同じことを誓ったような気がするけど。
その時、キイッというブレーキの音がして、わたしの目の前に一台の自転車が止まった。
「日和」
「あれ、奏多? 忘れ物?」
お弁当は、ちゃんと持たせたはずだよね……。
「朝飯」
「え?」
「残してごめん」
ぼうっとその場に突っ立って、奏多を見る。自転車にまたがったままの奏多の後ろに、淡い色で覆われた桜の木が見える。
「ラップかけて冷蔵庫入れといて。帰ったら食うから」
「奏多……それを言うために、わざわざ戻ってきたの?」
「うるせぇな。日和に謝ったんじゃねぇよ。千景さんに謝ったの!」
奏多がそう言って、ちらりとわたしの顔を見る。
千景さん――久しぶりに聞く母の名前だ。
「食事中にテレビは見ない」
「肘をついてご飯を食べない」
「食事は残さず食べること」
それは全部、母がいつも口にしていた言葉。
「うん、大丈夫。ちゃんと冷蔵庫に入れてある」
小さくうなずいて、目の前にいる奏多に微笑む。
わたしよりずっと小さかった奏多の背が、ぐんっと大きくなって、いつの間にか抜かされてしまったのはいつだったっけ?
だけど朝の日差しにキラキラと光る、少し茶色い奏多の髪は、小さい頃と全く変わっていない。
「あのさ、日和?」
「ん、何?」
「ついてる」
にこやかに微笑むわたしとは対照的に、奏多はあきれたようなため息をつく。そして右手をすっと伸ばすと、その親指でわたしの口元を拭った。
「ご飯つぶ」
「え、うそっ、ぎゃっ」
「家出る前に、フツー鏡見るだろ? それでも女かよ、お前」
あわててバッグをかき回し、鏡を探すわたしの前で、奏多が指先をぺろりと舐めた。
「日和。時間」
「わかってる」
「遅刻すんなよ?」
「あー、もううるさいなぁ。小学生じゃないんだから!」
あれ、なんかコレ、さっきと逆じゃない?
声に出さずに「バーカ」と口だけ動かして、奏多がほんの少し笑う。そして自転車を方向転換させると、小さな家の前にわたしを残し走り去った。
ああ、やっぱりわたし、全然「お母さん」になれてないかも……。
そんなことを思いながら、今朝もバス停へ向かってダッシュする。
春の穏やかな風が吹き、わたしの上から一枚、桜の花びらがはらはらと舞い落ちてきた。