5話
普通荷車が街道を行くには遅い時間だった。
だが、ハーパライネン家の荷車ともなると、国内の主要な街道は苦も無く通ることができる。
ビルシュトナ国内において最大の商家であると同時に、貴族に継ぐ特権を持っているからである。
南へ向かう荷車の中で、王子はすやすやと眠っている。
無理もない。
「ティエリ」
荷車の外からアルベルトが声をかけた。
本家に残る祖父母の代わりに、アルベルトが同行している。
「何?」
「そろそろ休もう。動きながらではゆっくり休めないだろう」
「うん、エーミル様はもう眠っちゃったけど」
「……そうか」
アルベルトは苦笑し、荷馬車を止めるよう指示を出した。
少し開けた街道沿いの草地に一段は止まった。
火を起こし馬を休ませる。
王子はそのまま休ませ、ティエリはアルベルトと共に火を囲んだ。
「ほら、温かいハーブティーだよ」
アルベルトが差し出した杯からは湯気とやわらかな香りが立ち上っている。
甘めに味付けされたハーブティーを口に運びながら、ティエリは空を見上げた。
炎の明かりに少しだけ輝きを邪魔されてはいるが、きらきらとあまたの星が輝いている。
「それを飲んだら休むといいよ。明日の朝早く出発して、まだ日が昇り切らないうちには着けると思う」
「ありがとう」
「……これからの事、考えているのか?」
アルベルトにそう問われ、ヴィルヘルムに言われた婚姻の話が脳裏をかすめる。
「結婚の話……、俺も聞いた」
「え」
「大旦那様は、マイニオ様とヘルマンニ様、そしてまだ立ち上がっていない諸侯たちと新政権を立ち上げるおつもりだ」
「……まだこの国は奪われたばかりよ」
「そういう時期だからこそ、早めに手を打ちたいんだよ」
「でも、私たちは結婚なんて考えられないし、それにうまくいく保証もないわ」
「マイニオ様が味方になってくれたら、諸侯たちも話を聞いてくれると思う。だけど、ベステロースに味方したスレヴィ殿下やヘンリ公がどこませ他の諸侯を巻き込んでくるかもまだ見通しが立たないのは事実だ」
ベステロースが進軍してきたとき、早くから敵軍に傾倒した3人の貴族諸侯たち。
彼らの動きもまだわからない。
「大丈夫、何事も前向きに考えないといいことは起きないよ」
アルベルトはそう言ってほほ笑む。
その台詞は、ティエリの母親も言っていた言葉だ。
王室に一人でやってきて、ティエリを生んだ。
教育係として王の子供たちに接し、ティエリを育ててきた。
少し泣きたいような気分になって、
「私、もう休むわね」
ティエリはそう伝え馬車に戻った。
翌朝。
気が付くと荷馬車は揺れていた。
幌から顔を出すと、海の香りが頬をなでる。
もうすぐビルシュトナの南端、トウルカーヤだ。
イェルハルドは予定より早くトウルカーヤの街に到着した。
もう一人の王の隠し子……おそらくあの少女だ……らしき人物を見逃した事を多少悔いての事である。
港町は侵略された都よりもにぎやかな喧噪に包まれていた。
侵略の事実は伝わっているだろうが、王都から離れたこの街にはまだ何の影響もないといった風情だ。
当座の宿を取ろうと、通りすがりの町人を呼び止める。
「すまない、このあたりで安くていい宿はないか」
「えっと、どの程度をお好みですか」
「寝られればいい。明日には帰らなければならないから、一晩夜風をしのげれば。あと、酒場が近くにあるとなお良い」
でしたら、と町人はすこし通りから外れた場所を示した。
「この先の細い道を抜けると、青い屋根の建物があります。そこは安くて飯もうまい。それにすぐ隣の界隈にはいい酒場がそろっていますよ」
イェルハルドは短く礼を言うと馬を引いた。
紹介された青い屋根の建物はすぐに見つかった。
宿に空きを尋ねると、宿代はすこし張るが最上階の一室が空いていた。
値が張るといっても、ベステロースの市民の1日の賃金に毛が生えた程度だった。
その位の経費で文句は言われまい。
馬を預け部屋に荷物を置くと、イェルハルドはすぐさま酒場に足を向けた。
情報収集をするには酒場が一番いい。
みな酒を飲み、大声で噂話をする。
大声で噂話をしていない集団がいれば、それはそれで重要な情報を拾える。
一件目。
ひときわにぎわう店に入った。
海の男たちは朝が早い。
だから、早いうちから酒を飲む。
日も落ちて間もない時間だというのに、店内は多くの人でにぎわっている。
ざっと店内を歩き、興味をそそる集団の近くに席を構えた。
「マイニオ様の容体もだいぶ良くなったらしいな」
「ああ、こんな時だからこそあの人には踏ん張ってほしいもんだがな」
「俺、昨日ヘルマンニ様のところの兵隊を見たんだが」
「ようヘルマンニ様のとこのモンだってわかったな」
「それがよ、東の特産品を運ぶ行商に化けてたんだけど兵隊かどうかは振る舞いでわかるだろ?」
「ヘルマンニ様がマイニオ様と手を組んで、ベステロースを追い出すのか?」
「わからんなー。逆に、マイニオ様を説得するのかもしれんぞ」
「ヘンリ公はともかく、スレヴィ王弟陛下もベステロースの味方してんだろ?あの方はヘルマンニ様を買っておられたからな」
「ヘルマンニ様はベステロースにつくと思うか」
「わからん。ただ、侵攻の時東から一歩も動かれなかったところをみると、素直にベステロースに味方するとも思えなんだがな」
「じゃぁ、なんだ?やっぱりヘルマンニ様とマイニオ様は組んでベステロースを追い払う算段をされるのか?」
「そんなこたぁ、俺らにわかるかよ!」
わはははは、と笑い声が響く。
注文したワインと燻製の肉をかじりながら、イェルハルドはだいたいの事を察した。
やはり、ヘルマンニはマイニオに使者を出した可能性がある。
王城に駐屯するベステロースよりも先に。
マイニオへの民衆の期待も高いようだった。
ワインを飲み干すと、イェルハルドはテーブルに十分な硬貨を置いて席を立った。
次の店を探す。
今夜のうちに街の情勢とマイニオの動向を探り、明日の朝一番で商家のあたりを探る算段だ。
何件か酒場をはしごしていると、時間は深夜を回る頃となった。
仕事をしている自覚がある為か、あまり酒には酔っていない。
しっかりと歩きながら、酒場で集めた情報をもとにそれとなくマイニオの噂を集める。
「マイニオ様の容体がよくなったってのは本当か?」
そう道行く人々に尋ねれば、だいたいの人間から「そうだ」と答えがかえってきた。
「マイニオ様は、敵国を追い払うおつもりなのだろうか」
そう問えば、半数はこの街を守ってくださると言われた。
ある者はこうも言った。
「ベステロースは不凍港が欲しいだけだろう?その土地としてここは最適だ。ここは漁と商業の港なんだ。軍人にくれてやるわけにはいかない」
的を射た見解だった。
「マイニオ様が立ち上がってくださるなら、ハーパライネンも協力するだろう」
「ハーパライネン?」
その名には聞き覚えがあった。
城を出る前に父から聞かされていた商家の名だ。
「おう、この街はハーパライネン家の商才で大きくなったようなものだ!」
「そうだったな」
「王はくだらねぇ奴だったが、マイニオ様とハーパライネン家なら俺たちは信じてついていくよ!」
「……」
イェルハルドは危険なものを感じた。
王を倒したことに対してはベステロースに一定の感謝の意を持っている国民たちも、もしマイニオがベステロース排斥に動き出した時には世論が変わる。
イェルハルドは、マイニオの屋敷周辺へ向かうことにした。
マイニオの屋敷は、街の中心部にあった。
防御の観点から言えばそれほど良い立地とは言えなかったが、民衆に慕われる将ともなるとかえってその方が良いのかも知れなかった。
広い屋敷は、高い塀で囲まれている。
だが、その塀には飾り穴がいくつもあって庭樹の茂る邸内が一部見えるようになっている。
暗がりの中、塀周りを一周する。
屋敷の周りには火がともされており、定期的に巡回の兵が見回りをしているようだった。
正面の門扉の前に立つと、衛兵がにこやかにあいさつをしてきた。
思わず素直にあいさつを返す。
「ご苦労様です」
武人の屋敷の衛兵とも思えない態度ではあったが、市民に慕われる将の部下とはこういうものかと変に納得もした。
「マイニオ様のご容体が回復したと伺いました。夜分失礼かと思いましたが、少し様子が気になり来てしまいました」
「そうでありますか。感謝いたします。将軍も最近は庭を散歩されるほどに回復されております。もともと肉体的には何の支障もございませんので、早いうちに市民の皆様に回復されたお姿をおみせになるでしょう」
「それは何よりです。ヘルマンニ様もお喜びになるでしょう」
さりげなくヘルマンニの名を出す。
ピクリと衛兵の頬が緊張した。
それを見逃さず、イェルハルドはさらに続ける。
「先ほど酒場で、ヘルマンニ様の兵がマイニオ様に伝令に来たと聞きました。我々はマイニオ様にお早く指揮を執っていただきたい」
「さようですか。そんな噂がもう街に……」
「ただの噂、なのですか?」
極め付けにどっと残念な表情を作る。
「……いや、なんというか。ヘルマンニ様はマイニオ様の義理の弟君。お見舞いの品を届けてくださったのですよ」
「そうですかそうですか!なにより!では、本当に夜分に失礼しました」
イェルハルドは努めて笑顔で屋敷から離れた。
少し離れたところで、尽かさず物陰に隠れ衛兵の様子をうかがう。
すると衛兵が屋敷の中にいる別の兵に声をかけ何やら相談していた。
ヘルマンニが見舞にしろ何にしろ、マイニオに何かしらのつなぎをつけているのはこれで間違いない。
イェルハルドは足音を殺すように宿へ戻った。




