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1話

しばらく走ったが、男が追ってくる気配はなかった。


呼吸がうまくできずに咽こむ。

王子の小さな手が、そっとティエリの背をなでた。


ぐ、とひざに力を込める。


目指す母方の実家は、あと少しだ。








その商家は、国でも有数の豪商だった。

当時の当主であったティエリの祖父は、王の誕生祝賀会に招かれた際に妻と娘を帯同した。

娘は決して美女というわけではなかったが、商家の娘らしく人当が良く気配り上手ですぐに王の目に留まることとなる。


王には、正妃の他に3人の側室があった。

どの姫も国内有力貴族の娘であり、正妃に至っては同じ王族の傍流の出であり、ティエリの母が正式に側室として迎えられることはなかった。

だが、王の寵愛は篤く、王室内にて王の子息たちに教育を施す役職を与えられた。


それから間もなくのことである。

ティエリが生まれた。


女児だったことも幸いし、王室内では大きな軋轢を生むことはなかった。

ティエリの母の立場も教育係以上にすすむことはなかった。

王はそれを望んだというが、王妃や大臣たちの反発があり実現することはなかった。

変わりに、実家には莫大な金銭補助と国外との交易についての特権が与えれることになる。






ティエリは、久しぶりに実家の前に立った。

正確には裏口である。


「ティエリ?」


立ったは良いが、動こうとしないティエリに対し王子が首をかしげる。


ここに来るのは、2度目だった。


1度目は、母親の葬儀の日だ。

ティエリの母は、5年前の夏に原因不明の高熱によって命を落とした。

一時は何かの謀略かと思われたが、死因の解明ができなかったことで捜査されることもなかった。

まさに原因不明だった。

そして、正式な側室でもなかった為に葬儀は実家で執り行われたのだ。

ティエリは王室に迎えにきた商家の雇人とともに初めて実家に帰ったのである。


母の実家で過ごすようにと配慮があったが、母方の実家になじめなかったティエリは、王の望みもありその後数か月で王室に戻ることになる。



「姫様!?」



裏口にじっとたつティエリを見つけたのは、老いた男だった。

おそらく使用人のだれかだ。


呼ばれてぎこちなく彼を見た。


「……おじい様とおばあ様はご在宅かしら」


男は、「直ちに」とだけ言いその場を辞す。

ティエリは深く息を吸った。

王城のある北側地区に比べ、このあたりはまだ静かだった。

だが、追手がかかっていないとも限らない。

どんな事にも対応できるようにと、気持ちを落ち着けなければならなかった。


「ティエリ!」


しばらくして裏口に姿を見せたのは祖母だった。

柔らかな毛布を持参し、すぐにティエリと王子を包んだ。

そっと肩を抱き、家に招き入れる。


「よくぞご無事で」


そう言って、ひとりでうんうんと頷いている。

ティエリは黙って祖母に案内されるままに屋敷内を歩いた。


「体の手当をしましょう。だれか、冷たい水を!」


使用人たちに声をかけ、祖母ルマーニは二人を応接間に通した。


「あぁ、本当に、こんなひどいことになって」


ルマーニがしきりにティエラの手をさする。

その目には涙さえ浮かんでいた。


「姫!」


大きな音を立て扉が開いた。

祖父、ヴィルヘルムが勢いよく入ってくる。


「おお!無事だったか!」

「い、痛いです……!」


きつく抱きしめられ、思わず祖父の腕から逃れる。


「おお、すまん。して、この子は?」


祖父の問いかけに、祖母もそういえば、という表情で王子を見た。


「王子です」

「なに!」

「なんですって!」


あまりの大声に、王子はびっくりしてたじろいだ。

どうしていいかわからず、ティエリの洋服をしっかりと握っている。


「王妃様の嫡子、エーミル王子です」


まさかという言葉が、祖父母二人の顔に張り付いている。


「王家の私邸が焼かれ、私たちは逃げてきたのです」


事情を説明し、ここでかくまってほしいと伝えた。

祖父母はしばらく顔を見あわせ、小声で何かを相談し合った。


すこしの緊張が、ティエリの表情を曇らせる。


「わかりました。ここでお預かりしましょう」


二人からよい回答を得て、ティエリはやっと肩の力を抜いた。

いくら母方の実家だとはいえ、敗戦国の王族を匿うなど知れたら商売の影響はもとよりどんな仕打ちがまっているかもわからない。

それがわからないティエリではなかった。

だからこそ、祖父母の広い心に感謝せざるをえない。


「ありがとうございます!」


涙が出ていた。

やっと、少しは安心できると思った。


ティエリは深く頭を下げた。










温かな食事が供された。

テーブルには祖父母とティエリ、そしてエーミル。


「王室の食事には劣りますが、どうぞ王子」


ヴィルヘルムが優しく王子に食事を勧める。

王子はこくりと頷き、ありがとうと礼を言った。


「よく教育されているようですな」


ヴィルヘルムの言葉に、ルマーニも笑顔で相槌をうつ。

それは自分たちの娘の功績でもある。


しばらく、仮の家族ともいえる食卓は円満に進んだ。


最後に甘い果物を口に運んでいると、それとなく使用人たちが室内からいなくなった。


少し不思議に思ったティエリは、何か重要な話が始まるのだと悟った。

祖父母の顔からも笑顔が消えている。


「どころで、ティエリ。お前これからどうするつもりだい?」


やはり。

ヴィルヘルムが口を開いた。


「かくまうのは一向に構わないよ。だが、これから王子もたとえ裕福とはいえ一般家庭の子として育てるのは忍びない」

「……わかっております。それはこれから考えたいと思っております。何せ、今の今では……」

「そうでしょう、そうでしょう」

ルマーニが深く首肯する。

「では、どうだろう。我々から提案があるのだけれど」

「はい、なんでしょうか」



「お前、王子と結婚しないか」


「え??」


「なに、王子はまだ幼い。すぐにという話ではないし、国情も落ち着いてからになろう」


一体全体。ティエリは二人の提案の意味が分からなかった。


「王子とお前はしばらくここで生活して、国内が落ち着いたら正式に、な。何、生活はこんな中心部よりも、山麓の別荘がよかろう。あそこなら人も少なく、自然も豊かだ」


「そ、そんな!待ってください!母が違うといっても私たちは兄弟ですよ!」


「大した問題ではない。過去にはそうやって王家が続いていた例もある」


愕然とした。


「しかし、結婚することに何の意味があるのですか」


ティエリの質問に対し、ヴィルヘルムはさらに真剣さを増して言い放ったのだった。



「お前と王子で、国を再興させるのだ」

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