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セシウムの夜

恋をせん あなたに会いにゆきたいな

降るセシウムの夜にまぎれて

 あの男は東京電力の職員で、私はよく福島の駅前にあったバーに、飲みにきていた男を知っていた。

 マジメくさったタイプだと思っていたが、飲むと感じが変わり、しばしば横柄に、そしてごくたまに、極端に量をこなした時に、ひどく幼い表情を見せる。何も分からない子供のように。

 そんなお客はよくいる。

 長く会話をした覚えもなく、ただ愛想笑いと、愚痴を茶化したり、たまにその他数人と一緒になって驕って貰ったりした事がある、その程度だ。

 私はその店に週二回、ウェイトレスとして勤めていたのだが、男は大概飲みに来ていた。

 歳は四十前に見える。地味なスーツを着て、銀の縁の眼鏡を掛け、アタッシュケースを椅子に引っ掛ける。

 単身赴任のようで、同僚などと来た事はない。家族はいるようだったが、その話はしなかった。いつも指輪も付けていない。

 ダムの変電所のある山奥まで、明日も車を飛ばして行かなければいけない、だとか下請けの雑な仕事にいつも振り回される、だとか、主に仕事の話。釣りだとか趣味の話も少々。

 大学で名古屋からこの県にやって来て、彼氏が出来たのでそのまま居ついてしまった、私はいつも退屈をしていた。彼氏は花巻の農家出身で、今は市内の商社で働いていたがいずれ家を継ぐつもりだと公言していた。

 新幹線とJRを乗り継いで両親に会いに行った事がある。東京へ行くのと変わらない位時間がかかり、駅前にはホテル以外の高い建物がない。よくある日本の田舎町で、ジャスコすら車で20分かけた先の、隣の市だった。

 結婚を先延ばしにしていたのは、まだ自信がなかったからだ。そこで過ごす先の半生を想像すると、いけないと分かっていながら、憂鬱な気持ちが沸くのを抑える事が出来なかった。

 福島は、好きだ。

 レンガ造りの美術館もあったし、駅ビルには仙台が本店の百貨店もある。何より大学時代の思い出があった。

 軽自動車でドライブをした桃の花の咲く農道や、相馬まで大渋滞の中四時間以上かけて行った海水浴から、夜店で食べた餃子の味まで。

 彼氏の両親は二人共とても素朴で優しかったが、好きになることが出来なかった。先に結婚した友人の話だと、そういうものだと言われた。

 彼氏のマンションにはほぼ毎日、食事や家事をする為に顔を出してはいたが、同棲はしなかった。勿体無いからと、ずっと住んでいたワンルームのアパートの解約を勧められたのにも、決して首を縦に降らなかった。

 このままこんな生活が、いつ迄続けられるのだろう。結婚をしてしまえば、いずれ彼氏が仕事を辞めると決めた時、私にはきっと拒めないだろうと思っていた。

 そして地震があった。

 酷いものだ。

 古い家は倒れ、至る所で火の手が上がり、鉄筋のビルでも壁はひび割れ、テナントの入った一階の部分が崩れ落ちていた。

 車で買い物に行く途中だった私はすぐに携帯電話で彼氏と連絡を取ろうとしたが、圏外で繋がらなかったのでメールを送信のままにして待機させた。ワンセグの電波も入らなかった。

 信号も消え、クラクションやサイレンの音が響き、消火栓から水が溢れ、斜めになって電線に辛うじて支えられた電柱や、潰れた車、瓦礫や尖った破片が数メートルおきに散らばり、アスファルトはひび割れ、、、カーラジオで震度を聞いた時も、現実の事のようには決して思えなかった。

 道は走れたものではなかった。ファミリーレストランの駐車場を見つけて何とか車をねじ込んだ。

 何度も続く余震に、私は車の中で震えながら、ずっとラジオを聴いていた。緊急地震速報の音が嫌で何度もスイッチを消し、それでも怖いからまた点けてしまう。

 夕方、救助活動をする人に近くの高校が避難所になっていると教えられ、やっと車を降りて徒歩で向かった。

 炊き出しを食べ、体育館の体操マットの上で夜を過ごしたが眠れなかった。ボリュームを絞ったラジオが夜通し被害を伝えている。被害者の数は、まだまだ増えているようだ。子供の泣きじゃくる声に、余震の度に悲鳴があがった。

 夜中を過ぎた頃、生きていた基地局でもあったのか、流れ電波でメールの返信を受け、彼氏の無事を知った。

 翌朝、すっかり景色の変わってしまった市内を何時間も歩いて、アパートに帰った。車はカギを掛けて放置した。

 途中、長い行列のスーパーで、ペットボトルの水を買えたのは幸運だった。 子供の頃にニュースで見た阪神大震災を思い出した。映画を見ているような、現実感のなさは相変わらずで、自分ではなく誰かにコントロールされているような感覚で動いていた。

 私のアパートも、建物自体は無事だったものの、窓が何枚も砕けていた。

 ベッドに横になってみたが、眠れない。

 窓を新聞紙とガムテープで塞ぎ、散らかったガラスや食器、倒れた本棚を片付けた頃にはもう日も暮れていた。電話は未だに圏外、昨夜のメールの返事も届かない。

 私はそこで、今夜はシフトが入っていた事を思い出したのだ。

 こんな時に、おかしいかもしれないが、平和だった日常とのかすかな繋がりを求めたのかもしれない、私は自転車を出して、バーへと向かったのだ。

 瓦礫を避け、幾つもの地割れを越えて。

 同じ事を考えたのは私だけではなかったようで、出勤時間前には従業員が、全員ではなかったものの来ていた。(さすがに昨日は誰も来なかったようだ)

 懐中電灯で店内を照らすと、むせびかえるようなアルコールの匂い。棚から落ちて割れた洋酒の瓶が、散らばっていた。

 誰かが、今日はもう閉店だな、と言って、皆が笑った。

 片付けは、今は無理だった。電気もまだ復旧してはいなかったし、第一誰もそんな気分にはなれなかった。

 ドアを開け放ち、換気だけして、コートを着たまま飲む事になった。無事だった日本酒を開け、冷蔵庫は止まっていたが気温で充分に冷えていたチーズだとか、乾き物のツマミで、物置に確かあったはずだとバーテンが引っ張り出して来たカセットコンロで暖をとりながら。

 誰かが持って来た非常用ラジオは、どこにチューニングを回してもニュースばかりだったので切った。私たちが聞きたかったのは、むしろ音楽だった。

 破片の少ないテーブル席で、倒れた椅子を立て直して、オーナーが亡くなったかもしれないだとか、家が全壊しただとか、それぞれ話は尽きなかった。しかし決して酔えなかった。

 これからどうする、という詮ない言葉だけは、誰の口からも発せられなかった。

 二つ目のガスの缶が切れ、余震にも慣れ、ようやく余興に震度を言い当てる程の余裕を取り戻した頃、客が入って来た。

 その男だった。

 男は、何と原付カブで店に乗り付けたのだった。

「いらっしゃい、でもごめんなさい。お車でお越しの方には、飲ませられません」

 と私は言って、また力なく笑った。

 バーテンは、こんな非常時にも忘れずにやって来てくれたと感激し、唯一助かった秘蔵のバカラのグラスを引っ張り出して来た。

「何も無いですけど、まあ座って下さい」

 と椅子の埃を払う。

 男は、「申し訳ないが、キープボトルのブランデーが床の染みと化したのです」とバーテンが聞かせても、表情を緩めたりしなかった。

 代わりに私の奢りです、とバーテンが棚の奥にあった新品のスコッチを開け、氷も無いのにグラスに注ぐ。

 男は黙ってそれに口を付けた。

「お住まいはご無事でしたか?」

「お水、買えました?」

「今日はタクシーも捕まらないでしょうね、お泊りは避難所ですか?」

 数々の質問にも、微笑むのみで答えない。

 ストレートのグラスを、とうとう飲み干すと男は、決心したように口を開き、それぞれに身内の安否を尋ねた。

 それは行方不明もいれば、亡くなった人もいる。一同は次第に、かすかに不快感を抱いた。男はそれでも構わずに続ける。

「連絡がつき次第、でも構わない。いや、本当なら出来るだけ早い方がいいんだが。皆、ここから逃げた方がいい、、、かもしれない」

 怪訝な顔で、薄暗いなか、男の形相を見ると、冗談を言っている様にも見えない。

「部所が違うんで、私にも詳しくは分からないんだが」

 男は、そこで確かに、第一次緊急時態勢と口にした。

 まあ、誰も本気にする筈もなく、と言うよりは災難続きでもううんざりしていたのだろう。

 彼の言葉を遮り、バーテンはおかわりを注いだ。

「まあ飲んで下さい。お酒足りないんじゃないですか」

「一ヶ月、いや一週間でもいいから遠くへ、西の方に向うんだ。海沿いは避けて」

 彼は注がれたものにはもう口を付けず、席を立った。

「早い方がいい。私もすぐに、まず東京に行く」

 と、足を取られてよろめく。

「その足で? 大丈夫ですか?」

「カブなら渋滞もない、六時間もあれば着く。まだ間に合うさ。ここには資料を取りに来ただけだ。ついでに寄ったんだ。皆には世話になったから。警告はしたぞ」

 と、たった一杯のストレートに酔ったのか、ふらついた足取りで外へ向かう。

「付いてってやれよ」

 バーテンに言われ、私はしぶしぶと見送りに出る。

 男はマスクと黒い手袋をして、原付のキックスターターを踏んでいる。

「お気をつけて」

 と近づいた私の手を、急に捕まれた。

「君は逃げろよ。言うなと言われているが辛い。福島第一がメルトダウンした。テレビでは、やらない。ここじゃ見る事も覚束ないだろうが。出来れば触れ回らないでくれ、身内と知り合いにだけ、いや本当に助けたい者だけでも構わない。そうだ、これを渡しておく」

 手袋を脱ぎ、コートから名刺入れを取り出すと一枚、渡された。

「連絡先だ、いつでも掛けてくれ、出来るだけの事はする」

「こんな時に新手のナンパですか?」

 茶化さずにはいられなかった。

「危機感を持てっ」

「うんざり!」

 私は怒鳴っていた。

「何でそんな事ばっかり言うの!? もう充分、みんな苦しんでるのに、、」

「私だって同じだ。もうきっと、阿武隈で釣りも出来そうにない」

 男は悲しそうに笑うと、カブを出した。

 私は怒りにうち震えながら、遠ざかるテールランプを見ていた。




「原発から市内までは車で何時間も掛かる山の向こうにあるんだ。心配はないよ。福島市迄は、直線距離で八十キロもある」

 アパートに帰ると彼氏がいた。

 合鍵で中に、腕に包帯をしていた。

 瓦礫を撤去している最中に、余震に襲われたそうだ。

「避難しているのは二キロ付近の人だってさ」

「でも」

「大丈夫、俺が付いてるよ」

 彼氏は、そう言うと懐中電灯の明かりを、消した。

 翌日には電気も復旧した。やっと掃除機が掛けられると思うと、嬉しかった。目に見えないガラスの欠片が、窓際にはまだあるような気がしたのだ。

 それから暫くは、めまぐるしい程色々な事が起きた。

 アパートが無事だったので、避難所生活はしなくて済んだ。彼氏のマンションは耐震偽装だか局所的な強い揺れだかで潰れていた。

 たくさんのデマや疑惑が飛び交い、輪番停電の被害も受けた。食べ物にはずっと苦労した。

 役所に詰め寄る人や、無気力無感動なアパシー状態で途方に暮れる人。宗教の施しを受けたり、無言で立ち去る自衛隊を見たり。それでもお互いに励ましあいながら、何とか生きていた。

 避難所に、救援物資がなかなか届かない理由を、私はきっと最初に知っていた。

 まだ捨てないでいたアナログのテレビはやっと映り、どうやら暫くは大丈夫だそうだ。だが何度も繰り返し、同じCMばかり流す。

 携帯電話が繋がるようになって、家族にも無事を知らせた。

 花巻の、彼氏の母親が大怪我をした事も分かった。

 たまに流れる、目の前の現実を忘れさせてくれるニュース。村上龍がニューヨークタイムズに声明を出したとかいう話は、現代文をやっていた頃を思い出して微笑ましい反面、何故かイラっとした。運よく江頭も見た。

 西へ避難なんて、これっぽっちも考える暇はなかった。

 いや、本当の事を言えば、それは嘘になる。避難範囲は知らない内に、十二日の夕方には二十キロに拡大されていたというし、後にはさらに増えた。頭の片隅には、ずっとあの男の言葉が聞こえていた。

 “逃げた方がいい”

 偉い学者先生の公演も、又聞きで耳にした。ただちに。健康ランドです。重いプルトニウムは飛ばない。

 今検出されているのは核実験の大爆発に因る物で、福一の単なる水素爆発で飛散するようなものでは決してない。

 私は、より大丈夫だと言う人を、積極的に、信じた。

 彼氏が原因不明の病気で、急死してからも。

 彼氏の商社からの電話で、私はその事実を知った。彼は復旧の為にがむしゃらに働いていた。

 今、頑張らなければ、日本は中国に占領されてしまうのだそうだ。国家危急存亡のこの日こそ滅私奉公いざつかまつらん、とばかりに、私のアパートへも戻らない日がざらにあった。

 単に、過労死だったのかもしれない。しかし、あまりに若すぎた。

 中央病院で、医師に死亡が確認されたという。原因の検証もされず、彼は火葬された。家族がそれを望まなかった。

 いや、誰かに看取られて、ささやかなお葬式をあげられただけでも、震災の死者と比べればいくらも恵まれていたのではなかろうか。今だ行方の分からない、数多の骸に比べれば。

 商社の連中は、私に気を使ってか、手続きや連絡を、全て請け負ってくれた。会社自体が危ない時だというのに、皆嫌な顔一つせず、泣き続ける私に、真摯に応対してくれた。

 花巻からやって来た彼の父には、何度も謝られた。結婚を遅らせたのは、私の身勝手だったというのに。

 式のあと、私は泣いて過ごした。

 花巻に来れば必ず面倒を見ると約束してくれた義父は毎日、義母のいる病院から電話をくれた。バーの仲間も、時々、むしろ私に気を使わせない様にといったタイミングで、様子を見に来てくれた。

 そして、梅雨になった。

 私の涙でなければ高温水蒸気由来かも知れない分厚い雲が立ち込め、毎日セシウムを含んだ雨が降った。

 あの男に電話なんてしなかった。

 会えば刺してしまうに違いないと。きっと、そう思った。…それがたとえ、逆恨みに過ぎないとしても。

 私の、平穏な生活を、返して。

 あの頃の。幸せだった頃の。

 そして、ある日、目眩がし、放射能の所為だと思って病院へ行くと妊娠だった。

 逃げた。

 山沿いばかりを走り、猪苗代湖に携帯電話を捨てた。

 軽自動車のナンバーは名古屋のものだったので、道中に迫害は、受けずに済んだ。

 帰ってきた私に、両親は黙って涙を流した。

 テレビ局に勤めていて、実は報道されない事情も知っていた両親は、産む事を強く反対したが、私は耳をかさなかった。

 頑なな私に、せめて検査だけはしろと言われて調べたお腹の子供には、幸い、異常は見つからなかった。女の子らしいという事も同時に分かった。

 天白区の実家の、いつの間にか物置にされていて、取り急ぎで場所をあけた私の部屋の窓から、曇った空を見上げながら、私は、彼氏の元に行きたいとふと思った。


                 終わり



この物語はフィクションです。実在の人物、企業、団体等とは一切、、、関係ありません。

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[良い点] もっと読み続けたい、とてもよい作品でした。 ラストの展開がとてもうまく作られているなと感じました。
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