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WONDERFUL LIFE

作者: 曽我部穂岐
掲載日:2026/05/28

 ――最後のゲームを開始します。


 台座に、白い文字が浮かんだ。


 部屋には、椅子が五つあった。


 武器もない。水槽もない。天井から降りてくる刃もない。壁一面に赤く点滅する制限時間もない。これまでの部屋に必ずあった、あの悪意に満ちた不足が、ここにはなかった。


 ただ、椅子が五つ。


 中央に、投票箱のような黒い台座が一つ。


 私たちは、しばらく誰も動けなかった。


 互いに距離を取り、マスク越しに息をしていた。全員が同じ黒いマスクをつけている。顔は見えない。声は変えられている。名前も分からない。ここに来るまで、私たちはそういうものとして扱われてきた。


 見知らぬ誰か。


 敵。


 邪魔者。


 生き残るために、退かさなければならないもの。


 最初はもっと大勢いたはずだ。


 水が足りない部屋があった。鍵が一つしかない部屋があった。眠れば首輪が締まる部屋があった。透明な扉の向こうで、酸素の残量だけが減っていく部屋があった。


 誰かが泣いた。誰かが怒鳴った。誰かが先に手を出した。誰かが倒れた者をまたいだ。


 私も、そうした。


 しなければ死ぬと思った。


 たぶん、そう思いたかった。


 

 少年のような体つきの参加者が、短く笑った。


「最後だなんて、信じられるかよ」


 変えられた声でも、若さは隠せなかった。怒りと恐怖の境目をまだ知らない声だった。


 その隣で、青年が肩を押さえている。布を巻いているが、傷は塞がっていない。血が黒く固まり、指先まで汚していた。


「ああ。どうせ、最後の次がある」


 青年はそう言ったが、その声にはもう皮肉を支える力も残っていなかった。


 中年の男は黙って台座を見ていた。出口の位置、椅子の間隔、こちらの怪我の具合。そういうものを、目だけで測っている。ここまで生き残った者の目だった。


 老人は椅子に腰を下ろしていた。呼吸は浅い。けれど、その目だけは妙に静かだった。諦めているのではない。諦めることにさえ、もう疲れた人間の目だった。


 そして私も、椅子に座る。従うしかないのだ


 ――投票の前に、顔を確認してください。


 かちり、と部屋のどこかで音がした。


 マスクのロックが外れた音だった。


「顔?」


 少年が吐き捨てる。


「今さら?」


 誰も答えなかった。けれど、誰も逆らわなかった。


 ここでは、逆らえば死ぬ。そう学んできたからだ。


 最初にマスクを外したのは、少年だった。


 その顔を見た瞬間、胸の奥に嫌な懐かしさが走った。


 知っている顔だった。


 けれど若すぎた。


 頬にはまだ柔らかさが残り、目だけが鋭い。世界を敵に回す覚悟だけはあるくせに、自分が世界に傷つけられることをまだ本当には知らない顔。


 次に青年が外した。


 胃の底が冷えた。


 寝不足の目。唇の端の傷。夢という言葉を捨てたふりをして、まだどこかで拾い直せると思っている顔。


 ほとんど同時に、中年の男が外した。


 もう疑いようがなかった。


 ――それは、私の顔だった。


 歳月に押しつぶされ、責任という名のもとに何かを諦めてきた顔。帰る場所を持っているからこそ、死ぬことができない顔。


 老人が外した。


 皮膚は薄く、口元はわずかに震えていた。だが目だけは濁っていない。すべてを見てきたような目だった。見てきたうえで、それでもまだ目を閉じない者の目だった。


 最後に、私もマスクを外した。


 四人の視線が、こちらへ向いた。


 誰も声を出さなかった。


 たぶん、全員が同じことを考えていた。


 これは誰の顔だ。


 私の顔だ。


 私たちは、同じ名前を言った。


 父の名も、母の名も、生まれた町も、小学校の名前も、初めて殴り合いの喧嘩をした日のことも、同じだった。


 同じはずだった。


 だが、少しずつ違っていた。


「高校の夏」


 中年の男が、ぽつりと言った。


「あいつから電話があった」


 少年が眉をひそめる。


「あいつって誰だよ」


 青年が顔を歪めた。


「分かるだろ」


「分かんねえよ」


 少年は苛立ったように言う。


「あいつなら今日も学校に来てた。俺の弁当、勝手に食いやがった。明日も普通に来る」


 青年は目を伏せた。


「明日は来ない」


「何だよ、それ」


「来ないんだよ」


 青年の声は震えていた。


「夜に電話してくる。『今から来られるか』って。それだけ言う。いつもの冗談みたいな声じゃない。笑ってるのに、笑ってない。俺は、気づいた。気づいたのに、気づかなかったことにした」


 中年の男が静かに続けた。


「俺は行かなかった。翌朝、大事な用事があった。あいつはいつも大げさだったし、その夜もそうだと思った」


「思ったんじゃない」


 老人が言った。


「思うことにしたんじゃ」


 中年の男は反論しなかった。


 少年だけが、まだ納得していない顔をしていた。


「嘘だ。そんなの、これからのことだろ。まだ何も起きてない」


 その言葉が、私の胸を刺した。


 まだ何も起きていない。


 そう言える自分が、確かにそこにいた。


 羨ましいと思った。


 同時に、憎いとも思った。


 白い壁の一部が光った。


 そこに、これまでの部屋の記録が映し出される。


 水の部屋。鍵の部屋。眠りの部屋。酸素の部屋。


 並んだ記録には、殺害とも、処刑とも、脱落とも書かれていなかった。


 ただ、短くこうあるだけだった。


 ――選択結果。


 少年が壁を睨む。


「何だよ、これ」


 青年が、かすれた声で言った。


「殺せとは、一度も書いてなかった」


 中年の男が顔を上げる。


「でも、そうしなきゃ出られなかった」


「本当に?」


 青年が言った。


「水は分けられなかったのか。鍵は壊せなかったのか。眠る順番を決められなかったのか」


「そんな余裕、あるわけないだろ!」


 少年が怒鳴る。


 その声に、私はかつて自分が誰かへ浴びせた怒声を思い出した。


 酸素の部屋。


 透明な扉の向こうに、人がいた。膝をつき、こちらへ手を伸ばしていた。扉を閉めれば、こちら側の酸素は足りる。開けたままなら、全員が危ない。


 そう表示されていた。


 私は扉のロックを押さえた。


 向こうから叩く音がした。拳の音。爪の音。額をぶつける音。


 閉めろ、と誰かが言った。


 待って、と誰かが泣いた。


 私は手を離さなかった。


 最後に、向こう側の声が言った。


 ごめん。


 あれは誰の声だったのか。


 今なら分かる気がした。


 青年が壁にもたれた。


「主催者は、どこにいるんだ」


 少年が台座を蹴る。


「出てこいよ! 見てんだろ!」


 返事はない。


 中年の男が天井を見た。台座の裏を覗き込んだ。老人は動かなかった。


 監視カメラは見つからない。


 スピーカーも見つからない。


 隠し扉も、覗き穴も、管制室へ続く通路もない。


 白い部屋は、ただ白いままだった。


「誰が、これを殺し合いにした?」


 中年の男が言った。


 誰も答えなかった。


 老人が、ゆっくりと顔を上げる。


「鏡が要るな」


 少年が老人を睨む。


「何だよ、それ」


「主催者を探すなら、鏡が要る」


 青年の唇が震えた。


「俺たちが、ってことか」


 老人は頷かなかった。


 ただ、否定もしなかった。


 その沈黙が、何よりはっきり答えていた。


 殺せと言われたわけではない。


 選べと言われただけだった。


 けれど私たちは、それを殺し合いにした。


 水を分ける前に、奪うことを考えた。


 鍵を壊す前に、隠すことを考えた。


 扉を開ける方法を探す前に、誰を外へ置いていくかを考えた。


 誰かが仕組んだ。


 誰かが追い込んだ。


 誰かが悪い。


 そう言えた方が、ずっと楽だった。



 台座に、新しい文字が浮かぶ。


 ――最終投票を行ってください。


 五枚の白い紙が現れた。


 それぞれの前に、一枚ずつ。


 ――最も多く選ばれた一名を、残します。


 青年が笑った。


「残す、か」


 次の文字が浮かんだ。


 ――ただし、自身への投票は無効です。


 部屋の空気が止まった。


 全員が自分だった。


 それでも、自分には投票できない。


 少年が紙を掴んだ。


「俺一択だろ。まだ始まってもないんだ。何でも変えられる」


 強い声だった。


 けれど、紙を握る手は震えていた。


「電話にも出る。走って行く。あいつを一人にしない。お前らみたいにはならない」


 青年は、しばらく何も言わなかった。


 やがて、傷口を押さえたまま呟く。


「俺なら、まだ間に合う」


 その声は、間に合わなかった人間の声だった。


「夢も捨てずに済む。謝ることもできる。まだ、全部終わったわけじゃない」


 中年の男は、投票用紙の隅に何かを書きかけた。


 すぐに塗り潰した。


 たぶん、家族の名だった。


「俺には、帰る場所がある」


 それだけだった。


 それだけで十分だった。


 家に明かりがついているかもしれない。待っている者がいるかもしれない。もう期待されていなくても、帰らなければならない場所がある。


 その重さを、私は知っていた。


 老人は、すぐには紙を取らなかった。


「わしは、全部持っていける」


「全部?」


 青年が聞く。


「怒りも、未練も、暮らしも、悔いも。未来は短い。じゃが、短いからこそ、もう捨てる場所も少ない」


 少年が噛みつくように言った。


「あんたを選べってことか」


「違う」


 老人は首を振った。


「選べ、と言われておるだけじゃ。最後くらい、誰かのせいにせず選べ」


 台座の文字が点滅する。


 投票してください。


 少年は、怒りのままペンを握った。


 青年は、何度も書きかけては止めた。


 中年の男は、塗り潰した紙の隅をじっと見つめていた。


 老人は、四人の顔を一つずつ見た。


 私は、自分の紙を見下ろした。


 そこには五つの選択肢があった。


 少年。

 青年。

 私。

 中年。

 老人。


 自分の欄にペン先を置いた。


 だが、そこから先へ線は進まなかった。


 その名だけは、どうしても文字にならない。


 顔を上げると、四つの私が黙ってこちらを見ていた。


 少年を残せば、まだ何も知らない自分にすべてを背負わせる。


 青年を残せば、未練を生かす。


 中年を残せば、帰る場所を守る。


 老人を残せば、終わりまで歩いた時間に渡す。


 どれも正しい気がした。


 どれも間違っている気がした。


 選ばなかった人生は、いつも正しそうな顔をしている。


 選んだ人生だけが、血を流す。


 一枚目の紙が、箱に落ちた。


 次に、二枚目。


 三枚目。


 四枚目。


 最後の一枚を持つ手が、まだ止まっていた。


 親友の声が耳の奥で鳴る。


 今から来られるか。


 水の部屋で泣いた声が重なる。


 鍵の部屋で怒鳴った声が重なる。


 酸素の部屋で、向こう側から聞こえた声が重なる。


 ごめん。


 私は、ひとつだけ書いた。


 そして、投票箱へ入れた。


 紙が底に落ちる音は、思ったより軽かった。


 白い部屋の明かりが、ゆっくりと落ちていく。


 台座に、最後の文字が浮かんだ。


 ――WONDERFULすばらしき LIFEじんせい


 ひどい冗談だと思った。


 けれど、誰も笑わなかった。


 少年は泣きそうな顔でこちらを睨んでいた。


 青年は、唇だけで何かを言った。


 中年の男は、塗り潰した紙の隅を握りしめていた。


 老人は、静かに息を吐いた。


 誰が選ばれたのか。


 私は言わない。


 投票箱は閉じた。


 けれど、白い紙の感触だけが、まだ指に残っている。


 暗闇の中で、文字だけが消えずに浮かんでいた。


 ――WONDERFUL LIFE


 そこに書くべき名前を、私は今も考えている。


 あなたなら、どの私を残すだろう。





お読みいただきありがとうございました。

創作の励みになりますので、評価・感想をお願いします。


今回は、デスゲームを「誰かに強制された殺し合い」ではなく、「人生の中で何かを選び、何かを選ばなかったこと」の比喩として書いてみました。


生きることは、いつも正解を選べるわけではありません。

それでも選び、その結果を抱えて進んでいくしかない。


タイトルの WONDERFUL LIFE は、明るい肯定というより、傷や後悔まで含めて「それでも人生だった」と言うための言葉です。


最後の一票を誰に入れるか。

少しでも考えていただけたなら嬉しいです。

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