表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

称号:【無能】から始める万能力の王国再興記  〜無能と追放された俺、設計図一枚で六種族国家を創る〜

掲載日:2026/04/23

「お前の天職は——《荷物持ち》だ」


ガリウス将軍の声が、金張りの天井から降ってきた。


玉座の間に五十八名の貴族と騎士が立ち並んでいる。みな一様に、アランを見ていた。


その目に、期待はなかった。


——最初から、そういう顔をしていた。


アラン・フォスター、十八歳。三ヶ月前に「勇者適性あり」と判定され、王都に連れてこられた農村の子だった。貴族の子弟と同じ訓練を積み、同じ食卓を囲んだ。それでも彼らにとって、アランは最初から異物だった。話し方が田舎じみている、と笑われた。食事の作法を知らない、と蔑まれた。それでも歯を食いしばって三ヶ月、耐えた。


羊皮紙がバサリと開く。ガリウスの白い顎鬚が揺れた。


「付与スキル《重量無効化》《整理整頓》。攻魔・防魔・体力値はいずれも標準以下。戦闘評価——ゼロ」


くすくす、という音が石の壁に広がった。


騎士の鎧がジャリ、と鳴る。後列でドルド侯爵がハンカチで口を押さえた。剣士クロードが小声で囁く。「最初から挙動がおかしかったんだよな」。魔法使いセレナが目を伏せた。答えない。斥候のファリスは壁を見ていた。


「今日中に王都を出ていけ」とガリウスが羊皮紙を袖に収めた。「宿舎の荷物を持って、今すぐ」


その言葉を合図に、笑いが爆発した。


蒼い目のリゼロッテ王女が金の扇で口元を隠す。銀のティアラが傾き、その唇が動いた。


「ご苦労様でした、【無能】くん」


声が三度、跳ねた。


アランは何も言えなかった。膝が震えるのを、歯を噛んで止めた。三ヶ月分の、色んなものが首のあたりに詰まってきて、声が出てこなかった。


廊下の陰に、一人だけ立っている人物がいた。白いローブをまとった聖女エリス・シュタイン、十七歳。両手で小さな布包みを抱えて、壁に溶け込むように立っていた。笑っていない。ただじっと、こちらを見ていた。


目が合った。


彼女の唇だけが動く。声はない。


——食べて。ごめんなさい。


城の外れで、アランはそれを開いた。固いライ麦パン、二切れ。北風がひゅっ、と砂を巻く。


かじった瞬間、ぼろぼろと涙が落ちた。


固くて、ぱさぱさで、塩気が強い。王都の食堂の柔らかなパンとは比べ物にならない。でも、喉を通った瞬間に——崩れた。


惨めさより先に温かさが届いたのだと、後になって気づいた。


-----


## 【第二幕 荒野が城になった日】


王都から三日。石畳が消え、土の道が荒れ野に変わる頃、アランは倒れた。


歩けなくなったのは空腹のせいだった。ライ麦パンの二切れが底をついて半日、水だけで歩き続けた。膝が地面について、顎が砂に触れた。


そこで——あふれてきた。


頭の奥が、ぼわっ、と白く光る。


数字。設計図。農業効率表。坑道傾斜角。外交オプション一覧。回復薬調合温度。城塞の最適防衛ライン——


「……前世だ」


声が、静かに落ちた。砂漠に落ちる水滴みたいに、跡形もなく消えた。


日本の大学生。夜中だけが自分の時間だった。過労気味の両親、狭い部屋、画面の光だけが友達だった。「王国建設シミュレーション」に八百七十時間を注ぎ込んだ男。最高難易度を全クリし、隠し実績を全て解放した。


(この世界の構造は——あのゲームと同じだ)


《完全領域創造》。《荷物持ち》の裏に隠れていた、この世界における究極の「建国スキル」。半径三百メートルの任意空間を対象に、所持者の「設計記憶」を物理的に具現化する。素材はその場の地脈から自動収集。施工時間は設計の複雑度に比例する。


アランは立ち上がった。砂を払い、荒野の地面に掌を押し当てた。


ドゴン、と大地が唸った。


ゴゴゴゴ——土が盛り上がり、石が組み上がる。砂埃が空を覆い、地響きが十分間続く。風がひゅうっ、と流れを変えた。


そこに、白亜の城塞がそびえ立っていた。


五層の主塔。跳ね橋と外堀。内壁と外壁の二重構造。地下には貯水槽と食糧庫、精製室が口を開けていた。


「……完璧だ」


ただ、玉座に相当する部屋に立った時、アランはしばらく動けなかった。


完璧な城だった。設計通りの城だった。でも——誰もいない。


風がごうっ、と吹き抜ける。石の壁が、その音を反響させた。広い部屋の中心に、一人で立っている。


(まあ、いい)


アランは設計書を広げた。次にやることは決まっている。今は感傷に浸っている場合じゃない。


-----


## 【第三幕 最初の仲間と薬一粒の価値】


城が完成した翌々日、ドワーフが来た。


ゴルドーという名の鍛冶師だった。魔物に採掘地を荒らされ、行き場を失っていた。小柄だが肩幅が広く、鉄色の顎鬚に煤が混じっている。城塞を見上げて口をぽかんと開けた。


「誰が建てた」


「俺だ」


「……嘘つくな」


「本当だ」


ゴルドーはしばらく城壁を拳でガン、ガン、と叩き、目地を舌で舐め、指でつついた。やがて低く唸る。


「目地がゼロだ。圧縮強度が市販石材の四倍はある。こんな技術、どこで手に入れた」


「頭の中にある」


「……住んでいいか」


「一つ条件がある」とアランが言った。「この設計図を一緒に実装してくれ。施工技術が欲しい」


ゴルドーが手を差し出した。ガシン、と固い音。


その週、ゴルドーの声がけでドワーフ十四名が合流した。ガンツ、ドラグ、ネルソン、テルク——それぞれが掘削・鍛冶・木工・石組みの専門家だった。城下に作業場が生まれ、カン、カン、カン——槌の音が荒野に響くようになった。


翌週、エルフの長老シルヴァが三十名を率いてやってきた。


白髪に深い皺。緑の鋭い目が、アランの差し出した地質マップを三十秒眺めた。


「……この分析は正確だ」と低い声で言う。「どこで手に入れた」


「頭の中にある」


沈黙。風がびゅっ、と砂を撒いた。


「我々はここに居場所がある——そういうことか」


「条件がある」とアランが返した。「近辺の魔石鉱脈の採掘にドワーフと協力してくれ。収益は折半する。エルフの里に食糧と安全が確保できる計算だ」


シルヴァが目を閉じた。「……利害の一致だけで縛るのか」


「それが一番長続きする」


長い沈黙。


「……なるほど」とシルヴァが呟いた。「それで十分だ」


エルフ三十名がその日から城下に定住した。


同時期、アランは地下の精製室で回復薬の調合を始めた。


薬草の煮出し温度を摂氏七十度に固定し、二十分間撹拌する——それだけで、薬効成分の抽出率が通常の三倍以上に跳ね上がる。ゲームでは「隠しパラメータ」扱いだった工程を、この世界で誰も知らなかっただけだ。


完成品を一滴、左手の甲に垂らした。建設作業で擦り切れた傷がある。


しゅわっ、と細かい泡が立った。


十秒後——消えていた。


アランはしばらく自分の手を見た。ゲームの中では当たり前の処理だった。数値が上がる、それだけの現象。でも今は、本物の皮膚が、本物に癒えていた。


「……使える」


それだけ言って、次の調合に取りかかった。


完成品を見た魔道具師マリア・テセが固まった。灰色の髪を束ね、眼鏡の奥に計算を宿す女だ。流民の中から技術を見込んで声をかけた人物だった。


「……純度が通常品の十倍以上あります。これ、何ですか」


「回復薬だ」


「わかってます。でも——聖教会の薬師も、同じ素材を使って?」


「全員、調合法が間違っていた」


マリアが十秒、天を仰いだ。それから眼鏡を外して磨き、装着し直した。


「……量産できますか」


「できる」


「私に責任者をやらせてください」


「頼む」


その薬が商人ベルナルド・カルベの手に渡った時、大柄な男が椅子から半分落ちながら叫んだ。


「アラン様! これは——王都でも手に入らない最上品です! 一粒が、国家予算の二百分の一に匹敵する!」


「調合法が間違っていただけだ」


「それを誰もが言えればいいんですが! 専属契約を! 独占販売権を差し上げます。代わりに食糧・木材・石材・金属——城建設に必要なもの全てを仕入れルートに乗せます」


アランは羊皮紙を受け取った。


その週から物資の流入が始まった。城下の市場に商人の馬車が並ぶ。カーン、カーン——荷台の扉が開く音が重なった。城下町の発展が、加速し始めた。


-----


## 【第四幕 六種族が集まる理由と侯爵の算盤】


獣人族長ラグナが率いる八十名が現れたのは、建国から一ヶ月後だった。


筋骨隆々とした虎族の男。二メートルを超える体躯。耳と尻尾が立ち、武装した八十名の目がギラリと光る。


「貴様がアランか」


「そうだ」


「俺たちの村が魔物に囲まれている。三日以内に外壁を建てろ。できないなら今すぐここを焼く」


ドワーフたちが舌打ちをする。エルフの弓手アリアが静かに弦を張った。


アランは地図を広げた。「村の座標を教えてくれ」


ラグナが眉を潜めた。「……三日で外壁が作れるのか」


「設計は一時間。施工はドワーフが二日でやる。三日目には完成している」


「嘘だろ」


「ゴルドー、できるか」


ドワーフの親方が拳をガン、と打ち合わせた。「二日でやってやる。掘削から組み上げまで」


ラグナはしばらくアランを睨んでいた。それからゴルドーを見た。また、アランを見た。


その巨大な膝が、砂利の上に静かについた。ドン、と地が響いた。八十名が一斉に続く。


三日後、獣人の村に高さ八メートルの石壁が完成した。魔物の第一波がドガン、ドガン——壁に激突し、弾き返される。ラグナの息子、七歳のクロが父親の肩から見下ろして「お父さんの城だ」と呟いた。


それを聞いたラグナの横顔が、わずかに崩れた。


翼人族長老ファロン・ウィングが空から舞い降りた。半妖精族長メルリアが花の香りとともに現れた。人間の流民が百、二百と城下へ流れ込んだ。やがて六種族、総勢三千二百名が白い城を中心に暮らしていた。


商業区が自然発生した。エルフの薬草師。ドワーフの金属細工。翼人の広域偵察情報。それぞれの技術が交差し、独自の産業が芽吹く。


エルフのソルが開発した「光葉草の圧縮油」が街灯に使われた。コストが魔石の十分の一で、同等の明るさが出る。ソルは最初、それを里の秘蔵技術として隠していたが、アランに「正当な対価を払う」と言われた瞬間、三秒だけ考えて頷いた。秘密を利益に変える方が、隠すより価値がある——この城下では多くの人が、それを学び始めていた。


城下の一角では、ゴルドーの弟子ネルソンが獣人族の子供に鍛冶の基礎を教えていた。子供の耳がぴんと立って、真剣な目で小さな槌を握っている。翼人族の老人が人間の子供に文字を教え、半妖精の少女が獣人の子供と石畳を一緒に駆けていた。


それを遠くから見ていたアランが、設計書に「聖医師の診療所:第二区画・南東角・120平方メートル」と書き込んだ。まだエリスは来ていない。でも、来た時のために。


マリアが報告書を持ってくる。「今月の回復薬売上、ヴェルドラ王国の税収の二倍を超えました」


「想定より早い」


「早すぎます。——王国が動くかもしれません」


三日後、ハウプト侯爵家の使者レオンハルトが門前に現れた。微笑が目に届かない顔をした男が言う。


「この土地は本来、ハウプト領の東端管轄です。権益の三割を閣下に移譲していただければ、王国からの圧力を遮断できる」


「断る」


「……王国軍が動けば」


アランは地図を広げた。王国の主要商業路とこの城の立地。物流が遮断された場合に損失を被る貴族の名前を、二十七家分リストアップした紙を差し出す。


「王国が俺を潰すと、この全員が損をする。その全員が俺の間接的な盾だ」


「……ハウプト家も入っている」


「入っている。三週間前から準備していた」


レオンハルトがゆっくりと立ち上がった。「……失礼しました」


使者が去った後、アランは独り言を言った。「……二ヶ月以内に、何かが動く」


その読みは正確だった——ただし一ヶ月で来た。


-----


## 【第五幕 魔族将軍ダリウスの侵攻】


魔族将軍ダリウス・ヴァルガが率いる一万五千の軍勢が東国境へ雪崩れ込んだ。国境砦が三日で陥落。騎士団第一隊が壊滅。ガリウス将軍が戦線を離脱し、王都へ撤退した。


ベルナルドが息を切らして城に転がり込んでくる。「アラン様——王都が——!」


「わかっている」


「どこで」


「二週間前に予測していた」


魔族軍の動き方はゲームデータと完全に一致していた。資源拠点を焼き、食糧庫を破壊し、民の士気を削いだ上で本城を包囲する——ダリウスはそのパターン通りに動いていた。


アランはすでに防衛を三倍に強化していた。外壁の増段。地下水路の暗渠化。複層魔法陣の敷設。エルフ弓手隊の要所配置。獣人族迎撃部隊の編成——全て計算済みだった。


「敵軍がここに接触するのはいつだ」とラグナが問う。


「十日後」


「なぜそこまで正確に」


「移動速度と兵站消費から計算した。ただし——」とアランが続けた。「兵站を先に叩く。ファロン、東の谷の輸送部隊を焼けるか」


ファロンが目を細めた。「夜間に二十名。行ける」


「頼む」


 夜、設計室に明かりが灯っていた。アランは就寝前の二時間を必ず設計と計算に充てていた。翌日の業務が何十件積まれていても、その時間だけは削らない。ある深夜、マリアが精製室へやってきた。


「……眠らないんですか」


「計算が終わったら眠る」


「毎晩じゃないですか」マリアが暗い灯りを見た。「……私も手伝います」


「頼む」


 それ以来、夜の設計室には二人分の足音が響くようになった。


二日後、魔族軍の兵站が燃えた。翼人族の奇襲隊が輸送部隊を壊滅させ、帰還した。ファロンの部下カルウとリュネが焦げた羽を誇らしげに広げた。


アランは「よくやった」と言い、給与証書を渡した。


ファロンが片眉を上げた。「……感謝ではなく、金銭で返すのか」


「感謝は個人の感情だ。金は組織を維持する。お前の部下にも正当な対価を払う。それが継続する関係だ」


ファロンはしばらくアランを見た。それからゆっくりと頷いた。「……面白い人間だ」


-----


## 【第六幕 閉じた門と、震える手】


「開けてくれ! リゼロッテだ! ヴェルドラの王女だ! お願い、開けてくれ!」


アランは城壁の上から見下ろした。


金の髪が泥に汚れ、ドレスが裂けている。リゼロッテ王女。馬車の後ろに、かつての仲間たちが続いていた。クロード、セレナ、ハンナ、ファリス——全員が疲弊しきった顔をしていた。その後方に、王都からの難民が千人以上続いている。


「アラン! 頼む、開けてくれ!」とクロードが叫ぶ。声が割れていた。


アランは門番長リオンに静かに言った。「門を閉じろ」


ドン、と重い音が荒野に響いた。


「アラン!」クロードの声が跳ね上がる。「俺たちを見捨てるのか!」


「見捨ててはいない」とアランは壁の上から答えた。声に感情は乗っていなかった。「入国を許可しないだけだ」


「同じだろ! なんで——」


「なぜかを聞くか」


「聞く」


「三ヶ月前、五十人以上の前で俺を笑った。それだけだ」


沈黙が落ちた。


クロードが口を開き——閉じた。


リゼロッテが地面に両膝をついた。金の髪が砂埃に落ちる。涙が地面を濡らす。かつて扇の陰で笑っていた女が、今は両手を地に押しつけている。


「何でもします……お願い……領地を、全部あげます……どうか我が国を……」


アランはそれを眺めながら、静かに言った。「では、契約書を作る」


全員が息を飲んだ。


「ヴェルドラ王国の全領土・全行政権を、この城に移譲すること。王族と旧臣下は非戦闘市民として保護すること。ただし政治権は一切持たない。民草は全員受け入れる。以上を同意するなら、城内に入れてやる」


リゼロッテが顔を上げた。


クロードが「そんな条件……」と声を震わせた。


「呑めないなら今すぐ帰れ。別の逃げ場を探せ」


ゴゴゴ、と地鳴りがした。魔物の軍勢が接近している。風がびゅっ、と砂を巻く。


ハンナが泣きながらクロードの袖を掴んだ。「クロード……外は——」


クロードが唇を噛んだ。セレナが目を伏せた。


三分後。リゼロッテの手が、震えながら伸びた。


「……飛び印を、くれ」


羊皮紙がリオンの手から降ろされた。リゼロッテが署名した。クロードが。セレナが。ハンナが泣きながら続いた。ファリスが無言で手を押し当てた。


城門が開いた。ズゴン、と重い音。


難民たちが雪崩れ込んでくる。馬が嘶き、荷車が軋む。老人が倒れ込み、子供が泣いている。


「リオン、民の振り分けを頼む。住居は南区の第三・第四エリアを開放する」

「了解しました」

「マリア、回復薬を医療班へ。負傷者を先に処置させろ」

「すぐに動かします」

「ゴルドー、仮設の炊事場を三カ所——」

「もう始めてる」


ドワーフの親方が手を振って走っていく。


リゼロッテはそれを城の内側から眺めていた。誰も命令を待たない。誰もが自分の役割を知って勝手に動いている。笑い声まで聞こえる。


「……どうして」と彼女は呟いた。誰にも届かない声で。「どうして、この人には、こんなものがあるんだろう」


翌日から、リゼロッテは城下を歩き回っていた。


誰も彼女に礼をしない。ドワーフは無視し、エルフは会釈だけし、獣人は通り過ぎた。三ヶ月前なら屈辱だった。でも今は——それが当然だと感じていた。


市場の端に、半妖精の少女が花を売っている屋台があった。隣でドワーフの子供が泥だんごを作り、向こうで翼人族の老人が人間の子供に文字を教えている。


「……なんで、こんなことができるんだろう」


クロードが後ろから声をかけた。「リゼロッテ」


「……見て、クロード。あそこ」


ゴルドーの弟子ネルソンが、獣人族の子供に鍛冶の基礎を教えている。子供の耳がぴんと立って、槌を真剣に握っていた。


「……ヴェルドラじゃ、こんな光景は見たことなかった」とクロードが静かに言った。


リゼロッテは何も答えなかった。ただ、目の奥が熱くなった。


-----


## 【第七幕 エリスが来た日】


翌朝。一騎の白馬が城門前に現れた。護衛の騎士カインを連れた、白ローブの少女。


聖女エリス・シュタイン。


アランはカインの顔を確認した上で、すぐにリオンへ頷いた。門が開く。


「……来てくれたか」


馬を降りるエリス。白いローブに旅の泥が跳ね、栗色の髪が風で乱れていた。それでも目は一切揺れていなかった。


「聞いたよ。王都から逃げる途中で、噂が流れてきた」


「どんな噂だ」


「荒野に白い城があって、六種族が集まって、回復薬が国家予算を超えて——アランが建てたって」


「三種族じゃない。今は六種族いる」


エリスが一瞬止まった。それからくす、と笑った。夜明けの空気に馴染む、静かな音。


「……それだけ聞けば十分。あの時のパン、やっと返せた気がした」


アランは何も言えなかった。


城内に入ったエリスは、広場の光景に足を止めた。六種族が入り混じって市場を開いている。パンの焼ける匂い。槌の音。子供たちの笑い声。遠くでエルフの楽器が柔らかく鳴っていた。


「……本当に作ったんだね」


「作った」


「どうやって」


「前世の記憶だ」


エリスは少し考えた。「前世」


「驚かないか」


「驚いてる。でも——あなたが荷物持ちで終わる人じゃないことは、最初からわかってたから」


アランはしばらく黙っていた。それから聞いた。「……なぜ俺にパンを渡した。あの場で俺の味方は誰もいなかった」


エリスは少し考えた。北風がふわっ、と吹いた。


「特別な理由はない。ただ——あなたが一人で取り残されるのが、嫌だった。それだけ」


その言葉が、城壁より固いものになってアランの中に刻まれた。


「帝国の初代聖医師として迎える。正規の給与と住居を保障する」


エリスが目を細めた。「雇用してくれるの?」


「組織が大きくなったら、感情論だけでは動かせない。利害で結べる関係が一番長続きする」


「冷たい言い方」


「……でも本音も言う」アランは少しの間を置いた。「お前がいる城の方が、俺は判断が早くなる」


エリスは何も言わなかった。ただ、空を見上げて——「……うん」と答えた。


-----


## 【第八幕 白亜の城塞、決戦】


魔族軍の前衛が城塞に到達したのは、エリスが来た日の夕刻だった。


地響きとともに五千の魔物が外壁へ殺到する。ドガン、ドガン——衝角が城門を叩く。


「エルフ弓手隊、第一射用意!」アリアの高い声に応え、百名のエルフが壁上に並ぶ。


バシュ、バシュバシュ——矢が雨のように降り注ぎ、前線の魔物を薙ぎ払う。


「獣人迎撃部隊、南回廊へ展開!」とラグナが地鳴りのような声を出す。ズバン、ズバン——重厚な斧が梯子をかけようとした魔物を叩き落とす。


「ゴルドー、北の水門は!」「閉鎖完了! 逆流ルートに魔法陣も済みだ!」


アランは城壁の中央から全体を見渡していた。データが頭の中を流れる。敵軍の動き、陣形の変化、後方からの補充タイミング——全てが計算の内側にある。


漆黒の甲冑。魔族将軍ダリウス・ヴァルガが丘の上から城を見据えた。その声だけがよく通る。


「……荒野にこれほどのものを作り上げたか。感心はする」


ダリウスが手を上げた。後方の魔物軍が動く——五千がさらに倍になる。地平線が塗り潰された。


城内の空気がひりりと締まった。リゼロッテが壁の陰で震えている。クロードが拳を石壁に押し当てた。


「……どうする」とラグナが低く問う。


アランは答えず、懐から羊皮紙を取り出した。「マリア、第七貯蔵庫の魔法石を全放出」


「全放出ですか! 城の動力源が——!」


「十分間だけ切れても構わない。外壁の魔法陣を全展開する」


マリアが走った。三十秒後——


城の外壁全体が、ぼうっ、と白く発光した。


バシン、バシン、バシン——


外周の地面から魔法陣が起動し、土が隆起する。地下深くに仕込んでいた副壁が設計通りに生えてきた。高さ十五メートルの第二外壁が、魔物群の前衛を半包囲する形で出現した。


ドゴン、ドゴン——


ダリウスが馬を止めた。「……なんだ、これは」


退路を塞がれた前衛五千がパニックに陥る。閉鎖空間の中で同士討ちが始まる。


「エルフ、第二射!」バシュバシュバシュ——アリアの号令に百の弓が応える。


「ラグナ、南門開放!」ドガン——隠し門が開き、獣人族迎撃部隊が突撃する。ズバン、バキン、ドン——重厚な音が折り重なる。


十五分後。前衛五千が壊滅した。


丘の上でダリウスが遠く城を見下ろしていた。その横顔に感情は読めなかった。ただ一言。


「……引け」


魔物の群れが退き始める。ずるずると、地平線の向こうへ消えていく。


城壁の上で誰かが歓声を上げた。


それが連鎖した。


ドワーフが盾をガン、ガン、ガン!と打ち鳴らす。獣人族がウォォオォ!と吠える。エルフが弓を天に掲げた。翼人族が空へ舞い上がった。難民の人間たちが、泥だらけの顔で泣きながら叫んでいた。


リゼロッテが壁の陰からそろそろと出てきた。呆然と広場を眺め、声が出なかった。


「……アランが、やった」


クロードが拳を石壁に叩きつけた。赤い痕が残った。「……俺たちが【無能】と笑った奴が」


セレナが何も言えず、ただ空を見上げた。


 城壁の補修は翌朝から始まった。ゴルドーが仕切り、ドワーフと弟子たちが外壁の破損箇所を点検する。カン、カン、カン——槌の音が朝の空気を叩く。


 エリスは医療班とともに負傷者の治療にあたっていた。城内の仮設天幕に十数名が横たわっている。


「痛い?」とエリスが聞く。


「いや、大丈夫だ」と獣人族の若い戦士が答えた。腕に深い切り傷がある。


 エリスが手を当てると、柔らかな光が滲んだ。傷がゆっくりと閉じていく。


「……聖女様って、本当に使えるんですね」


「当たり前ですよ」とエリスが笑った。「でも私より回復薬の方が速いかもしれない」


「それはそれで、なんか悔しいな」


 エリスが笑い、戦士も苦笑した。


 それを遠くから見ていたアランが、設計書の「聖医師の診療所」の項目に、静かに丸をつけた。


-----


## 【第九幕 アラン帝国の誕生】


戦闘から三日後。城の大広間に全ての主要人物が集まった。


ゴルドー、シルヴァ長老、ラグナとクロア、マリア、ベルナルド、ファロン、メルリア、リオン。そしてヴェルドラ王国の残存者たち——リゼロッテ、クロード、セレナ、ハンナ、ファリス。


全員の視線がアランに集まった。


「ヴェルドラ王国の全領土・全行政権移譲に関する契約書。署名は有効だ。これをもって、この城塞を首都とする新国家——アラン帝国が今日、正式に成立する」


広間が静まり返った。


「帝国の国是は三つ。一、種族差別の禁止。二、能力による完全評価制——出身・血筋・天職は問わない。三、全民への生活基盤保障。衣食住の最低保証は国庫が担う」


ゴルドーが太い腕を組む。「文句ない」

シルヴァが目を閉じ、深く頷く。「賛成する」

ラグナが床をドン、と踏んだ。「俺も」

ファロンが静かに言った。「翼人族も参画する」

メルリアが続けた。「半妖精族も」


アランは最後にリゼロッテを見た。


元王女が立ち上がった。傲慢さは跡形もない。ただその目に、奇妙な静けさがあった。


「……一つだけ聞いていいか」


「言え」


「なぜ私を助けなかった。情がないのか、意地悪なのか」


「どちらでもない」アランはまっすぐ答えた。「民を守る力がないのに権力を持つと、民が死ぬ。人間として保護するのは当然だ。ただそれだけだ」


リゼロッテは長い沈黙の後、ゆっくりと頭を下げた。「……わかった」


クロードが何かを言いかけ——しかし何も言わなかった。セレナが目を閉じた。ハンナが小さく泣いていた。


「——以上をもって、アラン帝国を宣言する」


ガン、ガン、ガン——ドワーフが盾を鳴らした。ドン、ドン、ドン——獣人族が床を踏んだ。エルフが澄んだ歌声を上げた。翼人族が天窓から空へ舞い上がった。


広間が震えた。白い城塞が、この大陸に産声を上げた瞬間だった。


-----


## 【第十幕 星の下で、もう一つの始まり】


その夜。城壁の上にアランとエリスだけが残った。


星が出ていた。荒野の空には何も遮るものがなく、天の川がぼんやりと手の届く場所に見えた。


「帝国、か」とエリスが呟く。


「大げさだと思うか」


「思わない」少しの間。「でも——あなたが本当にやりたかったのは、帝国を建てることじゃないよね」


アランは答えなかった。


夜風がふわっ、と吹いた。荒野の草が、さわっ、と揺れる。


「……パンを分けてくれた人が、居心地よく生きられる場所が欲しかっただけか」


エリスがくすっ、と笑った。夜の空気に馴染む小さな音。「そんな理由で帝国を作るの?」


「悪いか」


「……全然。最高だと思う」


しばらく、二人で星を見ていた。


大広間の宣言が終わった後——エリスがアランの袖を軽く引いた。


「ねえ」


「何だ」


「ちゃんと食べてる?」


アランは一瞬止まった。「……食べている」


「本当に? 夜中まで設計室にいるって、マリアさんが心配してた」


「マリアが余計なことを」


「余計じゃないよ」エリスがくるりと前に回り込んだ。「帝国の皇帝が倒れたら困る。公式な懸念として伝えておきます」


「……帝国の初代聖医師が、皇帝の健康管理を担当するのか」


「そういう契約にしてください」


アランはしばらく彼女の顔を見ていた。


「……わかった。食事の時間は確保する」


「約束ね」


「約束だ」


 その会話を、広間の端でクロードが聞いていた。彼は何も言わなかった。ただ、握っていた拳を、そっと開いた。


 夜、戦後三日目の城下は静かだった。


 避難民の子供たちが広場の噴水の縁に座り、エルフのミレンが星座の話をしていた。獣人の子供クロが前のめりになって聞いている。翼人族の少年が空を見上げて「あれが北の星か」と呟く。


 城壁の見回りをするリオンが通りかかって立ち止まった。三ヶ月前まで流民だった青年。今は帝国の門番長として剣を腰に差している。


 (……俺がガキの頃は、こんな夜があったか)


 記憶にない。ずっと食べることだけ考えていた。


 それが今は、星の話を聞いて笑っている子供たちがいる。焚き火の匂いが漂い、パンを焼く煙が空へ上っている。


「リオン」振り返ると、アランが立っていた。「見回りは他の班に任せていい。お前も休め」


「いや、俺が——」


「休め」


 アランが短く言って歩き去った。


 リオンはしばらく城壁に背を当てて、子供たちを眺めていた。


 (……こういう場所を、作ってくれたんだな)


 誰にも言わなかった。


-----


遠く荒野の向こうに、ダリウスの本軍がまだいる。東の大陸では三国が覇権を争っている。ハウプト侯爵グレンは次の一手を考えているはずだ。そして城下には、今日から千人以上の新しい民が増えた。


全部、把握していた。


だが今夜は——ただここに立って、星を見ていた。


六種族四千人が暮らす白い城。荒野の真ん中に生まれた、小さくて大きな世界。


今日をもって、アラン帝国が産声を上げた。


これは始まりに過ぎない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ