大好きな婚約者から「第3ボタン」をもらったので、最高の友達を演じようと思います
――魔法学校の卒業式には、制服のボタンにまつわるジンクスがある。
ローブについた三つのボタン。
そのうち、第1ボタンは「家族への感謝」として卒業証書と一緒に家族へ贈るのが習わしだ。
第2ボタンは「愛する人へ」。
想いを寄せる相手に差し出すことで、その気持ちを伝えるとされている。
そして第3ボタンは――
「親友へ」
生涯を通じて、かけがえのない友として傍にいてほしいという気持ちを込めて贈るものだ。
まあ、ともかく。
このジンクスにおいて、もっとも激戦区となるのは第2ボタンだ。
毎年、魔法学校の卒業式が終わった直後には校舎の裏で泣き崩れる女生徒が大勢現れる、なんていう噂まであるくらいで。
私、フィーリア・ローウェルは――今年、そのうちの一人に加わることになった。
◇
「これ、貰って欲しい」
婚約者であるレイン・アッシュフォードは、ニコッと屈託の無い笑顔を浮かべながら、制服の胸元から外したボタンを私の手のひらへと乗せた。
鮮やかな緋色の髪に、真っ直ぐなエメラルドグリーンの瞳。
整った顔立ちのくせに笑うと目尻に小さなしわが寄って、そのギャップがどうしようもなく愛しくて――そんな、私の大好きな顔で。
まるで、邪気のないその顔で。
――差し出されたのは、「親友」に贈る第3ボタンだった。
「フィーリアに持っていてほしくて。俺にとって、一番大切な人だから」
一番、大切な人。
脳の中でその言葉がぐるぐると回り続ける。
ゆっくりと手のひらの上のボタンへ視線を落とすと、ちいさな銀色が夕暮れの光を反射して、きらりと輝いた。
一番大切な人、か。
「……そっか。ありがとう」
精一杯の笑顔で、私はそう答えるしかなかった。
レインと私が初めて会ったのは、六年前――魔法学校に入学したばかりの春のことだった。
私の実家であるローウェル家は、王都から馬車で一週間ほど離れた田舎の男爵家だ。
魔力量だけは人並み以上にあったので十二歳で王都の魔法学校に入学できたものの、辺境育ちの私には都の貴族社会の細かい作法というものがさっぱり身についていなくて。
入学式の翌日、食堂でフォークの持ち方が違うと上級生に怒鳴られて、半泣きで廊下を歩いていたところを助けてくれたのが、レインだった。
『なんで泣いてんの』
ずいっと顔を覗き込まれて、驚きのあまり泣き止んでしまった。
『フォークの持ち方くらいで怒鳴るやつがおかしいんだよ。気にすんな』
彼はあっけらかんとそう言って、私を食堂に引っ張り戻し、『俺が正しい持ち方教えてやる』とカトラリーを手に取った。
同い年なのに妙に頼もしくて、不思議な子だなと思ったのを覚えている。
後から知ったのだが、彼は王国有数の魔術師家系、アッシュフォード侯爵家の嫡男だった。
とびきりの名門家のくせに全然偉ぶらなくて、誰にでも分け隔てなく接するレインは、あっという間に学内の人気者になった。
そんな彼が私に婚約を申し込んできたのは、入学して半年が経った頃のことだ。
『フィーリアと婚約したい。嫌か?』
昼休み、中庭のベンチで急にそんなことを言われて、私は持っていたパンを取り落としそうになった。
『な、なんで、え、急すぎる……!』
『俺、フィーリアのことが好きだから。それだけ』
さらりと言ってのける彼を前に、私の頭は完全に停止した。
レイン・アッシュフォードに好きと言われた、という事実だけが、夢みたいにふわふわと宙を漂っている。
『……ほ、本当に?』
『嘘ついてどうすんだよ』
『だって、男爵家と侯爵家じゃ家の格も違うし』
『なんとかする』
むっとした顔で言われて――私は思わず笑ってしまった。
いつもレインは優しくて、たくさん笑わせてくれる。
そんな彼に、惹かれない訳がなかった。
『私も、レインのこと好き!』
そうして、私たちは婚約した。
十二歳の、子どもの決めたことだったのに、両家の両親が揃って頭を抱えながらも最終的には認めてくれて。
私たちは、正式に将来を約束し合ったのだった。
それから卒業まで、レインはずっと私の隣にいてくれた。
魔法の授業が難しくて泣きそうになった時も、寮の部屋が寒くて眠れなかった夜も、試験前に緊張しすぎてお腹が痛くなった時も。
『大丈夫、フィーリアは絶対できる』
いつでも、明るくそう言ってくれた。
私も、彼のために何かできることをしようと必死だった。
試験勉強を一緒にして、魔法の特訓に付き合って、たまに意地を張って喧嘩して、仲直りして。
気がついたら、六年が経っていた。
婚約者として、どこかにときめきを感じながら過ごしていたはずなのに。
気がつけばいつの間にか、彼との関係は『大切な親友』になっていたのかもしれない。
――私だけだったのだ。浮かれていたのは。
私は手のひらの上のボタンを、ぎゅっと握りしめた。
『――フィーリア?』
しばらくぼーっとしてしまっていたのか、ずっと喋っていたらしいレインが首を傾けて覗き込んでくる。
私たちの関係を曖昧にせずに、きちんと教えてくれるのも彼が誠実であるがゆえだ。
レインに対して、問い詰めるわけにも、泣くわけにもいかず、私は顔を上げて精一杯の笑顔を浮かべた。
『ありがとう! とっても嬉しい!』
彼のボタンを貰うことができただけでも、ありがたいと思うべきかもしれない。
レインは、とっても人気者だし、この第3ボタンだって喉から手が出るほど欲しいと思っている女の子は沢山いる。
『大事にする』
『当たり前だろ!』
ずっと、大切な人だから。
この関係を壊したくなんてないから。
本当は第2ボタンが欲しかったなんて、口が裂けても言えなかった。
(レインの第2ボタンは、別の人が貰ったはずなんだから……)
悲しい気持ちもあったが、好きな人には幸せでいて欲しいという私の気持ちも、また本当で。
ちくりと痛んだ胸を押さえながら、私は決意する。
この恋が叶わないのなら、せめて最高の友達になろう。
大好きな人が幸せでいてくれるなら、それだけで十分じゃないか。
(きっと、この婚約もいずれ解消になるだろうし……)
それなら、私だってしっかりと就職をして、レインが居なくても生きて行けるようにしよう。
そうして、私の六年間の恋はあっさりと終わりを告げたのだ。
◇
魔法学校を卒業した私は、王都にある魔法省に就職した。
主に一般市民向けの魔法相談窓口を担当する部署で、お世辞にも華やかとは言えない仕事だ。
それでも、困っている人の役に立てることが純粋に嬉しくて、毎日それなりに充実して働いていた。
レインはというと、アッシュフォード侯爵家の跡継ぎとして家業の魔法研究所の運営を引き継ぎながら、王国魔法騎士団にも籍を置いているらしい。
相変わらず、彼は多忙のようだった。
卒業後は月に二、三回は会っていたけれど、やがてそれが月に一度になり、二か月に一度になり……最近は、数か月顔を合わせていなかった。
驚くべきことに、婚約はまだ続いていた。
婚約解消しよう、とは私から言えなかった。
ここ数週間は、レインから頻繁に手紙も来ていたが、見る気が起きなかった。
――きっと婚約破棄を告げるものなのだろうから。
彼の筆跡で別れの言葉が書かれていると思うと、見るのが辛くて仕方なくて。
贈られた手紙は、自室の机に塔のように積み重なったままだ。
この期に及んで、レインを縛り付けてしまう自分の愚かさに呆れ返りそうになるけれど、それでも、少しでも彼と繋がっていたかったのだ。
(でも、このままじゃいけないよね……)
レインは素敵な人だ。
前向きで明るくて、誰でも笑顔にできる。
彼には「第2ボタン」をあげた、もっと素敵な令嬢がいるはずで。
私がいつまでも婚約者の席に居座っていたら、その人との縁を邪魔してしまう。
そう思った私は、彼に手紙を出した。
『婚約破棄の件ならば、実家を通してくれると助かる』と。
手紙を見る勇気のない私の、精一杯の強がりだった。
だって、会って話してしまったらせっかく決意した『最高の友達』という関係性すら崩れてしまいそうな気がしたから。
◇
手紙を出してしばらく経ったある秋の日のこと。
いつもより早く、窓口の仕事を終えて退勤した私は、魔法省の階段を降りていた。
すると突然、後ろからぱしんと手首を掴まれて、驚いて振り返ってしまう。
「……っ!」
ああ、なんで。
会いたくなんてなかったのに。
燃えるような赤い髪も、エメラルドの瞳も、全てが輝いているように見える。
そこにいたのは、大好きな婚約者だった。
「レ、レイン? 仕事は?」
「休みを取った。ちょっとお茶でもしよう」
「なんでこんな所にいるの?」とか「私に何の用?」とか聞きたいことは沢山あったのに。
結局、彼に手を引かれるとドキドキして何も話すことができなかった。
街の中心にある、窓から噴水が見えるカフェ。
彼はいつも通りの屈託ない笑顔で、「元気?」なんて聞いてくる。
「元気だよ。レインは?」
「俺も。仕事が忙しくてちょっとくたびれてるけど」
それからしばらく、近況報告みたいな話をした。
私の職場の面白い相談事例の話と、レインの研究所で起きた魔法事故の話。
レインと笑いながら話していると、久々に会った感じがしないから不思議だ。
頃合いを見て、私はカップを置いた。
「ねえ、レイン」
「ん?」
「クラリス・フォンター令嬢のこと、知ってる?」
クラリス嬢は、魔法学校時代から評判の美人で、貴族社会でも人気の高い令嬢だ。
今年の夜会でもお話したけれど、笑顔が可愛くて品があって、さらに素敵になっていた。
(そして、きっとレインが第2ボタンをあげた人……)
学生時代、クラリス嬢はレインのことが好きだとわざわざ私に告げてきたことがあったのだ。
クラリス嬢はレインとは仲が良かったし、卒業後によくよく考えた結果、彼の第2ボタンの行き先は彼女で間違いないという結論に落ち着いた。
「知ってるけど、なんで急に?」
「レインにお似合いだと思って。今度、パーティーで会う機会があるんだけど、一緒にどう?」
レインがぴたりと動きを止めた。
エメラルドグリーンの目が、じっと私を見る。
「……何がしたいんだ、フィーリア」
彼の声のトーンが、あからさまに低くなった。
「別に、何も。ただレインに素敵な出会いがあればいいなって」
「俺、君と婚約してるんだけど」
「うん、それはわかってる。でも、私たちって――」
「わかってない!」
レインらしくない強い口調で遮られて、思わず口を閉じる。
「フィーリアは、全然わかってない」
レインはカップを置くと、正面からまっすぐ私を見つめた。
ふだんはさらりと流れていく視線が、今日はどこか違う引力を持っていて、目が離せなくなる。
「フィーリア。俺のこと、どう思ってる」
「……え」
「もう、好きじゃなくなったのか?」
なぜ、そんなことを訊くのだろうと思った。
私が何も答えないでいると、レインは今にも泣きだしそうな顔になった。
「俺から手紙を送っても全部無視するし。今日だって無理矢理カフェに誘って、やっと話せたのに……」
心臓が、どくりと跳ねた。
そんな切なげな表情言われたら、まだ私のことを好きでいてくれているのかと期待をしてしまう。
「それに、何あの手紙。婚約破棄だなんて!」
「それは……」
レインは、どうやら私の手紙を読んで慌てて駆けつけたのだと合点がいった。
私は、ゆっくりと息を吐きながら告げる。
「だって、レインは私のこと、好きじゃないから……」
「え?」
思わず目を伏せた。
涙が零れないように瞬きの回数を減らす。
「私と婚約破棄したいなら、ちゃんと言って欲しいと思って」
「ど、どうして、そんな話になったんだ」
動揺したようなレインの声が聞こえて、私は首を傾げる。
果たして、彼は記憶喪失にでもなってしまったのだろうか。
「卒業式に、レインが第3ボタンを渡してきたんじゃない」
思い出すだけで、声が震えた。
「それって、私のこと友達だって、そういうことでしょ。だから――」
「はっ、はあ!?」
突然大きな声が飛んできて、びっくりして肩が跳ねる。
なぜか当事者のレインが、信じられないというふうに目を見開いていた。
「ちょっ、待って。第3ボタンって、そういう意味あったの??」
「……え?」
「うわ、マジか、うわぁ……俺、第2ボタンと同じような感じかと思ってた……」
今度は私が驚く番だった。
「え、知らなかったの!?」
「知らなかった!!」
がたん、と二人して立ち上がって大声で叫んだ。
他のお客さんたちの注目を浴びてしまったため、「すみません」と頭を下げつつ、席に座る。
「俺、あの日、第2ボタンをフィーリアに渡そうとしたんだよ」
ぽりぽりと頭を掻きながら、レインは言った。
「でも、気が付いたらローブの第2ボタンが取れてたんだ。それで焦って、代わりに第3ボタンを渡したんだよ」
「……えっ」
第2ボタンが、取れていて。
そのかわりに、第3ボタンを。
思い返せば、学生時代のレインは侯爵家の人間とは思えないほどガサツの極みで、制服もよく汚していたから十分あり得る話だった。
「あの時、言わなかったっけ」
「そうだっけ……」
確かに卒業式の日、私があまりのショックでぼんやりしていた時に、レインはずっと何か喋っていた気がする。
「ボタンをひとつあげること自体に意味があるんだと思ってたから。まさかそれぞれに別の意味があるなんて知らなかった……」
ずーんと眉間を押さえたレインを見ていると、なんだか今まで悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなってきて。
お腹から湧き上がってくる笑いを堪えることができなかった。
「……あははっ、私たち、そんな理由で!」
おかしくて、嬉しくて、緊張がほどけていくみたいで。
お腹を抱えながら、目の奥がじわりと熱くなる。
泣き笑いになってしまって、あわてて目元を押さえた。
レインが「え、な、なんで泣くんだよ」と慌てたような声を出したから、またおかしくて笑ってしまった。
◇
カフェから出ると、すっかり日が暮れていた。
「私、最高の友達になろうって、ずっと一人で決意してたのになぁ」
「友達にはならない。ずっと、フィーリアが好きだから」
あっけらかんと言ってのける彼に、私はしばらく言葉が出なかった。
そうして、ゆっくり息を吐いた。
「第3ボタン、捨てられなかったの。ずっとお守りみたいにして持ってた」
友達の証なんていらなかったけど、彼がくれたものは、一つたりとも捨てる気になんかなれなくて。
私はポケットから「それ」取り出して、夕日にかざした。
銀色のボタンがキラキラと輝く。
「私もちゃんと言えば良かったのに」
「俺も不器用でごめん」
そう言って、レインは私の手をとった。
言葉足らずですれ違って、本当に不器用な2人だと思う。
だけど。
この笑顔が、好きだ。
レインはいつでも明るくて、ちょっと雑でたまに抜けているところがあって。
隣に並ぶと少し見上げなきゃいけないくらい背が高くて、繋いだ手は温かくて。
ずっと、好きだった。
これからも、きっと好きだと思う。
「ねえ、フィーリア」
「ん?」
「結婚しよ」
唐突過ぎる言葉に、思わずその場で転げそうになってしまう。
「レインってば、いっつも急なんだから……」
「急に言いたくなった」
レインは、ちょっと不安気な顔で覗き込んできた。
「返事は?」
「……正式なプロポーズの時にね」
「なんだそれ!」
おあずけを食らったレインが頬を膨らませる。
だって、こんなにヤキモキさせたのだ。
少しくらいの意地悪は許してほしい。
並んで歩く石畳の上に、影がふたつ並んでいる。
私は右手にある、小さなボタンをそっと握りしめた。
第3ボタン。
親友に渡すもの。
――でも、どうやらこれは、世界でいちばん不器用な「好きだ」の、証らしい。
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