【古記 その二 美致姫 一】 [一 スギサク]
舞台がまた過去に戻り、物語が新しい展開を迎えます。
[一 スギサク]
〔五歳後 美致姫十 スギサク五〕
「普関。近々賢き童が本寺へ。ヤタが里より連れ参る。童は中将が縁。一角の者となさねばならぬ。そなたは美致が学師故、そなたが元が良かろうと寛養が申した。我も同じじゃ。心して養育いたせ」
「かしこまりましてござりまする」
〈於里〉
「スギサク兄様、ヤタ殿が来られたと言うは誠か」
「誠じゃ」
「なれば……」
「ああ。おばば様の御言いつけ通り、明日には里を離れる」
「いずこへ行くのじゃ」
「親父様たちが主様の、そのまた主様のおられる御寺じゃ」
「遠いのか」
「さよう聞いておる」
「…………」
「泣くな。致台……」
「なれど……ワシと兄様は……一つしか……違わぬに……。兄様は……淋しゅう……うっ」
「致台が御役は里に。スギサクが御役は御寺にじゃ」
「…………」
「……致台、頼むから泣いてくれるな……また……また会えよう……。そうじゃ、頼み事があるのじゃ。杉館へ参ろう」
「ここじゃ。此が壺に山ネズミが子が四匹おりたのよ。出られぬ様でありたから、枝を差したのじゃ。と、皆伝うてどこぞへ。此が後も幾度か来るやも知れぬが、スギサクはおらぬ。入りて死ぬるは哀れじゃ。時折見てやりてくれ」
「……兄様がお言いつけ。必ず守る……」
「此で安う参れる」
「……兄様、山ネズミは山神様が御使いと、知りおるか」
「否じゃ」
「母様がさよう言うた。いつか山神様は、兄様に良き事をなしてくだされよう」
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「寛養様、普関にござりまする。御呼びにござりましょうや」
「ヤタが童を連れ参りたが……。あいにく本日は深朝様が御法要、そなたも忙しかろう。如何になそうぞ」
「……良き折なれば、姫宮様が乳母、朝右衛殿に会わせとうござります」
「其はよい。童は中将殿が縁。いづれは姫宮様にも御引き合わせいただこう」
「なれば然様に。其が後、童は裏方に」
「されば、重会か真会にでも預けよ」
「かしこまりましてござります」
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「普関様。此が、一木村がスギサクにございます」
「御苦労でありた。スギサク、そなたも遠路よう参りた」
「スギサクにございます。笹ノ井のおばば様が御言いつけにより、参りましてございます」
「そなたは此が普関が預かりとなりた故、然様心得よ」
「かしこまりましてございます」
「本日は、帝妃深朝姫様が御法要なれば、中将様が姪、朝右衛殿も参られておる。引き合わせる故ついて参れ」
「かしこまりましてございます」
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「朝右衛殿。此が、普関が御預かりいたしたる笹ノ井殿が縁者。名はスギサクと」
「スギサク。朝右衛じゃ。そなたが祖母君殿は、此が朝右衛が伯母君、中将様が乳母殿が御娘にて、帝妃深朝姫様が乳母柚子里殿が従妹殿じゃ。我らは同族。慈養様、御門跡様、普関様によう仕え、我が主美致姫様が衛となられよ」
「かしこまりましてございます」
「普関様。スギサクをお頼みいたしまする」
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「真会、姫宮様が御相手は誰といたそう」
「重会、普関様は何と」
「何も。此がスギサクを預けられただけじゃ」
「真会、姫宮様は、今や慈養様や普関様が御弟子様のような御方。もはや我らでは御相手できぬ」
「真会、重会、何を二人で画しておるかっ」
「素来、姫宮様が御相手がことじゃ」
「姫宮様……。此が者でどうじゃ」
「スギサクを。参りたばかりじゃ」
「普関様が御連れの童ぞ」
「よいではないか。其なれば、粗相も許される」
「なれど……」
「普関様縁の童なれば聡かろう」
「なるほど。なれば。スギサク、ついて参れ」
「かしこまりましてございます」
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「朝右衛殿。スギサクが二親の事を聞きておきたい」
「かしこまりましてござりまする。二親はさる大火の折、主家に入りし夜盗に。彼の日は二人共夜番にて赤児のスギサクは母方が里に。其故命拾いを」
「夜盗は何処の」
「高山、赤見山辺りの山賊が子シロヌシと申す者の一党にござりました」
「縹が手先か」
「恐らくは。山賊頭アオナミは時折レンヤ館に出入りいたしておりまする故」
「表話はさておき。朝右衛殿。笹ノ井殿とは中将様が旧名じゃ」
「……」
「真の御母君様は」
「……千種姫様に」
「ちくさ……何処の」
「……」
「朝右衛殿」
「香散宮様の……」
「……義妹たちは産時に共にでは」
「和子様は御無事にござりました」
「仔細を」
「実承様が御初児様は本寺請との決め事がござりました。承和様が御筋故にござります」
「……。知りしは」
「寛養様、両御父君様、公姫様、中将様、寛姫様」
「そなたを入れ七人。親王様は」
「おそらくは御門跡様より」
「実承には」
「否にござりまする」
「何故然様な仕儀に」
「御母君様身罷られし故『御本血様が御護役は大役故血縁無きが好し』との御計らいに」
「……和子が本名は」
「懐に承るにござりまする」
「読みは」
「『なつき』に」
「……朝右衛殿。そなたが真の御父君様は」
「……香散宮に」
「道理で……何処ぞで会いしと」
「千種は異母妹にござりました」
「御師匠様は此が普関には何も……」
「『語らずとても分かろう』との御心にござりましょう」
「……されど、しかと聞かねば……。仮事など思えぬわっ」
「……『嬉し』と素直に言われませ。親知らずとて良き和子様にお育ちに。何卒御父君様に代わりて御慈しみくださりませ。千種に代わり御頼みいたしまする」
「……」
** ** **
「姫宮様。重会にござりまする」
「本日はそなたか」
「御言葉なれど、本日は、此処に控えましたる者が御用務めまする」
「わかりた。さがられよ」
「かしこまりましてございます」
「控えし者。此方へ」
「かしこまりましてございます」
「見知らぬお顔じゃな」
「先刻参りました」
「おちいさいが、お幾つじゃ」
「五歳となりました」
「御父君、御母君は」
「赤児のうちに亡くなりました」
「亡くなりた、とは、如何なることか、お分かりか」
「おられぬ故、お会いできぬということにございます」
「其が御歳で……然様に御心得か。……賢いのう」
「御身内の御方がお亡くなりでございますか」
「此度が五度目の御法要じゃ」
「御父君様、御母君様にございますか」
「御母君じゃ。御父君はおられるなれど……遠き御方じゃ」
「姫宮様は何故此方に」
「彼方は大人が話故。此方におらば御兄君様が来てくだされる」
「御兄君様……お幾つにございますか」
「御歳はわからぬ。普関よりは御若うないが、御門跡様ほど御歳にあらずじゃ。そなたは何故本寺に。そなたも御法要か」
「寺人となる為にございます」
「然様におちいさいのにか」
「はい」
「寺人となりて何をなすのじゃ」
「御役目にございます」
「御役目とは」
「ようは分かりませぬが……良き僧となることと……」
「良き僧……とな。……よう分からぬ……。なれど、そなたなればなれよう。励まれよ」
「かしこまりましてございます」
「そなたは今まで何処に。お館は何処じゃ」
「お里にございます」
「おさと。其は何処じゃ」
「お山の向こうの……」
「御山の……。知らぬが遠そうじゃのう」
「はい」
「スギサク、其方にても絵合わせをいたせしか」
「絵合わせとは」
「なれば館内にては何をなす」
「……」
「屋根内にて遊ぶは何を」
「話を聞きまする」
「話」
「犬やウサギが話にございます」
「乳母がかや。学師様がかや」
「おじじ様、おばば様、時にはねえやに……」
「……此方に慣れなば姫にも其が話を」
「姫様……。只今でも」
「なれど、別れし者を思い出そう。姫は……。御母君様のお語りは……。忘れはせぬが未だ語れぬ」
「姫様。本日よりスギサクのお里は御寺にございます」
「スギサク……」
「何の話がよろしゅうございますか」
「なれば、そなたが好みのものを」
「かしこまりましてございます」
** ** **
「朝右衛。此が処にて何を。立ち聞きなどとらしゅうない。早う我と姫が元へ」
「喜致様……。御聞きくださりませ。美致姫様が御笑いに……」
「彼の声、姫かっ」
「……」
「法要に笑いとは慎みなき童と思うておりしが。我が姫か……」
「はい……ぅ……うう」
「相手は……男子」
「本日参りしスギサクに」
「スギサク……。裏護役の」
「はい」
** ** **
「重会、明恵様方が探しておられた。中廊でお待ちじゃ」
「御門跡様、重会連れ参りましてござります」
「此方へ。法祥、泉永、そなたらも共に」
「心得ましてござります」
「重会。姫宮様に童を上げしはそなたが一存か」
「素来が言にて真会と計りましてございます」
「素来と真会を」
「かしこまりましてござります」
「重会、素来、真会。何故童を上げしか」
「姫宮様が御相手、我らにては務まらずと思いましてございます」
「そなたらが務まらぬことを何故童に」
「童なれば粗相も許されると思いましてございます」
「普関様が御連れ故、賢き者と思いましてございます」
「只今までに、粗相いたし姫宮様より御咎め受けし事ありしか」
「否にございます」
「有りもせぬ事に怯え、参りたばかりの童に代役を。其が内、御仏は何処に」
「……」
「……」
「……」
「晃会が元にて庶事をいたせ」
「かしこまりましてございます」
「御門跡様。童が配は何方に」
「普関が元じゃ」
「普関様。なれば童は普関様の御筋の方にござりますか」
「否。筋は中将殿じゃ」
「ヤタ殿が御連れにと」
「一木育ちじゃ」
「なれば、いずれは裏者頭殿にござりますか」
「普関が直弟子じゃ」
「それでは……」
「いずれ、本寺を率い姫宮様と生まれ来る若君様に従う者じゃ」
「……」
「……」
「……」
「童と言えど大役の主。皆に弁えさせねばならぬ。兄弟子格はそなたらのみ。明恵、法祥、泉永。よいなっ」
「御師匠様。我ら心得ましてござります」
** ** **
「一見にて馴染むとは……。……血は争えぬもの……」
「親王様。御仰せなれど然様とも。何より童は臣にござりまするっ」
「なれど普関。本血の美致には皆臣じゃ。我とてもよ」
「親王様。なれど……」
「彼の童が美致を真の美致に。よう笑う十の姫に戻しし。本日参りしは深朝が使い。童は我には宝じゃ」
「……」
〈七日後〉
「美致姫。御母君が御法要より早七日、そろそろ内裏にお戻りなされよ」
「未だ写経が終わりませぬ」
「次に回さばよろしかろう」
「時が空きますると綴り乱れができまする」
「姫……」
「御兄君様が御邪魔はいたしておりませぬ」
「……何故然様に」
「……」
「……なれば。……なれば御伺い致しまする。御母君様は、姫が代わりと御なりになられとは――」
「誰が然様なことをっ」
「……」
「誰ぞの者の言葉など、御心に留めらるるものでは――」
「姫がおらねば御母君様は、只今も御無事で。御兄君様は、御母君様と美致姫どちらが残りしなればと、思し召されまするか」
「我が父君にとりて、御母君深朝姫様は妃姫、そなたは娘姫、御二方ともなくてはならぬ御方なれば、此が慈養には御返答いたしかねる」
「……」
「姫よ。御母君様は、そなたが身を、己が身を酷すほどに案じられた。其では御不満か」
「……」
「深き御心に、責ありと思し召しか」
「……」
「……深朝様が御心根、御身にしか、わからぬこととは、思し召さぬか……」
「……なれど、御兄君様。兄君様は彼の折、母君様は御役目を成されし故と。姫を生まねば母君は……」
「姫……。御身の尊きを慮られよ。御母君と姫との間に入るは、何にもできぬこと。ましてや心なき言葉など、入れるものではない」
「……」
「姫よ。御身の何も何もが、御母君を覚えておられる。深朝姫様が御心と会いたくば、己が内を訪ねられるがよい」
「……御兄君様。御兄君様は、何故、姫が側には居りてくださりませぬ。斯様に仰せくださるは、御兄君様のみ。美致は御兄君様と居りとうござりまする」
「美致姫。此が慈養が勤めは、いづれ本寺を預かりて、そなたが後見を無事成すこと。同じく、そなたにもまた勤めあり」
「勤め」
「御父君が姫宮とて、いづれ中宮殿を御守りなさるがそなたが勤め」
「中宮殿を……」
「東宮開与殿が一の君の妃となられ、中宮殿の主に。故に姫は、中宮様より御教えを受けねばならぬ。此は、我ら兄妹、父君が和子とて、成さねばならぬことじゃ」
「美致にも御役目が。短慮にござりました。此より戻りまする」
「なれば、慈養も共に。御法要が折の御預かり物もある故」
「置き抜けでよろしゅうござりましょうか」
「慈養が書物の横に置き、次の御見えを御待ちしよう」
「また参りても良いと」
「御身が御役目、御忘れなさらぬ限り、何時なりと」
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