【古記(いにしえのき)その一 深朝姫】 [二 至極の御箱]
前回の過去編の続きです。
[二 至極の御箱]
〈於中宮殿〉
「中将様。御聞きいただきたきことが」
「なれば柚子里殿我が間へ」
「上がられて早や四月。深朝様も柚子里殿も御労積もりでござりましょう」
「……なれば良いのでござりまするが……」
「柚子里殿。深朝様に何か」
「実は。月の障りがござりませぬ」
「いつから」
「上りし月よりにござりまする。当初は御心労故かと。なれど……」
「悪しき病には」
「……」
「柚子里殿……」
「病なれば一大事。なれど、其より上やもと。なれど、仮事申し外れなば、其は更なる大事故。……此が一月迷うておりました」
「何事に」
「……本寺に参られしことが……」
「寛養様が御手配を」
「否に。御婚儀二夜前、参寺の朝、大臣が寝間にて御転びに。代わりて姫様が参られましてござります。なれど、彼の日は終日雨にて車牛までもが転び、姫様が御戻りは翌朝となりたのでござりまする」
「……」
「恐れ多きことなれど、もしやと。一時は御食細うおなりに。なれど、只今は……。御病とはいかにても思えず」
「乳母殿が言なれば、仮事とは……。此より中宮様に。先ずは、薬師が手配をなされませ」
「かしこまりましてござりまする」
〈翌日 中宮御間〉
――ツツツツツ――
「中宮様。寛養にござりまする」
「此方へ」
――ツツツツ――
「此は。お上、大臣まで。何事にござりまするか」
「寛養殿。御婚儀二夜前、房見殿が本寺に参りし折がことをお上に御語り下さりませ」
「中宮様。心得ましてござりまする。彼の折、寛養は大臣に礼欠きましてござりまする」
「礼欠きとは」
「お上。別間にてと思い離れまで御車を。御供に『上がられ御待ちを』と伝言いたし、なれど御あいさつ申し上げられず。代わりて若君が御一人にて御接待を。御車も表に出られず脇通りの御戻りにて御牛も難儀にとのことに。其故、明けの御戻りとなられ、御侍りも若君がなされましてござりまする。大臣。御無礼御許し下さりませ」
「いや。寛養殿……」
「なれば、寛養殿。彼の日、離れに寺人は喜致のみか」
「はい。中宮様。翌明け前に御車着きしを、普関が御伝えに参りしのみにござりまする」
「なれば、他は大臣に会うてはおらぬと」
「はい。御参寺日には若君がお訪ねなされる前は誰も。翌も明け前故他には。なれど大臣。彼の折、誰ぞ密かに非礼を働きし者が――」
「寛養殿。彼の日参りしは深朝にて。此が房見は、転びて床にござりました」
「深朝姫様が……。なれば……」
「病やもしれぬが……。柚子里が変わりに気づき、只今薬師頭が参りておる」
「お上……」
――スススス スススス――
「中将にござりまする。柚子里殿参られましてござりまする」
「此方へ」
――スススス――
「うっ……ぅぅ……」
「……」
「……」
「……」
「病……か」
「悪しきもの……か」
「……否にござりまするぅっぅっ……」
「なれば……。これ、何を泣くのじゃ」
「御許しくださりませ。……此より五月余りで待望の御方様御誕生にござりまするうぅぅ……。二月、三月と危うき時を……只今まで良くぞ御無事にてと思いますると、妙霊が御加護有難く。亡き奥の方様が御姿浮かびて……うぅぅ……」
「……」
「寛養。和子が男子なれば、深姫殿が如く。和子は本寺へ」
「かしこまりましてござりまする」
「姫なれば……。何とする」
「されば。姫様なれば此方にて姫宮様となさるるがよきかと」
「寛養殿。姫宮と」
「はい。中宮様。彼の折、深姫様は日を経ず死産の従妹姫様と代わられ、御代わりの乳母殿が御子は袴着前に病にて去られておりまする。知りし者皆、此で緒岐様が御筋は終いと。縹も然り。深朝様まで至りてはおらずと。其故の姫宮様にござりまする」
「喜致。深朝。姫と三処へ置くよりはとか」
「はい」
「房見は如何に」
「寛養殿に添いまする」
「中宮は」
「深朝が元へ」
「わかりた。なれば我が娘としよう」
「お上。喜致と深朝には」
「我が伝えん。喜致には近近文にて。深朝には今宵。一義を説かねばならぬであろう」
「かしこまりましてござりまする」
〈其夜 中宮御間〉
「お上。中宮様。深朝にござりまする」
「深朝。しばらく通えなんだが、息災でありたか」
「はい」
「此方には慣れしか」
「はい。中宮様始め皆様方にようしていただき心地良う過ごさせていただきておりまする」
「其は何より。時に深朝。只今参らせしは、我と中宮よりそなたに話し置きたきこと有りし故。暫しよきか」
「かしこまりましてござりまする」
「なれば。先までの一族が悲願をそなたは知りおるか」
「……帝血の統一と親王様より御語りいただきましてござりまする」
「其が統一を喜致が止めし由をそなたは知るや」
「縹故と」
「なれど、誠が一義は深朝そなたでありた」
「……」
「彼の日、祥致は敢え無く果て、晴姫は骸となりし祥致を抱き放さなんだ。其を見し喜致は、そなたを祥致にも晴姫にもさせとうなしとて寺に入りた。入らねばそなたとは離せえぬと思うたのじゃ。其が喜致を『日日空となりいづれ祥致が元へ参ろう』と中宮は案じた。故に、我は皆と計りてそなたを迎えたのじゃ。本寺と内裏は近し。中宮が伴なれば何時なりと本寺へ参れる。我去らば、妃のそなたは尼となりて本寺へ入れる。此が我等が本意じゃ」
「お上……」
「深朝。御腰は重うなきか」
「中宮様。御腰にござりまするか。只今は否に」
「日日重うなろう。我はほとほと弱りし故」
「……」
「深朝。薬師頭が直五月と申したのじゃ」
「五……月……っ。御許し下さりませっ」
「これ。一族が悲願を忘れてはならぬ」
「申し訳ござりませぬ。なれど」
「只今の喜致にとりて、そなたとの和子は誠今生の縁となろう。房見も寛養も承知。男子なれば、本寺に。姫なれば、我が和子とて姫宮となす。身をいとい中宮殿に産声を響かせよ」
「大御心、深朝終生忘れはいたしませぬ。精込め努めさせていただきまする。うっ……うう……」
** ** **
「莉よ。柚子里が言に、我も房見も『物の怪が仕業なりや』と。なれど……有り得ぬ事起きしじゃ」
「はい……」
「……仇輩より和子を護れずは、一生の不覚……。終生忘れ得ぬっ」
「祥親様……」
「なれど……中宮殿は喪明けとなりし。風変わらば、祥致が繋ぎし御本血が産声が響く……。其が折は、蓮景殿へも真が事を。御本血誕生は、晴姫、謹斉への支えともなろう」
「はい……。祥致が去りてより、内に流るる帝血が……。憎うござりました……」
「なれど、其が思い、喜致が祓いた。喜致と生まれ来る和子は、弱き故、陰身定めの祥致を『御本血が功宮』となしたのじゃ。皆、孝行者よ」
「…うっ……うぅ……」
「誠なれば、一族挙げ、本寺にて盛大な祝賀を……。なれど。繰り言は二度と言うまい。本寺と我ら四人が願は今暫くで成し終える。深朝姫と喜致が和子なれば、嘸快活利発であろうのう」
「其はもう……。深姫殿にも御見せしとうござりました……」
「莉。近々房見と本寺に参る。寛然が元へじゃが、久々に喜致に会いとうなりたわ」
「なれば、いつ御文を」
「月変わるまでは書かぬ。知らば如何に大業とて、面映ゆかろう。房見と共に、知らぬ顔で会うて来るわ」
〈翌月 於本寺〉
「若君。御父君様よりの御文にござりまする」
――ス――
「御父君が。先月御見えとなられし折は何も……。勅であろうか」
「……」
――カサッ カサ カサ カサ カサ――
「……」
「御鉢を此処に。おくべなされませ」
――ガサッ ガサッ――
「祥致様が御導きと、寛養は思うておりまする。誠祥きことにござりまする」
** ** **
「普関。深朝様が御懐妊じゃ」
「御許しくださりませ」
「其でこその護役よ」
「お師匠様……」
「お上は、『若君なれば本寺に』と。よしや姫様なりとても、父君様たる若君がおわす本寺が心の芯。崩してはならぬぞ」
「心得ましてござりまする」
〔四月後 慈養二十三 深朝姫十六〕
――パサパサ、パサパサ――
「若君ぃー 若君ぃー」
「寛養様にござりまするが」
「何事であろう」
「若君っ 若君っ」
「如何がいたしたのじゃ」
「此をっ 此をっ」
「内よりの文であろう。常なれば解きてよこすに……」
「此が御箱は、格別の物にてっ」
「何事……」
「先ずは、此を」
――カタン、カサ、カサ、カサ、パラパラ、パラパラ――
「寛養様……」
「普関。至極の御箱は最慶事。和子様御誕生じゃ」
「それではっ」
「姫宮じゃ」
――パラパラ、パラパラ――
「姫宮様。初の姫君様ではござりませぬか。御目出とうござりまする」
「親王様……御目出とうござりまする」
〈三月後〉
「寛養、母君が明日本寺へと」
「中宮様が。なれば、恙無う御迎えいたさねば」
〈翌日〉
「母君。 斯様な処まで良くぞ御越しに」
「父君が、『姫宮が後見をそなたに』と。其故、首が座りを待ちて、早々連れ来たのじゃ」
「母君……」
「慈養殿。異存がおありか」
「有難く御受けいたしまする」
「上々じゃ。されば、美致姫、慈養殿に御抱きいただこうぞ。慈養殿はそなたが御兄君。加えて只今より御後見様じゃ」
「……『いちの姫』にござりまするか」
「そうじゃ。そなたは『喜致』、姫は『美致』。姫の“よし"は美じゃ。『妹故、似しが良し』と深朝が。面差しも似ておろう」
――ズズズズズ――
「……重うござりまするな」
「よう乳を飲む故。……おや、お目覚めか。あれ笑いおる。御兄君がお分かりか」
「……乳母は誰に」
「中将が姪、朝右衛じゃ。見しことあろう。控えおる故、会うてくだされ」
「……姫宮が母君は息災で」
「様々ありた故、まだ床に。なれど今暫くで良うなろう。美致姫は母姫が側じゃとよう眠る。二床を見ておると、幼き頃の深朝が浮かぶわ。妹とも思いし深姫殿が縁故、娘と孫がおるようじゃ。ホホホ」
「母君、何卒父君に――」
「喜致。『二姫は中宮殿で護る故、後見しかと務めよ』との御言葉じゃ」
「只今の我が身には、何よりの仰せにござりまする。『大御心に従えまするよう、一層精進いたしまする』とお伝えくださりませ」
「必ずお伝えいたそう。父君もお喜びなされよう」
ここまでお読みいただきありがとうございます! 今回の過去編はもう一話続きます。




