【エピローグ】
十五の春、聡親は父の出身校の後輩となり、仲良くなったクラスメートに誘われ山岳部に入った。入学して初めての連休初日、聡親達は新歓も兼ねた部活で、近くの山へ登ることになった。下山途中河原へ下り、河川敷のキャンプ場で一泊の予定だった。
聡親達新入生は先輩達の間に入り、誘導されながら上へ。途中、前を行く先輩が立てられている緑の矢印を指し「こっちへ行けば河原だから」と教えてくれた。
きつかったが登り切った気分は爽快で、聡親は誘ってくれたクラスメートに密かに感謝した。下山になると、テントの用意があるので先輩達は先に行き、新入生は後からとなった。
下りだし暫くすると、前のクラスメートが手をあちこちポケットに。
「携帯がないんだっ。ここに入れてたはずなんだけど。落ちた音なんて聞いてないよね」
「ごめん。気がつかなかった」
戻ると言うので、聡親も付き合うことにした。
「あれ。雲母君。どうかしたの?」
声を掛けられながら、新一の数人とすれ違って行くと
「どうしたんだ?」
最後尾に二年の先輩がいた。
クラスメートが事情を話すと、先輩は最後に手にした場所を聞き、今度は先輩が付いてそこまで戻ることになった。
一人になった聡親は、すれ違ったみんなに追い付こうと足を早めた。が、人の背はなかなか見えて来なかった。ふと横を見ると、教えてもらった矢印が。
(みんなこっちへ行ったのか)
道理で姿が見えないわけだと思いながら、脇道へ入った。
数歩進むと、犬の声。
(犬連れでキャンプの人もいるんだ)
河原までの階段でもあるのかと思いながら、聡親は先へ。鳴き声が、少しずつ近づいて来た。
(犬がいるなら人もいるだろう。会ったら河原のことを聞いてみよう)
と思った時
――ギィー――
聞き覚えのある音に、聡親は振り返った。
「一瀬君」
顔を上げると、さっき別れたクラスメートが覗き込んでいた。
「川の中に何かいるの?」
いきなり生臭さと轟音に巻きつかれた。
「あっ。ううん」
立ち上がると前を見た。流れの中には石しか見えなかった。
「一瀬君。川に入ったことある?」
クラスメートが言った。
「どうだったかな……。覚えてないけど」
「俺あるよ。小さい時。素足だったからぬるぬる滑って怖かった」
クラスメートは笑った。
「そうそう。携帯ね。あったよっ。結構目立つとこに落ちてた」
「じゃあ、よかったっ」
サイレンの音が近づいてきた。
パトカーは、河原から見える橋の上で止まった。その後からも普通車が二台。道の方からも人が。みんな山の方へ入って行った。
「何だろうね」
顔を見合わせると
「ちょっと集合―」
先輩の声が飛び、行ってみると副部長が点呼を取っていた。
「一瀬」
「はい」
「藤尾」
「はい」
聡親は、初めてクラスメートの苗字を知った。副部長が右から、別の先輩が左から人数を数えた。
「全員いるかぁ?」
「ああ、オーケーだっ」
副部長が答えると
「全員います」
部長の敬語が聞こえた。
「本当にいるんですね」
「はい」
部長に確認しているのは警官服の人だった。まだ若そうなその人は、自分でも点呼表と部員数を確認し、帰って行った。
行き違いに顧問の教諭が現れた。呼ばれた部長は戻って来ると、キャンプの中止を伝え「一年生は荷物を持ってここに」と言った。「どうして?」「なんで?」の声があちこちから。
「早くっ」
バタバタ身支度をした聡親達は、訳の分からぬまま教諭に引率され上へ。下山道まで出ると教諭は「すぐ下にバスが来ている」と言い、再点呼の済んだ者から下山を促した。クラス順だったので、聡親達は最後になった。やっと番が来て下りようとすると、教諭が呼び止めた。
「一瀬。帽子どうした?」
「えっ。あれっ」
聡親は頭を触った。
「被って来てないのか」
「いえ。さっきまで……」
すると、横から藤尾が言った。
「さっき川見てたのは、帽子を落としたからだったんだねっ」
〝川〟に教諭は反応した。
「これから先も、川に物を落としても、拾おうなんて思うなよっ」
「はいっ」
一礼し、聡親は藤尾と道を下った。
♢♢♢♢♢
大学二年の春休み、聡親は久しぶりに藤尾とカラオケに行った。いつもの持ち歌を数曲、そこでドリンクタイムに。二色を混ぜながら、藤尾が言った。
「秋にさ、あそこへ登ったんだっ」
「あそこって?」
「俺らの新歓が中止になったとこ」
そう言えば、二度とあそこでの部活はなかったと思いながら、聡親は聞いた。
「お父さん達と?」
「ううん」
「じゃあ悦君ととか?」
藤尾がおかしな表情を。
「えへっ」
保存してある写真を見せてきた。
「やるじゃんっ。告った?」
「ら、れ、たっ」
「へぇ」
「タメだけど浪人だから後輩っ」
「いいねぇ。かわいくって」
「一君こそどうよ」
「まあ俺はさあ……」
喧嘩中とは言えず、聡親は話を濁した。
「雲母君。あそこの緑の矢印の先、階段にでもなってるの?」
思い出したことを聞いてみた。
「……緑? 違うよっ。あの先はずっと昔のことだけど〇〇の滝みたいな冥所っ」
「〇〇の滝? だって矢印あるじゃん」
「あれはね、柵作る時用って聞いたよ」
「……」
「作っても落ちちゃうんだってさ。だから何年かおきに作るって。あそこ、いきなり入ると危ないんだよっ。ほんの五、六歩で崖だから」
「だけど俺……確かあの道」
「道なんてないよっ」
「でも……行ったら犬の鳴き声がして」
「犬っ?」
「そう。犬。それに後ろで木戸の開くみたいな音もして……」
「犬に木戸の音。近くに誰かいたの?」
「ううん。音で振り返ったら花吹雪」
「……それさあ、白昼夢だよっ。あの日は暑かったから、、頭ボーだったんだよ」
「かねぇ」
「だって、そのまま行ったら、一君今ここにいないっしょ」
納得しながら、聡親はストローを吸った。
「一君……。でも、もしかしたら……。一君は行かなかったけど、その時そっちに人がいたんじゃ……」
「人って?」
「あのさ……。今思い出したんだけど、あの時に、あの辺から落ちた人がいて」
「……」
「パトカーが来たじゃん。あれは、通報があったからなんだよ」
「通報?」
「そう。『崖から人が落ちるのが見えた』って」
「うそっ」
「だから一君もしかして、その落ちた人見てるんじゃ」
「ないよっ。ない。ない」
――ズズズ――
――ズズズ――
空なのに気づき、二人して二杯目を入れに立った。
「雲母君。さっきのホント話?」
「ホント」
二人同時にストローを。
「あの時来たお巡りさん。あの人が、父さんの登山仲間の息子さんだったんで、聞いたんだ。見た人が『白っぽい帽子が飛んだ』って言ったんで、その息子さん橋から目についた俺等へ真っ先に飛んで来たんだって」
部活帽は薄いねずみ色だった。
「それで中止かぁ」
藤尾はストローをくわえながらコックリ。
「で。見つかったの? その飛んだ人」
「ううん。近くでネームの抜けた帽子だけ」
「捜索願は?」
「なかったんで中止。男性帽だったんで、あの近辺じゃ『消えた男』って噂になったらしいよ。だけど俺さぁ。その帽子、一君のだって思ったけどねっ」
帽子を失くした場所を、聡親は今も思い出せてはいなかった。
飲み終えた藤尾は、またマイクを持った。聡親は残りをチビチビしながら思い返していた。……緑の矢印。犬の声。木戸の音。花吹雪……。
「……さくらぁー花びらぁー……」
藤尾が快声を響かせた時、川の中の花吹雪が見えた。
帰った聡親は、茶の間にいた家族に聞いて来た話をした。すると
「へーえ。お前も」
と父は驚き
「レベルが違うわねっ」
と母は胸を張った。
♢♢♢♢♢
聡親の両親は、父の方が年長だったが、母を送ったのは父だった。
納棺前、合わせられた手の間に、父は古びた小鈴を入れた。
「気に入っていたからな」
そして引き出しを開け
「父さんのは、ここに置くから入れてくれ」
と言った。
それから十年余り。卒寿を前に父も旅立った。横たわる父の合わせの間に言われていた物を入れ、聡親は坐り直した。
目を閉じ枕経を上げ始めると、遠くで犬が鳴いた。涙雲の上に花弁が漂う。やがて、白ねずみが見えた。
♢♢ ♢♢ ♢♢
――ササササ、ササササ――
「御義父君様、御川揺れ始めしとのことにっ」
「参りしかっ」
「承和。懐承と美致を先頭へ」
「御義父君様、滅相もなきことにっ」
「父君、名乗りも未だにござりまする」
「なれど二親が迎えてやらねば」
「喜致様。御父君様方では」
「おお其はよい。のう深朝」
「はい」
「父君、母君、此方に」
「喜致。なれば、我らより祥致と晴姫を」
「おお、誠に。ささ兄君、義姉君」
「何を喜致っ。我らは称君が後で良い。晴、称君は」
「只今まで此方に。これ称―、称―。あれ! 祥致様、彼方にっ」
「何っ」
――ザザー――
「喜致様。御戻りなされませ」
「此は御先祖様。御迎え有難きことに」
「喜致様、何を仰せに」
「ハハハ。関弥、先まで我はそなたの末でありたのよ」
【完】




