【8】法度は居る者の為に
母の言った通り、翌日も翌翌日もその次もノブ兄は来なかった。その間に仁仁庵のお蕎麦は父のお腹に収まった。週末も過ぎたある日、私は母に頼まれ少し遠方まで出かけた。用事はすぐ済んだが道が混み、帰りが日暮れになった。
着くと玄関に紳士靴が二足。庭に車はなかったので、近くの檀家さんかと思いながら台所へ行こうとすると、客間から母が顔を出した。
「お帰りなさい。遠くまで悪かったわね」
「帰り道が混んだだけ」
「テルさんとノブちゃんが見えてるの。夕飯はお寿司を頼んだから、あなたノブちゃんと外で食べていらっしゃい。連れて行ってくれるって」
「ならそうする」
ノブ兄も出て来た。
「今、車出して来る」
革靴にジャケット?見慣れない格好……。着替えようか迷っていると、母がパンツの裾をジィーっ。それで部屋に戻り、あの日鞄に詰めたワンピースを出した。扉を閉めると脇の荷物が目に。叶うならもう一度――ライオン付きを取った。
外に出るともう待っていた。
「何で来たの? 仕事は?」
「ああ。今日は早帰り」
ドアを開けた。
「何食べたい? その格好ならフレンチも行ける」
「ううん。いい」
「じゃあ、あそこにするか。ちょっと待つかもしれないけど」
車はいつも戻る時刻に街へ。ネオンの繁華街に入り、前来た市営に停めた。
お店は予想通り。入口のイスに座っていると、スタッフさんが来て希望の席を聞いた。
「奥、空きますか」
「御予約のお客様が、今お出になりますので、少しお待ち頂きますが」
こちらが了承するとメニュー表を渡して行った。
「今日こそオムハヤシ?」
首を横に。
「サイドメニューは?」
「前と同じ」
「じゃあ俺も」
数分後。私たちは、またあの席に案内された。
メニュー表を返しながら同じものをノブ兄は頼んだ。
「この前は悪かったな。俺から誘っといて」
「ううん。仕事じゃね。それで、あの事故何だったの? ニュースも聞き逃しちゃって新聞見ても見つからなくて」
「小さくしか出なかったからな。居眠りで衝突、六台玉突き。大型絡みで死傷者十二名」
「挟まれた二台目って、菱丈社長の車だったの?」
「テレビで見たのか」
「そう。父があれじゃあって」
「まあな」
「ひとり?」
「家族で。何かを見に行くことになっていたらしい」
「じゃあ……」
「四人」
ステーキ丼が来た。
「父さんたちとお寿司食べれば良かったのに」
「でも、それじゃお前何食べるの?」
「あるもの。レトルトのカレーとか牛丼とか」
「俺は……こっちで良かったんで」
苦笑いに見えた。
「おじさんに聞いたか」
そしてコロッケを口に。
「うん。聞いた」
何から話そうか迷った。すると「わかったならそれで。口外は御法度だ」言って飲み込んだ。
「骨壺と紙はね、関係無かった。父も母も紙の中のこと知らなかったし」
「うそっ」
「壺はね、先々代様が御夢の指示で用意されたもの。紙は整理中に出て来たものだって。紙を棚に置いたのは、祖母に言われた母。父は母から、見て片付けるように言われてたのに、そのままにしてたのよ」
「じゃあ、おじさんもう片付けたのか」
「杜屋さんに相談するって」
「なるほどな」
思った通り視線がこっちのお皿に。
「お前、それ食べられる?」
残しておいたコロッケのことだった。
「食べたければ欲しいって言えばいいじゃない」
「いや俺は別に。ただ今日の肉は厚かったから食べ切れないかと思っただけで」
「それはどうもご親切に」
また前に出した。
今夜のアイスにはナッツとチョコがかかっていた。
「甘っ」
ソースをすくってひと言。
「ソースだけじゃね」
私も口に。
「俺はビターがいいなっ」
まだ拘っていた。
「お前、一度も俺にチョコくれたことなかったな」
唐突に。
「うちはテルおじさんからもらう方」
「あん?」
「食べ切れないほどもらう人に、あげるはずないでしょ」
「親父は知り合いに渡すからって」
「母が業者さんや政さんたちにあげてたわよ」
顔がワラビーになった。
「そう言えばミスN女から――」
「そろそろ行くか。ここ俺持ちで」
さっさと逃げた。
駐車場は車が増えていた。
「今の時期、何かあるの?」
「送迎会シーズン……でもないか」
この時間になると橋の上も空いている。
「親父、もう帰ったかな」
「どうして?」
「ケンのえさ」
「さっき戻ってあげて来てないの?」
うなずいた。
「今日はどこに出かけたの?」
「うん。まあ」
「一緒って珍しくない? それともいつものこと?」
「今日はたまたまかな」
「おじさんが父に?」
「ああ。まあ」
歯切れが悪かった。
「転勤っていつから?」
フフッと。
「サブ?」
「気にしてた」
「見合い断られたら荷物まとめる」
「見合い?」
今日会って来たんだ。
「断られそうなの?」
「五分五分」
「OKだったら、転勤止めるの?」
「そう。そうなったらまたステーキ丼食べに連れて来てやるよっ」
そんな心の広い女性〈ひと〉はいない。
「無理」
「彩音は特別」
なにかが止まった。
「俺の荷物、持ってくな」
着くと一緒に降りた。玄関に靴はなかった。
置いていた鞄を玄関へ。
「二つだったよね」
二つ一遍に抱え助手席に入れた。
「じゃあな」
「おやすみなさい」
初めての挨拶。いつかはこうなるはずだった。
父にも母にも今夜は会いたくない。しかし――まだ二人で茶の間に。
(……もうここは空元気しかっ)
「あれっ。母さんお風呂じゃなかったの?」
「ええ。まだよ。ノブちゃんと何食べて来たの?」
「ステーキ丼。おいしいの。連れて行ってもらう時はいつもそこ」
「彩音。ちょっと座りなさい」
最期通告か……。
「テルが、ノブちゃんを内弟子にしてくれないかと言って来たんだ」
ノブ兄がお坊さんに?
「そんなこと一言も……」
見合い相手に脈があるんだ。
「ノブちゃんがそう思ってくれるなら父さんに異論はない。もちろん母さんにもだ。あとはお前だ」
なら、顔を合わせなくても良い方法が。
「私が結婚して出ればいいんでしょ」
すると、父の目がギロギロに。
「おっお前は婿取りだぞっ」
「じゃあ、父さんのお弟子はノブ兄とお婿さんの二人になるわけ?」
「ノブちゃんのこと嫌いなの?」
「婿はノブちゃんだっ」
「でも。見合いしたって」
母の口が笑った。
「今、お食事に行ってきたじゃないの。ご長男のノブちゃんが、〝うちに来てくれてもいい〟って、言ってくれたのよっ」
「テルが頼みに来たんだ。返事はお前がしなさい」
「先に入るわね」
ほんの数分でひとりに。
――ジャリン――
近くで鈴音。
――ジャリン、ジャリン――
――ジャリン、ジャリン――
襖の前にスーッと赤、白、黒の姿が。
――ジャリン、ジャリン――
――ジャリン、ジャリン――
「めあわせなれば、あやねをと」
音に混じり、男の人の声。
――ジャリン、ジャリン――
――ジャリン、ジャリン――
――あやね――
(ノブ兄?)
襖の姿は消えた。
着信音がした。
――今度家に来る? ケンでも見に――
――今行く!――
(ここは夢の中だ。でも、でも、覚めないでっ!)
外はなぜかの霧、しかし木戸ははっきり見えた。
――ギィー――
勝手に戸が向こうに。
――ドタッ――
「オワっ、なっ」
「ノブ兄?」
「彩音か?お前、今押した?」
「ううん」
――ドタ、ドタ、ガガ――
戸を抱え入って来た。
「外れちゃったの?」
「らしいぜっ。近づいたら、いきなり倒れてきた」
「……ねぇ。この木戸。内開きのハズだけど」
「ひょっ!?」
(この声!これは夢じゃないっ)
――ザワザワ、ザワザワ――
――ザワザワ、ザワザワ――
「……お寺って……こういうトコロ」
「お前で慣れてるさ」
「二家は絶えちゃいけないはずよ。御法度破りじゃないの?」
「親父が親族中の了解を取ってくれた。もちろん澄香にも。だから八重垣は続く。おじさんも了承してくれた」
「でも……」
「過去に姉妹が両家に嫁ぎ、以降婚姻は法度だったそうだが、もう遠い昔のことだ。『法度は居る者の為にございます』そう、御先代様も繰り返されていた」
「お祖父ちゃんが……」
「あの頃は何のことだか。でも言葉だけは覚えてたんだ。了承を貰ってからこの事をおじさんたちに言ったら、おばさん泣いちゃって。お詫びに今度は……ガウンにするか」
「……ねぇ。ずっと昔……私のこと知ってる?」
「昔?」
「『あやね』って名とか、鈴のこととか」
「御先代様からその名を聞いた時、まだ五歳だったけど、なんかしっくりきたな。『すみか』の方がずっと覚えにくくて。よく間違えた」
「……じゃあ、鈴は?」
「鈴ぅ?……。鈴かぁ……。ああ、ちょっと前夢を見て。暗がりで誰かが何かを埋めていて、その時鈴音がジャリ、ジャリ、リンて。小学校の時、校庭に埋めたカプセルの記憶が元かと思ったんだけど」
「……」
「そう言えば、誰かが鈴を探してるとか何とか言ってたな」
「たぶん、見つかったと思う。消えたから」
「消えた?」
「うん。さっき。ここに来る前」
「……まっ、まあ良かったなっ。その人も幸せになれたってことだっ」
「たぶんね。……ねぇ……。衷然寺は哀しい歴史をもつお寺なのよ」
「おばさんだって、それを承知で来てるんだ。表寺の親族会の時、招待を受けた裏寺からおじさんが行かされて。そこでおじさんの方が一目惚れだって」
「見合いじゃないの?」
「らしいぜ。当時おばさんは、知り合いに紹介されたサラリーマンと交際していたそうで、『お寺は考えていなかった』って言ってた。でも、衷然寺へ。嫁いで数年は、後から結婚した八重垣の方に俺ができて、寂しい思いもしたそうだが、弥央さんたちは『気長に待てば』と言ってくれたそうだ。それから彩音が生まれて、今は皆で楽しく暮らしてる。先祖供養の極意は『和気』。どんな悲しみも、いつかは消えるさ」
聞き覚えのある言葉がノブ兄から飛び出し、思わず「え?」っと。すると「白ねずみから聞いたんだ」と即答。
「ギィーが?ホント?」
じゃあ、ギィーは本当に守護仏様の……。その時
「只今の思いつきっ。我ながら、なかなか説法ぽかったなっ」
フフっが瞼を撫でた。




