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【7】寺の記録 2.いちの姫様

 暫くして、母が帰って来た。

「ごめんなさい。遅くなっちゃって。四葉亭に寄ってお弁当買って来たわ」

「じゃあ、お吸い物だけ作ればいい? 父さんお風呂これからだし」

「あらそうなの、珍しいわねっ」

 母は荷物を置いて着替えに。お弁当は――三つ?じゃマズイっ。しかし要らぬ心配だった。

「たまには弁当もいいもんだな」

 母は不思議そうな顔をしながら、すかさずおかずを分け入れた。

「そうそう。あなた、菱丈さん事故で入院なさってるんですって」

「事故」

「詳しいことはわからないらしいけれど、先生のお話だから」

「医者の話なら本当だな。話になるくらいだから重傷か」

「さあ」

 私はテレビをつけた。この時間ならもしかして地方局のニュースが。

どこかのイベント会場が映り、アナウンサーが『この催しは〇月〇日まで行われています』と言った。いつもならこの次辺りに。

『さて続いては昨日のトンネル事故についてです』

「ねぇ。昨日言ってたのってこのことじゃない?」

 現場近くが映った。

「あら。あれノブちゃんの車っ」

「えっ。どこ? でもこれ今日のでしょ。行ったのは昨日だけど」

「今日も行ったんじゃない?」

「自分の車で?」

「じゃあ、昨日の映像かしら」

「おい。死んだぞ」

「えっ。誰がです?」

「さっき言ってた菱丈だ。あれじゃ助からないだろう」

 画面に事故車が映っていた。

「ひとり?」

「お前たちの声で聞き取れなかった」


 母はお茶を淹れた。

 父と目が。

「骨壺のことか?」

 私はコックリ。

「あれは先々代が、夢枕に立たれた御先祖の指示で、父さんが子供の頃、戸棚と一緒に仏具屋から買ったものだ」

「じゃあ上の紙は?」

「あれは」

 父は母の顔を。

「えっ。紙?」

「ほらっ。あれだ。骨壺の上段の」

「ああ。あれ」

「お袋がどうのって言ってたろう」

「ええ。お義母さんに教えていただきながらあそこにいた時、積み物を退けたらあれがあって。そうしたらお義母さんが、あそこに置いておけばいいって骨壺棚を指されて。それで私が上の段に」

「中、見たか?」

「いいえ。あなたご覧になったでしょ?」

「いいや」

「いいやって。だって私、言ったじゃないですか。お義母さんが『あそこに置いたから見て片付けるように』って仰ったって。やだっ。見てないんですか」

「ああ。忘れて。面倒だからそのまま」

「面倒って」

「先々代の御棚に入ったなら、まあそのままでもと」

「まぁっ」

「彩音。お前見たのか」

「見ました」

「紙、ボロボロだったでしょ。破けなかった?」

「うん。なんとか」

「それで?」

「中は、大看板の名字」

「大看板? 池央、桃端、杉会、菱丈か?」

「そう」

 二人は顔を見合わせた。


「お袋もいい処に仕舞ったもんだ」

 母が銘々皿に七嘉餅を乗せた。

「珍しいな。買って来たのか」

「いただいて来たんですよ」

「あそこの先生も、医者なのに甘党だからなぁ」

「ええ」

 また目が合った。

「昔、名字付けの依頼でもあったの?」

「あるわけがない。記録ももちろんない」

「だよね」

「どうなさるんです?」

「ん。杜屋さんにでも相談するか」

 お皿を空にし廊下を歩いて行った。


「これも、もう食べないと」

 母は甘納豆も出した。

「修人さんのこと、何か聞いた?」

「いいえ。あなたが一緒じゃなかったからだと思うけど。何もおっしゃらなかったわ」

「ねぇ。中町のおじいちゃんのとこも、お寺筋なんだって?」

「あら。お父さん?」

「うん。ここのことも少しね」

「お父さんから話したの?」

「ううん。聞いてみたの」

何も言わず急須にお湯を注いだ。

「母さん。お寺ってどこもこういうもの? 悲しくて淋しい」

「そうねぇ。でも、そうでないお話もあるのよ」

お茶を足しながらそう。

(いちの)(ひめ)様のお話だけど」

「いちの姫様って二人いるでしょ。どちらの?」

「大臣家に行かれた後の方。先の方はお母様が大臣家の方」

(さき)姫って書く先姫様? 大そう美人だったっていう」

「そう。その先姫様は、お父様の二代様と寝るのが好きで、随分大きくなられるまで一緒に寝ていらしたらしいんだけど、本当は開祖様のお床に入られていたんですって。最初は二代様と御一緒だったんだけど、二代様はよく娘姫様が横にいるのを忘れ、腕を当てたり布団を引いたりするので、子どもながら危機感を持たれたんでしょうね。だって、寝ていていきなり大人の腕が振り降りてきたら怖いわよっ」

「それで移って」

「そう。開祖様のお床に潜り込まれて。以来開祖様と休まれていたそうよ。開祖様の方は慣れるまで寝不足が続かれたようだけど」

「二代様は姫様を止められなかったの?」

「ええ。お願いします、ですって」

「へぇ。師匠様に子守りをっ」

「先姫様って面白い方で、普関様は曾祖父君、開祖様は祖父君、二代様は父君って呼んでいらしたんですって」

「じゃあ弟君は?」

「懐泉殿よ」

「周囲は何も言わなかったの?」

「普関様も開祖様もまんざらでもなさそうなので、二代様はそのままになされたみたい。二代様が言われなければ、お母様の深英姫様も口出しはなされないもの」

「すごいね」

「〝いちのひめさま〟って響きの力でしょうね。二代様のお母様はきっと皆様にとって、特別な方だったのね」

「じゃあ、ここを出られる時は、開祖様は淋しがられたんじゃない?」

「でも、行かれた先は普関様の御実家だし。お相手は茅大臣家の若君様だし。大切にされない訳がないし、もちろんこことの出入りも自由だし」

「自由だったの?」

「そうよ。『本寺へ参る』でここへ見えるのよ。でも、美致姫様が御短命だったから、開祖様はそれだけはお気にかけられていらしたらしいわ。姫様が参られて戻られる時は必ず、『何も何もに気を付けるように』と言われていたと記されているから」

「ご短命だったの?」

「いいえ。弟君様よりはお早かったけれど六十代よ。美致姫様もそのお母様も二十代だから約三倍よね」

「お子様は?」

「姫様がお三人。その姫様方のお扱いも(ふる)っていらして、お誕生前から東宮位に遠い親王家の若君を婿君に決められていたそうなの」

「許婚ってこと?」

「そう。母親の勘なのかしら。でも、三度も当たるのはすごいわよ」

「大臣家でしょ。入内は?」

「御養女になさった方を上げられたそうよ。だから姫様は五人となっているわ」

「なぁるほど」

「こういうお話もあったわ。開祖様の埋葬時、これを一緒にと言われて先姫様が二代様に渡された物があったの。何だと思う?」

「えーっ。わからない」

「輿入れなさる時、開祖様が渡された二代様のお母様、美致姫様の御形見」

「御形見。開祖様から渡されたの? 二代様からじゃなくて」

「そう」

「どうして開祖様が」

「先代の御門跡、喜致親王様が開祖様にお渡しになられたものですって」

「ああ。お仲が良かったっていうことで。でも、いただいたものをどうして」

「御自分の次に、どの姫様に渡してもしっくりいかないからって」

「しっくりいかない?」

「お三人とも適格ではないと、おっしゃりたかったんじゃないかしら」

「厳しいね。それで返すって」

「そうね。でも二代様もそれが良いと言われて返されたそうよ」

「御形見って何だったの?」

「お筆。御愛用の。どちらのいちの姫様も見事なお手筋だったらしいの」

「そうなんだ。他にもお話あるの?」

「お話はもう。でもその後、五代様の時『隔・護・避 これ先姫様が御遺言』という行があったわ」

「何のこと?」

「姫様方の扱いよ。内裏から(かくせ)(まもれ)(にげよ)

「関わっちゃいけないってこと?」

「そう」

「二代様のお言葉?」

「さあ、それは」

「違うの?」

「記されてはいないわ。御自分のお言葉かもしれないし。どなたかのお言葉かもしれないし。先姫様は普関様とも開祖様とも御関係が深かったから、二代様とは言い切れないし」

「……それで、そのお言葉は守られたの?」

「ええ。面倒そうだと本寺に入られたそうよ」

「お若くてもお寺に。それを御遺言に。先姫様って二代様の御子だけあって、気丈ではっきりした方だね」

「賢いのよ。だから御年配の御門跡様方から愛でられていらしたのよ。おチャメで明瞭で的確で、その上美人でしょ。知った時から憧れの方っ」

 涙もろい御門跡様方と逞しい姫様。うちの母と先姫様。微妙(びみょ)―な取り合わせだ。

「母さん。いちの姫様が御本流の最初ってどういうこと?」

「お父さん話さなかった?」

「うん。たぶん」

「喜致親王様と深朝姫様の御子だからよ。別々の血流が一つになった方ってこと。お二人は許婚だったから」

「深朝姫様って大臣家の方でしょ。本寺に輿入れされたの?」

「いいえ」

「じゃあずっと大臣家に?」

「いいえ。内裏よ。中宮様の御養女になられたって」

「でも。母さん、いちの姫様って姫宮様じゃない?」

「そう書かれている所もあるわ」

「それじゃあ」

「でも喜致親王様の娘姫様なのよ。二代様だって『喜致親王が孫』と宣られているし。二代様の御名は親王様が御自分の御名を付けられたものだし、二代様は親王様に酷似なさっていたとの記述もあるし」

「なら、親王様はお上扱いだったってこと?」

「そうなのかもしれないわね」

「母さん、二代様のお母様のいちの姫様のいちは数の一?」

「いいえ。うつくしの〝(よし)〟に〝(いたす)〟よ」

美致(みち)?」

「そう。それで〝いち〟」

「じゃあ親王様や二代様の〝きち〟は?」

「よろこびの〝(よし)〟に〝(いたす)〟よ」

「どちらにも〝よし〟と〝いたす〟?」

「ええ、そう」

「美致姫様はどちらで育たれたの?」

「お母様が亡くなられるまでは、ほとんど内裏。亡くなられてからはほとんど本寺。でも、ある時期からは自重された様だけど」

「誰かが苦言を呈したの?」

「お妃教育が始まられたからじゃない? 中宮になられる方だったから」

「それじゃあ、なられたの?」

「いいえ。邪魔が入って別の親王様の奥の方になられたわ」

「その方が二代様の父君」

「ええそう。でも、お上に横恋慕されて夫君を殺され、二代様をお生みになってすぐ御自分も……。お上の妃に嫉妬された形で殺されてしまったのよ」

「御本流だってことが知れてではなくて?」

「ええ。そうではなくて。記録には、お上の希望通り美致姫様が中宮になられると、御後見役の喜致親王様が政に口を出して来ると、縹に警戒されてとあるだけ」

「それだけで殺されたの?」

「そう」

「薄幸の御本流初代様なんだ。誰もが忘れられないはずだね。その思いが二代様に……」

 母はうなずいた。

「ノブ兄、明日あたり来るかな」

「来ないでしょ」

「どうして?」

「何となく。転勤ってあなた言ってたじゃない。区切りで忙しいんじゃないの?」

 そうだった。


 その夜、夢を見た。いつも熱を出すと見る山の間に、青海波や四重菱ではなく、水が音を立てていた。返り飛沫(しぶき)が光る。

「きれいねぇ」

 ギィーが足元に。

「涙で(せき)が切れたのよ」

 やがてギィーはいなくなり、気配で振り返ると

「こんねは働き者。ほめてあげて。ほめてあげて」

 山が繰り返した。


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