【6】休暇 2
「おい。彩音っ。おい」
目を開けるとノブ兄がしゃがんでいた。
「醒めたか。俺見えてる?」
瞳の中に私がいた。それから溜め息を吐くと隣に。
「私寝てたの?」
「まあ寝てたって言えば寝てた」
はっきりしない記憶を辿った。
「あっ。犬はっ? 熊はっ?」
「それが、それじゃなかった」
似合わない声を出した。
「お前に何の用だったんだ? 若いお坊さん」
「お坊さん?」
「夢に出て来たんだろう?」
「夢なんて見てない」
「きちあにさまって人の名?」
「何それ。知らない」
「言ってたぜ」
「私が?」
「そうさ。下向いてブツブツ」
「他にも何か言ってた?」
「ああ。聞き取れなかったけど。……じゃあ、あれは何だ?」
「あれって?」
「雲」
「雲?」
「みたいなもの。俺にはそう見えた。プロレスラーが二人並んだくらいの大きさの。それが、いきなりあの辺からグワァングワァンって感じでこっちへ」
前の茂みを指した。
「お前見た?」
首を左右に。
「じゃあ、あれはやっぱり俺の前で消えたんだなぁ」
消えたとはどういう……。
「嘘じゃないぜ。ほら。当たった時濡れたんだから」
シャツの濃淡を見た時、急に何かが込み上げた。
「おっ、おい。どうした。俺何か言ったか?」
何度も首を。悲しいわけではない。けれど止まらない。
「驚いたんだなきっと。俺だって正直ビビったし。でも、お前に怪我させずに済んでよかった。ホントよかったっ」
そう言うと、手持ち無沙汰だったのか手をパン、パンと。涙はひとしきりすると止んだ。ところが
――グー――
ホッとした瞬間を鳴られた。
「泣き止んだら今度は・……。まあ確かに――だっ」
笑いながら立ち上がった。
「何食べる? 周りに結構店あったよな」
ところが、戻ってみるとどの店も準備中になっていた。
「嘘だろ」
言って時間を確かめた。
「こんなにいたっけ。あそこに?」
四時近かった。きっと、私が寝たり泣いたりしていたせいだ。
「あそこのスタンドならやってるっ」
「ホットドッグだぜ。足りるか?」
「ポテトにドリンク付ければ」
「ならいいか」
ノブ兄はそれにサンドイッチを付けた。
木陰が幸いし、車の中は涼しかった。
「ここ当たりだね」
「ああ。でも、上に鳥の巣があったら外れどころじゃない。大災害。今日は、始めは当たらなくて正解。さっきはまあ当たって正解。で、ここは大当たりっ。もうこの先は、何事もなく行きたいもんだ」
その時、ノブ兄の携帯が反応した。
「おいおい。何だよ」
開けて考え込んだ。
「貴美子おばさんから?」
「いいや。サブ。県内広域に交通規制が発生したって」
指を動かした。
「高速のトンネル内事故だ」
ここからそう遠くなかった。
「なら、ここで別々に――」
「それはない」
そう言うと、外へ出て電話し始めた。
戻って来ると「ごめん」と言ってエンジンを。
「ううん。じゃあ私はどこかで――」
「お前のことはサブに頼んだから」
「サブさん?」
「ああ、連絡取れて。おばさんにも連絡入れた」
「……いろいろありがとうございます」
今までの気持ちを言葉に。すると
「それ、こっちのセリフ」
前を向いたまま返した。
規制線の前でサブさんが待っていてくれた。
「悪いな」
「いいよ。あーちゃんにはお世話になってるし」
「おばさんが買いに行ってくれるそうだ」
「了解」
トランクから出したジャケットを羽織ると、走って行った。
「じゃあ、荷物こっちへ」
サブさんは、開け放されたトランクから荷物を運んでくれた。「今日オフなんですか」と聞くと「昼上がり」と言い、「お袋に戸倉のお団子頼まれてたのに忘れてさ。また行くつもりだったから丁度良かった」そう言ってトランクを閉めた。
「ノブが誘ったの?」
走りだすと訊かれた。
「はい。スミちゃんに会わせてくれるって」
「そっかぁ。転勤のこと何か言ってた?」
「いいえ」
「親会社に異動が決まったらしいんだけど、返事延ばしてるらしい。俺にも何も言わないし。あーちゃんにもかぁ……」
「親会社って?」
「ん? ああ。系列の。栄転だろうに……。まあ、もともとジャーナル系ってわけじゃないけど」
「違うんですか?」
「うん。あいつね、学生時代から特に志望無くてね。まあ俺も似たようなものだけど、ノブは転職もしてるしなぁ」
「じゃあ……、次に会ったら聞いてみますねっ」
サブさんは一瞬黙った。
「……あーちゃん、今縁談は?交際してる人いるの?」
「前会った人のお話が。その人仕事の関係で二年ほど海外へ行ってたんですけど、近々帰って来るって」
「じゃあ、今度会ったら本決まりなんだ」
(本決まり……)
心が揺れた時、バッグから携帯音がした。
信号で止まるとサブさんが言った。
「ノブ何て?」
「荷物預かっておいてくれって」
「なるほどね。また行く気か……」
「でも、転勤間近なら、きっと休暇はもう取れませんね」
「だろうね」
安堵しながらちょっぴりブルーな私に、サブさんはなぜか五月晴れの笑みをした。
車は日暮れ前に着き、すぐ母が出て来た。
「おばさん、御無沙汰してますっ」
「いいえ。こちらこそ。今日はお世話になりました」
サブさんは、また荷物運びを手伝ってくれ、戸倉のお団子と母手製の梅菓子を持って帰って行った。
「仕事って、呼び戻されたの?」
「ううん。そのまま現場へ。県境のトンネル。ここからよりずっと近かったから」
「トンネル? 工事それとも……」
「トンネル内事故って。それだけ」
夕方のニュースでは詳しいことは何も伝えられなかった。




