【5】四重菱の川 1
あれからノブ兄は姿を見せない。今日から週末。土日は寺が忙しいのを知っているから早くても来るのは来週だ。カレンダーは明日から夏へ。今年の春は……初めてノブ兄と出掛けた。
午前中に集中した接客を終え、母の雑誌を持って部屋でコロリ。そのうち手が疲れ、雑誌も瞼も閉じた。しばらくすると
「お鈴はどこじゃ」
それこそ鈴を転がすような声が耳に。
「お鈴はどこじゃ」
薄目を開けると部屋の角に何かいた。真っ紅な服、白い顔、黒い髪。こけし姿の目鼻の無い者が私めがけてスーっ。
(わぁっ!)
いきなり意識がはっきりっ。見ると体は布団の左端ぎりぎりの横向き。
(心臓が下で寝苦しかったから?)
でも、息するように鳥肌が……。急に来た顔無しに直前で顔。“私”が私をっ。
角を見ると、ショルダーに付けたライオンが揺れていた。
廊下の方で声がし人が上がった。行ってみると玄関に紳士靴が二足。お湯を沸かし始めると母が来た。
「どなたか見える予定だったの?」
「いいえ。さっき電話が来て。例のあの人たちよ」
促され外を。〝白いワゴン〟
「まさか。あの人たち?」
うなずいた。
二人はすぐ帰った。茶碗を下げて戻ると父は見当たらなかった。
「今度は何の話?」
「同じよ」
「え? だって杉会さんは――」
「後ろに菱丈さんがいたのよ」
菱丈……菱形……『菱丈建設』だ。
「とにかく一度、菱丈さんに会ってほしいって。近々御本人が見えるらしいわ」
「断らなかったの?」
「来るくらい構わないって」
翌日、午後の接待を終えひと息ついていると、玄関の開く音。今どき?と出てみると、片手が手提げだらけのノブ兄がいた。
「おばさんいるかな?」
「うん。上がれば」
「いや。今日は。今帰って来たばっかりなんだ」
そう言うので母を呼んだ。
「これ、おじさんに」
ノブ兄は地味な柄の紙袋を渡した。
「それから、これはおばさんに」
例のリボン掛けも渡した。
「それと、これは釜飯。冷蔵すれば明日まで大丈夫だそうです」
「えっ、こんなに?」
母は戸惑った。
「ちょっと出掛けたもので。おばさんにはいつもお世話になってるから」
「やだ、お世話だなんて。上がらない?」
「いえ、今日は。うちにもこれ買って来たんで」
視線を重そうな袋に向けた。
「じゃあ、ちょっと待ってて」
渡された物を脇に置き母は台所へ。
「珍しいね。日曜に来るなんて」
「明日から残業が続くから、来られる時にと思って」
「忙しいの?」
「先週から若いのが具合悪くて休んでてさ。お袋の所へは、来週行こうと思って休暇願いもう出してあるから、その分もやり終えないと」
「重なっちゃったんだ」
「まあな。火曜に行って二泊して木曜に戻る予定だけど。都合つく?」
母が戻って来た。
「これ良かったら」
買い溜めしてあるスープと保存パンを詰めた大袋をノブ兄に。
「いいんですか? こんなに。返ってすみません」
「いえいえ、こちらこそ」
二人は頭を下げ合い、ノブ兄はそのまま帰った。
「あなた。これノブちゃんが、あなたにって」
母が父に渡した。
「ノブちゃん、ドライブにでも行ったのか?」
「聞いてないけど、釜飯買って来てくれたから、そうなんじゃない?」
なるほど顔が並んだ。
「じゃあ今夜はこれ焼くか?」
父がニヤつくと、母は冷蔵庫を開けた。
「今夜は釜飯があるじゃありませんか。ホント、ノブちゃんは気が利く。まだ温かいからすぐ食べましょうよ」
そして渡した中身をさっさと仕舞い、即席の吸い物と胡麻豆腐を並べた。
食べ終わり父が茶の間に移ると、母はいつものようにお茶を運んで行った。が、それから五分と経たずに「ちょっと来てぇ」の声。片付け途中の濡れ手を拭きながら駆け付けると、座卓の上に例のプレゼントが開かれていた。
「ノブちゃん、何買ってくれたの? あの時一緒に行ったんでしょ?」
(母よ、あなたは千里眼か)
思いつつ「パジャマ」と言った。
「えっ、これパジャマ?」
「そう。出してみたら」
花柄フリフリが広がり母の頬が薔薇色に。
雑誌を見ていた父が顔を上げた。
「ノブちゃんが、お前にパジャマか?」
至極まともな一言だがフォローを。
「貴美子おばさんにも、誕生祝いに買ったことがあるんだって」
これにも母は感激。
「貴美子さんにも。なんて嬉しいっ」
そして、タグを取りいそいそと洗濯場へ去った。
「何が嬉しいんだ?」
私をジロリ。
「同じ扱いってことがじゃないの?」
無言で目を戻した。
あれを着た母を目にするのは……。――似合うじゃないかくらい言ってよっ。間違っても皮肉ったりしたらダメよっ――。こちらもチラリ。すると
「何だ」
また顔を上げた。
「あの時、杜屋さんとどこへ行ったの?」
とっさに杜屋さんにご登場を。
「ん。ああ。あの時は川を見に」
途端に目が澄んだ。
「川?」
「杜屋さんが見せてくれた一枚目の地図に蛇行した川があっただろう? あれは一瀬川と言って、遠い昔はずっと先の地域まで流れていたそうだ。その名残りがもしもあれば、と杜屋さんが言うので」
「あったの?」と聞くと「ああ確かに」と答えた。
世間話に杜屋さんは誤りだった。
「父さん――」
そんなに川が重要なのかと聞く前に父が言った。
「この前、杜屋さんがしてくれた話の中に川下のことが出て来ただろう?」
「人が流れて来た話?」
「そうだ。杜屋さんが下流域のことを調べ歩いたところ、流れて来た人たちの体は変色しており魚も浮いていたので、川の水が使えなかったという話が、だいぶ後の記録にあったそうだ。だから杜屋さんは、どうしても、一瀬川がこの辺りを流れていたことを確認したかったんだろう」
「鉱害?」
「そんな山は、近辺にはないな」
「杜屋さんは、何を訪ねてここへ見えたの?」
「開祖様のことをだ。一木村の出だと、記されたものがあったそうで」
「本当?」
「ああ」
「だったら、杜屋さんとここは繋がりがあるの?」
「養里ということだから、直接の繋がりはないかもしれないが、無関係ではないだろうな」
急親和の理由はこれかも。
「父さん、人失村に住み着いた人たちは、今でも日十瀬町にいると思う?」
「ああ。少なくとも池央・桃端・杉会・菱丈は、直系かどうかは別として、関係筋だろう」
「どうしてわかるの?」
「寺の言い伝えだ」
こんなトンデモ話になるとは……。
(でも、それなら、あのことも)
「本堂の裏部屋にある骨壺、あれ何?」
意外そうな顔をした。
「よく知ってるな。入ったのかあそこへ」
「やだ、父さん自分で言ったのよ。『これ片付けておいてくれ』って。私がびっくりしたら『これは空だ』って」
父は二、三秒フリーズ。
「いつのことだ?」
「中二の秋」
「秋? あそこは年に一度、年明けに見る部屋だ。それ以外は入らないぞ」
「えっ。だって、私あそこに父さんがいるの見たのは一回や二回じゃないけど」
「……お前が見た父さんは、そこで何をしているんだ?」
「骨壺を四つ並べて、その前で坐ってる。あの日も私が近くの廊下を通ったら『これ片付けておいてくれ』って。花瓶持ってたんで置いて来てからそこに行くと、父さんいなくて戸棚の扉が開いてた。それで、ここでいいんだと思って仕舞ったのよ」
母が戻って来た。
「お茶入れ替えますか?」
「いいや」
父は雑誌を置いた。
「なあ、本堂裏の掃除は一年に一度だけだよな」
「あのお部屋ですか? そうですよ」
「お袋が亡くなってから、俺があの部屋に一人でいるのをお前見たことあるか?」
「いいえ。だって、あそこは二人で入るものだと、お義母さんから。だから亡くなられてからは、お義母さんの代わりに私が」
「そういうことだ」と目で言って、父は襖を開けた。
「ねぇ、上の棚の紙は何っ?」
大急ぎでその背に。これが本命だった。すると
「ああ、あれは預かり物だ。それにしても、よく当たる夢だなぁ」
何てことない風で襖を閉めた。
「何のこと?」
母に聞かれ「ん、うん、夢の話」と。釈然としないが、またいつか……。
母は父が置いた物を手に取った。
「これ。買って来たの」
SL本かと思ったら旅行本だった。今からなら――夏は無理だから秋……も無理だから……冬……か。
「冬の温泉もいいわよねっ」
嬉しそうにページを操った。
「旅行って言えばね、ノブ兄がおばさんの所へ行くんだって」
「あら。いつ?」
顔を上げずに聞いてきた。
「来週」
「夏休みにはまだ間があるし、一番いい時期ね。週末に一泊かしら」
「ううん。平日二泊」
「平日なの?」
トーンダウン。
「貴美子さんの都合かしら。作品展でもあるの?」
貴美子おばさんは手織物の作家だ。
「それでなのかなぁ。一緒に行かないかって」
「……何曜日から?」
ワンテンポずれ顔を。
「火、水、木」
「瑠実子さんにお呼ばれしてるのよ。水曜日」
「私がいないと出掛けられない?」
「そうじゃなくて〝あなたも〟なのよ」
おばさま方のお茶会に同席させる理由を聞くと
「修人さんが戻ってみえるらしいの。それで……行くの?」
聞き返された。
「そろそろ異動みたいだから、行ってスミちゃんにでも会わせてもらおうかって」
「……それもいいわね」
目を戻した。
茶の間を出てトイレに入ると、また声が。落ち着いて聞くと、マァマァミィミィ音の繰り返し。これはきっと気圧か温度の関係だ。少し頭も重い気がして早めに横に。でも、あくびが出てこなかった。
『考えてくれた?』
『よく当たる夢だな』
『修人さんが戻ってみえるらしいの』
一木村の毒話もヒトウセ村の四家話もかなりな話。でも、これらは更に重要案件。父の言うことが真実なら……私が見ていたものは? 『片付けておいてくれ』と言った者は? 修人さん……まだ縁が……。だから……か。裏部屋のことは夢、骨壺はいつもの“予感”。ノブ兄とは距離ができ、修人さんが衷然寺へ婿に。これで何もかもがスッキリ、不都合なことなど何も。でも……。
〝卒業旅行に行って来い〟
何かにそう言われているようで心が沈み出した。
翌日、留守を任され台所にいると、軽トラックでスイカ売りのおじさんが来た。今年の小玉は例年より早出だと言う。幾つか買い、つい立ち話。すると助手席のお婆さんが「あんた、死人と会うたね」といきなり。おじさんの言うには、そのお婆さんは最近変わったことをよく言うそうだ。言ったきりでお婆さんは正面を向いてしまい、おじさんは「気にしないでくれ」と言って帰った。
〝死人に会った〟
最近の事だろうか。女将に憑いた女性はギィーが食べた。ここ何件かの葬儀も特別な接触はしていない。家に入り冷やしておこうと一つ――こけし姿を思い出した。
先に父が帰って来た。
「ねぇ、赤い服の女の仏様の記憶ある? この場所でずっと昔、そういう人が亡くなってるって言い伝えとか?」
「赤か? 西の垣根の椿は赤だな」
珍答をくれた。




