【1】木霊《こんね》
今回は現代編。主人公が最初の事件と関わります。
日十瀬町と二瀬川を見下ろすように建つ衷然寺は、縁者達により今日まで護り継がれていた。開祖入滅から千歳千夜。人知れずおとずれたその日は、例年通り雪柳のほころびで明け、枝垂桜の舞ううちに暮れた。
「限が着いたみたいよ。お父さんが駒片付けしてるわ」
茶の間を覗いて母が。ということは、今夜は父が降りたわけだ。
「お茶菓子またこれでいいよね」
私は徹おじさんの快気祝いに頂いた色彩あられの蓋を開けた。このあられは七味。個装の色で区別されている。
「ねえ。もう七味全部食べた?」
「いいえ。この前食べたのはいちごとミルクとええと……パプリカ」
「私、いちごとミルクと抹茶」
「仕方ないわよ。お父さん明日のお昼はいないからその時にでも食べましょうよ」
運んで行くと、案の定二人の手が伸びた。
しばらくすると、すまし顔でプレーンとチーズを選び食べしていたノブ兄が、カレーだけ食べさっさと手を引いた父に話しかけた。
「おじさん、イケナカのこと聞いてますか」
「いいや。あそこがどうかしたのかい」
「先日だいぶ大きな仕事を請け負ったらしいんですよ」
「伝ができたってことか」
「そのようです」
ノブ兄が、二個封を切って口に入れ三個目で私の視線に。
「チーズ旨いよ。食べる?」
あっさりチーズがやって来た。
「これ、政さんからだっけ」
「そう」
「この辺で売ってる?」
「お知り合いの方の御実家ですって」
母が入った。
「そうなんですか」
「今度政さんが来たらノブちゃん家の分も頼むから、テルさんと食べて」
「わぁ。すいません」
ホクホクが向いた。
この人〝ノブ兄〟は、道向かいの八重垣家の御長男。正式名は隆伸さん。でも、私の知る限り、父たちは〝ノブちゃん〟としか呼んでいない。だから多分この名を忘れてる。八重垣家も我が家もこの周りでは古いらしく、家同士は親戚以上の間柄。だから、亡くなった祖母にとって幼少期にお母さんを亡くしたテルおじさんは、二人目の息子の様なものだった。そして、今またノブ兄が、母の息子の様になっている。
ノブ兄には、ちゃんと、“貴美子おばさん”というお母さんと“澄香ちゃん”という私と同年の妹もいる。只し、二人の居住地は二県先。そうなったのはノブ兄が中三の春だった。仕事の都合で貴美子おばさんが御実家の方へ行くことになり、スミちゃんも一緒に。小四の始業式、私は初めてひとり登校、帰って来ると、教科書に名前を書きながら泣いた。でもその晩、台所の空いていたイスにはクッションが置かれ、そこにスミちゃんのお兄さんが座った。
「今日から五人の食卓よ」
と母が言い
「テルも来いって言ったんだがな」
と父が言い
「『カイちゃんと夕飯食べてお茶飲んだら俺仕事にならない』って言ったんだろう? そりゃそうだよ。お前はもう寝るだけだけど、テルちゃんは夜半がお勤めなんだから」
そう祖母が言い――その時お兄さんは、三人の言葉に逐一うなずいていた。
あれから二十年近く。一度故郷を離れたお兄さんは、七年前にUターン。進学校から大学、そして伝え聞く花形企業へ。なのに戻った理由を私達は今も知らない。
「突然辞表出してさ。引き留められたのに辞めて来たんだよアイツっ」
職場に知り合いのいたテルおじさんが言っていた。
「特に何かあったわけでもなさそうだ」
父が言った。
「それなら良かったわ」
母は不思議と明るかった。そして、またお兄さんは二、三日置きの夕飯家族になった。
いつからこの人を〝ノブ兄〟って呼ぶようになったっけ……。更に昔巡りをしようとした時
「なあ」
横から声が。
「イケナカ工業って知ってる?」
「ううん」
「駅前のビルにでっかく看板付いてるの見たことない?」
「駅前? 上なんか見ない」
「鐘撞堂からなら良く見えるぞ。駅周辺は看板だらけだが、羽振りのいいのはすぐわかる」
「看板が大きいってこと?」
父はうなずいた。
「そのイケナカが何?」
「字がさ、変わってるんだ」
端し紙に書いて見せた。
「へーえ。これでイケナカ?」
「そう。確かに中央の央はナカとも読むけど、これで『池央』って珍しくないか」
「うん。見たことないね」
いつの間にか菓子鉢は空いていた。継ぎ足しのお茶を飲み終えノブ兄は立った。家は寺だから、朝が少し早い。知っているノブ兄は定時には帰る。送りは今では私の役目。
玄関を開けると外は煙っていた。
「何? 霧?」
「らしいな」
「足元見える?」
「ああ。外燈もあるし。じゃあな」
正門の方へ音が行った。
施錠し戻ると、カーテンを。
「ねえ、見てっ」
「まあ。ノブちゃん足元見えた?」
「平気だって言って歩いて行ったけど」
「濡れたかな」
父が縁側まで出て来た。
寝る前、窓を開けてみた。明かりの届く所は白いが、他は見えない。濡れ葉の匂いが寄って来て閉めた。布団に入り冷えた鼻まで肌掛をズズズ。これじゃ、濡れたろうな……。天井を見ていると暗がりにボオっと〝池央〟が。
(ノブ兄にはああ言った。でもあの字はどこかで……)
そのうち思い出せる気がしてスタンドを消すと
――ピーピーヒョリロ、ピーヒョリロっ――
遠くで笛が。
(今からお囃子の練習?)
――ピーピーヒョリロ、ピーヒョリロっ――
――アハハ――
――ウフフ――
人もいるけど……。 やがて寝入った。
** ** **
衷然寺は、住居部も含め建物は全て東側にあり、低木で区切られた西側は、広い空き地と梅林が広がっていた。
夜も更けた頃、その空き地に不思議なことが起こった。中央にほの灯りがともると、そこだけ霧が失せ人影が。着物姿の老若男女が輪になり各々の仕草で踊っていた。実に楽しそうに。しかし、今にも笑い声が聞こえてきそうなのに、それはなかった。そのうち、被り物を付けた男が後ろから出てきた。男の手は、同じく被り物を付けたおかっぱ髪の幼女の手を。
二人は輪に添いながら北へ。すると、北一面がパッと深紅に。赤椿の垣根が照らし出された。二人はそこに向かうように進んだ。気づいた踊り手たちが、ひとり、ふたりと後についた。また、ひとり、ふたり。二人は垣根の中へ。と、皆んな急いでその後を。そして灯りも消えた。
時間で言うなら三十分位後
――ザー――
今度は雨音。灯りはともらなかった。
――グチャっ、グチャっ、ギシっ、ギシっ――
――グチャっ、グチャっ、ギシっ、ギシっ――
足音と物音が近づいて停止。
――グシャ。バシャっバシャっ――
――グシャ。バシャっバシャっ――
何かを放り始めた。
――グシャ。バシャっバシャっ――
――グシャ。バシャっバシャっ――
音があちこちからして来た。
やがて音が引くと、青白いものがそこかしこからポワァァン、ポワァァン、ポワァァン。濡れ布が絡みついた四肢の間を蝶のように舞い動き、ひっそり消えた。
それほど間を置かず、今度は真昼の明るさに。岩や幹の突き出た土山が、日を浴びていた。そこへ、バラバラな足音が。やって来た二人は、髪を一つに束ねた大柄と頭巾を被った小柄で共に変わった身なり。手足に布を巻き付けていた。
「此が辺りにございますか」
大柄が頭巾に。
「此が岩、此が根。此処じゃっ」
幼声が言った。
「では此が下に」
声が沈んだ。
「呼びておる故除けるしかあるまいっ」
頭巾が相方を鼓舞するように言い、土山から突き出た根を持った。
「揺らさば形崩れいたそう。其方を」
大柄は素直に従い、二人は右に左にゆっくり、ゆっくり。
――ザラザラザラザラ――
大柄が腕を止めた。
「懐然様、此が先は危うございます。ヤタにお任せをっ」
頭巾が離れると、大柄は足の布を取り根に。
「引きまする。御下がり下されっ」
――ズザザザザ、ベキ、ベキ、バキッ、ドドォン――
ブワっと土煙。
「懐然様っ!御無事にございますかっ」
「ああ、大事ないっ」
視界が落ち着くと、大柄は結んだ布を解こうと腰を屈め、が
「うおぉっ」
と声を上げ、後ろに。頭巾が走り寄った。その時
――ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ――
激しい鈴音。そしてサッと闇に。
** ** **
フーっと吐息。すると
――ヒュー――
――ザワザワ、ザワザワ――
風が霧を分けた。
――ヒタっヒタっヒタっヒタっ――
月がのぞき、椿の前の膨らみを射した。
「覚めよ」
――ジャリン――
――ジャリン――
遠い音と共に連れ火垂が上がり、見えなくなった。
「純者ほど重し。覚者ほど術なし。彼の重誰知らむ。彼の憐如何がせむ」
――ヒタっヒタっヒタっヒタっ――
――ヒタっヒタっヒタっヒタっ――
北側から南へ移って行った。やがて鐘撞き堂の下が白み、姫達磨のような着膨がそこに。着膨が片掌を開くと、さっきの頭巾男がゆるゆる上がった。
「スギサクよ。浮き世の思いは重し。人で無しの我でさえ只一度で虜よ。会いたし……。預かり物を御渡しに早う参りたし……。なれど……親が退かねば子も離せぬわ……。此は……我一代の難儀じゃ」
掌を風がスー。
――ジャリ、ジャリ、ジャリ、ジャリ――
膨らもうとする鐘撞堂を霧がとめた。
ここまでお読みくださりありがとうございました! 次回は更新は2025/01/11です。




