【古記 その三 慈養】[三 外法(げほう)解(どき)]
〔一歳後 喜致(懐然)十 慈養五十八 普関五十二 慈懐三十 称君(関弥)九〕
「普関様、我ら明朝発ちまする」
「法祥、泉永、いつもながら遠路御苦労よのう」
「なんの。七の寺、八の寺に比ぶれば目と鼻の先にござりまする」
「此度は行事多き故、久方ぶりに本寺が門人に戻りて、若返りた心持ちにござりまする」
「代替わりとなりて、喜致様、称君御落髪。其が後の美致姫様が御法要。二歳分を一時に。五月かかれど、此にて次代の基は成せた。皆がお陰じゃ」
「彼の喜致様が……。慈養様に酷似なされておいでなれど……凛となされし御姿は、美致姫様を思い出しまする」
「慈懐が、人知れず涙を拭いておりたわ」
「『懐然』。慈養様は御自らの続きとなされず、慈懐の続きと」
「此にて、語らずとても、喜致様が御内弟子様じゃ」
「普関様、称君は関称殿と申し易きなれど、喜致様を懐然様とは御呼び難く」
「此が泉永も、何故か申し難く」
「彼の折、御あいさつ申し上げし我等にとりて、姫様が若君は、終生『喜致様』じゃ。其で良かろう。寛養様も親王様を若君と。此が普関も未だ親王様じゃ」
「喜致様っ! 御待ちをっ。喜致様っ!」
「関称殿が声じゃ」
――ダダダダ、ダダダダ――
「関称、如何がした」
「普関様っ。喜致様が白ねずみを追うてお外へっ」
「白ねずみとなっ」
「はいっ。隣より慈養様が『喜致殿』と。其故御訪ねいたせど御間には居られず。代わりに居りたる白ねずみが走りし故、喜致様も追うてお外へっ」
「何処に行かれたっ」
「橋を渡りて墓処へっ」
「もしや……」
「我らも参ろうっ」
「関称殿、御門跡を呼ばれよっ」
「喜致様ぁー、喜致様ぁー」
「普関様っ、彼方にっ」
「美致姫様が処じゃっ」
「喜致様っ」
「喜致様っ」
「何事に――」
「慈養様っ」
「泉永っ、早う薬師をっ」
――ダダダダ、ダダダダ――
「慈養様っ、慈養様っ」
「動かすでないっ。法祥、夜具を持てっ」
「かしこまりましたっ」
――ダダダダダダ――
「……喜致様。御手を取りてさし上げなされませ。御入寂にござりまする・……」
「……くっ……ぅっ……ぅっ……」
「愛姫君様方の間にて……笑みて、おられまする。……仕舞いは喜となさりての、御生涯に、ござりました」
「うっ……ぅっぅっ……」
――ザザザザザザ――
「普関様っ、夜具を」
「慈懐。静かに御運びいたせ」
「……かしこまりまして、ござりまする」
「……喜致様、参りましょう」
「……。……うぅっ……うぅっ……」
** ** **
「普関様、公といたすは」
「晴姫様が御法要間近故、其が後」
「なれば、縹を討つは」
「年明けにござりまするか」
「明恵。其では遅すぎよう」
「されど法祥――」
「慈養様御隠れと知らば、輩らは何をいたすか」
「そうじゃ。先手を打たねば。彼の公卿では心もとなし」
「慈懐。門跡はそなた。そなたは如何に」
「普関様。慈懐は一族の束ねを計るが先かと。御師匠様は晴姫様始め姫様方との御親交深かりし故、習うに時がいりまする。縹が事は弾丈殿を呼びてしかと見張らせたしと」
「足元揺らがば、喜致様が御代に障る。只今は内を固むる時と普関も思う」
「なれば、法祥も、二の寺に戻りて内を固めまする」
「泉永も、同じゅういたしまする」
「そなたらは、明恵と便りを密に。変わりあらば直ぐ伝えん」
「かしこまりましてござりまする」
「心得ましてござりまする」
〈於川裏〉
「師匠様。御川に波が……」
――ザザー――
「見よっ。水鏡じゃっ」
「師匠様っ。内に影が」
「寛養。彼は……」
「!?――」
「……寛養か?」
「はい。御懐かしゅうござりまする」
「……隣に居るは」
「若君。寛然にござりまする」
「寛然……。おお寛然か。何とも若返りたものよ。本寺の賑わいに、宵を待たずに出で参りしか。我も歳故此で区切りと、二大行事を一時に成したのじゃ」
「……」
「……」
「そうじゃ。良き折なれば、我が孫と会うて戻れ。酷似故、父は我と皆思いおるのよ。さすがに宇世は『御耳形、御父君様譲り』とて外出には頭巾をと申したがのう。ハハハハ」
「若君……」
「喜致は奥院じゃ。さあ」
「若君。御仰せなれど、『喜致様』は若君にござりまする」
「寛然。そなたが付けし名をやりたのよ」
「……」
「如何がいたした。只今より夜更けが良きか」
「若君。何卒、我らが言を御聞きくださりませ」
「御聞きくださりませ」
「言とな」
「師匠様と此が寛養が居りますると、其が川より水鏡立ち、内より若君が御出ましとなられましてござりまする」
「寛養が申す通りにござりまする」
「なれど此処は本寺ぞ」
「如何にもにござりまする。なれど、御覧くださりませ。橋先に墓処はござりませぬ」
「……」
「若君。御迎えの御使者は何方様に」
「誰も。墓処にて深朝と向かいおると足元に白ねずみが。其が上りて掌に」
「白ねずみ」
「寛養。白ねずみは山神が使い」
「師匠様。なれば、先の水鏡は」
「伝え聞く『山神が川鏡』やもしれぬ」
「なんとっ。なんとっ。……うっ……ぅぅ……」
「寛然。寛養の泣くは何故じゃ」
「若君。恐れ多きことなれど、若君は"山神"におなりとなられましてござりまする」
「……浮き世の御苦行が慮られ……。此が寛養、有り難くも耐え難く……うぅぅ……」
「二人して何を申す。生終えしとて、我は我。神上がりなど成してはおらぬわっ。苦行なるは護役の皆々よ」
「……」
「……」
「……其が言、真なれば美致は」
「橋先が奥にて花摘みを。『御父君が御戻りとならるるまで』と深朝様より御言いつかりなされしそうにござりまする」
「ほう。して深朝は」
「此方には御姿はござりませぬ」
「内裏かや」
「……」
「……」
「まあ良い。いづれは会えよう。……御兄君は」
「晴姫様と奥院奥にて御仲睦まじゅう」
「なれば、何よりじゃ」
「若君。御孫君様とは如何なる事にござりまするか」
「知りたしか。なれど其が前に、我が言も聞かぬか」
「何なりと」
「仰せくださりませ」
「なれば。美致の夜守が折の事じゃ。承和が我に暇乞いを願いた」
「……」
「……」
「其が折。承和が一時去ると、角に居りた白ねずみが美致に掛けし深朝が衣に乗りて。動くと文字が浮きたのじゃ」
「ねずみが文字をにござりまするか」
「御読みなさりたのでござりまするか」
「読みたわ。直ぐ消えしが。外法解きと見えし」
「……」
「……」
「そなたら。幼き承和に禁事を説きたな」
「若君っ」
「なれど、若君っ」
「中将が願いと言うて、承和が美致と朝右衛が髪を塗り箱に納めし。二人が戻らねば、そなたら美致と朝右衛に恨まれよう」
「御恨みとは何故の」
「後一人は何者に」
「只今が門跡は、寛養そなたも知りし者。中将が筋にて、五歳より承和と共に居る美致が護役じゃ。承和が愛弟子にして我が内弟子。加えて……本流の父君よっ」
「なんとっ」
「それでは……」
「承和も説きておろう。其が承和は……朝右衛との文を未だ炊き上げてはおらぬ」
「若君っ。われら此より暫し御暇をっ」
「奥に籠もりて御先代様方が御智恵を。本寺が総力にて御念外しにかかりまするっ。何卒御許しくださりませっ」
「何卒っ」
「我は美致と居る故、好きといたせ」
******
「普関様。喜致様が御尋ねしたきことがおありと」
「喜致様。日々御面は会わせれど関弥も共におりし故、何時御見えになるやと御待ちいたしておりました」
「なれば、慈懐は此にて」
「御門跡。そなたも共に聞かれよ。親王様が御言葉じゃ」
「なれば、控えさせていただきまする」
「喜致様。酷似の理由にござりまするな」
「はい」
「親王様は、御祖父君様にござりまする」
「御待ちを。御伯父君様では」
「慈懐。故にそなたもと」
「短慮にござりました」
「そなた様に御名を御付けなされしは、他ならぬ親王様にござりまする。親王様は先々帝が二の君。『喜致親王』が御名にござりました。親王様と許嫁『深朝姫様』との間に御授かられしが『美致姫様』。喜致様が真の御母君様にござりまする。御父君様は四代前の帝の三の様君にて『治君様』との御名にござりました。今日までの偽りの御出自には、深き御由がござりまする。此より普関が語りますることも、公には葬りごと故、御心得願いとうござりまする」
「かしこまりましてござりまする」
「固よりにござりまする」
「古に、御徳高き親王様が帝位に就かれ、御治世は、天変地異なく実りも多く、人増え栄えしそうにござりまする。親王様には御兄弟の和子様ありて、父帝様が後、順に帝位に即かれ、父君様と同じく豊なる御治世となりたそうにござりまする。されど、二帝様には姫宮様のみにて、後は別の親王様が帝位に即かれましてござりまする。すると、何故か、虫起こりて実り絶え、疫病流行り、帝までもがお隠れに。此に驚きし大臣が、本寺が御門跡と計り、兄帝様の姫宮様が和子様を帝位に迎えしところ、徐々に虫消えいつしか病も鎮まり、更に、東宮様に、弟帝様の姫宮様が和子様が御立ちなされると、新しき実が成りて、地更に豊かとなりたそうにござりまする。此が頃より『帝位には高徳の親王様が筋が善し』との思いが公卿等が内に広まりて、いつしか御兄弟帝様が御血筋は『帝血二流』と申さるるにあいなりましてござりまする。なれど、不思議と二流には、和子様少なく重ねて姫宮様多く、直流様が御立太は、しばらく途絶えとなりましてござりまする。やがて時は移り、今より七代前と五代前の帝が御治世に、稀有なことに、帝血の姫様を母君に持たれし親王様が、御誕生となられたのでござりまする。両親王様は無事御育ちなされ、時至りて、兄帝様が御流れを受けし『緒岐親王』様に葡萄桂親王様が一の姫|『蓮姫様』が妃に上がられ、三月後、親王様はめでたく御立太なされたのでござります。念願の帝血とて、祝いの集いが幾日も続きしと聞き及びておりまする。なれど季節移りし頃、緒岐親王様は俄か病にてお隠れに。『お薬湯に毒』との検追頭が報告にござりました。当時御懐妊の御兆ありし蓮姫様は、人知れず内裏を離れ、御血筋を姫君様に御渡しになられ、そのまま儚くなられたのでござりまする。帝血に仇なす者有りと知りし我らが先代らは、御遺児『深姫様』が御出自を伏せ、護りに護り、御血筋を、喜致様そなた様が御祖母君、大臣家の『深朝姫様』へとおつなぎいたしたのでござりまする。他方、弟帝様が御流れを受けし『蘇芳親王様』は緒岐親王様よりはるかに御年配なれど、弟君様が御筋故、御次の君となられておられました。なれど、彼の変にて立太御辞退。其故、東宮様には、母君様違いの緒岐親王様が御兄君様が立たれましてござりまする。当時、蘇芳親王様が御一人娘|『莉姫様』は、六代前の帝の二の君様が妃となられておられました。其処で、緒岐親王様の御兄君様は、帝位に即かれると、蘇芳親王様が婿君を、東宮になさりたのでござります。此にて、帝血の東宮妃が御誕生となり、莉姫様は目出たく御兄弟の和子様を御上げなされました。其が二の君様が、喜致親王様にござりまする。……慈懐、此まで分かりしか」
「願えますれば普関様、御流れを今少し詳しゅう」
「わかりた。緒岐親王様――深姫様――深朝姫様が御流れと、蘇芳親王様――莉姫様――喜致親王様が御流れがありたのじゃ」
「ようわかりましてござりまする」
「喜致様は」
「得心いたしましてござりまする」
「なれば、続けまする。莉姫様が、『喜致親王様』を御授かられまして七歳後、茅大臣が奥の方となられし深姫様が、『深朝姫様』を御授かりなされましてござりまする。御末に姫君様と親王様の御誕生故、当時の御門跡『寛然様』が『危うき二流を一流といたし御守護いたせ』と、深朝姫様を、喜致親王様が御許嫁姫様と、御定めになられたのでござりまする。親王様には兄君様がおられ、東宮位におられしなれど、生来御病弱故和子様の望めぬ御方にて、行く行くは御退位なされ、代わりて、親王様が、帝位へと上らるる御定めとなりておりました。なれど、此処にも賊が手が。親王様、深朝姫様、御婚儀二日前のことにござりました。彼の変にて、兄君東宮様は御身代わりの御落命。奇しくも延命なされし親王様は、筋分けを断ちて本寺に。『深朝姫様に御障りありてはならず』との御英断にござりました。其が意を御汲みなされし御方方は、御時を移されず、深朝姫様が入内を御調えなされました。深朝姫様は、親王様が御父君様の妃とならるることになりたのでござりまする。御離別二歳後のことにござりました。斯様な折、入内間近の深朝姫様が、奇しくも御父君茅大臣が御名代として、本寺にお越しとなられたのでござります。御接待なされしは、親王様にござりました。やがて、深朝姫様は内裏にて和子様を御上げなさり、『美致姫』と命名されなされし姫様は、尊き御計らいにて、姫宮様となられたのでござりまする。親王様が御父君様は、詔勅にて、美致姫様が御後見を、親王様と御定めになられました。美致姫様が御誕生は、一族念願の『御本流の御誕生』にござりました。なれど、仇人故に、『葬り事』といたさねばならぬことにござりました。以降我らは、美致姫様が中宮となられ、御本流の若君様が御誕生となられる日を願い、御守護いたして参りたのでござりまする。なれど、またも奸賊が。故に、御誕生より中宮位が御定めの美致姫様が、御降嫁となられたのでござりまする。其が後、御婿君治君様は別なる謀り事にて、姫様が御懐妊を知らぬまま御落命。美致姫様は、密かに御筋を御分けなされると、御後見様の親王様に行く末を御託しになられ、奥の庵が主となられる御覚悟を、なされたのでござりまする。誠なれば、親王様と御揃われなされ、喜致様を迎えなされることと、なられておられました。なれど、無念にも、またもや賊に……。御出自故ではなく、親王様が御後見であられた故の、御落命にござりました。
緒岐親王様に始まりて――親王様が御兄君様、御従弟君様、治君様、美致姫様、護役の女人九人――帝血に関わりて、十四の御尊命が殺められましてござりまする。其故に、愛姫が和子を存命させたしの一念のみにて、親王様は、偽りの御出自を御造りになられたのでござりまする。『終生名乗らず』は、御母君、美致姫様が御志でもありたそうにござりまする。
若君様。此までが、普関が受け賜わりたる『御遺言』にござりまする。何卒、宣らざりし親王様を、御恨みなされませぬよう、願い上げまする」
「……有難きこととこそ思え、御恨みなど……。多くの御方々が御落命なさるる中、喜致が無事なるは、皆々様が御心、御深き御陰にござりまする。とりわけ御祖父君様には格別の……。なれど、喜致は、何の孝行もいたせず……」
「喜致様の、何も何もが、御孝行にござりました。美致姫様を殺められ、断腸の極みの親王様を御救いなされしは、赤児の喜致様にござりました。姫様が護りが御役の我らとて、皆同じにござりまするっ」
「喜致様。慈懐もまた、其が内の一人にござりまするっ」
「慈懐様……」
「普関様。一つ御伺いてもよろしゅうござりましょうや」
「何なりと」
「御師匠様は、美致姫様に、最後まで御名乗りなされずに」
「喜致様御誕生が折に。其が『御最期』となられしなれど」
「御名乗りが……今生の御別れと……。……親心故、親と名乗られず……。愛し児故、和子と呼ばれなされず……。くっ……惨きことにござりまする……くぅぅ……」
――トトトト、トトトト――
「御門跡様ぁどちらにおられまするかぁ、御門跡様ぁ」
「此方におるっ。今行く。普関様、しかと受け賜わりましたるなれば、慈懐は此にて」
「慈懐様は、我らが為に、御泣きくださりまするのか」
「喜致様。慈懐は、一門に比類なき知恵者なれど、其より優れし『情の者』にござりまする。故に、皆が信厚く、殊に御母君、美致姫様は、彼の質を愛でられておられました。終生頼りとなされませ」
「心得ましてござりまする。……普関様、喜致も今一つ。御母君が御形見の御鈴は、真は何方様がものにござりまするか」
「喜致様……。彼の御結鈴は、親王様が、深朝姫様に、御預けられしもの。百代の契り固めの御鈴にござりました。其が、深朝姫様が御形見として美致姫様に。更には喜致様にと、御渡りになりたのでござりまする」
「なれば喜致は……。御祖父君様に、誠に申し訳無きことを……」
「里娘殿がことにござりまするか」
「何故其をっ」
「親王様が御話しに。『三の寺にて会わせよ』と。『良き事』と笑まれておられましてござりまする。御遺言なれば、必ず御手配いたしまする」
「然様なこと……然様なこと……。あっあっ……あうっうっ……」
ここまでお読みいただきありがとうございました! 次回からまた現代に舞台が戻ります。