【4】まちかど 4.サイレン
現代編の続きです。
翌日、約束通り杜屋さんが見えた。待っていた父は庭まで出て行き、話し込む二人を見た母は縁台にお茶を用意した。お団子を三串、お茶を二杯。やがて杜屋さんはショルダーから何かを出された。
「これを見て下さい」
クリアファイルが父に手渡された。
「これが、先日のお話の」
父は見入った。
「ええ。これが山でこれが川です」
光の加減で見えにくいが、大分うすくなった紙に描かれた山型とその左右を杜屋さんの指がなぞった。
「すそ野ではないんですか……ああほんと。わずかに食い違ってますねっ」
そう言って父も左右を。左は山裾の様に左斜め下に、右は蛇行しながら右斜め下に至っていた。
「こちらと比べて下さい」
また別のクリアファイルが渡り、私たちは言われた通りに目を動かした。山型の上部が消えて台形の様になり、左の線はそのままで右は蛇行ではなく線になり左へ、つまり中央を横切り左へ下がっていた。
「こちらが後ですか?」
父が二枚目を動かして訊くと、杜屋さんはうなずかれた。
母に持って来させたこの辺りの地図を、父がテーブル代わりの台に広げた。皆の目が二本の川を遡る。ここの寺は二枚目の台形の上辺に建っていた。杜屋さんは、川向こうの市街地を指線で囲み、父に地名を聞かれた。
「日十瀬町辺りですかね」
父が答える。
「ああ、それはきっとヒトウセムラの名残ですね」
(?)
聞き間違えたかと思った。
「人が失せた村と書いて人失村です」
杜屋さんは繰り返された。
「ほぉ。それはまた」
「杜屋の家に、一木村と呼ばれた村に嫁いだ"タエ"という人の話がありまして」
「よろしければ是非」
うなずかれた。
「一木村の富裕な家に嫁いだタエさんは、一年後お産のため実家に戻り、無事男の子を生みました。そこで知らせの者が嫁ぎ先へ向かったのです。が、途中の橋がなくなっていて道がわからず、引き返して来たそうなのです。それで、仕方なく先方からの便りを待ったのです。けれど、半年経っても音沙汰がなく、戻らないので離縁にでもされたかと心配した親族が、方々聞いて遠回りの道を知り、申し開きのできる者数名を、一木村へ向かわせたそうです。若者揃いの一行は急ぎに急ぎ、何とか一木村へ着いたのです。ところが」
「ところが?」
父が聞き返した時、黒いセダンが境内に。ドアの閉まる音がし、ツバメがスーツを着たような中年男性が、運転手とこちらへ。
「どうも。またおじゃましました」
笑みながら顔を傾け、杜屋さんをパチッ。すると表情を変えた。
「あれ。もしかして。杜屋先生……ですか?」
杜屋さんは黙って会釈。
「おやおや。これはこれは。奇遇ですねぇ。先生が、こちらの御住職とお知り合いとはっ。私共の事はお聞きですか」
杜屋さんが「いいえ」と答えると、男性は滑る様な手つきで名刺を出した。
「先日の件ならお断りしたはずですよ」
「はい。ですが、是非、御再考願いたいと思いまして」
言うや否や、地域活性化という公共の利益と私企業の利潤追求を巧みに同化した持論を、熱く熱く語り始めた。
やがて声が止むと、杜屋さんが訊ねられた。
「どこの土地のことですか?」
「あちら、あの鐘撞堂の裏です」
男性の腕が弧を。
「ああ、あそこは私がお譲りいただいて、自宅を建てようと思っているのですよ。前々から思い描いていた構想がありまして。あのくらいの広さが丁度いいんです。まあ、いずれは私も妻もいなくなりますが、こちらなら息子たちが別荘にできますし、歳をとれば住めますし。何より、こちら衷然寺に墓を持てば、子どもたちは喜びます。楽ですからねぇ」
「えっ? あっあの、先生……」
「あなたとは気が合いますね、ははは」
顔が、ボイルエビレベルの変色を見せた。
「日を改めますっ」
踵返しも早かった。
「ところで、どこまでお話ししましたっけ」
そう言われ、間奏をクリア。
「『ところが』です」
ああ、そうそう、とおっしゃって続きを始められた。
「一行がタエさんの嫁ぎ先を訪ねると、出て来た者が『元ここに住んでいた者は今は誰もいない。自分たちが谷の向こうから水を逃れて来た時、ここには誰もいなかった』そう言ったそうなのです。けれど、皆俄かには信じられず、祝言の時顔合わせした親戚筋を、一軒一軒確かめたそうです。しかし、どこも家の主は別人で同じ事を言ったとか。村長の館の主からは『ここは今は、人失村と言うのだ』とも言われたそうで、落胆して帰って来たそうです。一行の帰りを待っていたタエさんの親族も、その話をすぐには信じ切れず、知り合い中に聞き回ったそうです。すると、一木村だったところに別者が住み着き、そこを『人失村』と名乗っているのは本当だったらしいのです。更に、川下の者からは『多くの仏が流れて来たことがあった』とも聞いたので、これはきっと、川が溢れる前に村の皆で山へ逃げ、そこで何かあったのだろうということになったのだそうです」
「それで、タエさんとお子さんは、その後どうなさったのですか」
母が聞いた。
「タエさんは……少しおかしくなってしまったのです。嫁ぎ先の一木村はその辺りでは特別な所で、土地に恵まれ皆豊かで都とのつながりもあり男衆のほとんどが文字が書けたという村で。一木に嫁げるのは、娘達にとって何よりの誉れだったようです。中でもタエさんは、姑に気に入られ広い桃畑のある館に嫁入りしただけに、一層辛かったのでしょう。生んだ子をあやしながら『里無し』『里無し』と。まだ名を決められていなかったその子は、それで自然に『里無し』と呼ばれ始めたそうですが、タエさんの父親が、それではあまりだと言い聞かせ『サトナ』と呼ばせるようにしたそうです。その子は兄夫婦に育てられ、土地を分けてもらい分家しました。一方タエさんの方は本家の奥座敷に引きこもっていたのですが、息子の家に子どもができると突然ふらちりとやって来て『お子の名は何となさる?』と真顔で聞いたそうです。何かを感じた息子が『里無し故、サトナといたします』と言うと、笑って戻って行ったと。二年して娘が生まれると、またふらりとやって来て『お子の名は何となさる?』と。息子はとっさに思い当たらず『何とつければよいでしょう』と聞くと『桃畑は百代が良い』と言うので『ではモモヨといたします』と言うと『これでよう眠れる』と笑って戻って行き、翌朝起きて来なかったそうです」
「亡くなられたのですか?」
また母が。
「はい。以来、太郎には『サトナ』、姫には『モモヨ』。〝言いつけを守らねばタエさんに叱られる〟というのが、お信じにはなれないかも知れませんが家の守り事なのです。この山と川は何度も書き写されて来たものですが、一枚の元はタエさんが書いたと言われています。一木を訪ねた者の中に絵心のある者がいて、何を思ったものか描き取って来たものが二枚目の元です。それを見たタエさんが『違う!』と言って書いたのが、もう一枚目らしいのです」
「確かあなたの御名は」
「サトナです。父も賢の一文字でサトナ。私の長男も智和でサトナ。父の姉は桃の世で桃世です」
母は目を潤ませた。
昼食が済むと、父は杜屋さんを車に乗せ出掛けて行った。
食器を片付け終えると「おだんご食べましょうよ」と母はお茶を淹れた。
「随分悲しいお話よね」
さっきの話を出した。
「誰も悪くないのに、なんとなくどこかに酷さがあるよね」
「そう……酷いのよ。だって、どうして居抜けに入って村の名前変えちゃうのよっ。それも『人失村』なんてっ」
珍しく憤っていた。私も同感。一木村に縁のあった人たちは、きっと傷ついたことだろう。タエさんがおかしくなったのも無理はない。居抜けに入った人たちはどんな人たちだったのか。
「ねぇ。入って来た人たちって、今でもあの辺に住んでるのかな」
「あの辺? ああ、日十瀬町……」
嫁に来て四十年近くになるが、川向こうのことはほとんど知らないと母は言った。杜屋さんは、何を父に聞きに……。洪水の記録でも寺に残っているのか……。
五本あったお団子が一本に。「どうぞ」と言うと「やっぱりお団子は戸倉よねっ」スカッとした顔になった。
四時頃、父たちは戻って来た。「お上がり下さい」と言う母に「いえ、今日はこれで」と言われ、杜屋さんは車にショルダーを。
「八重垣さんには、本当に、感謝しています。よろしくお伝え下さい」
深々と頭を下げられ帰って行かれた。
「今度は一局指しに見えるそうだ」
父も母と同じ顔をした。
――ゴーン ゴーン――
まだ明るい夕空に、音が渡る。
「今日はやけに響くね」
そう言うと「出掛けて楽しかったのよ」と母は言った。
配膳の仕度をしていると、風のうなりが。吹き込む方向が分からないので、母と分けて窓へ。「巻き風だ」と父が言うので、物干し棹を下ろそうと外に出ると――ボタボタ粒が落ちて来た。
雨雲レーダーを開くと雷雲が近づいていた。いつもこの辺りは赤色は通らない。
「でも、これだと入りそう」
横から母が言った。
雷鳴がし始めた。当たる雨が小石の様で、雨戸を閉めなかったことを二人で後悔。でも、もう……。
夕食を終え閉め切った室内が暑くなってくると、父はたまらずエアコンをつけようと言い出した。
「江田さんのお宅、雷でエアコンだめにしたってご自分で言ってたじゃないですか」
母は父に団扇を渡し、あちこちのコンセントを抜いた。
「どこかに扇風機の一台くらい」
父は立ってうろうろ。
「保冷剤でも持って来ましょうか」
母が立ち上がった時、明かりが。懐中電灯を頼みに父は座った。
5分程で明かりはついた。が、その後も何度も。また携帯を見ると、北からの雲に西からが加わり丁度真上にあった。
お知らせメールが鳴った。市内で火災が発生したらしい。
『日十瀬町』
杜屋さんが昼間指したあの辺り。風向きのせいかサイレンは全く聞こえない。
「鐘撞堂まで昇れば見えるだろう」
父は言ったが、これでは出られない。
その後雨音が軽くなると、母は上窓を開けに行きながら私に入浴を促した。
湯舟に浸かっている時、ビュービュー音に混じり換気扇からサイレンが。
――ウウ―ゥゥゥ――
――ウウ―ゥゥゥ――
(?さっきまで聞こえなかったのに……)
お風呂から上がりトイレに入った。トイレの換気扇からは風しか。が、ここではまた別物が耳に。
茶の間に戻ると母だけがいた。
「父さんもう寝たの?」
「寝室のエアコンつけたのよ」
「あらま。ねぇ、まだサイレン鳴ってるみたい」
「そう言えば、鎮火メール来てないわね」
「あっち、工場でもある?」
「日十瀬町でしょ? ないと思うけど。神社にでも落ちたのかしら」
「ああ、あそこね。……ねぇ、ちょっと突飛な話だけど、トイレタンクに溜まる水音に、人の声が重なって聞こえたことある?」
「いいえ。でも……亡くなった佐智子伯母さんはそんなこと言ってたわ」
「何て?」
「水から人の声がするって。伯母さんは耳が悪かったからでしょうけど。何か聞こえたの?」
「お経」
「ああ。それは毎日耳にしているからよ。耳が覚えているのね」
信念が不安を消した。
しかし、寝る前にもう一度入ると
――ジャリン、ジャリン、ジャリン、ジャリン――
今度ははっきり水が鳴った。
翌朝早く、ノブ兄からメッセージが来た。
――夕べの火事見えた?――
――外に出てない――
――凄かったんだぜ。新聞見ろよ。じゃあな――
閉じて目覚ましをオフ。
いつもの父より早く新聞を取りに行き、座卓に置くと襖が開いた。
「早いじゃないか」
「ノブ兄が、新聞見ろって連絡くれたから」
父が開くと一面に火柱の写真があった。
「これ、夕べの?」
母がやって来た。三人で黙読。
「ノブ兄が、火事見えたかって」
「これなら見えたろうなぁ」
「そんなに高い杉の木があったんですか」
母が父に。
「ああ、ビルが建つ前は見えたな」
「街の方は停電が酷かったんですねぇ」
「こちはあの程度だったがな」
「……ねぇ……杉会って……」
(まさか?)
――『杉会商事社長宅』――
「ほんとですか?」と言う母に「そう書いてある」と父は言った。
――落雷火災、四人の焼死体、身元確認中、爆発炎上のため詳細調査中――
夕方、ノブ兄がやって来た。夕べ行ったのかと聞くと、停電で車では近づけずカッパで歩いたと言った。
「そんなに消えなかったの?」
母が聞いた。
「ええ。一気に三階まで燃え上がったらしいので。後ろの杉の木と一体になった形で、とにかく風が巻いて、火の粉が凄くて」
「下手をすると、こっちが焼けるな」
「はい。火傷した人、結構」
そう言ってから「出遅れて近づけなかったのが幸いしました」と加えた。
それからノブ兄は記事より詳しく。ただ、正確には、落雷に遭ったのは木なのか建物なのかわからない、ということだった。話の中で、不思議なことを。
「二、三日前から、お手伝いさんが、敷地内で四つの茶色い玉を見ていたそうなんです」
「何それ、爆弾?」
「いや、近づくと見えなくなったって言ってるから、動くものじゃないか?」
「でも爆弾だって、操作されれば移動するかもしれないじゃない」
「どこで見てるの?」
母が聞いた。
「屋内か外かってことですか? 建物周辺の地面です。火事になる前に屋敷神様が知らせに来たんだなんて言う人もいるんですが。おじさん、聞いたことありますか?」
父は、はてな顔をした。
帰り際、ノブ兄が私に言った。
「明日とか明後日とか、空いてる日ある?」
「明後日なら」と言うと、今度は母に確認を取り午後二時を指定。この感じは……〝現場〟だっ。
部屋に戻ると
――ギィー――
ギィーが出て来た。
「あの子たち受け取った?」
「何それ?」と聞き返す前に、足元から鶏卵くらいの茶色の玉が四つギィーの方へ。そして消えた。
(そうだっ!ここでギィーが)
しかし……。
「食べないの?」
「この子たちは、食べるモノじゃないわよ」
そして、また隠れてしまった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
今回の現代編は残すところあと一話です。