【4】まちかど 2.来客
現代編の続きです。
翌晩やって来たノブ兄は、お茶を飲み始めると『モリヤサトナ』という名を出した。
「おじさん、聞いたことありますか?」
「はぁて……グラビアアイドルかな?」
言って母をチラリ。しかし当の母は、花林糖をつまむのに夢中。だいいち〝グラビア〟なる言葉を知っているのかどうかも。ノブ兄はノブ兄で「いそうですけどね。僕詳しくないんで」と言ってニヤニヤ。すると突然「モリは神社の杜かしら」と透視めいたことを母が。一瞬息を呑んだノブ兄は次の瞬間「そうです、そうです。おばさん知ってるんですか」と大当たりと言わんばかりの口調になった。
「ヤは屋根の屋よね。サトナは、聡明の聡に和よね」
母はサラリ。
「会ったことあるんですか?」
「いいえ。雑誌で見たの。変わった名前だったから。確か建築家よね」
ノブ兄は「はい、はい」と相槌を打った。
「その人がどうかしたのかい?」
父が割り込んだ。
「あ、はい。そうなんです。この方が、こちらの衷然寺をお訪ねしたいと言ってまして」
「本堂でも見たいのかい?」
「そうじゃなくて、おじさんに伺いたいことがあるのだと思います。この方、実は自称郷土史家だそうで、御自身のルーツがこの辺りらしいんですよ。それでだと思います」
「だけど、杜屋って隣の県に多い姓だがな」
「移ったってことなんでしょ」
母が言った。
「おじさん、会ってもらえませんか?」
「ああ、いいよ。ここ二、三日はいるから。それで都合が悪ければ、また言ってくれれば」
「ありがとうございます」
ノブ兄はやけに恐縮していた。翌日連絡があり、その翌日の午前中、ノブ兄の車でお客様は見えた。
杜屋さんは一見普通の方だった。しかし、今まで寺へ来た誰よりも、我が家に馴染まれる気がした。この勘は冴えていて、特に父とはすぐだった。私は給仕をしただけなので、何の話で二人が意気投合したかは知らない。だが、その後部屋から出てきた父は、見たこともない柔和な顔になっていた。昼食後本堂をご覧になり、杜屋さんは車に乗り込まれた。
その夜、ノブ兄からメッセージがきた。杜屋さんは大そう喜ばれたらしい。ノブ兄は終始あの場にいたので二人が打ち解けた理由を聞いた。が、一向にはきはきせず『足が痺れて辛かった』ばかりを絵文字で言ってきた。
翌朝、父のところへも杜屋さんから電話が来た。日程表を確認し父は受話器を。
「来週また見えるそうだ」
近くにいた私にそう言い、母のいる庭の方へ出て行った。
しばらくして、また電話が鳴った。出た母は保留にして別間の父に確認。「ではお待ちしております」と受話器を置いた。
父がやって来た。
「誰が連れて来るんだ?」
「岩瀬さんじゃないですか?」
「スギエは船井の後援会だろうが」
「ええ」
「用件は言わなかったのか?」
「ええ」
「まさか……なあ」
二人は目を合わせ、母は首を斜めに。後援会と言っているところを見ると〝岩瀬〟というのは県議さんだ。その人が〝スギエ〟さんという人を連れて来るらしい。
昼すぎ、白いワゴン車が着き、そこから総勢四名が降りた。母は私に台所から一歩も出るなと言って玄関へ。客人を案内すると父を呼び、お茶も自分で運んで行った。
ほどなく母が戻って来た。
「ああ、よかった」
名刺のはさまれた菓子折をテーブルに置きにっこり。
「助かっちゃったね」
明日あたり来客予定が入っているので、ちょうど良いお茶菓子を頂き喜んでいるのだとばかり。すると
「違うわよっ。縁談じゃないみたいだから。お父さん、スギエさん嫌いなの。ほんと良かったっ」
という事だった。
「スギエさんて誰?」
「駅前のGTB銀行向かいのスギエ商事社長よ」
〝駅前〟と聞き、あの看板たちが浮上。
「じゃあ、あとの三人は?」
「岩瀬さんと船井さんと社員の方」
客人が上がって三十分が経過。
「よく話してるね」
母はけげんな顔に。
「見に行った方が良いんじゃない?」
うなずくと、今度は冷茶を持って行き変わらぬ顔で戻って来た。
「ゴルフ場の話をしてるのよ」
「ゴルフ場?」
互いに見当もつかないので父を待つことに。結局客人はその後小一時間いた。
我が家では、父に対し聞きたい事ほど聞いてはいけない。それで二人して黙っていると「そこを買いたいそうだ」と顎を向けた。
「あの土地を、自社管理の霊園に。だそうだ」
母の顔が能面に。
「うちとの関係はないが、大きな寺の隣なら、供養にもなるだろうし、納骨や塔婆立ての際は読経のバイトを頼みたい。だとさ」
「あなたにバイトですか?」
「系列に当たってくれ。とさ」
「それだけの話?」
なわけない。
「うちに関係するのはこれだけだが、この辺一帯を総合開発したいらしい。空き地に霊園。その先にキャンプ場。北にゴルフ場。の予定らしい」
「どうするの?」
「レジャーがてらの墓参り、霊園付きのキャンプ場。言い分は多々あるだろうが、あの空き地は管理地だ。断った」
不機嫌になるでもなく言った。
夕方、出入りの業者さんが来ると「良かったらこれっ」と母はさっきの菓子折を処分。イスに座り込んだ。ところが
「こんばんは」
いつもの声に一転。献立を干物一品から味噌漬け肉と野菜のグリルへ変更した。
「あれっ? ジビエですか?」
「ええ。昨日杜屋さんに頂いたのよ」
二人の会話を余所に父は箸を。ジビエは好物だった。
「ああ、いい味だ」
ノブ兄も続いた。
「おいしいですね」
箸の進みを見た母は、二袋目も追加した。
ジビエの話から杜屋さんの話、しかし杉会商事の話は出て来ない。父にとってはさしたることでもなかったということか。母は忘れているのか、言い出したいが言えずにいるかのどちらかだ。でも、あの様子では……。私は期待しながらその時を待った。
「ねぇ、ノブちゃん」
二杯目のお茶を注ぎながら母が話しかけた時(来た――っ)と。次は「今日ね」だ!
ところが――。
「お返しは何がいいかしらね」
「そうですね……イツワ堂の七嘉餅なんかどうですか?」
飛んだ会話が交わされた。
「いいんじゃないか。本人も酒より団子と言ってたし」
「まあ。それじゃあ、いつ買いに行こうかしら」
「イツワ堂なら行って来ますよ。よく母に頼まれて行きますから」
「あら。じゃあ、この子と一緒に行ってやって」
成り行きで、七嘉餅を買いに行かされることに……。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
現代編はあと三話続きます。