【古記 その二 美致姫 二】 [一 葬事(ほうむりごと)]
ここからはまた二話連続で過去編になります。
〈九歳後 美致姫二十四 慈懐十九 慈養四十七〉
「親王様。一昨年来、先帝様、先中宮様、茅大臣、加えて此度は治君様と御隠れ続き。何やら騒々しゅうはござりませぬか」
「父君母君大臣は御歳と言えば御歳故。されど治君は我と同じ。心の臓の俄か病と薬師は申ししと姫は言うたが……」
「もしや、ということも」
「なれど、治の君を除きて何といたす」
「わかりませぬが、其でももしやと言うことも」
「明日は七日。会うて様見いたそう」
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「姫」
「御兄君様が御面を見ると、落ち着きまする」
「なれば、飽くる程に本寺にて過ごさばよろしかろう」
「なれど、館を預かる身となりては、勝手はできませぬ」
「亡き君が館へ移りしか」
「二日前に。御一族が方にとて、整えに入りましてござりまする」
「誰ぞ宛でも在りしかや」
「御義兄君、温君殿が二の君にと。治君殿が望みおられし故」
「ほぅ……」
「其故、明朝も早うに御暇を」
「一日かや」
「はい」
「なれば此より慈懐を。行明け故本日は裏に居る。久方ぶりであろう」
「……」
「せめて気心知れし者と宵までゆるりと過越されよ」
「……はい」
** ** **
「普関。朝右衛に、姫に知られず参れと申せ」
「かしこまりましてござりまする」
〈翌日〉
「親王様。朝右衛殿を彼方に」
「普関。そなたは此方にて」
「かしこまりましてござりまする」
「朝右衛。姫は我には素直故、憂き事あらば面に映る。治君崩御の故とても彼の様は無い。何がありた」
「……」
「朝右衛。そなたを姫につけしは我ぞ」
「……御文が……参るのでござりまする」
「……何時からじゃ」
「御父君様御崩御が折からにござりまする」
「弔意の文か」
「始まりは。なれど只今は」
「美致姫は何と」
「姫宮様は幼き頃より存じられおられますれば」
「何と言いておる」
「……短慮にして質甚だしと」
「質甚だし」
「其故、当たらず障らずの御返しをなさられておられまする」
「何故伝えなんだ」
「御許し下さりませっ」
「姫が口止め故か」
「御許しくださりませっ。二の君様は何処ぞで姫宮様が御姿を。以来大そうな御執心と。我らがうかつにござりましたっ」
「……」
「姫宮様は『内を去りし者故』と御返事を。なれど……『ならば、先帝様より御受領の離宮を中宮殿といたせ』と」
「……」
「姫宮様は……。只今己が元で本寺と表が不和となりなば、利するは仇館のみと仰せられ……。なれど我去りなば、利は御兄君にありとて……。尊き御覚悟を……」
「自害の責を負わせ退位させよとか……」
「……ぅ。ぅぅ…」
「本寺より遠退くは、心積もりの現れか」
「……御一人の御覚悟と、皆に……と……ぅぅ」
「弱りた孝行者じゃ……。朝右衛。気病の噂を流せ。其が後中将が元に密かに身を寄せよ。館の者へは先帝縁の里へと申せ。時を稼ぎ治君が初法要にて髪を。最早俗世には置けぬっ」
「喜致様……」
「其が折は、そなたも髪を」
「心得てござりまする。此が朝右衛以下九名、世の果てまでもお付きいたしまする」
「なれば、戻りて姫に伝えよ。そなたが兄は先帝より姫宮を託されし者。勝手はならずと」
「……有難き仰せ……。かしこまりましてござりまする」
** ** **
「普関。そなたが言にて大事には至らずじゃ。女人は侮れぬっ。朝右衛との文を絶やすな」
「かしこまりましてござりまする」
「……二の君は幾つじゃ」
「姫宮様とは九つ違い故御歳十五かと」
「見境いはあらぬのか」
「姫宮様は御格別。二の君様は限り知らずの御育ち故、歯止めはござりますまい」
「なれば姫が退くまでのことよ」
〈六月後〉
――スススス、スススス――
「如何がいたした」
「中将殿より」
「中将とな」
――カサ、カサ、パラパラ、パラパラ――
「然様なことが……」
「何事に」
「此を見よっ」
――パラパラ、パラパラ――
「六月……」
「親王様、最慶事にっ」
「ありえぬっ。ありえぬことじゃっ。なれど六月ともなれば誤りではなかろう」
「御本流を継ぎし御方が……。今暫くで……。夢の如くにござりまするっ」
「忘れ形見とは正に此がこと。なれど、姫なれば“美致”が二の舞。男なれば“喜致”が二の舞。否、またも縹にっ」
「親王様っ。此度こそ。必ずや、我らが御護りいたしまするっ」
「深姫殿が例もあり。出来うる限りの手を尽くし存命させん」
「普関。そなたに後見を」
「……親王様。有難き御役なれど、普関は親王様が護役にて、和子様までは」
「なれど、そなたは確か深朝の一つ上」
「されど、早、四十を越えましてござりまする」
「なあに、あと三、四十」
「無念なれど、其までは至れますまい」
「ならば、誰に……」
「お預かりいたしておりまする慈懐に。普関より二十の上若うござりますれば、御役に立てましょう。只今は末寺を任せらるる程になりておりまする」
「なれば。慈懐を、中将が一の姫、東条が子として本日より直弟子と。代わりに重会と真会をそなたが下に。我が後はそなた。次に慈懐をと思うておりたが……。なれば普関。そなた慈懐が後見を」
「其なれば幾らかは御役に立てましょう」
「承和。ゆるりゆるりと今生を過ごし、我が元に参れよ」
「喜致様……。御仰せなれど此ばかりは天命にて。なれど、限りまで務めまするっ」
〈於奥院〉
「御門跡様。御呼びにござりまするか」
「此方へ参れ」
――ササササ――
「慈懐。此よりそなたを内弟子となす」
「……御門跡様。其は……」
「此に座れということじゃ。そなたは中将が一門。普関が推挙もある故、我が教えをしかと修め、憶することなく皆を束ねよっ」
「かしこまりましてござりまする。此が慈懐、終生精進いたしまする」
「上上じゃ」
〈三月後〉
――スススス、スススス――
「親王様、只今朝右衛殿より知らせが」
「生まれしか」
「今しがたと」
「姫は無事か。どちらじゃ」
「他には何もござりません」
「何」
「早う御行きなされませ」
「若君、お久しゅうござりまする」
「中将此度は世話になりた。して……」
「御無事にござりまする」
「姫……」
「御兄君様……」
「そなたが母君は難産と聞きし故案じたが。……共に無事にて何よりじゃっ」
「御兄君様……」
「和子は」
「どうか、本寺に」
「男か」
「はい」
「賢きそなたが達て産みし和子じゃ。此が身を代にしてでも護ろうぞっ」
「有難きことにござりまする……」
「ところで姫……。、憂いは病が元。和子が為にも、晴らされよ」
「……」
「我との間に“秘め事は無し”じゃ」
「……七日にてお訪ねいたせし折に……。今生の別れにと……。御許しくださりませっ。筋分かれいたそうなどとは……」
「……」
「姫が願いし事なれば、何卒御内弟子がままにて御兄君様が御胸のみに」
「……そなたが真を……伝えぬと」
「御精進が御役の御方なれば」
「……わかりた」
「……和子を。御抱きくださりまするか」
――ズズズズズズ――
「……赤児とは、よう言うたものよのう。若き日、三月のそなたを初めて抱きた。母君が御連れになられて。彼の折のそなたは、今少し赤み外れにて……。見かけより重うて驚きたわ。よう乳を飲み、未だ御床の母君が横でよう眠ると、我が母君が目を細められおられた。彼の姫宮が母君に……」
「……姫宮では……ござりませぬ……」
「何」
「……姫宮では……」
「気を確かといたせっ。そなたは母君こそ違え此が慈養と同じ御父君の――」
「秘め事は無しと」
――ジャリン――
「……」
「姫の、御父君様と御母君様の、繋ぎ鈴にござりまする」
「……」
「此方は……御兄君様がものに……」
「……中将か……」
「……中宮様に。……七つの節句が折に……」
「……」
「……」
「……彼の折。……そなたが母も……今生が末日と……。我らも、筋分かれなど……思いもよらずでありた。なれど……我が父君はそなたを姫宮と。其故、我は、大御心に従わんと務めて参りた。其を……。母君がとか……」
「……御母君様の……『御胸の御鈴に御手を当てられ儚くなられし御最期を、御伝えいたすが姫がつとめ』と仰せに……」
「……我と深朝が和子は、其が命絶たるるが定故、葬事でありた。……なれど……。姫よ。此が対鈴は、永久の契りを結びて我が深朝に預けしもの。我が“喜致”故、そなたを“美致”と。名付けられしは母君じゃ」
「……」
「我が短慮故、深朝にもそなたにも心労を……。許せっ」
「御父君様、否にっ。美致は唯……。美致は唯……ぅぅっ」
「……美致姫……」
「御父君様。和子に御名付けを願いとう」
「……和子を誰に似しと見ゆるや」
「中将は『御兄君様写し』と」
「御兄君……」
「御父君様がことには」
「我には……我が兄君と見えし」
「祥致様に」
「知りしか。またも母君か」
「はい」
「……兄君が御名をいただきたきなれど……。『止めよ』と仰せられよう……」
「御父君様が御名では」
「我が名は……」
「御母君様は『喜致故美致』と。 なれば美致故……」
「『喜致』とな……」
「はい」
「……そなたが望みとあらば……。和子よ。只今よりそなたは“喜致”じゃ。我より高位の『喜致様』じゃ」
「御父君様、何を仰せに」
「そなたが母君は我を終生『親王様』と呼びしが、其が実、我は弟君筋。帝血が順にては我より『深朝姫様』と呼び申す姫でありた。そなたとて同じよ」
「……」
「そなたこそが御本流。『美致姫様』じゃ」
「御止しくださりませ。娘にござりまする」
「ハハハ。なれど此は真事ぞ。我が腕の喜致こそ、皆が待ち望みし本流が若君よ。真の『喜致様』じゃ。……言えぬがのう」
「御父君様……」
「内裏外れしとても、喜致は必ずや一族が束ねとなろう。……護りきろうぞっ」
「……有り難きことにござりまする……うっぅぅ」
「よう眠りておるのう」
「先によう飲みし故」
「乳母は」
「東条が末娘清月に」
「中将が孫娘が、我が孫が乳母とか」
「はい。主の殿は御祖父君、茅大臣が妹君筋と」
「なれば、喜致が乳兄弟は茅筋。宇世とも縁続き。何とも妙よのう」
「はい」
「慈懐も東条が子となりおる故、清月とは兄妹じゃ」
「……」
「美致。喜致は寛養が孫とて慈懐が里に」
「……」
「六歳辺りで本寺へ。其が折は揃いて迎えようぞ」
「有り難きことにござりまする」
「美致。名乗り合えぬは辛きこと。なれど、知り得ぬは其が上」
「……」
「誠、和子がことを伝えぬか。仕え護らせるとか、父君に」
「……知らば遠慮が生じましょう。知らねば……存分に守護できましょう。『御役故本寺に参りし』初めて会うた折然様に……。“御役”とは、帝血が守護。其を美致は守りとう……」
「喜致を、恩知らずの不孝者と成すとか」
「……」
「姫。普関は、寛養が師寛然と当時の内弟子寛養が、生まれ来る本流が学師にとて一族より選び抜きたる俊才。慈懐は、其が普関が手塩にかけし直弟子。加えて我が内弟子じゃ。本流が父君に不足なし。されど伝えぬか」
「御父君様。誠嬉しき御言葉。……されど、我らは許嫁にあらず。増して別れが初めにござりますれば。……御役に割り入りしは此が美致。和子は我より生ぜし者。憐れなれど母の至らずを負うてもらう他は……。なれど……恩知らず故に父君が御役全うできまするなれば……和子は孝行者に。然様思いとう……」
「美致……」
「御許しくださりませっ」
「……よう似しことよ。……まあ良い。只今は若輩なれど、慈懐が後見は普関。いづれは太き門跡となろう。皆で仲良う過ごさば……」
「……御父君様……。美致は果報者。御父君様、御学師様、慈懐殿が元、和子と居れまするは至福に……うぅ」
「我が父君、母君は、残りし我に終生限りなき大御心を……。此よりは我も誰憚ることなく……」
「……もったいのう……ううっう」
「……御父君様。今一つ美致が勝手を御許し願いとう」
「今一つ」
「此が御鈴を喜致に……。浮き心にての和子には非ずが証に」
「わかりた。されば、三月後の法要が折に。皆に混じりて清月も参らせよう。其が折そなたが手にて」
「……御父君様……」
「六歳など直ぐ経とう」「……ううっう……」
** ** **
「中将、今宵一夜、和子と共に」
「かしこまりましてござりまする。若君。勝手ながら乳母は東条が末娘、清月に」
「本寺に置く身故、短き間なれどよろしゅう頼むと伝えおりてくれ」
「かしこまりましてござりまする」
「和子の名は“喜致”じゃ。……中将……美致は繋ぎ鈴が理由を知りておりたわ」
「一体……柚子里殿にござりましょうや」
「我が母君じゃ。七つの節句の折にと」
「……なれば、姫様は只今まで……」
「知りて、我を『御兄君様』と呼んでおりたのよ」
「何と御辛抱の良き――」
「見目もよう似て参りしが……質まで深朝似とはのう」
「若君。誠に姫様が御髪を落とされまするのか」
「其が無事であろう」
「なれば、あと三月で」
「……」
「迷うておられまするのか」
「否。なれど、深朝がおらばと」
「……御存命なれば、降嫁でのうて御落髪を、彼の折推されしことにござりましょう」
「中将……。そなたが結びし紅糸を千切りし折。父君御退位とならば深朝を本寺に受けぬと……」
「若君っ……」
「其が折は、必ず分け持たぬと契りて我が鈴を」
「なればっ……。誠なれば、只今は御揃われ本寺に……」
「なれど。其なれば、喜致はおらぬわ……」
「若君。此度が事で中将は、不可思議な思いをいたしておりまする。お隠れになられし深朝様が、御本血を紡がれておられるような」
「深朝が。何故に」
「わかりませぬ。なれど、帝血の御本流が今生に存するを望まれ、生み元の深朝様が御守護なさりておられるような」
「……喜致は茅との縁深し。深朝がのう……」
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「慈懐。そなたが里に乳母付きの赤児を預けたし」
「御師匠様。心得ましてござりまする」
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