100倍返しにしてやります
冷たい雨が降り注ぐ中、公爵令嬢のエリスは貴族たちの注目を一身に集め、震えながら立っていた。青みがかった黒髪を持つ、透き通るような白い肌の美しい公爵令嬢で、気品と知性に満ちていた。
そんな彼女の前に、婚約者であった王子、エドワードが無情な宣告をするため立っていた。
「エリス、お前との婚約は本日をもって破棄する。お前は、貴族の誇りを傷つけた、恥知らずの存在だ。」
彼の声は冷たく、まるで氷のようだった。エドワード王子は、金色の髪と涼やかな緑の瞳を持つ美丈夫で、王国中の貴族令嬢たちから憧れの的だったが、彼は計算高く、誰よりも「王子」としての立場に強い自負を持ち、その地位を利用して貴族社会での影響力を強固にするためにエリスを利用しているに過ぎなかった。彼女を見下す眼差しには、かつての優しさの欠片も残っていない。周囲には王宮の侍女や貴族たちが集まり、ざわめきながらエリスを蔑むような視線を向けている。彼女の婚約破棄は、まるで見世物のように囃し立てられていた。
隣で不敵な笑みを浮かべていたのは、王子の新しい恋人であり、エリスを陥れた張本人である貴族の令嬢セシリアだった。
セシリアは、豊かな栗色の巻き髪と大きな瞳を持ち、一見して愛らしい雰囲気を纏っていた。
「まぁ、エリス。あなたには分不相応だったのよ。王子に選ばれたのは私なのだから、潔く身を引くことね。」
エリスは何も言えず、ただ冷たい雨に打たれながら、彼女の胸には静かな怒りが芽生えていた。信頼していた人々に裏切られ、婚約破棄という屈辱を味わされてもなお、彼女の瞳には消えない炎が宿っている。
(忘れないで、セシリア。エドワード。そして私を見下す全ての者たち。私は、必ずこの屈辱を100倍にして返すわ――。)
雨音が静かに響く中で、エリスの決意は、鋭く、強く、冷たい刃へと変わりつつあった。
数日後、エリスの噂は瞬く間に王都中に広まっていた。王子に見放された哀れな貴族の娘として、かつて彼女の周囲を囲っていた友人たちも、今では彼女から距離を置き、口々に軽蔑の言葉を浴びせていた。
だが、エリスはその侮蔑の視線や囁き声にも屈せず、静かにその日を待ち続けていた。
* * *
数日が過ぎ、エリスは冷静に動き始めた。裏切られた悔しさと、侮辱の記憶を力に変え、彼女は一つ一つ証拠を掴むべく動いていた。王宮の噂や貴族たちの会話に耳を傾け、さらに王子エドワードの財政記録に目をつけることにした。
幸いにも、彼女は婚約破棄をされても、表向きの地位と名誉を失っていただけで、貴族としての立場そのものは剥奪されていなかった。そのため、王宮への出入りが完全に禁じられたわけではなく、慎重に動けば十分に調査を進められる状況にあった。
夜な夜な、エリスは王宮の図書室や資料室へ忍び込み、静寂の中で帳簿や取引の記録を確認する日々を送っていた。彼女は一つでも多くの証拠を手に入れるため、王宮の資料や貴族たちの会話に耳を傾け、宴会でのさりげない一言さえも見逃さないよう注意深く情報を集めていた。
エリスが見つけたエドワードの財政支出には、一般の者には決して知ることのない不審な動きが記されていた。表向きには「貴族たちの支援」や「公共事業」として取り繕われていたが、実際には彼の権力を強化するための資金が巧妙に隠され、私的な目的に使われていた。豪華な舞踏会や宴会の支出には異常に高額な費用が記載され、実際にはエドワードが自らの評判を高めるため、貴族たちへの贈り物や買収資金に充てられていたのである。
さらに、エリスが調査を進めるうちに、驚愕の事実が明らかとなった。エドワードは国家予算からの資金も横領し、私的な目的のために流用していたのだ。本来、国民のために使われるべき公共の資金が、彼の権力を強固にするための裏金や贅沢な宴会の費用として消えていた。
さらに、エリスはエドワードの親しい貴族令嬢セシリアの家への資金の流れを発見した。
公式には「彼女の家の再建援助」とされていたが、その額は再建の範疇を遥かに超える莫大なものであり、実際には彼女との関係を維持し、エドワードにとって都合の良い状況を作り出すためのものであった。
エリスはその横領の詳細な証拠を入手し、国家予算がどのように操作され、彼の欲望のために利用されていたかを突き止めた。表向きには「公共事業」や「貴族たちの福祉支援」として報告されていた支出も、実際にはエドワードとその取り巻きたちが私腹を肥やすために使われていた。王子としての名声を高めるために贈り物や買収金に変えられ、彼は貴族たちの支持を買い、権力基盤を強固にする陰謀を巡らせていたのだった。
エリスは、エドワードとセシリアが背後で隠し続けてきた闇を暴く決意を固めていた。このまま屈辱にまみれたままで終わるわけにはいかない。彼女は冷静に、慎重に、そして着実に復讐の準備を進めていった。手に入れた証拠は十分であり、彼女の計画は着々と形を成しつつあった。
ある日、エリスは密かに信用できる貴族数名に接触し、彼らに証拠の一部を見せた。貴族達は最初、エリスの存在に抵抗感を覚えたものの、エドワードの財政支出を見るや否や驚いていた。
「な、なんだこれは!!」
「こんなことが本当に行われていたというのか……。国家予算をこんなにも私利私欲のために横領していただなんて……!」
彼らは一様に顔を青ざめ、エドワードが王家の資金を不正に使い、自らの権力強化に利用していた事実に怒りと恐怖を覚えていた。これが明るみに出れば、王国全体に影響を与える大スキャンダルに発展するのは避けられない。エリスが持ってきた証拠は、単なる疑惑ではなく、詳細な記録とともに綿密に裏付けられたものであった。
一人の貴族がエリスに視線を向け、息を呑みながら問う。
「エリス嬢……君は、エドワードの腹いせにやったのだろう?これをどうするつもりだ?」
エリスは微笑み、冷ややかな声で答えた。
「ええ、調査し始めたきっかけはどうであれ、不正は不正です。どんな理由があろうとも、国家の資金を私利私欲のために横領することは許されません。」
エリスの言葉には、揺るぎない意志が込められていた。貴族たちは彼女の決意に圧倒され、改めてエドワードの行為が許しがたいものであることを再確認した。彼らはこれまで、エドワードの権威の前に疑念を抱きながらも黙認してきたが、エリスが提示した証拠の前では、もはや見て見ぬふりをすることはできなかった。
「そうだ……どれだけの権力者であっても、法を犯してはいけない。我々もまた、この不正を見過ごしてはならない」
その瞬間、長らく沈黙を守っていた貴族たちの間にも、一人また一人と賛同の声が上がり始めた。彼らはエリスが提示した証拠の重さに圧倒され、自らが黙認してきた過ちを悔いるかのように、彼女に協力する決意を固めていった。
「貴方がここまでの行動を起こさなければ、我々も同じ過ちを繰り返していたかもしれない……。これ以上、王国を腐らせるわけにはいかない」
老齢の貴族がそう呟くと、彼の隣にいた若き貴族もまた、大きく頷いた。
「今こそ、我々が立ち上がる時だ。エドワード殿が犯した不正を許すわけにはいかない」
エリスはその場の空気が変わったのを感じ、密かに胸の奥で微笑んだ。自分一人では果たせなかった復讐が、今や貴族たちの手によって動き出そうとしていたのだ。
* * *
建国記念日の舞踏会の夜。豪華な装飾が施された王宮の大広間には、貴族たちが華やかな衣装をまとい、音楽と共に舞い踊っていた。
そしてその中央に、今宵の主役とも言える国王が威厳に満ちた姿で現れた。彼の隣にはエドワードが誇らしげに立っていた。
国王が壇上に立ち、集まった人々に向けて声を上げる。
「本日、この建国記念日に際し、我が王国が一層の繁栄を迎えることを祈念し、乾杯を捧げよう!」
王は、その政治的手腕や民衆への思いやりから「賢王」として広く知られていた。王国の発展と安定を優先し、法と正義を重んじる統治者であり、臣下や貴族たちからも深い信頼を寄せられていた。彼の治世は平穏で、多くの民が繁栄を享受している。
しかし、王には少しばかり「父親」としてエドワードに対して甘い一面もあった。
王には多くの子どもがいたが、ほとんどが女子であり、男子はエドワードしかいなかった。その中で彼は、王家の正統な後継者として大切に育てられた。
そのため、王は息子に厳しく接するべき場面でも、つい流されてしまい、多少の過ちには目をつぶってしまうことがあったのだ。
父親としての愛情からエドワードに甘くなってしまう姿勢が、王国におけるエドワードの地位を強固なものにし、彼に無意識に特権意識を与えていた。
これが結果として、エドワードの傲慢さや不正の温床にも繋がり、彼が傲慢になる要因の一つとなっていた。
豪華なシャンデリアの光が、大広間を舞う貴族たちの姿を華やかに照らしていた。音楽が優雅に流れ、貴族たちは美しい衣装を纏い、楽しげに笑い合いながら踊りの輪を広げていた。王子エドワードもまた、数人の貴族令嬢と楽しそうに言葉を交わし、時折彼女たちをエスコートして踊りに誘っていた。
王は壇上から、満足げな表情でその様子を見守り、貴族たちも皆、和やかな祝宴を心から楽しんでいるようだった。
しかしそのとき、エリスが大広間に姿を現した。華やかなドレス姿ながらも、その表情は固まっていた 。彼女の姿に一瞬、大広間の空気が凍りついた。エリスは静かに前へ進み、貴族たちの注目を一身に集めると、堂々とした声で言い放った。
「皆様、お静かに。この場で公にすべきことがあります。」
王が驚いた表情を浮かべ、エドワードが不快そうに顔をしかめたが、エリスは意に介さず続けた。彼女はエドワードの不正を示す証拠の一部を手に取り、舞踏会の席上で読み上げた。
「ここに、王子エドワード殿が国家予算から横領した証拠がございます。これには、王室や貴族たちへの贈り物、買収金が含まれており、本来民衆のために使われるべき資金が私利私欲のために流用されていたのです。」
エリスが次々と読み上げる証拠に、貴族たちは騒然とし始めた。エドワードは狼狽し、声を荒らげた。
「馬鹿な!そんなことがあるはずがない!これは偽りの証拠だ!」
エリスは事前に協力を取り付けていた貴族たちにも目配せし、彼らも一斉に証拠を手に取り、周囲に示し始めた。次々と明らかにされる不正の詳細に、王も驚愕し、エドワードに視線を向ける。
王の目に宿る失望の色に、エドワードの顔色は蒼白に変わっていった。
「エドワード……これは、事実なのか?」
父のその一言に、エドワードはついに言葉を失った。彼は激しく動揺しながらも、必死に弁解しようとしたが、既に時は遅かった。
「な、何よ!エドワードがそんな事をやっていたとでもいうの!?」
セシリアは動揺していたが、白々しい態度を貫こうとしていた。
「誤魔化しても無駄よ、セシリア。」
エリスは冷然とした表情でセシリアを見据え、次々と証拠を読み上げた。その書類には、エドワードを通してセシリアも横領を行っていた詳細が克明に記されていた。エドワードからセシリアの家への「再建援助」と称された資金は、実際には彼女の私的な目的や貴族たちへの賄賂に使われており、表向きの理由は完全な偽装であった
セシリアは声を震わせながらも強がった。
「私がそんなことをするはずがないわ!これはエリスの陰謀よ!そう、貴方は婚約者を奪われたから私を貶めようとしているに違いないわ!」
「黙れ、セシリア。」
王は冷たい声で言い放ち、厳しい視線を彼女に向けた。大広間に集まった貴族たちは、王の威厳に満ちた一言に息を呑み、静まり返った。セシリアもその一言に圧倒され、強がりの態度が崩れていくのがわかった。
「これだけの証拠がそろっている今、もはや誰もお前の言い訳を信じはしない。貴族としての責務を忘れ、国家の資金を私物化し、裏切る行為など許される訳がない。」
セシリアは顔を青ざめさせながら、震える声で言い返そうとしたが、王の厳しい眼差しに言葉を失った。エリスはその様子を冷静に見つめながら、証拠の書類を王に差し出した。書類には、エドワードを通じて横領された資金の使途や、セシリアが賄賂を通じて王宮内での影響力を強めていたことが詳細に記されていた。
王は書類を確認し、失望に満ちたため息をついた。
「エドワード、セシリア、お前たちの行いは王国と民に対する裏切りだ。この罪は重く裁かれなければならない。お前たちは直ちに王宮を去り、然るべき法の裁きを受ける」
「しかしお父様……」
エドワードが口を開きかけたその瞬間、王は鋭く怒声を放った。
「黙らんか!!!!」
その一言は大広間全体に響き渡り、貴族たちの間に再び静寂が訪れた。エドワードはその声に凍りつき、動揺した表情で王を見つめ返した。王の顔には、父親としての温情は一切なく、一国の君主としての厳しさと深い失望が浮かんでいた。
「エドワード、其方を息子だとは思わぬ。」
王の一言に、エドワードの顔は絶望で歪んだ。その場にいた貴族たちも息を呑み、王の深い失望と怒りが感じられる言葉に打ち震えていた。王はエドワードを鋭く見据え、続けて言った。
「お前がこの王国にもたらした恥と損害は計り知れない。王族としての誇りも責任も忘れ、自らの欲望に走ったその行いを、父としても、王としても赦すことはできぬ」
王は一瞬の間を置き、深く息をついてから再び厳かに告げた。
「エドワード、今この瞬間をもって、其方は王族の地位を剥奪する。そして然るべき法の裁きを受けるがよい。それが、己の行いに対する報いだ」
エドワードとセシリアは、護衛に腕を掴まれ、無情にも引き立てられていった。
「お父様!どうかお赦しを……!」
エドワードは何とか王に縋ろうと手を伸ばしたが、王は彼に慈悲を与えることはなかった。
一方、セシリアも必死に抗おうとしたが、護衛の厳しい手に抗えず、無様にも泣き崩れた。
「違うのよ!私はただ……エドワードに従っていただけなの!私を巻き込まないで!」
だが、彼女の言い訳に耳を傾ける者は誰一人いなかった。貴族たちも、冷ややかな視線で彼女を見下ろし、哀れみの欠片すら見せなかった。
大広間を後にする二人の姿が見えなくなると、貴族たちは次々とエリスに敬意を表し、彼女の正義を称えるささやかな拍手が広がった。
王が壇上から降り、エリスの前に立った。
「そなたが示した勇気と正義感は、王国にとって何ものにも代えがたいものである。私は君主として、この国の未来のために謝意を表しよう。」
「恐れ多いお言葉、誠に感謝いたします。私は、ただ自身の誇りと正義を守りたかっただけです。」
「それでも、そなたの行動がなければ、この王国は腐敗の中で苦しみ続けていただろう。そなたの誇りと正義の心に、私も深い敬意を抱いている。」
エリスは深く礼をし、王宮の外へと歩み出した。背後には、拍手と尊敬の眼差しがあったが、エリスは振り返らず、凛とした足取りでその場を後にした。
冷たい雨に打たれたあの日、彼女が心に刻んだ「100倍返し」の決意は見事に果たされたのだった。