2.悪魔と契約
翔ちゃんのことを見つけたい一心で、つい話に乗ってしまったけれど、実際そんなふざけた話があるわけがない。本気にしたところで笑われるのがオチ……そう思っていたのだが。
「あ、マジで? なる? 悪魔」
「え?」
笑うどころか、ノリノリで近づいてくる。しかも近づき方にどこか違和感があって、よくよく青年のことを見ると、足が地面に着いていないことに気がつく。そう……浮いているのだ。
(手品かなにか……だよね?)
そう思いたかったけれど──
真っ黒なフードから時折のぞく金色の髪に、吸い込まれそうなほどの綺麗なエメラルドグリーンの瞳。空中でフワフワしながら胡座をかくその青年が、同じ人間とはとても思えなくて、自分でも馬鹿だと思いながらその言葉を口にする。
「あなたは悪魔なの?」
「そうだよ」
さも当然というように答える。
「悪魔って羽とか角とか生えてるんじゃないの?」
昔読んだ絵本には、背中には黒い翼が生えていて、大きくて禍々しい角を携えている絵が描かれていた。
「まぁね。この指輪で魔力を押さえ込んでるって感じかな」
そう言いながら自身の指にはめている指輪を見せてきた。
「指輪を外すと魔力がすんごい開放されちゃうから、ここでは外せないんだ。だけど……」
「え?」
「指輪の魔力で羽がなくても空ぐらいは飛べるよ」
と、青年は私の周りをぐるりと1周飛んで見せた。さすがに手品とはもういえない。
目の前の青年は、本当に悪魔なのだ。
だとしたら──ねがいごとを本当に叶えられる?
「で、どうする? 悪魔になるの? ならないの?」
正直にいって、翔ちゃんがいない世界には未練がない。
翔ちゃんの手がかりは1年前と変わらず指輪だけ。私ひとりこのまま捜しても、見つけられる可能性は低いだろう。
「わかった。悪魔になる」
「おっけー。じゃあ気が変わらないうちにさっさと契約しないとね」
(気が変わらないうち?)
悪魔の言葉に少し違和感を覚えたが、確かめる間もなく。
「君の名前を教えてよ」
「名前? 結、だけど」
「الدائرة السحرية《魔法陣》」
耳慣れない言語で、なにか呪文のようなものを唱えると、私の足元にいわゆる魔方陣が現れた。
(おぉ、なんか契約っぽい!)
「أداء الطقوس الشيطانية باسم RUI《RUIの名の下に悪魔の儀式を実行する》」
「نقش اسم العميل على الخاتم《指輪に契約者の名を刻む》」
「اسم المقاول هو YUI《契約者の名はYUI》」
最初は淡くぼんやりと光っていた魔法陣が、点滅をするたびに光が強まっていく。かろうじて自分の名前が聞き取れたと思ったら、突然目映い光に包まれた。とてもじゃないが目が開けられない。
「結、もういいよ」
悪魔にそう声をかけられた時には眩しさを感じなくなっていて、そっと目を開ける。
(私、悪魔になったの?)
手足は特になにも変わってなさそう。身体を左右に捻ってみても、バサつかないから羽根も生えていないみたいだ。頭部に角のようなものもない。
(ん?)
指に違和感があり視線を落とすと、悪魔が見せてくれた指輪と同じものが着けられていた。
(よく見ると、色が違う)
悪魔は銀色だったし、私のは銅色のようだ。
「それが悪魔になった証な」
正直、悪魔になった実感は全くないのだが、悪魔がそう言うのなら本当に悪魔になったのだろう。
「じゃあ、行くか」
「……どこに?」
「悪魔社会」
「悪魔社会?」
聞きなれない言葉が出てきて、首を傾げる。
「البوابة بين《狭間の門》」
悪魔がまた呪文のようなものを唱えると、目の前に黒くて頑丈そうな扉が現れた。
「簡単に言えば、俺たちの住処」
悪魔がそう口にしながら、ギギーっと鈍い音をたてて扉を開ける。向こう側は紫色のモヤで何も見えない。
「ほら」
悪魔に差し伸べられた手をそっと掴む。
ここから先は未知の世界。
いったい、悪魔社会とはどんなところなのだろう。
翔ちゃんがいなくなってから、楽しいなんて思えたことなかった。
だけど──ほんの少しワクワクする自分がいた。