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死神

作者: 白烏

「死神さん、どうか足元にお気をつけください」


 夕闇漂う森の中、前を歩く旅人がこちらを振り返りながら言った。彼の瞳に浮かぶ光は、不安と恐怖で揺れている。


 死神と呼ばれた男は鼻で笑った。「おれは目が利くから問題ない。――それよりお前は自分を心配したらどうだ?」


 ひっ、と旅人は短く小さな悲鳴を漏らしながら、ふたたび前を向いた。


 男と旅人は道なき道を進み、倒木を越え、(やぶ)をかき分けたりしながらとある目的地を目指していた。が、思っていたよりも時間がかかっており、空にはすでに夜の気配が滲みはじめている。


「本当に宝はあるんだろうな?」と男が焦れたように確認した。


「ええ、地図によれば、この森を抜けた先にあるようです……」


「もし、宝がなければお前の命はないと思え」


 男は旅人の背後を歩きながら、その手に大鎌を握りしめていた。旅人が怪しい動きを見せた途端に、いつでも彼の首をはね飛ばす用意ができているのだ。


 男は盗賊だった。人々から金品を奪い、それを利用して生活していた。もし、強奪の際に相手が抵抗するようなら、容赦なく命まで奪ってやった。そして、殺人を繰り返すうちに、黒いフード付きのローブに大鎌という風貌も相まって、男はいつしか「死神」と呼ばれるようになっていた。彼はその渾名(あだな)を大変気に入り、名乗るときもそれを自ら披露するほどだった。


 目の前の旅人は、まさに男にとっての獲物だった。彼らの様子を傍から見れば、さも旅人に死神が取り憑いているかのような印象を受けるだろし、少なくとも男はそのつもりだった。


 男はすでに旅人から金品を巻き上げていた。その際に、旅人は宝のありかの載っている地図を持っていて、男はそれを幸運と見るや、旅人に案内しろと脅しかけた。宝の地図は少し複雑で、男には上手く読みとれなかったため案内役が必要だった。


「宝というものは、一体どういうものなんだ?」


 森へ出発する前に男は、旅人に尋ねた。


「どうやら、巨大な黄金と、星々のように美しい宝石が無数にあるようです」


 旅人は恐怖に耐えるように言葉を吐き出した。男は彼の話をきいて(にわ)かに心を弾ませた。それだけの宝があれば、贅沢な日々を一生続けられるかもしれない!


「よし、その場所までおれを案内したら、お前を解放してやる」


 と、男は言ったがこれは嘘だった。宝を発見でき次第、旅人を殺すつもりだった。そうすることで、全ての宝を独り占めにできると考えたからだ。


「出発するぞ」と男は言った。


 かくして、男と旅人は森の中を歩いていた。


 今や太陽は完全に沈み、夜の帳が下りていたが不思議とあたりは明るく、視界はかろうじて保たれていた。旅人は、この世に己と地図しか存在していないかのように、熱心に地図とにらめっこしては先へ進んだ。彼のあとを()()である男がついていく。


 やがて、旅人と男は森が途切れた場所へ出た。そこは先細りになっている崖だった。


 ここだ、と旅人は地図から顔を上げたあと、ひとり呟いた。


 男はゆっくりと周囲を観察したが、どこにも巨大な黄金や宝石はなかった。


「おい、間違いなくここなんだろうな?」と男は苛立ちを込めて言った。


「ち、地図はこの場所を示しています」と旅人は言った。


 だが、どれだけ視線を巡らせても、そこにあるのは崖と、その下に広がる果てしない闇だけだった。宝のある気配すら感じられなかった。


「てめえ、騙しやがったな!」


 と、男が怒鳴ったときだった。旅人が何かを閃いたかのように「ああ!」と大きな声を発した。「そういうことだったのか!」


「どういうことだ!」男は大鎌を振り上げる。


 ほら、と旅人は夜空に向かって指さした。「黄金はあそこです」


 旅人の指し示した方向を見ると、そこには大きな三日月が浮かんでいた。煌々と輝くそれはまさに巨大な黄金だった。


 男は呆気にとられた。では、美しい宝石はどこに?


 不意に風が木々の梢を揺らし、葉擦れの音を誘った。そして、それを合図にするかのように、背後の森から青白い光の粒がこちらに飛んできた。よく見るとそれは、自ら発光する虫だった。あたりにはたちまち光の粒で満たされ、その景観は、さながら夜空にきらめく星々のようである。美しい宝石とは、このことだったのかと男は直感した。


 黄金の三日月に、星々のような光。


 まるで、夜空の中に迷い込んでしまったかのようだった。


「美しい……」と旅人が言葉をこぼした。


 男もまた、静寂の中で儚げに、しかし力強く輝くそれらにすっかり目を奪われていた。光の粒が飛び交うたびにそれは流星となり、きれいな曲線を描いていった。


「おれがこれまで見てきたどんなものよりも美しい……」


 言いながら男は、無意識のうちに大鎌から手を放していた。大鎌が音を立てて地面に落ちたが、男の耳には届いていなかった。


 それから、男の心で鮮やかな変化が起きていた。


 男は急に、自分がこれまで当然のように行ってきた強奪や殺人といった事柄が、低劣でくだらないものだと感じるようになっていたのだった。時間が経てば経つほど、その感覚は強くなっていった。やがて、男はある決意を抱いた。


 男はおもむろに、旅人の元へ歩み寄ると、彼から奪った金品を差し出した。


「すまなかった。これは返す」と男は言った。


 旅人は困惑した表情を浮かべながらも、おずおずと自らの金品を手に取った。


「夜が明けたら、おれは罪を償おうと思う」


 それは男の決意だった。


「だが、償う前にこの美しい景色を己の目に焼きつけておきたい」


 男は鳥になった心地で闇の雲海に立ち、月を仰ぎ、光と(たわむ)れた。光はあっちへ行ったり、こっちへ行ったりとまるで踊っているかのようで、男もそれを追いかけるのを楽しんだ。が、その楽しみはあっけなく終わりを告げた。


 ふいに男の足元が崩れる。あっ、と思ったときにはすでに、宙へ放り出されていた。男は足場の(もろ)い崖の先端に踏み込んでしまったのだった。途端に、男の中で時間の流れがとてつもなく緩やかになる。目にするものを正確に捉えることができるほどに――。


 最初に、こちらに手を差し伸ばしている旅人の姿が見えた。が、その姿はすでに遠く、手遅れであることを告げていた。男はそこで自身が助からないことを悟った。光の粒にさえ触れることができず、それらは本当に星々のようになってしまっていた。


 男の身体は空中で回転し、同時に視界も一緒にぐるりと回った。その最中、瞳が捉えたものを見て、男は天啓を得たように理解した。


 上も下もあやふやになった視界に映ったのは、笑う三日月だった。その形が、口角を持ち上げたときの表情と酷似(こくじ)していた。


 そうか、と男は内心で呟いた。死神に憑かれていたのはおれの方だったわけか――。


 間もなく、男は引き込まれていくかのように、深い闇の底へと落ちていった。


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