少女と王子①
俺、セシル・エルランテがマリアと初めて会ったのは九歳の時だった。
彼女は一つ年下のランドルフ伯爵家の長女。古くから王家に仕える名門の家柄で、ランドルフ家は代々、王家の剣としてその忠義を捧げてきた。
そして、その絆をより強固にするために、国王である父と、騎士団長を務めるマリアの父、ロックとの間で、俺とマリアの婚約が取り決められた。
初めて見た彼女の印象は、美しく、そして愛らしかった。
父親譲りの白銀の髪をなびかせ、にこりと微笑みながら挨拶をする姿は、男女を問わず見る者を魅了した。彼女が初めて城を訪れた日には、「天使が舞い降りた」とまで囁かれたほどだ。
……ただ、俺からすれば、そんなことはどうでもよかった。
後継者争いを避けるため、生まれたときから、王位に就くのは兄アルフレッドだと決まっていた。
俺はその兄を支える者として育てられ、王族として果たすべき役割を叩き込まれてきた。
だから、婚約相手の容姿や性格に興味などなかった。
この婚約が国にとってどれほど有益か……それだけが、俺にとって重要なことだった。
強いて言うなら、将来自分の仕事を支え、共に歩める有能な人物であれば好ましい、ただそれだけの話だ。
マリアと会うのは月に一度か二度だったが、その日でさえ俺には煩わしかった。
一日中、彼女と向き合いながらお茶をしたり、庭を散歩したりして過ごす。
そんな時間があるのなら、魔法の鍛錬や学問の研鑽、剣の稽古に費やしたかった。
時には、そんな気持ちが態度に出てしまうこともあった。
今思えば、まだ幼かったとはいえ、あの頃の俺は本当に最低な男だったと思う。
それでもマリアは一度も文句を言うことなく、婚約者として誠実に俺に接してくれていた。
それどころか、そんな俺に合わせて、二人で過ごす時間を勉強や剣の鍛錬にあててくれたのだ。
マリアは学問や魔法だけでなく、剣の腕にも確かなものがあり、同世代の練習相手がいなかった俺にとって、彼女は最高の稽古相手でもあった。
そしてたまに息抜きと言って二人で城下町に繰り出せば、町の情景を見ながら問題点などを二人で話し合ったりもした。
彼女が弟とよく訪れるという、支援している孤児院を訪問すれば、皆すぐさま彼女の元へ駆け寄ってくる。子供たちと笑い合うマリアの姿は本当に微笑ましく、気づけば俺はそんな彼女に惹かれていた。
しかし、それから四年が経った今、彼女との婚約破棄の話が舞い込んできた。
どうやら、アルフレッドの婚約が破談になったことで、新たな婚約者としてマリアの名が挙がったらしい。
聞けば、アルフは以前からマリアに想いを寄せていたそうで、俺の彼女への冷たい態度に不満を抱いていたという。
だからといって、弟の婚約者を強引に奪うような真似はしない。あくまで提案の段階であり、俺がはっきり断ればそれで終わる話のはずだった。
だが、俺は生まれた時から兄を支える者として育ってきた。誰よりも傍で見てきたからこそ分かる、マリアは王妃に相応しい器を持っている。
国のためを思うなら、そしてマリアの将来を思うなら、彼女はアルフの隣に立つべきなのだろう。
だが、その決断を俺は自分自身で下すことができず、彼女の家に委ねてしまった。
きっと心のどこかで、彼女に断ってほしかったのだろう。
しかし、そんな淡い期待とは裏腹に、彼女たちはその提案を受け入れた。
……俺の彼女への態度を思えば、それも当然の結果だった。
しかし、その話を聞いた瞬間、俺の頭は真っ白になった。
マリアが、他の男と親しくする姿など、想像したくもなかった。
俺に向けられていたあの笑顔が、別の誰かに向けられる。
それがたとえ実の兄であっても、どうしても受け入れられなかった。
その瞬間、ようやく悟った。
俺は、彼女を好きになっていたのだ。
そして気がつけば、俺は婚約破棄を止めるために、父のもとへ駆け出していた。
――
あの日から三ヶ月。
俺は今、マリアの屋敷を訪れている。
あらかじめ連絡は入れていたこともあって屋敷に着くと、使用人たちが出迎えの為に家の前で待機していたが、視線は冷たくあまり歓迎されていないのがわかる。
特に赤い髪のメイド、アンナと言ったか?マリアの専属なだけあって何度か顔を合わせることがあったが、このメイドだけは俺への敵意を隠しきれていない。
目をつぶっているように目は細く、常に涼しげな表情で感情が表に出さないアンナだが、こちらに見向きもせず淡々と案内をする態度は、以前の俺がマリアに取っていた態度に似ている。
使用人としては不敬な態度だが、それだけこの家の者たちは俺の我儘にご立腹なのだろう、ここは素直に受け入れるしかないと思い、気づかない振りをした。
俺はそのまま客間へと通される。
しかし、そこにマリアの姿はなかった。
来客用のソファには、この国の剣と謳われる男、マリアの父、ロック・ランドルフが険しい表情で腰掛けていた。
まさか王国騎士の団長である彼に迎えられるとは思ってもみず『氷の貴公子』と呼ばれる迫力に少し飲まれそうになるが、俺は平常心保ち、部屋の中へ足を踏み込む。
「王子自らご足労いただきありがとうございます、どうぞご座りください。」
「あ、ああ。」
ロックに促され、俺は静かに椅子へ腰を下ろす。
本来なら、まず初めに俺が頭を下げなければならないのだが、王族と騎士という立場上、それは許されない。
形式上はあくまで、俺が“上”として振る舞わねばならなかった。
「それで、今日はどういったご用件で?」
「今日は自分の我儘により、そなた達に迷惑をかけることになった事を改めて謝罪したいと思いやってきた。そして、まだこの先どうなるかわからないが、俺の意思としてはやはりマリアとの婚約を続けたいと思っていることを伝えに来た。」
「ふむ……。」
俺は小さく息を吸い、俯く程度に頭を下げた。
これが、王族という立場でできる精一杯の謝罪だ。
その思いが伝わったのか、ロックは目を瞑り、ゆっくりと考え込むような素振りを見せた。
「……王子が娘を思ってくださっていることは、父として嬉しく思います。ですが私は、もうこれ以上、娘を振り回すつもりはありません。そして、振り回される娘の姿も見たくないのです。ですから……もし本人に婚約の意思がないのなら、この縁談はなかったことにするつもりです。」
「……」
「……ですが、もし王子が本気で娘を望むのならお二人が自分の力で振り向かせてください。」
「え?」
その言葉に思わず顔を上げると、ロックは静かに立ち上がり、何も言わず部屋を後にした。
それはつまり、俺かアルフ、どちらを選ぶかをマリア自身に委ねるということか。
ならば、俺にもまだチャンスがある。
たったそれだけのことが、信じられないほど嬉しかった。
確かに、俺はアルフと比べればすべてにおいて劣っている。
立場も、才能も、そして……人望も。
髪色こそ父譲りの金だが、柔らかな印象のアルフに対し、俺はどちらかと言えば目つきのきつい方だ。
優しげな笑みを浮かべるアルフのほうが、女性の目には魅力的に映るのだろう。
だが、マリアに関しては、俺にもアルフにはないものがある。それは婚約者として過ごした四年という時間、これは大きなアドバンテージだ、十分勝てる要素はある。
そうしてしばらくすると、呼びに行ったメイドがマリアを伴って部屋へ戻ってきた。
「お久しぶりです、セシル様」
「あ、ああ……」
三ヶ月ぶりとなるマリアの笑顔に俺は思わず眼を逸らす。
彼女は以前と何も変わらない。だが、俺自身が意識し始めてしまったため、彼女の顔を見るのが恥ずかしくなり、直視できなかった。
だからといって、逃げている場合じゃない。
本人を前に想いを伝える方が何倍も恥ずかしいし勇気がいる。俺は恥ずかしさも、恐れも飲み込み、覚悟を決めた。
「マリア!」
「はい?」
「俺は――」
俺は話を切り出すと彼女の目を見て精一杯想いを伝えた。
これまでの不誠実な態度のこと。
兄との婚約騒動で彼女を困らせたこと。
そして、それでも彼女を想っていること。
一つひとつ、言葉を選びながら、途切れそうな声で、俺はすべてを伝えた。
マリアは何も言わず、ただ静かに耳を傾けていた。
「……まさか、セシル様が私のことをそこまで思ってくださっているとは……とても、嬉しく思います。」
「じゃ、じゃあ……」
「ですが……私自身としては、セシル様ともう一度、婚約を結ぶつもりはありません。」
「……え?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の時間が止まったように、思考が真っ白になった。
「いえ、セシル様だけではなく、アルフ様や他の方……いえ、結婚自体するつもりはありません」
「ど、どうしてだ?」
「夢ができたのです」
「夢?」
「はい」
「それはどういう……」
「それはですね――」
そ、それは……
「うんこの聖女になることです!」
「そう、うんこ……の……」
……
……?
…………???
………………??????⁉
セシル・エルランテは混乱した。




