聖女と勝利
勝者としてマリアの名が呼ばれた瞬間、トイレに行ったアネッタの姿がない会場に、割れんばかりの歓声が響き渡った。
観客たちの声のほとんどは、マリアを称える言葉や、試合の余韻を語り合う感想で満ちている。
その声を聞いているうちに、私も嬉しくなって、つい耳を澄ませてしまった。
「うおおおおおお!すげえ試合だったぜ!」
「くうぅぅぅ!あんな試合見せられたら、俺もなんだかトイレに行きたくなってきたぜ!」
「でも、最後はちょっと締まりの悪い試合だったな。」
「トイレが近いだけに、ケツの締まりが悪いってか?」
……なんだ、ここにもマリアみたいなやつらがいるのか。
もう少し、まともな感想を言う人はいないのかしら?
「なんだかんだでやっぱマリア嬢すげえな。」
「ああ、最後の魔法……時の魔法って言っていたが何階級なんだ?」
「あれで、まだ一年生とは末恐ろしい……。」
そうそう、まさにこういう声が聞きたかった。
私は、思わず笑みをこぼしながら、さらに耳を澄ませた。
「あれが汚物の力……恐ろしいわね。」
「ええ、あんな恐ろしい魔法見たことない。」
「マリア・ランドルフには手を出してはいけないわ。」
……うん、マリアの目指していた方向とは違うけれど。
害がなくなったと思えば、まあ、悪くはないかな。
私はそのまま、移動できる範囲を飛び回っていると、中等部の生徒たちが集まっている一角で、見覚えのある顔ぶれを見つけた。
マリアの弟のリッドと、その友人であるタクトとその取り巻き達だ。
私は彼らの声が聞こえる距離まで近づきその会話に耳を傾けた。
「なんだかんだで凄い戦いだったな、流石マリア様だ。」
「リッドも弟として鼻が高いんじゃないのか?」
「ん?う、うん……
友人であるウルスとアルマに姉を褒められたリッドだったが、少し複雑そうな顔をみせる。
まあ確かに結果だけ見れば、アネッタの攻撃をすべて無詠唱の魔法で防ぎ、互いに無傷のまま戦いを終えたのだ。完勝と言ってもいい。
しかし……あの勝ち方を誇れるかと、言われれば弟としては微妙なところなんだろう。
「最後のアレって、誇っていいのかなあ?」
「ま、まあちょっと特殊だったけど……すごい魔法だったと思うぞ。タクトさんもそう思いますよね? ……って、タクトさん、なんで泣いてるんですか?」
隣を見れば、なぜか涙を流しながらマリアに拍手を送るタクトの姿があった。
「泣くようなところ、ありましたっけ?」
「ふふ……済まない。彼女が“うんこ”を我慢している姿に、ちょっとね。どうやら最近、涙腺が緩くなってしまったようだ。」
「……しっかり引き締めてください。張り倒しますよ!」
「取り巻きが厳しいっ!」
「こっちはこっちで大変なんだな……」
そう呟きながら、今度は高等部の上級生たちが集まっている方へと向かう。
観覧席の一角、人混みの中に、ひときわ頭が飛び出している生徒たちがいた。
どうやら風魔法で体を浮かせ、上から観戦していたらしい。
その生徒たちは憎き、この国の王子であるアルフレッドとセシルに、以前マリアの屋敷で世話になっていた、騎士候補であるルイス。
そして見覚えのない褐色肌で白髪の男が、腕を組みながらジッとマリアを見ていた。
「なるほどな、あれがお前らを夢中にさせている聖女様か。」
「ああ、だから悪いけど手は出すなよ?リーン、彼女は僕のものだ。」
アルフレッドが、リーンと呼ばれた男子に釘を刺す。
その一言に、弟のセシルがキッと兄を睨みつけた。
ルイスも口には出さないが、その表情にははっきりと不満の色が出ていた。
「安心しろ、俺は次期皇帝となる男だ。我が妻となる者にも、当然ながら品位を求める。
残念だが、いくら完璧な聖女でも汚物を崇拝するような女は論外だ。」
皇帝、ということは……この男が帝国の皇子か。
その言い方に棘があったためか、三人が同時にリーンを睨みつける。
だが、リーンはその視線をものともせず、クククと笑った。
「なんだ?本当は攫って欲しいのか?ま、俺はともかく、弟たちはどうだかな。」
「そう言えば確か、第二皇子は今年入学でマリアと同じ歳だったか。確かに気をつけないと。」
「だが、彼女と話せば変わるかもしれないぞ?彼女はどんな相手でも、たちまち虜にしてしまう、そんな人だ。」
確かに、あれほどマリアに興味を示さなかったルイスが、見事に骨抜きにされて帰っていったのを見れば、その説得力にも頷ける。
「生憎だが、俺には他に気になる女がいるんでな、そちらの方に声をかけるつもりだ。」
そう言いながら、リーンはマリアから視線を逸らし、その手前へと目を向けた。
そこには、他の生徒たちに混じってマリアを称える、公爵令嬢オルタナと水の聖女候補レインの姿があった。
一通り会場を見て回った私の耳に届いたのは、純粋にマリアを讃える声、うんこの魔法に恐怖する声、そして二人の戦いに感化された者たちの声だった。
中には変な声もちらほら混ざっていたけれど、どれも悪意のあるものではなかった。
まあ残念ながら、うんこの素晴らしさはあまり伝わっていなかったみたいだけど……
そしてマリアは、私が会場を回っている間も、観戦していた生徒一人ひとりの声援に応え、丁寧に頭を下げていたようだ。
「悔しいけど、完敗だわ。」
すると、先ほどトイレに駆け込んだアネッタが会場へと戻ってくる。
「あ、アネッタ様!帰ってきたんですね。うんこは間に合いましたか?」
「うるさいわね! そんなこと聞くんじゃないわよ!」
「え……?」
「ち、違うわよ!? ちゃんと間に合ったから!」
その言葉を聞いてホッとするマリアに、アネッタは一度咳払いをして改めてねぎらいの言葉をかける。
「それはともかく、今日は確かに負けたけど、私はまだ完全に負けを認めたわけじゃないわ。
炎の聖女を目指すたるもの、そう簡単に諦めたりしないんだから。
炎の女神様の聖書にもこう書かれているわ 『失敗してもいいじゃないか!人間だもの!熱くなれよ!』っと。」
相変わらず暑苦しい女神だなあ。
「ま、とにかく、これから三年間よろしくね。」
「はい、宜しくお願いします。あとうんこの授業の方もよろしくお願いしますね。」
互いに手を取り合うと、再び割れんばかりの拍手が巻き起こった。
だが、残念ながらマリアの問いかけに対し、アネッタはただ笑顔を浮かべるだけで、何も答えなかった。




