聖女候補と王子
……あれ?
今この子唾吐いた?
見間違いじゃなくて?
と言うよりこんなの見間違えなんて出来ないよね?
私は目の前ではっきりと見ていたにも関わらず、今見た光景に疑いを覚える。
でも仕方がないじゃない?だってさっきまであんなに清楚で可憐で可愛らしかった美少女が、いきなりオッサンみたいに唾を吐いたんだよ?
この行動には当然ながら第二王子のセシルは怒りを露わ……を通り越して何が起きたのかわかっていないのかポカーンとしており、流石のマリアも呆気を取られていた。
そして当の本人は何事もなかったかの様に、ニコニコしている、それが逆に不気味である。
それから少し間が空いた後、時間差で我に返ったセシルが怒り出した。
「お、お前、何のつもりだ⁉」
「失礼、あなたの顔を見たら急に唾を吐きたくなったので。」
レインは笑顔で本当に失礼なことを言う。
「な⁉おいマリア、なんだこの女は⁉」
「えーと、先程もご紹介した通り、水の女神の聖女候補のレイン・アクアフォート様です。」
「水の聖女ってのは清らかな心の持ち主の女性がなるものだと聞いている、こんな奴のどこが清らかなんだ⁉︎」
セシルがマリアに捲し立てながら勢いよくレインに向かって指を刺す。
「ええ、確かに水の女神様の教えにはこう書かれています、『水の聖女たる者、常に水の様に美しく清らかであれ』と……」
ああ、これね……主語がないから心とか身体の事だと思われがちだけど、あの面食い女神の事だから恐らく見た目の事だよね。
「そして、女神様はこうもおっしゃられています……『王子を見たら唾を吐け』と」
「そんな馬鹿気た教えがあってたまるか!」
「いいえ、本当です!ちゃんとこの聖典にも書かれているのですから!」
そう言ってレインは懐から恐らく模写したと思われる聖典を取り出し中を開いて見せつける、そこには本当に『王子を見たら唾を吐け』と原文のまま書かれていた。
これにはさすがのセシルも言葉を失ってしまう。
「これは私が模写した物ですが、女神に誓って加筆も修正も行っていません、女神様の言葉だけが書かれています。疑うのであれば是非神殿に問い合わせてみてください。」
「……」
セシルはレインの眼をジッと見る。
レインはやましい事は一切ないと言わんばかりに、疑いの目を持つセシルに対し強い眼差しで見つめ返している。信徒にとって女神の言葉が書かれた聖典は絶対的な物、加筆や修正するなんて考えられないだろう。
ただ、嘘じゃないからこそ余計に質が悪い。
「女神様……私、いま大変なことに気づきました。」
ん、どうした?
「うんこの聖典がありません。」
作ってないからね。
「これではうんこの女神様の教えを説けませんよ!」
別に説かなくていいよ、わざわざ教える事なんてないし、寝る前はお腹を冷やさないようにしようね、とかそんなのでいいよ。
「……貴様が水の女神の忠実なる信徒なのはわかった、その言葉も信じるとしよう。だが何故そこまで女神は王子を嫌うんだ?我が祖母は元水の聖女で王家と神殿の仲も良好なはずだぞ?」
その問いに対し、レインは鼻で嗤う。
「良好?ハッ、何度も聖女様を奪っておいて何が良好ですか?あなた方王族は、長い歴史の中で何人もの聖女様を引き抜いているので水の女神様がお怒りなのですよ。聖女候補なんてそんなに簡単に見つからないのですから。おかげで、我々水の信徒は何度も女神様の声を聞けない時代があったのです。水の聖女は女神様が厳選なされた美女のみがなれると言われていますから、そこを狙って聖女が現れるたびに水の神殿に来るようになったとか。そしてとうとう痺れを切らしたは我らが愛しき女神、アクアリーゼ様は近年の啓示を通して言われたのです『王族を神殿に入れるな!神殿は王族の婚活会場ではない』のだと!」
今度はレインの方がセシルに向かってビシッと指を指す。
「女神の信仰目的ではなく、聖女目当てで神殿に入り浸り、いろんな理由を付けて聖女を王宮に招いて
女神から遠ざけて聖女たちを奪っていった、この時のアクアリーゼ様はどういうお気持ちだったかわかりますか?」
「……だが、最終的に選んだのは歴代の聖女達だ。」
「ええ、ですから女神様も泣き寝入りする事しかしないのです、本気で怒っているならとっくにこの国は滅んでいる事でしょう。ですが古い歴史の中には半ば脅しのような求婚や、水の女神様への利を説かれて嫁いだ方もおられたようです。特に信仰の弱かった時代は非常に強引な手段で聖女を手に入れようとしてきたと言われています。」
なんだかこうして聞いてみると、レインの言い分は至極真っ当にも聞こえてくるな。
水の神殿が怒るのも分かる気がする、セシルもそう感じてきたのかだんだん勢いがなくなってきた。
「だが、歴代のどの王妃も国王にしっかりと愛されてきた、今は亡き祖母だって、本当に幸せだったはずだ。」
「その裏側で女神様は悲しんでおられたでしょうね!」
セシルは何か反論しようと考えたが、言葉が出てこないようで大きなため息を吐いた。
「わかった……だが安心しろ。お前が仮に聖女になったとしても王族はお前を娶ることはない。」
「その代わり、マリア様をうんこの女神様から奪い取ろうと考えているのでしょう?あなたがたクソ王子がうんこの聖女様たるマリア様の尻を追っかけまわしている事は神殿の方にも伝わってきていましたから」
「な……誰がクソ王子だ!」
「クソにクソって言って何が悪いんですか!」
ヒートアップした二人は周りに人が集まってきていることに気づかずギャーギャーと騒ぎまくる。
……しかし、流石は水の女神の信徒達、良い教育してるなぁ。変態にすら優しかった子がイケメン王子に牙を向いてんだから。
あとうんこの女神の私が言うのもなんだけど、あんまりそう言う汚い言葉を使わない方がいいわよ。せっかく可愛いんだし。
そして、我が聖女よ、微笑ましく見ているけど他の人にとって、クソと言う言葉は賛辞ではなく、罵倒なんだよ。
それから二人の口論は暫く続き、最終的には騒ぎに駆け付けた教師に止められて終わった。
しかし、入学初日から中々濃い一日になったもんだ、変態が来襲したり王子と聖女候補が喧嘩したり……まだマリアが布教活動すら始めてないのに先が思いやられそうだ。
せめてマリアの方は今週くらいは平穏に過ごしてほしいね。
だが、そう思った翌日……
「マリア・ランドルフ!私と勝負しなさい!」
マリアは炎の聖女候補、アネッタ・フレイヤ・ミストラーゼに決闘を申し込まれていた。