第一話「私のファンタジーが存亡の危機なんです!」
私はファンタジーが好き。
人間社会に紛れて暮らしているという魔法使いたちが好き。世界の闇に潜んでいるという不思議な隣人たちが好き。そして大人になったら見えなくなってしまうという妖精たちが好き。
そんな私も今年の春、ついに高校生になってしまった。
「はぁ…」
教室の喧噪の中、私は憂鬱に溜め息を吐いた。
「どしたのユメミ?」
すると向かいの席に座ったアサヒがそう尋ねてくる。
体育会系の兄二人の後に生まれた待望の女の子として、幼い頃から可愛いものに囲まれて育った彼女は、私にとって数少ないファンタジー友達だった。
お昼休みの教室で、私たちはお弁当を食べながら雑談に興じていた。
「あのね。魔法で大人になるアニメ、あったじゃない?」
私は箸を置くと、自分が今直面している危機について説明を試みる。
「あぁ…、あったね。それで?」
「あれって大人って言ってるけど、公式設定では十六才の姿になってるのよ」
子供の頃は凄く大人に見えていたヒロインたちも、別に成人はしていなかった。初めて知った時は驚いたものだ。
「ん、まあ確かに。そのくらいだったかな?」
「だからね。十六才が大人なら私、もうじき妖精が見えなくなっちゃうじゃない!」
夏休みも終わり、秋生まれの私にはもうあまり猶予が残されていなかった。このままでは一度も見た事のないまま、妖精が見えなくなってしまう。
「いや、それを言ったら、戦国時代とかは十五で成人でしょ」
「…何でそういう事言うかな?」
残念ながらアサヒの共感は得られなかった。
別に私だって、百パーセント本気で言ってる訳じゃない。でも、それでも。褪せる事のない何割かの本気があって、この喪失感は消せないのだった。
「じゃあ、また明日」
放課後になって、部活へと向かうアサヒと別れた。
彼女は中学生になった頃から可愛いもの趣味を恥ずかしがり、他の子の前ではボーイッシュなバスケ少女を装っていた。
「…さて」
一方の私はと言うと、これから楽しい楽しいファンタジータイムである。簡単に言うと、図書室でファンタジー関連の本を見て浸るのだ。
本格的なファンタジー関連の本というものは、なかなかにお高い。その上この辺りの本屋には売っていないのだ。そんな訳で私は、町の図書館や学校の図書室へ入り浸るようになった。
「失礼します」
図書室までやって来た私は、出入り禁止になったりしないようマナーを守って中へ入る。そしてそのまま一番奥の方へ。学校の勉強とは関係ないからか、ファンタジー関連の本は隅の方へ追いやられているのだ。
私は本棚から妖精図鑑を手に取ると、読書スペースへ陣取る。そして図鑑の中の妖精たちを眺めていると、まるで今にも目の前に現れるようなそんな気持ちになれるのだ。
私の家は、アサヒの家とは正反対だった。
理系で質素な服装が好きな長女ヒトミと、体育会系でボーイッシュな次女メグミの後に生まれた私は、大量のお下がりに囲まれて育った。しかも、どれもこれも飾り気のないものばかり。
母親もとうに娘へ可愛い服を着せる事を諦めており、可愛いものに触れる機会に恵まれなかった私は、その反動からか可愛いものを好きになり、メルヘンなものを好きになり、ファンタジー全般を好きになりと次第に重症化していったのだった。
私が心地よい空想に浸っていると、いつの間にか随分と時間が過ぎていた。名残惜しいけれど、そろそろ帰らなければ母に叱られてしまう。宿題もあるし。
「ん?」
図鑑を棚へ戻して図書室を出ようとした時、視界の端を何がが横切った気がして何気なく振り向き、そしてそれを目撃した。
窓の外を、羽根の生えた小さな少女が飛んでいる。恐らく妖精と言われて、十人が十人とも思い浮かべるだろう姿そのままの存在が。
「はぁ!?」
すぐに見えなくなってしまったけれど、図書室は二階で校舎裏へ面している。今すぐ行けば見つけられるかもしれない。
「失礼っ、しました…っ」
私は室内では努めて静かに移動し、図書室を出た途端に駆け出した。そして階段を転がるように駆け降りると、急いで靴を履き替え校舎裏へ向かった。
校舎裏には木々が植えられていて、校舎と挟まれたその空間は他からは見えにくくなっている。逸る気持ちを抑えながら、私はその木陰へ身を隠すようにして校舎裏の様子を窺った。驚かせたら逃げられてしまうかもしれない。とにかく気付かれないように、そうっと近付くのだ。
そこには、一人の少年がいた。
着ている物はこの学校の制服だが、右肩に赤い肩当のようなものを付けている。
『…ない』
と思ったらそれが動いて、少年に何事か話しかけた。頭を上げたそれは、色以外はイグアナのようだったけれど、炎のような色をしたそれはもしかして、火の妖精サラマンダーというやつではなかろうか。
「そうか、カザミはどう? 探し物は見つかった?」
『うーん、どうかしら。釣れたと思うけど』
少年が呼びかけると、今度はさっき見た妖精の少女が答えた。あっちがサラマンダーだとすれば、この子は風の妖精シルフかな。
「ミナモは?」
次に少年が呼びかけたのは、そんな名前だった。何となく水っぽいし、これは有名な水の妖精ウンディーネが来るか?
私が固唾を飲んで見守っていると、何もない空間から返事があった。
『な~いよ~』
声のした辺りへじっと目を凝らすと、半透明のクラゲらしきものが宙を漂っていた。
…いや、クラゲは体のほとんどが水とは聞くけれど…、何でクラゲ?
私が疑問に思っていると、少年の足元の土がもこもこと盛り上がった。
ここまで火、風、水と来て、この流れはもしかして土の妖精ノームでは…。
土山の天井が崩れ、中からひょっこりと顔を出したのは、果たして。
茶色い毛並みの垂れ耳兎だった。
………いや、これはこれで、あり!
『申し訳ない、ユウキ殿! 私も収穫なしですぞ!』
あ、ちょっと待って、やっぱり評価は保留で。何でこの兎、時代劇の人みたいは話し方なの?
「…それじゃあ、カザミの分を試してみようか」
妖精たちの言葉に考え込んでいた少年は、やがてそう言って歩き出した。
どこへ行くのかと目で追っていくと、その姿は途中でふっと消えてしまった。
「え?」
思わず木陰から顔を出して確認するが、辺りに人影はない。まるで初めから誰も居なかったかのように。
「し、しまった!」
どこの誰なのかも分からない、妖精を連れた不思議な少年。彼は一体どこへ消えてしまったのだろうか。いっそ初めから声をかけるべきだったのか。もしかすると千載一遇のチャンスを無駄にしてしまったのかもしれない。
私は失意のまま帰宅し、宿題の存在も忘れた。
しかし少年の正体は、翌日あっさりと判明する。
タチバナ・ユウキ。
彼は私のクラスメイトだったのだ。