中編
服屋の主人は、さりあの顔を見ても何も感じていないらしかった。
さりあは、己の感情を封じ込めるのに骨を折った。
「その2人なら、同じ大通り沿いに店を構えている。薬屋と宝石商だ。どっちも一番大きな店だ。すぐにわかるよ」
「ありがとう」
かのすを先にして、2人は服屋を出た。示された薬屋と宝石商の店はすぐに見つかった。彼らはそれらの店の前を素通りして、新たに宿屋へ部屋をとった。その部屋は最前の服屋の出入りを見通せる位置にあった。
「どうしてくれよう」
通りを見下ろしながら、さりあが呟く。かのすが、つと寄り添って、一緒に窓の外を眺める。
「好きなようにするがよい」
「そうね。でも、何度殺しても飽き足らないの」
窓枠を掴んだ手に力が篭り、白くなる指先にかのすの手が重なる。深く優しい声が、さりあの耳に注がれる。
「気が済むまで考えよう。時間は沢山あるのだから」
頷くさりあの頭が途中で止まる。視線の先は一人の男を捉えている。既に日は落ちて、大通りの人影もまばらになっている。男は辺りを素早く見回して、それから宝石商の店の方へ歩き始めた。それは服屋の主人である。
かのすが剣だけ掴んで窓から降り始めたので、さりあも剣を背負って音を立てないよう気をつけながら、窓から抜け出した。男は早足で通りの向こうへ消えて行く。2人は急いで後をつけた。
服屋の主人は、宝石商の店へ入っていった。離れた物陰から様子を窺うさりあ達の視界に、別の男の姿が映った。その男も辺りを見回して、宝石商の店の中へ消えた。
さりあとかのすは宝石商の店の前まできた。店は閉まっており、入り口付近に人のいる気配はなかった。
「どうする 」
「中へ忍び込んで話を聞くわ」
2人は屋根に登り、目的の場所を見出した。
さりあが目で彼らを確認する。身体のこわばるのが夜目にも明らかである。さりあは顔を上げてかのすを見つめる。かのすがその視線を受け止めると、さりあは部屋の中の会話を聞き取ろうと再び顔を伏せる。
その部屋には3人の男がいた。各々意匠を凝らした裕福な商人を装っていたが、薄暗い灯火の下に浮び上がる頬には、すさんだ生活の跡が見え隠れしていた。服屋の主人が空席に腰を落ち着けるのを待って、宝石商がワインの栓を抜き、3つのグラスに赤紫の液体を満たした。男は瓶を置いたその手でグラスを持ち上げた。
「さて、久々に3人揃ったことだし、これまでの無事を祝して乾杯しようか」
「何が無事なものか」
服屋はぶつぶつと文句を言ったものの、薬屋が黙ってグラスを持ち上げたので、2人に従ってグラスを持った。軽く手を動かして乾杯の真似事をする。
一気にワインをあおった服屋が、2杯目を注ぐのを待って宝石商が口火を切った。
「で、わざわざ3人で寄り集まらなきゃいけない事件というのは?」
服屋は口元へ持っていきかけたグラスをテーブルの上に置いた。意味深い様子で宝石商と薬屋の顔を交互に見やる。それから背もたれに深々と身を沈めた。
「昔のつるんでいた時に、一人だけ逃げ延びた奴がいただろ? あれが生きてやがった」
「お前の店に行ったのか」
初めて薬屋が口を開いた。この男はグラスに殆ど手をつけていない。青白い顔は心配のためというよりは、生まれつきのものらしかった。服屋の話を聞いて、薬屋は唇を歪めた。お間抜けにも、と動いたが、声は出なかった。さりげない声で、次の言葉から音が出てきた。
「俺達の居所まで教えてやったのか」
「だって知らぬ振りの出来る場合じゃなかったんだ」
「まあまあ。でもそいつは大人しく帰ったんだろ? 俺の所には来なかったぜ」
宝石商が先回りして2人を押さえにかかった。服屋がほっと息をつく。
「まあ、たかが女の1人や2人、男3人がかりじゃ何もできやしねえ」
「物理的には出来ないかもしれぬさ」
「何だって? 難しいこと言うなよ」
薬屋はグラスの脚を押さえてコツコツとグラスを弾いた。宝石商と服屋が顔を見合わせる。
「あの女が俺達の昔のやり口をばらしたら、それで十分だろう」
部屋の中が静まりかえる。コツコツ、という音だけが、苛立たしげに響きわたる。宝石商が言う。
「証拠がなきゃ、誰も信じねえよ」
「あるかないか、そんな事は俺達にはわからん」
薬屋は椅子に沈み込んだ。服屋が自分でグラスを満たした。
「要するに、俺達どうすればいいんだ?」
「あの女を消しちまえばいいんだろ?」
「その時に女を捕まえておかなかったのは、大きな失敗だな」
薬屋の言葉に、服屋は肩をすくめる仕草で応えた。薬屋は続けて言った。
「今度姿を見たら、何とかして拘束するんだ。向こうから手を打ってこないうちに、あの女をおびき出せそうな弱みを掘りださねば」
薬屋が立ち上がったので、宝石商も立ち上がった。服屋は空のグラスを名残惜しそうに眺めてから、席を立った。3人の男は部屋を出ていった。屋根の上の2人は動きはじめた。
間もなく、路傍の薄暗がりと寝静まった商家の中に、生命を失ったものが転がった。




