畏怖
サービスカウンターに移動した僕達。
レジからは少し離れているため、かなりの大声で喋らなければ会話内容が聞こえることはないだろう。
「須藤君…ですよね」
「…そうですけど」
「…」
「………」
「………私がした事を覚えているんですよね…?」
彼女も僕の反応で察してはいた様だ。
だからこそこの場所で僕を呼び止めたのだろう。
山で、彼女の仕事を見てしまった僕を。
「何故、無事……いや、生きてるんですか?……見たところ、首元も気にしていない様に見えます」
生きてるんですか、と来た。
大体分かっていたが、彼女は僕を本当に殺したつもりだったらしい。
「こっちが聞きたいですよ。刺し傷も治ってるし…信じられない事ばっかりだよ…」
「……ごめんなさい」
泣きそうな顔をしながら途切れ途切れに言葉を紡ぐ彼女。
「私にできる事なら何でもします……山での事は誰にも話さないでください…」
そういえば、こんな顔をする彼女は見た事がなかったな、と場に合わない事を思う。
クールなタイプの人間だという印象を持っていた僕は、彼女の弱気な姿を見て意外に思う。
それほどあの山での事を他人に見られたというのは死活問題なのだろう。
「…分かったよ。誰にも言わない、内緒にしておくよ」
「…え…本当にいいんですか…?」
「僕も何が起きてるのかよくわからないし。痛かったのは完璧に覚えてるけどね」
「……ごめんなさい」
「…もういいよ。それより…」
「何でもしてくれるってのは本当なの?」
彼女は少し表情を曇らせる。
自分から言ったんじゃないか。
「は…はい、私にできる事なら、何でも…」
「任侠映画みたいに、指を切り落とすとかでも?」
タチの悪い冗談だ。自分で言っていてもそう思う。
なのに罪悪感があまりない。と言う事は僕の心の底には彼女にやり返したい、という気持ちがあるのか。
「………本当にそれで黙っててもらえるのなら、やります…」
僕は数秒前の自分を恨んだ。
「…ごめん」
「…いえ」
冷たい空気が僕達を包む。
「じゃ、じゃあ、また明日、学校で。」
空気感に耐えられなくなった僕は適当な別れの言葉でこの場を切り上げることにした。
「…はい」
僕を信用しているのかは分からないが、彼女もそれ以上の念押しはしなかった。
その後、特に問題もなく無事に帰宅できた僕。
事実として、彼女が僕に手をかけた理由は口封じなのだから帰宅途中も警戒するに越した事はないはずだ。
しかし、彼女は来なかった。
帰宅して自分のベッドに体を投げ出し、ふと思う。
スーパーでの彼女は、僕を見て何を思ったのだろう。
以前どこかで、「人間が幽霊を恐れるのは、その正体が不明だから」という趣旨の言葉を聞いた事がある。
彼女にとっては、僕は幽霊以上に恐ろしい存在だったんだろう。
何せ、知っている人間が確実な死から黄泉帰ったのだから。
彼女は自らの理解の及ばない事象に直面し、畏怖した。
だからこそ彼女は口封じの手段を『殺害』から『懐柔』へと変えたのだ。
…彼女は、明日学校へ来るだろうか。
今日のことについて、もう一度腰を落ち着けて話さなければならないだろう。
彼女からしても僕をあれで野放しにする事はできまい。
もう一度彼女と話す。
そう決心し、今日はもう休むことにした。