30話 家賃から
薄暗い店内のカウンターにて、叡智は少しぎこちなく自分の前にあるオレンジジュースを飲みほす。
そして、その横には彼の担任である平井貴文がジントニックの入ったグラスを回していた。
「…神谷、悪いことは言わない。ここから早く出て行った方が良い。このことは内密にしておいてやるし、警察のお世話にはなりたくないだろう」
「いやだから誤解ですから。俺はアルコールのアの字も飲んでないんですって、何ならそこのマスターに言って、伝票確認して貰ったら良いですから」
「冗談だ。俺はお前がそんなことをするとは思わないし、してるにしろしてないにしろこんなことを言えば比喩なしで俺の首が危ないからな」
「…そういえば、俺のこと知ってましたね、先生は…」
「ほとんど接点はなかったわけだし、そもそもお偉いさんの息子に危険も承知で近づいていくほど恐れ知らずでもないんでね」
ハハハと死んだような目で叡智は笑い、再び自分の前に出されたオレンジジュースを口に運んだ。
平井貴文、今年度より公立高校からこの日茜学園に赴任してきたごく一般家庭出身の教師である。
日茜学園に勤めている教師のほとんどは日茜学園内にてエスカレーター式で大学まで進んでいたり、早慶、難関国公立卒といったエリート層からの出身者が多く、彼のような者が採用されることも少ない。
それ故、外部の環境を知ることも無く、歪んだ価値観を植え付けられる、そういった状況となる学園を『箱庭』と一部の上級生、外部進学生に呼ばれるようになっていた。
「…じゃ、俺は帰るよ」
少し酒を飲みながら、雑談を交わし、2時間ほど経った時、平井先生は席から立ち上がり、そう言った。
「あぁ、もうこんな時間ですか…。それじゃ俺も帰りますかね」
そういって叡智も席から立ち上がり、その横で平井先生は財布を出していた。
「マスター、こいつのも合わせて払うよ」
「いや!大丈夫です。自分で払います」
自分のも払おうとする平井先生を制止する。
「何なら、僕が払いますよ」
「それこそ不味いだろ。生徒に奢らせる教師がいてたまるか」
「実は僕…一応ここのオーナーの代理を勤めさせていただいているんですよね…」
チラッとマスターの方を見る。それと同時にマスターは何かを察したように遠い目をしていた。
「家賃から差し引いとくね。今回の食事代」
「はい…ありがとうございます」
半ば強制的に家賃から差し引かれ、マスターは「久々のお客だったのにな…」とボソッとつぶやいているところを二人はバー『ひぐらし』を出て行った。
上の探偵事務所においてあった荷物をささっと取り、叡智は外で待っている平井先生の前に颯爽と黒い大型バイクに乗って現れた。
「それじゃ、僕はこっちなので」
「あぁ、気をつけてな。最近は物騒なことも多い。寄り道…はしてるから、まぁ事故とか事件に巻き込まれないようにしろよ」
「はい、じゃあまた学校で」
「あぁ、さようなら」
そういって叡智は平井の前をバイクで走って行った。
(あれ…?大型バイクの免許って…たしか18歳からのはず…)
そんなことを思ったが、肝心の神谷叡智がいないためなにもいえず、言ったとしても恐らく免許ぐらい持っているだろうと諦め気味になった。
(こういうときに、貴族の利点を使うのは確かに賢いな…。それはそれとして)
「貴族ってめんどくせぇ…」




