想い
（……あれ？）
セルジュが背を向けて階段を登る頃、その事に気づき首を傾げそうになったのはヴィンスだった。すぐに、三人を見るとマリーもローザも話に夢中になっていて気づいた様子はない。ちなみにテレンスは背を向けているので、完全に見えていないのだが。
「マリーはね、頑張り屋さんなのよ〜？分かってる？テレンス？」
「はいはい」
「ちょっと、『はい』は一回だけだって、騎士団で習ってるでしょ」
呆れて面倒くさがっているテレンスに、文句を言うローザ。彼女の手には果実酒。そう少し酔っ払っているのだ。顔を赤くして、マリーの可愛らしいところは……とテレンスに演説している。
「ね、お嫁さんにしたくなる健気さでしょ？テレンス」
「いや、俺は婚約者いるんだが……」
困惑しているテレンスはヴィンスを一瞥する。助けを求めている目だが、彼はにっこりと微笑んで無言を貫く。
絡まれるよりは第三者として外から呆れるテレンスと絡むローザを見ていたい……とヴィンスは思っている。まあ、ローザの対応がほんのすこーし面倒臭いと思っているのは、秘密だ。
それ以上に褒められている事で顔を真っ赤にして、プルプルと震えているマリーが可愛らしい。その姿を見続けていたい、と思うのはヴィンスが彼女に対して好意があるからだろう。
話しているマリーやローザ、テレンスを見るとセルジュがいた事に気づいている人間はいないし、ヴィンスが少し不自然な動きをした事にも気づいていないようだ。いや、もしかしたらローザはセルジュに気づいたかもしれないが、今日のマリーの話でセルジュに良い印象を持っていない彼女はたとえ気づいていても、あの距離であれば見なかった事にしているだろう。
ローザ含めたエスト公国一行が食事をしているとはいえ、その中にはマリーもいるのだ。この場にしれっと加わるのではないか、と考えていたヴィンスだったが、その当ては外れる。
セルジュはマリーを見た瞬間悲しげな顔をして、背を向けて来た道を戻っていったのだ。その背中には哀愁が漂っていた。
そんな彼を見て、ヴィンスはふとある言葉が頭の中を駆け巡る。時計台の観光を終えた後、一瞬ではあるがローザとヴィンスが二人で話す時間があったのだが、その時のローザの言葉だ。
「ねぇヴィンス。セルジュ君とマリーの関係ってなんなのかしらね」
そう聞かれてヴィンスは言葉が詰まった。初めて会った時、二人は恋人同士なのだろうと考えていたのだ、しかし、訓練が始まり彼らと関わると、どうもそこまでの関係では無いような気がしている。特にマリーにはそのような気配が全く感じられないのだ。
答えられずに曖昧に笑っていると、ローザは「合っているか分からないけれど」と前置きをしつつ、話し始めた。
「私の予想では、セルジュ君の考えているマリーとの関係と、マリーが考えているセルジュ君との関係が食い違っているから、一言で現す事ができないのかもしれないわ」
「……つまり？」
「セルジュ君は、マリーを好きな人として……まぁ、それに近い者として見ているんじゃないかしら？一方で、マリーは彼の事を弟かなんかだと思っていそうじゃない？だから不思議な関係なのよ」
実際はセルジュがマリーを恋人だと思っているのだが……彼らがマリーたちに会う前に起こった事など知る由もないので、その事に気づかないが。
ローザの言葉が正しいとすると、以前マリーの話を振った時のセルジュの表情が理解できる。あれは独占欲の塊が顔を出していたのだ。
その事に思い当たったヴィンスは、セルジュの人間像を少しだけ理解した気がした。
きっとマリーが他の人と仲良く会話している姿を見て、嫉妬したのだろう……いや、それだけではないはずだ。彼の複雑な胸中がなんとなく理解できる。
だが、そこで同情するヴィンスではない。セルジュが気づかないのであれば……、と心の中で考えるが、その胸中は誰も知る事がない。人の良い笑顔を浮かべて、彼はローザやマリーの話に戻っていった。
翌日からまた訓練が再開する。
トマとパスカルは、テレンスに毎日くたくたになるまでみっちりと訓練を受けており、止まっている宿に帰宅をすれば静かに食事をして、お風呂に入ってそのまま寝るという生活を送っていた。
マリーは数日後、聖女の力が馴染んだとローザにお墨付きをもらい、実際に浄化の力の発現に力を注いだ。魔術はある一点に魔力を集めれば発動できる力であるのに対し、浄化の力はある一定の範囲内を満たす様に力を広げなくてはならない。その理解がやはりマリーも難しいようで、浄化の力の発動には苦労していた様だ。
とは言っても、マリーが一人で訓練している時と比べれば、数倍早いスピードで習得できているのではないかと思われる。浄化の力は与えられた借り物の力を利用することもあり、発動の回数が多ければ多いほど疲労が蓄積し、倒れてしまう。ローザも一度練習で倒れ、目が覚めたのは翌日だったそうだ。単に寝ているだけと医者から診断されたのでよかったが、彼女が倒れた時に周囲は大慌てだったらしい。
数回の発動であれば問題はないが、十回以上の発動は倒れる可能性も考えてローザから止められている。一回一回の発動を大事にする訓練であるため、マリーとローザはより色々と話し合う事が多くなり、少しづつ信頼関係を構築していく。
今日も浄化の力の訓練が終了し、空間魔法と支援魔法の訓練をこなしているマリーにローザが話しかけた。
「ねぇマリー。今日は少しゆっくりしない？」
ローザのお陰もあり、マリーの空間魔法や支援魔法も質が大幅に向上している。そんな成長を見せても、まだ足りないのか愚直に訓練を行う姿は、尊敬に値するほどだ。マリーは集中すれば休憩を忘れるほど没頭してしまうので、ローザが折を見て声をかけているのである。
マリーが返事をする前に、ローザは近くにある木の根元に座る。座っている場所にはシートのようなものが置かれている。そして手に持っていたバスケットをシートの上に置き、マリーの手に魔法をかけた。清浄魔法である。
「マリー、今日のお昼はサンドウィッチよ」
そう言って手渡されてしまえば、マリーは休まざるを得ない。ローザの横に座り、サンドウィッチを受け取ってお礼を言って食べ始めた。
いつもであれば、浄化の力の話や魔法の話で盛り上がるのだが、今日は違った。
「ねぇ、マリー。マリーはどんな所で暮らしていたの？」
思わず目をパチリと見開いてしまったマリー。その表情にローザは不安を感じていたが、それは杞憂だった。いつもと同じような話をするのかと思っていた彼女だったため、聞かれることに驚いただけだったようだ。口の中に入っていた食べ物を飲み込んでから、話し始める。
「うーん、どんな……この街よりずっと田舎の村で、辺境の村と呼ばれるくらい王国の端にある村……かなぁ？」
マリーとセルジュの出身地である村は、辺境の村と呼ばれている。一応代々伝わる村名もあるらしいが、あまりにも辺境の村呼びが定着したため、今や本当の村名を知るものは村長以外にいないらしい。
「同い年なのはセルジュだけで、私たちを含めても子供は十人くらいしかいなかったよ」
「そんな少なかったのね！他の人とは話したりするの？」
「うん。話すけど、やっぱり一番一緒にいるのはセルジュだったかな？村の女の子は母親の手伝いをしていたし、男の子は父親の手伝い……特に農業……をしていたから、あまり時間が合わなかったなぁ」
「女の子に狩りって余り教えないと思うのだけど……何か切っ掛けがあったの？」
「多分空間魔法が使えたからだったと思う。最初は荷物持ちとして最低限の護衛術を教えてもらって、狩りについていくだけだったんだ。見ていて狩りが面白そうだったから、教えてもらったんだったかな？」
と笑って答えるマリーの顔は、その時を思い出したのか楽しげだ。
そんなマリーを微笑ましく見るローザに彼女は尋ねた。
「ローザはどうだったの？」
「私？私は幼い頃から屋敷で勉強ばかりだったわ……。ただヴィンスとテレンスを紹介された後は、彼らと一緒に屋敷を抜けて街に遊びに行ったり、勉強をすっぽかして庭で遊んだりしたわね」
「街を歩き慣れているな、なんて思っていたけど、そう言う事だったのね」
「ええ。バレて皆でお父様に怒られた事もあったわ」
「そうなの？」
「そうよ〜。聖女に選ばれたときなんか、『やったぁ！』って声を上げてしまって、お父様に睨まれたわね」
「なんか想像できるね」
クスクス笑うマリー。その表情に固さはもう無い。ローザは彼女の変化を心の中で喜びながら、核心へと迫っていく。
「ちなみに、セルジュ君とは幼馴染なの？」
「そう。家が隣だったから幼い頃、よく一緒に遊んでいたの。村の仕事も一緒だったから、一番関わっていたのはセルジュだね」
「そうなのね！……物語だと幼馴染と恋人だったり、婚約者だったりなんて関係も多く書かれているけれど、マリーもセルジュ君とそう言う関係だったりするの？」
「それは無いなぁ。強いて言うならセルジュは私にとって家族みたいな存在かな？」
「分かるわ。私もヴィンスやテレンスは家族同然の存在だもの」
そう笑いながらローザはマリーを見ると、彼女は目を見開いて固まっている。どうやら何かに驚いたらしい。
「あら、何か驚く事があった？」
「いや、てっきりヴィンスさんとローザは好き合ってるのかと思ってて……」
そう言われて逆にローザが固まってしまう。マリーの言葉を一瞬理解できなかったのだ。その姿を見てマリーが勘違いだと言う事に気づいたらしい。恥ずかしがっている事に気づいてローザは優しく微笑みながら話す。
「確かにヴィンスは誰にでもああだから、マリーが勘違いしてもしょうがないわね。……私は婚約者一筋よ！」
言い切ったローザにマリーは罪悪感を感じたようで、少し狼狽えている。
「あの、ごめんなさい……勘違いしてしまって……」
「ん？別に気にしないわ！それ以上に、マリーが色々と私に話してくれるようになった事が嬉しいの」
慌てているマリーの手をローザは自分の手で包み込んだ後、続けた。
「これからも一緒に頑張りましょうね！マリー」
「ええ！」
「それじゃあ、訓練を始めましょうか？」
ニコニコと笑い合う二人。マリーも落ち着いたらしく、そこに恐れはなかった。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
このまま週一で更新する予定なので、これからもよろしくお願いします！
