訓練
彼らが顔を合わせて数日。
毎日のように、マリーとローザはギルドの訓練場、もしくは街を出て東側にある平野での訓練を行っていた。訓練の仕方を知ったマリーは、訓練後も暇さえあれば魔力操作を行い聖女の力を身体に馴染ませていた。そのためか、力が馴染むスピードはローザが目を見張るほどであり、後二、三日ほどで完璧に馴染むのではないかと思えるくらいにまで成長している。
聖女の力に関しては順調なマリーであったが、最近は空いている時間をほぼ全て魔力操作で使っていたものだから、身体を動かしていない事に気づく。身体が鈍る事を恐れたマリーは、ローザにお願いして魔法をマリーに向けて投げてもらい、マリーはそれを回避する事で身体を動かしていた。
ちなみにセルジュとヴィンス一行、彼らはギルドの依頼を受けに行った次の日から、セルジュとヴィンス、トマ・パスカルとテレンスに別れて訓練を行っていた。初日にセルジュ一行の実力を把握したテレンスが、特にトマ・パスカルの実力に不安を覚えたからである。
神に選ばれた聖女の仲間は、伸び代も含めて力のある人間を指名する。指名されたトマとパスカルも実力はあるのだが……彼らは旅に出てからの間、メルリアに付き合う事で自身の訓練を怠っていた事もあり、セルジュやマリーに比べて実力の伸びが低い。
メルリアは街の宿でも彼らに護衛をするよう指示していたが、二人で護衛しろ、という話は一度もしていない。むしろ、「一人でいいから、護衛をお願いしたいわ」と毎回話していたのだ。彼女だって強くなるためには鍛錬が必要な事くらい理解している。それに彼らが強くなればなる程、自分の身の安全が高くなる事をきちんと理解していたために、この言葉を投げかけたのである。
しかし、トマとパスカルは毎回「二人で」護衛をしていた。マリーがギルドで情報収集し、セルジュがギルドの依頼を受けたり、トレーニングなどを行っていたりと訓練している時にだ。トマとパスカルは同じ事を繰り返す鍛錬が苦手なのである。聖王国の王城で訓練していた時は、宮廷魔道士や騎士に扱かれていたのだが、彼らの元を去った今、トマとパスカルは彼らに指示されていた訓練を怠けるようになっていた。
心の中では、「護衛をしていれば、鍛錬をしなくても大丈夫だろう」という甘えがあり、自分が鍛錬を行わない理由がメルリアにある、と彼女に責任転嫁していたのだ。腕が落ちるのは当たり前である。
「こんな実力でマリーさんを守れるのか?」とテレンスに言われた二人は、俯く事しかできなかった。元聖女であるメルリアが戦闘に慣れていなかったからこそ、今はまだ瘴気の渦が小さい場所を回っているのである。瘴気の渦の大きさによって魔物の力も異なり、小さい場所は弱い魔物が多く出没するため、本来であればパスカルの魔法、もしくはトマの片手剣一発で倒すべき所なのだが、二人はそんな弱い魔物すら一撃で倒す事ができなかった。ちなみにセルジュは一撃で倒していたが。
ここに来て実力不足を痛感した二人は、翌日からテレンスにボコボコにされていた。二対一での戦闘訓練を行っているようだ。テレンスは、トマとパスカル二人がかりで戦ってもかすり傷を負う事もなく、躊躇なく彼らを叩きのめす。そんな彼らにとっては地獄の日々が続く。まあ、自業自得であるが。
一方、セルジュとヴィンスは朝食後に短時間打ち合うのみで、午後は二人でギルドの依頼を受ける事もあれば、個人個人で鍛錬を行ったりと自由に過ごしていた。ヴィンスから見てもセルジュは剣筋も良く強いため、実戦で訓練するべきだろうと考えたからだ。トマとパスカルとは違い鍛錬も欠かさず行っており、それも彼に合ったものであった。ヴィンスとしてもこの鍛錬を考えた人に教えを乞いたいくらいだ。
今日も同じく、セルジュとヴィンスは実戦形式の打ち合いをしていた。二人で近くの木陰に休んでいた時、木に寄りかかって座っているセルジュの前にヴィンスが立ち上がる。立ち位置から考えれば、ヴィンスがセルジュを見下しているようにも見えるのだが、他人に興味がないーー興味があるのはマリーだけーーであるセルジュは気にしない。
そんなセルジュの顔色を変えたのが、ヴィンスの一言だ。
「マリーちゃんって可愛いよね」
まるで天気の話でもするような軽いノリで話し始めたヴィンス。その朗らかな笑顔から彼は腹の底で何を考えているのか、マリーにしか興味がなかったセルジュは読み取れない。
いや、正確に言えば他の男がマリーに恋慕を抱いた時のセルジュの嗅覚は鋭く、マリーに恋をした男は精神的に叩きのめされ諦めざるを得なくなる。ちなみに無言の圧力という精神攻撃。イケメンに毎回無言で睨まれるのは、意外と怖いのだ。
ヴィンスも今までと同じようにマリーの話題を出したヴィンスを睨め付けるが、彼はまるでそんなセルジュの顔色に気づいていない雰囲気で、のんびりと話し始めた。
「セルジュ君とマリーちゃんは幼馴染なの?」
「……」
「無言かぁ。マリーちゃんの話をすれば、話してくれるかなと思ったんだけどな」
彼は肩を竦める。相手の考えが見えない事に困惑するセルジュをヴィンスは苦笑いで見ていたが、「打ち合いはおしまい」と声をかけて、背を向けて街に戻って行く。
そして彼らが合流して一週間後。
マリーの聖女の力はローザの考える以上の速さで身体に馴染んでおり、彼女のお墨付きを得る事ができた。後二、三日は念の為に聖女の力を馴染ませる訓練を行い、その後は浄化の力の発動訓練を行う事になったとローザは夕食時に全員に伝える。
ローザは優秀なマリーをベタ褒めし、その姿を微笑ましく見ているのがヴィンスだ。まるで愛しい人を見ているような……もしくは可愛い妹を見ているような優しい目をしている。
テレンスは目を見開いて驚いているようだ。それもそうだろう。ローザの教えがあるとは言え、彼の想像を遥かに上回る速さで聖女の力を身に付けているのだ。早くてもローザと同じくらいは掛かるだろうと考えていたテレンスは、マリーの勤勉な部分を評価していた。
ちなみにセルジュは、「マリーだから当たり前だろう」……と思ってはいるのだが、言葉にする事もなく無言で食事を取っている。そこで褒めれば良いのに、残念である。
マリーはローザの褒めのテンションに恥ずかしくなり、耳を真っ赤にして俯いている。その姿にまた萌えているローザがいるのだが、マリーは気づいていない。
そんなマリーが顔を上げると、丁度目に入ったのがトマとパスカルである。彼らと会う夕食時、いつも疲れているようだったが、今日はいつにも増してボロボロだったため、思わず声をかける。
「あの……トマさんとパスカルさん、大丈夫ですか?」
「あはははは……」
いつもであればニコニコと話し始めるパスカルだが、今は口を開くのも辛いようで、まるで壊れた人形のように笑っている。トマに関しては、口を閉ざしている。
見兼ねたヴィンスがテレンスに話しかけた。
「テレンス、どんな訓練をしているの?」
「ああ、親父がよくやるあれだ」
「え?あれを?」
ヴィンスの顔が引きつるのを見たマリーが、恐る恐る彼に尋ねる。
「ああ、実戦訓練と言ってエスト公国の騎士から恐れられている訓練があるんだけど、方法は簡単。目の前に立っている団長に一撃入れたらその訓練は終了なんだ」
相手に一撃入れる……それだけ……?と思ったのだろう、マリーは僅かに眉を寄せていた。ヴィンスも彼女がそう考える事を否定せず、「そう思うよね」と同意する。
「でも、言い換えれば一撃が入らなければ終了できないんだ。団長に反撃を喰らって倒れていても訓練に参加させられるし、休む暇もない。彼が『訓練終了』と言うまで延々と続くんだ。しかも団長は部下の動向を把握しているから、規定時間以上動かない人間には容赦無く魔法が飛んでくるし……しかも団長に一撃与えた者はいないらしいよ。副団長以外はね」
勿論、反撃も魔法も部下の動きが鈍る程度に手加減されているため、わざと倒れて休むわけにもいかないのだ。そんな事をしていたら、すぐに魔法が飛んでくる。
幸い騎士団は一個隊でも数十人単位でいるため、必然的に交代が必要になる。だから永遠に続くわけではないのだが……
「トマ君とパスカル君だけで訓練をしていると言うことは、お昼以外の休憩がほぼ無いんじゃないかな?」
「いや、1時間に一回1分の休憩がある」
「短っ!!テレンス……流石に明日一日は休憩させたらどうだい?」
そう声をかけたヴィンスに、トマとパスカルの目が輝く。やはり相当厳しかったようだ。
テレンスはそんな二人の様子を見て眉を顰めるが、休憩は必要だと考えていたらしく、「そうだな」と返答する。その答えを聞いた二人はテレンスの見えないところで、ガッツポーズをしていたがテレンスにはバレバレである。
ローザはその言葉を聞いて何か思いついたようで、ナイフとフォークを皿に置いてから、隣にいるマリーに声をかける。
「テレンス、明日は訓練を休みにするの?だったらマリー、私たちも休憩しましょう!」
「え、でも……」
「気分転換も大事よ?あまり根を詰めすぎると、疲れちゃうわ。それに今のところ順調だし、明日一日休憩しても問題ないと思うわ。ねえ、折角なら観光しない?私も視察できるし一石二鳥!」
視察という言葉で思い出す。ローザは指導係としてマリーに付いているが、本来は未来の王妃殿下なのである。優先順位第一はマリーの浄化の力を発動する事ではあるが、市井見学を兼ねての事らしい。
と勝手に納得しているマリーの近くで、「また詭弁を……貴女が遊びたいだけでしょうに」とテレンスがボソッと呟いているが、幸いマリーには聞こえていなかった。
マリーはローザの提案を了承し、何をすべきだろうか考える。そんな彼女をじっと見つめているセルジュの姿には、最後まで気づく事は無かった。
全員の食事が終わり、マリーが先に席を立ち片付けに向かう。ローザも立ち上がり、その後に続こうとした時にヴィンスが声をかけた。
「ローザ。念の為、護衛として付いて行くよ」
「え?ヴィンスは訓練があるでしょう?付き合わせるのは悪いわ」
「いや、流石に女性二人だと心配だよ……それに明日は僕らも休憩するから大丈夫さ」
「そうなのかしら……?」
ローザはチラッとセルジュを一瞥する。その事に気づいたセルジュは首を縦に振った。明日の訓練がない事を了承したためだ。
そんな彼の姿を見て、ローザは「じゃあ、お願いしようかしら?」とヴィンスを護衛に連れて行く事にしたようだ。セルジュもマリーが誘ってくれるだろう、そう思いながら食堂を後にした。