後編
魔鳥を送ってから二日後、セルジュの元に届いたのは一枚の手紙。
彼はその手紙が来るのを今か今かと待っていた。現在、幸いなことに神託(偽神託ではあるが)で呼び出された支援魔道士が合流していなかった事もあり、メソンの街に足止めとなっている。メルリアは早くマリーを追い出したいがために、「支援魔道士が来ている」と嘘を述べていたようだ。
ちなみにマリーの行方もメソンのギルド長から教えてもらう事ができた。彼女は隣にあるジョヌーブの街で討伐依頼を幾つか請け負っているらしい。ジョヌーブの街のギルド長が懸命に引き止めているという事を知り、セルジュの心は段々と落ち着いてきていた。
そして遂に王太子からの手紙が届く。その手紙を開封すると、「偽」と言う文字が。やはり神託はでっち上げだったのだ。
憤怒に支配されそうになった心を宥めて、彼はその下の文章に目を通す。そこにはあと数日待つ様に、と書かれていた。
ーー何かが起こるのだろう。
そう考えたセルジュは、手紙を鞄にしまい、気分転換にと討伐依頼を受けるためにギルドの受付へ向かった。
数日後、王都にある神殿ではこの国に所属するほぼ全ての貴族たちが勢揃いしていた。上位魔物の討伐依頼が多いため手の離せない辺境伯以外は全員が召集されている。滅多に発令しない召集命令に、貴族たちは「何が起きたのか」と囁き合っており、当事者として呼ばれているデュポンド公爵も「何が起こったのか」と他の貴族同様に困惑していた。
そんな煩い礼拝堂であったが貴族全員が礼拝堂に集まるとカツカツと靴の音が響き始める。その音が大きくなるにつれて貴族たちの会話の声もだんだんと小さくなっていたのだが、壇上に三人の人間が現れたとたん、貴族たちの会話がまた大きくなった。
理由は、彼らの服装である。彼らが着衣しているのは、神託を授かる場面でしか着ることのないと言われている衣装。白い生地に金の刺繍が散りばめられており、謁見の場で神託の内容を伝えた時に彼らが身に着けていた服である。
あの服を着ている、という事は何か神託を授かったのでは、と気づいた貴族が多いため、滅多にない二度目の神託の内容がどのようなものか、予想を話し合う声があちらこちらで聞こえていた。
「静粛に」
凛としたテノールボイスが辺りに響き渡る。そこに居たのは国王と王太子、枢機卿の三人であり貴族たちを静かにさせたのは国王の一声だった。
冷気が感じられる程静寂になった神殿内。召集された貴族たちは背筋に冷たさを感じながら次の言葉を待っていた。
そして、枢機卿から発せられた言葉から、何故背筋が凍るような雰囲気であるのかを貴族全員が理解する。
「まず、貴殿らがここに集められた理由を伝えよう。数日前に神より『王国の支配層を神殿に集めるように』と神託が下ったのだ。その神託を授かった際、神は御怒りだった……理由は神が指名した者を、ある人間が追放したからだ」
貴族たちは驚愕していた。口をあんぐり開けて固まっている者、目を見開いて凍りついている者もいれば、情報通の者はそれを行ったであろう貴族に目線を向けている。しかしそんな静寂も一瞬で途切れ、「罰当たりな」「誰だ?!」等と、声を上げ始める者も出始めた。
そしてある貴族から「神はお怒りなのでしょうか?」と声がかかる。その声は騒がしい中でも神殿内によく響き渡り、貴族全員が小刻みに震えながら、枢機卿の回答を待つ。もしこの件で神がお怒りであれば、この国は滅亡に向かう可能性も否定できないからだ。
枢機卿は自身の感情が伝わらないよう、あえて貴族たちを威圧するように話す。
「神は再度このような事が起きぬよう、この場にいる全員に神託を授けて下さるそうだ。愚かな我らをお許しになった寛大な神に感謝を」
そう枢機卿が言い終わるや否や、祭壇部分が光り始める。驚いた貴族たちは騒めき始めるが、光が止むと同時にその騒々しさも一瞬で消え、貴族たちは祭壇に現れた光を纏った女性に釘付けになった。その女性は一枚の白い布を身体に上手く巻き付けて身体を隠しているが、その下に隠されている身体は豊満で美しい。背には白い翼、手には神殿に飾られている神の石像と同じような杖を持ち、この中の誰よりも威厳を放つ彼女に誰もが声を出す事ができなかった。そう、彼女が「神」だと認識したからである。
そんな彼らの視線など気にならないと言わんばかりの彼女、ヘーレーは彼らに神託を授けた。
「この度、我が指名した支援魔道士マリーを聖女メルリアが追放した。よってメルリアは神に背いたと判断し、彼女の持つ聖女の資格を剥奪す。そして代わりとして、追放されたマリーを聖女とし、浄化に当たれ。今この言葉を以てマリーを聖女とす」
「聖女がマリーを追放した」、その言葉だけでも驚倒するのだが、それ以上に「メルリアから聖女の力を剥奪する」という神託を授かった貴族たちは仰天する。再度確認を……と貴族たち全員が壇上にいた女性に目線を送るが、既に彼女の姿はなく、神託を言い終わった瞬間に祭壇から姿を消していた。その一方で、神の近くで神託を授かっていた枢機卿と国王、王太子は膝をついて神に感謝を告げる。この神託により、神がこの地を見捨てなかった事が証明されたからである。
神が消えてどれくらいになるだろうか。全員がもう既に神がいなくなった祭壇に祈りを捧げていると、その祈りを中断するかのように、枢機卿から声がかかった。そう、ここからが彼らの腕の見せ所である。ここで失敗し神を怒らせれば、神の庇護は今後授からない可能性もあるのだから。
「さて、この度の件だが……デュポンド公爵、立ちたまえ。マリーの追放には汝も加担していたと聞く。申し開きはあるかね?」
神が降臨した時から、彼だけはずっと顔が青く、小刻みに震えていた。先程までは全員が神に祈っていたから視線を感じる事はなかったが、今は全員から冷たい視線を浴びている。
耐えきれなかった公爵は、こう口に出した。
「む、娘から『マリーは役に立たない』と話があったのです!わ、私は娘の負担を軽くしようと……」
この期におよんで彼の口から出てきたのは言い訳であったため、枢機卿だけでなく国王と王太子も彼に失望する。枢機卿はこんな頭の悪い人間が筆頭公爵だったのか……と頭を抱えそうになったが、今はその姿を見せるべきではないと判断し、言葉を続けた。
「黙れ!儂がとある筋から聞いた話によると、マリーは足を引っ張ることなく、戦闘で何度もお前の娘を守り、空間魔法で大量の荷物を運び……きちんと活躍していたと聞く。もしかしてお前は娘の話の真偽を確かめることなく、偽証に手を貸したのか?……お前の罪は、マリーを追い出した事ではない。神から授かった神託を偽証した事が罪なのだ。神が寛大だったから聖女交代で許されたものの……もし、この件が神のお怒りを買い、聖女の力が剥奪されてしまえば、残りの瘴気の渦はどうなっていた?瘴気の渦を浄化する事ができないがために、上位の魔物が討伐できずに増え続け……それらが街を襲い……最悪、国が滅亡していた恐れもあったのだ。そのことを理解しているか?」
ヘーレーが神託を下ろした時からデュポンド公爵の顔は青くなっていたのだが、その後枢機卿に懇切丁寧に自身の罪を説明された事で、如何に自分が考えなしだったのかに気づいたらしい。彼の顔は真っ青から真っ白になっており、今では小刻みに震えていた。残念ながら彼は、神託を偽る事が国の滅亡に繋がる可能性がある、ということに気づいていなかったようだ。
「公爵よ、今までのお主の献身には感謝するが……今回の件は擁護できん……追って沙汰を申す。それまで自宅謹慎だ」
国王による言葉がトドメとなり、公爵は力が抜けたのだろう。地に膝をつけて頭を項垂れた。その姿は他の貴族全員が神殿を出ていくまで続いたという。
「マリー」
懐かしい声がする。いや、まさか彼はここに居るはずもない……そう思ったマリーが後ろを向くと、そこには無表情のセルジュがいた。心なしか怒っているように見えるのは気のせいだろう。
「あら、セルジュ。どうしたの?」
追放された私に何か用なのだろうか、と首を傾げていると、後ろから走ってくるトマとパスカルが。その姿を見たギルド長は「部屋を貸してやる」と言って、彼女たちを空室に押し込めたのだ。
そこでパスカルから聞いた話は、マリーにとってとんでもない話だった。
メルリアがマリーを追放したのは彼女の独断であった。父親である公爵の協力の元、ある大司教に賄賂を渡し偽神託を流してもらったのだそう。しかも父親に「マリーが役に立たない」と嘘をついて。役に立たない人間を娘の守りに入れるとは何事だ、と憤慨した公爵は、すぐ様マリーに見合うだけの人間を見繕い、枢機卿がいない隙をついて神託を受けたと手紙を送ったそうだ。
そしてその事がバレて、神様も激怒。メルリアは聖女の力が剥奪され、マリーが聖女になったらしい。
確かに、神が宣言したとされる日に不思議な出来事が起こっていた。光が身体の中に吸い込まれ、今までにない力が使えるようになった気がしていたのだが……それは錯覚ではなく、浄化の力が宿ったと言う事だろう。
それよりもマリーはメルリアの行動が気になっていた。
「うーん、私を嘘で追放してもすぐにバレそうな気がしますけど……」
パスカルは苦笑いをして話し出す。元々メルリアが短絡的に考える人だったこともあると話した上で
「僕たちは旅をしていますから、もし仲間が一人入れ替わったとしても、国王陛下は気づけないだろうと睨んだらしいですよ。僕たちの旅の内容の報告をしていたのは、公爵家の息のかかった人だったそうで……彼も多額の金子をメルリア嬢に貰っていたらしいですから、もしマリーさんが抜けても報告するつもりはなかったと思われます。公爵はまさか、各地のギルド長と枢機卿がタッグを組んでいるとは思わなかったらしく、そこからバレるとは思いもよらなかったのでしょう」
そう聞いてマリーも、そんなものなのかな?と納得する。当事者なので根掘り葉掘り聞けば教えてもらえそうだが、今はそれよりも自分が聖女になった、その事に驚いているため、それ以上彼女は追求しなかった。だからマリーも、メルリアが単に自分の実家に帰っただけだと思っていたのだ。
マリーは気づいていないがお察しの通り、今回の神託改竄の件は言ってしまえば国家反逆罪に問われてもおかしくはない。公爵は娘を溺愛し過ぎたが故の過ちではあるが、その過ちが如何にも大き過ぎたのである。今回幸いだったことは、この件に加担していたのは公爵とメルリアだけだった事だろう。公爵家はこれでも王家に次ぐ領土を治めている。流石にそれだけ大きい公爵家を潰すわけにはいかないのだ。
公爵は爵位を長兄に譲り、夫人とは離縁した。元々、彼は公爵家に婿入りした他家の人間だったからだ。娘を甘やかしていた元公爵は神託を改竄した罪で極刑が科せられ、毒杯を仰ぐ事に。
長兄と夫人は公爵を止められなかった事を悔やみ、デュポンド公爵領の領地の3分の1程を王家に返上し、公爵から侯爵に降格を願い出、受理される事となる。
爵位の降格は前代未聞であった。しかし、それもしょうがない事だと思われる。神の神聖な神託を汚した上に、神が偽証した事に怒りを覚えているのだ。咎め無しでいるわけにはいかない。むしろ、彼らから降格を願い出たので、王家はこれ幸いとその処置を行った。
侯爵家に降格後、メルリアはデュポンド侯爵家へ戻ったが、既に父親は毒杯をあおっており、実家にいたのはメルリアを冷徹な目で見ている母、長兄と、顔が真っ青になっている次兄だった。次兄も妹を甘やかした罰として過酷な辺境の地で警備兵として赴任する事が決まっている。
メルリアは聖女としての功績もあったため毒杯は免れたが、後日の国王との謁見で領地での謹慎が言い渡されたのだ。実際軽い刑なのだが、この刑によってその後彼女の貴族としての高いプライドはぼろぼろになっていく。
彼女の醜聞は社交界に広がる。公爵家が降格する、しかも聖女の力も剥奪されるという大スキャンダル。貴族がそのような話を放っておくはずがなく、メルリアは知らないところで「うつけ者令嬢」と呼ばれて蔑まれるようになっていく。それは領地の隅に住んでいた彼女の耳にも入り、その噂が彼女のプライドを引き裂いていった。
だが、それだけではない。初めに訪れた時には気がつかなかったメルリアだが、社交界での噂が耳に入った後、その屋敷に勤める使用人の目が、あの日見た母親や長兄と同じような冷たい目であるという事に気づく。彼女の悪行は市井まで伝わっており、その噂はメルリアの暮らしている屋敷まで届いていたのだ。今までは、彼らの様子など気にする事なく自身に対しての待遇が悪いのではないか、と使用人に怒鳴り散らしていたのだが、それは自身の行いが知られているからだった、という事に気づき愕然とした。
そして彼女がその事に気がついた時、彼女は使用人にも手がつけられないほどの癇癪を起こす。最終的にそれが長兄に伝わり、憤怒した長兄がある日を境にその屋敷の使用人全員を異動、転職させてしまった。そのため現在は一人で領民にも蔑まれながら生活しており、その日暮らしがやっとらしい。もうマリーとセルジュに手を出すことはできないだろう。
トマとパスカルが今回の件についての説明を終えギルドの部屋から退出すると、マリーとセルジュの二人っきりになる。第三者から見れば無表情であるが、マリーから見ればセルジュは怒っているようにしか見えなかった。
「セルジュ、何で怒ってるの?」
そう尋ねたマリーに対してセルジュは更に怒りが湧く。何故黙って街を出ていったのか、マリーにとって僕はそんな軽い存在なのか……言いたい事は山ほどあるのだが、言葉に出せないでいた。
ふと彼がマリーを見ると、彼女はセルジュの感情が理解できずに困惑していた。
そんなマリーの姿を見た彼は気づいたのだ。彼女はセルジュの感情が表情を見て分かるのであって、彼の考えている事全てを理解している訳ではない、という事。そして彼女が自分の感情を理解できているからとそれに甘えていた事にも。
今までマリーが彼の元から離れる事などほぼ無かったため、セルジュはやっと理解できたのである。
セルジュは心の中に燻っていた怒りの炎をゆっくりと鎮火させる。そして今一番伝えたかった事だけを、言葉にする事にしたのだ。
「ねえ、マリー」
「どうしたの?セルジュ」
「ずっと僕の側にいてね」
セルジュにとっては一世一代の告白だった。この言葉には、結婚して一緒に居てくれないか、という意味も含まれている。彼は顔色を変える事なく、彼女の返事を待った。肯定の言葉をくれると信じて。
一瞬眉を寄せて首を傾げたマリーだったが、満面の笑みで返答する。
「ええ、勿論!」
そして二人は適度な距離を保ったままトマとパスカルの待つ宿に向かう。二人の様子を見たトマとパスカルは胸を撫で下ろし、「またよろしくお願いします」とマリーに声をかける。
その後彼らは新しい支援魔道士に会う事なく、マリーを中心に瘴気の渦を浄化して回る旅に出立するのだった。
「ヘーレー、そんな苦虫を噛み潰したような顔をしてどうしたの?」
ユーピテルが不思議そうな顔で彼女を見つめる。
彼は鉱山の炭坑夫のような素晴らしい筋肉を持つ身体なのだが、その顔に浮かべられている表情はまるで子犬のようである。
「うちの息子はあんぽんたんだわ。全く、誰に似たのやら?」
「え、何があったんだい?」
「あんの阿呆、あれでプロポーズしたと思っているなら大間違いよ!何故言葉にしないのかしら……本当に誰に似たのやら……」
二度も同じ事を言われてユーピテルも萎縮してしまう。
「あんの馬鹿息子にマリーちゃんは勿体ないわ……誰か彼女を掻っ攫ってくれないかしら?」
そんなへーレーの独り言が現実になるのは、また別の話。
拙作をお読み頂き、ありがとうございました。
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今年も執筆活動は続けていきますので、よろしくお願いします( ´ ▽ ` )