前編
短編で載せようと思ったのですが、思った以上に字数が多くなったため、前・後編の二部構成にしました。
書き終えているので、ご安心ください。続きは明日投稿します。
*冒険のシーンが無いので、異世界ファンタジーではなく異世界恋愛に入れました。
「先日、神から新たなお告げを授かったとお父様より連絡が届きましたの。マリー、同じ仲間として頑張っている貴女に告げるのは心苦しいのですが……」
聖女であるメルリアに呼び出され、勇者パーティの一人であるマリーが泊まっている宿にある彼女の部屋に入ると、メルリアが悲しそうに呟いた。
彼女たちの住むユラニブレ聖王国では数百年に一度、神殿で神からの神託を授かる。今回も彼らが出立する一年前に、聖王国の王都にあるザヴボ神殿の最高権力者である枢機卿に『魔物を生み出す瘴気の渦を消滅させる』事について神託が降りたそうだ。
魔物を生み出す瘴気は、生物の発する負の感情により発生する。水が窪地に溜まりやすいのと同様に、負の瘴気を発生しやすい人間が多く住む街の近くにある洞窟や窪みなどに現れるのだ。なので、街の近辺に生じた魔物を発生させる瘴気の沼を浄化し、上位の魔物を殲滅する。これが勇者パーティの仕事である。
この度、瘴気の沼を浄化させる事ができる唯一の人ーー聖女ーーに選ばれたのは、公爵家令嬢のメルリア・デュポンド公爵令嬢であった。ふわふわでサラサラの金髪に、きめ細やかな肌。一つも荒れのない手。瘴気を浄化するメルリアの姿は、まるで女神のよう。そして公爵令嬢という地位を持ちながら、街の住民にも笑顔で手を振る彼女。彼女を一目見た平民たちは、彼女の事を聖女と崇めたてていた。同じパーティに所属するマリーでさえも、目の前にいるメルリアに目を奪われるほど彼女は美しさを身に纏っている。
そんな彼女を支えるのは盾使いで伯爵令息のトマ、魔法使いで侯爵令息のパスカル。そしてマリーの幼馴染であり、勇者である剣士セルジュ、そして支援魔法士兼荷物持ちのマリー。王命により全員で協力しながら、各地にある瘴気の沼を浄化して回っていた。
一方で、現在メルリアに解雇通告を受けているマリーはどこにでもいる平凡な女性である。どこにでもある黒髪、茶色い瞳。そして野宿をする時は料理当番として駆り出されるため、手は荒れ放題。メルリアの美しさからすれば、月と鼈……いや、比較をするのさえ烏滸がましい、といつもマリーは感じているくらいである。
そんなメルリアが目に涙を溜めつつ、狼狽ながらもマリーの目を見てこう告げた。
「神託で新しい支援魔道士の名前を授かったらしいの」
メルリアの瞳から涙が一筋こぼれ落ちた。その姿を見たマリーはとても絵になるな、なんて場違いな事を考えていたためか、一瞬メルリアの言葉を飲み込むことができない。
その様子を知ってか知らずか……メルリアは側に控えていた侍女から手渡されたハンカチを口元に当て、マリーから顔を背けた後更に言葉を続けた。
「新しい支援魔道士の方はもういらっしゃっているらしくて……急で申し訳ないのだけど……」
と、メルリアの声がどんどん小さくなっていく。
この言葉で、マリーは瞬時に理解した。
(そうか、私はお役御免なのか)
正直、今の今まで何故神託でマリーが選ばれたのか、腑に落ちなかった。神様からすれば、マリーはセルジュのオマケみたいなものなのかもしれない。勇者であるセルジュの近くにいた幼馴染が偶然、支援魔法と空間魔法が得意だったから、序でに入れたのだろう。
だから彼女より上位の支援魔道士がいれば、そちらに声がかかるのは当然だ、とマリーは思った。マリーからすれば、今までこのメンバーの中にいたことが奇跡のようなものだったのだ。その奇跡が終わっただけ。
瘴気浄化に関しての人事は、全て神殿側に任命権がある。何故なら、神託で討伐に参加する人間は神に指名されるためだ。マリーやメルリア含めた五人は、神から神託で名指しされているため、新たに神託が降り神殿側で「交代だ」と宣言されれば、そうしなくてはならない。
それを理解しているマリーであるが、内心では心が痛い。仕方のない事だ、とは分かっているが、悲しいものは悲しい。数ヶ月の間、彼らとは楽しく過ごしていたこともあり、正直その場所に自分以外の人の姿がいて、仲睦まじくしている姿を見る事を想像すると、もの哀しく感じる。
そんな思案を払拭するために、彼女は首を左右に振った。公爵令嬢であるメルリアの前で頭を振ることは無礼ではあるが、マリーの感情を悟っているのか、メルリアも隣に佇んでいる侍女も咎めることはない。
そしてマリーは感謝の言葉を紡ぐために、直ぐに彼女に微笑み直す。
「メルリア様、ありがとうございます。今までお世話になりました……他の方たちにご挨拶をさせて頂いてから、出立しますね」
仮にも半年間、メルリアも含めパスカルとトマにはお世話になっている。だから一言だけでも挨拶ができれば、と期待していた。ちなみにセルジュに対しては、「私が居なくても大丈夫だろう」という想いがあったため、手紙でも出せば良いだろう、と気軽に考えている。
だがどんなに鈍感なマリーでも、そんな思いも叶わないだろうと理解できる表情でメルリアは話し始めた。
「ごめんなさい、他の三人は出掛けているようなの……新しい支援魔道士の方は、長旅だったからできたら休ませてあげたいのだけれど……今宿が満室らしくて……」
暗に『部屋を開けて、早く出ていけ』と言われているように感じるのは、気のせいだろうか。いや、多分気のせいだろう。マリーは新しい支援魔道士やメルリアのために気を遣えない自分に、嫌気が差した。
「そうですか、でしたらすぐに私の部屋を開けますね」
「ええ、他の三人には私から伝えておくわ」
「ありがとうございます」
最後にマリーはメルリアを真っ直ぐに見つめ、礼を取った。その瞳には一刻も早くこの街から出て行こう、と決意が宿っていた。
こうしてマリーは他の三人に挨拶をせず、全員で泊まっていた宿を後にした。
(さて、どうしようかしら?)
マリーの手には、数ヶ月程旅ができるであろう硬貨が入っている袋があった。マリーが部屋の荷物を纏めている時に、メルリアの側にいた侍女から手渡されたものだ。「今まで助けてくれたお礼」らしい。
荷物を纏めて宿を出たマリーは、街道へ出るための門に向かうためにフードを被り、早足で向かう。無事に街の出入り口である門を潜り抜けた彼女は、以前王宮で貰った地図を手にどこへ向かうべきか考えていた。
(出来たら、みんなと鉢合わせしない街に向かいたいな〜。とすると、南のジョヌーブの街になるのかな?)
ジョヌーブの街は、今いるメソンの街に来る前に訪れた街である。メルリアが以前ジョヌーブの街に滞在した際、読み上げた王宮からの使者により届けられた宰相直筆の手紙によると、メソンの北にあるショマールの街に瘴気がある、と書かれていたはず。メソンの街は、ショマールの街に行く為の中継地点であるため、この街で疲れを取るために一泊する予定だったのだ。メルリアが「この街で休みたい」と執拗に話した結果の休憩だったのだが、彼女としては新たな仲間である支援魔道士を待つために何度も口に出したのかもしれない。
ちなみにマリーが今から向かう予定であるジョヌーブの街はメソンの街に来る前に、数週間ほど瘴気の浄化依頼のため留まっていた街だ。この街は周囲に瘴気の沼が複数あったため、他の街に比べると滞在時間が長かったこともありギルドの職員と深く関わっていた。
ちなみにマリーが特にギルド長や受付嬢と仲が良いのだが、その理由はマリーが積極的にギルドとの架け橋になっていたからだ。
メルリアはまだ旅に慣れないのか、街に着くと疲労からか落ち着くとすぐに宿で休息を取っているし、トマとパスカルは毎回メルリアから護衛を頼まれている事もあり、彼女の側を離れることができない。残りはセルジュであるが……一度マリーが買い物に出かける際、セルジュにギルドでの情報収集をお願いしたのだが、人見知りもあって受付嬢に話しかけられない……ということがあり、その後からは全てマリーが請け負っていた。
あのギルドマスターであれば、マリーの実力を把握している。だからソロだとしても依頼を受けるのに了承してもらえるだろう、と判断した。勿論、なるべく早くジョヌーブの街を出る予定だが、いくつか依頼を受ける事で他の町でも同程度の依頼が受けられる様にしておきたい、と考えている。きちんと依頼を遂行する事ができれば、その結果は他のギルドでも共有され、マリーが他の町で依頼を受ける際に、その実績をベースに依頼が紹介されるのである。
そこまでしなくてはならない理由は、彼女のソロの実力は知られていないためだ。通常の支援魔法士は戦闘力が低い事が多いため、マリーもそれに基づいて第三者から見た周囲の評価はあまり高くない。
だが彼女は、支援魔道士ではあるがそこそこ体術や攻撃魔法も使えるため、戦闘力は盾使いのトマの次に高い。特に体術は一発で魔物を倒すような威力を持ち合わせていないが、自分に支援魔法を使えばそこそこ通じる。支援魔法を自身に使えば、セルジュ、トマの次に戦闘力があると言っても過言ではないだろうが、二人で前衛は足りているため彼女が前衛を担当する事はなかったが。
「皆驚くだろうなー」
またギルドの皆に会えると思うと、少しだけ心が軽くなる。手に持っていた地図を収納魔法の中に放り込み、大股で歩き始めた。
「え……、ちょ、ちょっとマリーさんじゃないですか!?どうしてこの街にいらっしゃるのですか?!」
「あー、それはね……」
1日程かけてジョヌーブの街に戻ってきたマリーは、以前お世話になったギルドの受付嬢の元に足を運んでいた。この街から村に帰るには、どの道が一番近道なのか。それを知るためには、交通網を把握しているギルドが一番である。序でに今日はこの街に泊まる予定だったので、良い宿が無いか聞くためでもあった。
メルリアたちと来た時はその街の最高級の宿を必ず利用していたため、その他の宿の様子は分からない。マリーがメルリアから貰った手元の資金では、そのような宿に泊まれば数日ほどで無くなってしまう。それに、マリーが最高級の宿で寝ようとすると、布団が柔らかすぎて身体が固まってしまうのだ。それでも良い宿に泊まっていた理由は、「良い布団でないと身体が休めないから」とメルリアが話していたからである。
2日程で終わりそうな依頼を受けたら早々に村へ帰ろうと考えていたマリーだったが、驚くべき事にマリーの元に来たのはギルド長だった。右手を上げて、子どもが見たら大泣きされるのではないか、と思うような笑顔でマリーの元に近づいてくる。
「よお、マリー。話は聞いた……帰ろうとしているところ、悪いんだが。瘴気の後遺症で魔物の討伐依頼が溜まってるんだ。ちょっと手伝ってもらえないか?報酬は勿論、きちんと用意させるから」
「そんなに魔物が多いのですか?」
「いや、魔物が多いと言うより、討伐できる程度の実力を兼ね備えた冒険者が少ないんだ。瘴気が無くなったからと、他の瘴気のある地域に向かった冒険者が多くてな」
確かに瘴気が無くなる事は、上位の魔物も少なくなり高収入依頼も減少すると言う事。収入を目当てに冒険者の道を歩んでいる人たちから見れば、瘴気の無くなった街の依頼の収入は安く感じるだろうし、移動してしまうのも無理はない。ただでさえ、今聖女が瘴気の渦を浄化しているという情報が出回っているのだ。今のうちに稼げるだけ稼いでおこう、と思う冒険者も多いだろう。
そう思い当たったマリーは、お世話になったギルド長の力になりたい、と考える。彼の手元にある討伐依頼を見てみると、彼女一人でも倒す事ができそうな依頼が多い。依頼も魔物の群の討伐依頼は彼女一人だと手に余るのだが、その事も考慮されているのか多くても片手で収まるくらいの個体数の討伐依頼なので問題なさそうである。
それにここでいくつか依頼を受けて、実力を示そうと思っていたのだ。渡りに船である。ただ依頼書の枚数が多いのは少し気になるが。
あとは以前お世話になったギルド長の頼み。断るのは申し訳ない。
「良いですよ」
「おお、助かる!依頼は明日からで良いぞ」
「えっ……でも……」
まだ昼過ぎたばかりである。そこまで疲労を溜めていなかったため、今からでも討伐に向かおうとしていたマリーは狼狽える。私に頼むくらいだ、緊急案件ではないのか、と当惑するマリーの考えが顔に出ていたのだろう、彼は「実は頼もうと考えている依頼は、斥候が帰ってきていないんだ」と小声で話す。
なるほど、とマリーは頷いた。ギルドは討伐依頼を出すに当たって、特に上位の魔物の討伐依頼であれば、依頼書に書かれている事が事実なのか、という部分を精査している。そのためギルドはお抱えの斥候や冒険者に依頼し、依頼書の内容に過不足がないか、情報収集を行っているのだ。
現在ギルド長が手に持っている依頼書は、まだ依頼書の内容が確認できていないと言う事なのだろう。上位の魔物の場合、情報収集も時間がかかる。時間がかかればかかるほど、この街から上位冒険者の数も減るのは仕方がない。暗に情報確認が終わった後、対応してくれと言っているのだろう。
「分かりました。明日また伺います」
「よろしく頼む」
頭を下げたマリーは受付嬢から教わった宿に向かう事にした。ここに居てもやれる事はないからだ。ギルド長と受付嬢に見送られ彼女はギルドを後にする。
だがマリーは知らない。ここから彼女を引き止めるために水面下で彼らの攻防が始まるのだ……
マリーが宿に帰った後のギルド内。ギルド長と受付嬢数人が走り回っている。依頼を終えた冒険者たちの目からも、その光景は異様な雰囲気に見て取れた。こんなに慌ただしい事など、一度もない。もしや、強敵が出現したのか……だが、瘴気の渦は浄化されたはずだ……と冒険者たちが噂をしていたその時、ギルド長の声があたりに響いた。
「エリス!討伐依頼は幾つ用意可能だ?!」
「現在三つほどです!」
「一週間は保つか?」
「保つとは思いますが……」
ギルド内ではマリーをこの街に引き留めるための依頼探しが始まっていた。マリーから聞いた追放劇、あれは聖女の茶番劇だろうとギルド長は見当をつけているためだ。普段から子どもに怖がられているギルド長だったが、現在の彼には良い大人ですら恐怖を感じる、そんな形相で仕事をこなす。
依頼を終えた冒険者がギルドに入ると、異様な雰囲気に尻込みしそうになる。特に忿怒の表情で指示を出しているギルド長には関わりたくない……と思うくらいだ。彼が怒る時は、冒険者の誰かがギルドの掟でも破った時……そう考えた冒険者たちは、ギルド長の怒りのとばっちりを受けないように静かにギルドを退出しようとしていたが、次の言葉で冒険者たちに罪がない事を理解する。
「やりやがったな、あのクソ公爵とクソ娘。いつかやるとは思っていたが、枢機卿の出かける隙をついてやりやがった……とにかく、マリーを引き止めるんだ!!」
マリー、と聞いて彼らは驚く。そう、数週間前にこの街の瘴気を浄化した聖女一行の仲間の名前だったからだ。マリーがこの街に居て、彼らが引き留めようとしていると言う事は、聖女がマリーに何かしたのだろうと、冒険者たちは予想がついていたし、情報をある程度掴んでいた冒険者からすれば、聖女がマリーを追い出した事に気づくだろう。
これ以上頭を突っ込んでしまえば、ギルド長に八つ当たりされるかもしれない。そう考えた冒険者たちは、換金を終えるとそそくさと出て行った。ちなみに、この話は後日広まり、冒険者の中で酒のツマミとして聖女一行のニュースと共に笑い話になっていくのだ。
ちなみに、何故そこまでギルド長がマリーを引き留めているのか、それはメルリアの話がでっち上げだろうと考えているからである。理由は、人事に関する伝達方法が異なっていたからだ。
瘴気浄化の人選は神殿トップである枢機卿が神からお告げを賜り、直々に勅命を出すという形を取っていた。現枢機卿はとても公明正大でお告げを改竄する様な人間ではないため、ギルドや国からも信頼が厚い。
ただし、神殿も残念ながら一枚岩でできているわけではなくいくつか派閥が出来ており、枢機卿を支持する質実剛健を主とする神殿派と、寄付が多い貴族を尊重する貴族派と主にこの二つに分かれていた。神殿派の人間はともかく、貴族派の人間は金で動き富を蓄えようと目論んでいるため、枢機卿のような真面目な性格の人間はいないのだ。
枢機卿から聖女に指名される、これはこの国の貴族からしたら名誉の中でも最も価値の高い名声である。もし賄賂で聖女の名が貰えるのであれば、高位貴族は金を積むのを厭わないであろう。
そう考える貴族がいるからこそ、可能性の一つとして神殿の人間を金で動かし、神託を変えようとする輩がいるのではないか、と枢機卿は頭を抱えていた。その時は、まさか聖女自身が神託を変更させようと裏で手を回すとは、誰が思うだろうか……
それはともかく万が一の時のために、枢機卿は手を打っておいたのだ。そこで白羽の矢が立ったのがギルド長たちである。ギルドは国とは別組織であり、国や貴族からの干渉は受けない立ち位置にいる。その上、ギルド長に納まっている人々は、金で動く様な人間はいないと枢機卿は判断した。貴族や神殿内部の人間より信用できるのだ。
そのためギルドと枢機卿率いる神殿派、そして国王陛下と第一王子である王太子の三組で人選変更に関する手続きの手順についてを秘密裏に決めていた。人選に変更等がある場合、枢機卿直筆の手紙が聖女一行に一番近いギルドのギルド長宛に速やかに届けられ、ギルド長から聖女一行に人選変更の件を伝える、これが正式な手順と決められているのだ。
今現在ジョヌーブの街のギルド長の元にはそのような話は来ていない。もし人選変更の話があれば、このギルド含め他のギルドにも変更の話がすでに来ていてもおかしくはないはずである。しかもマリーの話からすると、「公爵の手紙」でそのようなお告げが出たと言っていた。
ここから予想では、マリーの脱退はメルリアと彼女の父である公爵が仕組んだ嘘だと考えられる。だが、万が一のことを考えて裏付けも取らないといけない。だからギルド長は少しでもマリーをこの街に留まらせ、この件が正当なのか、不当なものなのかを把握し、不当なものであればマリーを聖女一行の元に戻すために尽力しなくてはならないのである。
時は戻って、マリーが街を出た数刻後の事。トマ、パスカル、セルジュはメルリアの部屋に呼び出されマリーと同様の話を聞いていた。その時、メルリアの耳に聴き慣れない声が届く。
「は……出て行った?」
その声を聞いてメルリア、トマ、パスカル、が目を見開いて硬直していた。
それもその筈。滅多に喋ることのないセルジュの声が聞こえたからである。
セルジュはマリーと幼馴染である村の出身であるが、マリーのような平々凡々な外見(と本人は思っているが、側から見れば可愛らしい外見)とは異なり、まるで絵本の中から現れたのだろうかと感じるほどの美貌を持っていた。その風姿は目の肥えている公爵令嬢であるメルリアを唖然とさせ、惹きつけてしまうほど。王都で行った出立パレードの時も、一目彼らを見ようと参列していた女性の目を掻っ攫っていた。
しかし、天は二物を与えなかった。彼は他人と会話をする事が大の苦手な上、綺麗な顔はいつも無表情。それだけではなく人見知りなのだ。セルジュが臆せず話せるのは、この中では幼馴染であるマリーだけだった。……話せると言っても、基本は一言二言しか喋らない。これは自分の両親に対しても同様である。
メルリアやトマ、パスカルが彼の言葉を最後に聞いたのはいつだったろう。初めてセルジュと出会った時からもう少しで一年ほどになるが、メルリアやトマ、パスカルは両手で足りるほどしか彼の発言を聞いた事がないのだ。しかも、聞いた事がある言葉は「はい」とか「いいえ」の様な返答だけ。
それに拍車をかけたのは、マリーの存在もあったから。彼女は幼い頃からセルジュの顔色を読むのが上手かった。いつもセルジュの側にいて思考を読み取り、他人に伝えていたのは彼女だ。今回の旅もセルジュとマリーは共にいる事が多かった事もあり、マリーが我先にセルジュの考えに気づき、動いていたから彼は声を出す事が滅多になかった。
マリーは気づかないうちに彼の成長機会を奪っていたのが問題であるし、一方でセルジュもその環境に依存し、甘え切っている事も問題だった。だが二人は他人に指摘されることがなく気づかないまま、ここまで来てしまったのである。
もしセルジュがこの状態を「当然」と思い込むことなく、旅の最中一言でもマリーに感謝の言葉を投げかけていたら、マリーの行動も変わったのかもしれないのに。残念ながらこの話を聞いた時点では、既に手遅れであった。
「マリーが出て行った……?」
表情すら滅多に動かさないセルジュの顔に驚愕の色が浮かんでいる。まさかマリーが自分に何も言わずに出ていくとは思っていなかった、そんな顔だ。
セルジュはいつも助けてくれているマリーに、態度で好意を伝えているつもりだった。言葉で現すのが苦手な分、態度で示そうと……だから彼は彼女の側にいつも居たし、彼女が何かをしてくれた時は肯いていた。
そんなセルジュの行動にいつもマリーは笑っていたはずだ。彼女はセルジュの様子を伺うのが得意だから、自分の愛情にも気づいているはず。そう彼は思っていた。それが実は全くの見当違いだった事には気づいていない上に、マリーが恋愛感情について鈍感で理解していない事にすら気づいていない。
一方で最初は聞き間違いかと思っていたメルリアも、再度セルジュが呟いた事で彼が喋っているのだと確信する。初めて彼の返答以外の声を聞いたメルリアは、落ち着きのあるハスキーボイスにうっとりと耳を傾けるも、その口から他の女の名前が出た事に内心苛立ちを覚えた。
折角目障りなあの女を排除したのに、何故彼はあの女ばかり見ているのか……あんな凡庸な人間に私が負けているはずがない、と。
彼女は全て欲しい物は手に入れてきた。デュポンド公爵家では父や次兄に強請れば、いつも何かしらの贈り物も貰えていた。長兄と母は眉を顰めて見ていたが。そしてトマもパスカルも護衛として、いつも彼女の我儘を聞いてくれている。マリーに何かを命じる事はないが、彼女も空気を読んで動いてくれるのだ。そう、唯一彼女の思う通りに動かないのがセルジュだ。
セルジュには恋人にならないか、と匂わせる事を何度か伝えていた。メルリアとセルジュが並べば美男美女である上に、聖女と勇者なのだ。貴族から平民まで彼らの婚約を喜ばないわけがない。しかも彼は美麗ときた。メルリアの隣に立つのにこれほどふさわしい人間はいない、と彼女は考える。セルジュの地位は今は平民でも、父親に頼んで彼をどこかの養子に取ってもらえれば、地位など関係ない。勇者という肩書きがあれば、彼を養子に迎え入れようとする貴族など、掃いて捨てるほどいるだろう。
だがセルジュは冷えた目で彼女を見るだけで、一言も喋らない。何故その様な目をされるのかが分からなかった。
だからメルリアはその原因を「マリーのせいである」と考えた。何の変哲もない平民の女より、公爵家の令嬢として地位もあり、お金もある。そして極め付けはこの美貌。以前ある貴族から「薔薇が霞んで見える程美しい」と称賛された言葉を彼女は今でも忘れていない。マリーさえ居なければ、その場所はメルリアのものになるはずだ。
そんな対応に不満を持っていた時、彼女は外堀を埋めれば良いのではないか、と言う事に気づく。マリーを追い出して、セルジュを慰め彼の隣を奪えば良い。そして彼女のポジションには男性を入れて、女性をメルリアだけにすれば彼が目移りすることもない。後は侍女や新しく来た支援魔道士を使って、セルジュと懇意になったと噂を流せば……
そこまで考えてこの茶番を起こしたのだ。
メルリアは哀愁を誘う声で、セルジュに再度話しかける。
「ええ、神殿で『支援魔道士変更』のお告げを授かったと連絡がございまして、マリーさんには先に話を……」
させて頂きました、とメルリアが言い切ろうとしたところで、セルジュが思いっきり目の前にある机に拳を振り下ろす。力任せに叩いたからか、轟音が辺りに響き渡った。幸いな事に宿の備品である机が壊れることは無かったが、彼の行動に三人が衝撃を受けた上で固まった。
セルジュはそのまま彼らに背を向け、部屋から出て行く。三人が動き出したのは、扉がパタンと大きな音で閉まった後、しばらく経ってからである。
そのままセルジュは自身の部屋ではなく、ギルドに向かい空き部屋である一室を借りて手紙を書いていた。元々メソンのギルドのギルド長はセルジュと同じく口数が少ない人らしく、「空き部屋を貸してくれ」としか言わなかったセルジュに快く部屋を貸してくれたのだ。実際は、それしか言わないセルジュに受付嬢が困り切って、ギルド長に助けを求めたのだが。
ギルドを選んだのは、メルリア対策に他ならない。宿の部屋に居れば、メルリアが自分を追ってくるのではないか、と考えたからだ。彼女は生粋のお嬢様らしく、冒険者稼業に嫌悪感があるらしい。だからギルドに近づく事はない。ちなみに、その考えは当たっていて彼がギルドで一筆書いている頃、メルリアがセルジュと話すために、彼の泊まる部屋に向かっていた。
今までもセルジュはメルリアを避けていた。その理由はやけに馴れ馴れしいからである。彼としては、彼女が聖女だから守る対象に入っているのであって、そこに義務はあっても好意はない。しかし、メルリアは何を勘違いしたのか、彼に近づいては恋人になるよう暗に命じてくるのだ。何でも思い通りになるだろう、というメルリアの考えが透けて見えるため、段々と忌み嫌うようになっていったのだが、彼女は勿論気づいていない。
セルジュは幼い頃からマリー一筋である。特に村にいる時からずっと、マリーに寄ってくる男を排除していた程。現在共に仲間として過ごしているパスカルとトマも察しが良い方なので、マリーには最低限しか近づいていない。そのため、セルジュから見れば彼らは同じ仲間として認識している。もしマリーを狙っていたら、排除対象だっただろうが。
だが、そんな彼らも同じ仲間である公爵令嬢であるメルリアの行動を制限する事は困難だった。「同じ仲間として」という言葉は彼女の口癖であり、彼女は対外的にそう見える様に振る舞ってはいたが、実際はセルジュを含めた全員が彼女の言い分を聞いて当然だと思っている。それは彼女の父が公爵という地位にあり、彼女が聖女だからだ。事実、トマとパスカルは彼女を止める事もできないし、便宜をはかっていた。
手紙を書き終えたセルジュは、首にかけていた指輪を取り出し魔力を込める。するとそこに現れたのは、白い鳩の様な鳥だった。魔力で作られた魔鳥である。ある程度の魔力を持った人間が使用すると、白い鳩が現れ対の指輪の持ち主の元に手紙を届ける……もう一つの指輪の持ち主は、王国の王太子だ。
これは連絡用魔道具で、緊急に連絡を取りたい時のために、王太子がセルジュだけにその指輪の存在を明かし、渡したのである。メルリアに渡さなかった理由は、この指輪を緊急以外でも利用しそうだ、と彼が想像したからである。同様にトマとパスカルとマリーでは、メルリアに魔道具の存在がバレてしまう可能性は否定できない。トマとパスカル、マリーはメルリアに逆らう事ができないため、指輪の存在が知られれば話さざるを得ない。
だが、セルジュなら大丈夫ではないか、と考えたのだ。セルジュは他の四人に比べると圧倒的に口数が少ないため、指輪の存在が明らかになる確率が小さい。それに彼なら枢機卿のように公平に判断を下すだろうと感じたからだ。そのため、彼らが旅に出る数日前にセルジュを執務室に呼び出し、指輪を渡したのである。
セルジュは出てきた魔鳥の口に手紙を咥えさせ、空に放つ。それはぐんぐんと飛距離を伸ばし、すぐに目視では確認できない程になっていった。
夜、執務室で。瘴気浄化の件を対応している王太子の元に、一羽の白い魔鳥が降り立つ。初めは目を細めて鳥を見つめていた王太子だったが、口元にある手紙を見て顔が青褪める。この鳥がセルジュから送られた魔鳥であることに気がついたからだ。この指輪は有事時以外使用しないようにと彼に厳命している。つまり、この魔道具を利用するほどの緊急事態が起きたことに他ならない。
幸い、部屋には王太子と彼の右腕である側近以外誰も居なかった。魔道具をセルジュに渡している件については、側近である彼も知っている。なので躊躇なく、手紙を開封した。
手紙には一文しか書かれていない。彼らしい、と思いながらもその内容に顔を顰めた。
「殿下、如何致しましたか?」
「……聖女がやらかしたようだ」
「聖女が?」
手紙には「聖女がマリーを追い出した。神託が下ったとのこと。真か」と書かれている。王太子に出す手紙としては無礼にあたるだろうが、非常時であるので仕方がない。王太子もその文言を気にする事もなく、この短い手紙から内容を正しく把握した。
「これは陛下に即刻伝えなければ。ジュディ、悪いが先触れを出してくれるか」
「承知しました」
緊急時に枢機卿と連絡が取れる手段を持つのは、彼の父である国王陛下ただ一人。事態の真相を確認するために、彼は動き出す。
そんな彼らの姿をある場所から見ている存在がいた。
「あれまぁ、これはこれは……」
頬に手を触れ、水面を悩ましげに見ている女性がいる。金髪の髪は腰下まで伸びており、頭には葉っぱの蔓で作られたような冠を被っていた。困惑している様な言葉を投げかけているが、その女性の眉間にはシワが寄っている。
対面に座っている女性の言葉と表情が合わない事に気がついた男性が、彼女に尋ねた。
「ヘーレー、どうしたの?」
「ああ、ユーピテル。聖女に選んだ娘がね、セルジュの好きなマリーを追い出してしまったの」
「ああ……それは……」
ユーピテルと呼ばれた男性は顔が引き攣る。セルジュはマリーがいるから勇者として動いているのだ。と言っても、そんな事は人間たちには知る由もないのだが。
そう、彼らはこの世界を守護する二柱の神。彼らの主な仕事は瘴気の渦を浄化する時期を見極め、浄化に最適な人間を選定し、力の付与と回収を行う事である。
セルジュは元々ユーピテルとヘーレーの一人息子である。三人で世界を見守っていたところ、セルジュが当時二歳だったマリーに一目惚れをする。そんな彼を見た二人が彼女を伴侶として迎え入れる気があるなら、とセルジュを幼馴染として下界に下ろしたのだ。丁度瘴気の浄化の時期にも重なったため、誰かに勇者の力を与えるよりも、元々力を持っているセルジュを勇者に指名する方が干渉が少なくて良いと判断した事もある。彼は現在、神の息子であった記憶は失われているが、マリーへの好意は忘れていなかった。むしろ彼女と関わる事で更に好意が増していた。
マリーを聖女一行の仲間に入れる事は元々決まっていた。セルジュが人間界に降りる前に彼らに頼んでいたからだ。それなら、マリーを聖女にすれば良かったのではないか、と思うだろうが、彼女の事を愛してやまないセルジュはマリーが注目されるのを嫌がったために、妥協点として聖女一行の仲間の一人としたのだ。
二人も、マリーが目立たない様に聖女は外見だけでも注目を浴びるメルリアを指名したのだが、まさか彼女がセルジュに恋心を抱くとは思っていなかった。
セルジュは滅多に怒る事はないが、一度怒ると後先考えない彼に手を焼いた事があるヘーレーもその時のことを思い出したのか、苦笑いをしている。会話が下手で、無表情。そして人見知りなのは、下界に降りても変わらない。つまり怒らせたら手が付けられない性格も変わらないのだろう。
「うーん、このままだといつか街一つ滅ぼすんじゃないかしら……」
「いや、流石にそこまではしない……と思うんだけど……」
ユーピテルも否定はしたが自信は無いようで、声が段々と小さくなっていく。それだけの力が今セルジュにある事が分かっているし、ユーピテルも彼がマリーにただならぬ愛情を抱いている事を理解しているので、顔が蒼ざめる。
「まぁ、この国の国王と王太子は聡明だから正しい判断を下すでしょう。その時は私も手伝おうかしら?」
満面の笑みでそう述べるヘーレーだが、ユーピテルは顔が引き攣っている。そう、彼には分かる。彼女が笑顔を浮かべていても、目が笑っていないことに。
「……ヘーレー、もしかして怒ってる?」
「そりゃ、怒りたくもなるわよ。あの親子は神を軽く見過ぎているわ。……これはもう一度神託を出さないとね」
ニタリと笑うヘーレーにユーピテルは、表情が強張り何も言う事ができない。むしろここで何かを言えば、彼女はユーピテルに激怒する事が目に見えている。まぁ、ヘーレーは感情的になったとしても、失態を犯す事はないので大丈夫であろう事は彼も分かっているからこそ、好きな様にやらせようと誓ったユーピテルだった。