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初恋の夢

作者: 一人 千幸

読了目安時間 約1時間

異世界転生しません。

チリリリリリッッ!!




目覚まし時計がけたたましく朝の到来を告げる。


あぁ……今日も憂鬱な一日が始まった。



のろのろと布団から這い出て洗面所へ向かい、眠気を覚ますため冷水を顔いっぱいにぶつける。

鏡には、気怠げな表情をした男がいた。生気を失った顔はまるでゾンビのようだと思うと、鏡に映る男は不気味な笑みを浮かべた。



身支度を済ませ、家を出る。

天気は曇、どんよりとしていた。まるで今の俺だ。

しかし、この雲の上では太陽が燦然と輝いている。そこだけが俺と違った。



いつもの道を、いつものように歩くいつもの作業。奴隷が労働に向かうように、鬱々と会社へ向かう。


もう見飽きてしまった横断歩道で信号が青になるのを待っていると、向かい側に小学生の集団を見つけた。

何を話しているのかは知らないが、なんだか楽しげに笑っていた。



お前らはいいよな。

学校に行けば友達がいて、家に帰ると親が飯を作ってくれる。明日友達と何しようとか、そんなことを考えて一日を終えて、希望を抱えて朝を迎える。


俺にもそんな日常があった。何も考えず、友達と遊んで一日を終える日常があった。

でも、いずれ朝は絶望を引き連れて来るようになる。お前たちもいつかはそうなるんだ。



そんなことを考える俺は、まさしくゾンビだった。





生きる屍は、人間に憧れた。


俺もかつてはそうだった。

俺も昔は楽しかった。

俺にだっていろんな思い出がある。

でも、今は死んでいる。


俺は、あの頃に戻りたかった。人間だったあの頃に。



どうして俺は死んでしまったのだろう。

少なくとも、あの時もっと勉強していれば、あの時もっと頑張っていれば、今とは違う未来だったろうに。


空虚な妄想は、生きる屍になんら希望を与えなかった。




信号が青になる。

淡々と歩を進め、横断歩道を渡り小学生とすれ違う。

過去と決別するように。憧れは遠く遠く、離れていく。







プウウゥゥーーーッッ!!



猛烈なクラクション。振り返ると、異常な速度の車の進路に一人の小学生がいた。



なぜ。

どうして。



反射的だった、反射的に小学生に手を伸ばしていた。

小学生を助けるためなのか、過去への未練なのか。




俺の意識はそこで途絶えた。































「……じ!……んじ!……けんじ!」



誰かが俺の名前を呼んでいる。いや、誰かではない。この声は……っ!



「けんじ、いつまで寝てるの!学校に遅刻するよ!」



「…………母、さん?」



「なに寝ぼけてるの!学校に遅れてもしらないからね!」




バタンッ!


勢いよく戸が閉められる。



この部屋は……。


布団から出ようと起き上がる。視点がいつもより低い。それに、なんだか手が子供のように小さく細い。

部屋を見回すと、やはりそうだった。この部屋の内装は、かつての自分の部屋の内装と酷似していた。



まさか、そんなはず、そんなことあるはずが……。



おもむろに、下着のなかに手を入れる。生えていない。



……もはや、そうとしか考えられない。



鏡、鏡だ!

部屋を出る。


……!

家の中に階段がある。ここは俺が住んでいるアパートじゃない。

この懐かしい間取り、ここは俺の実家だ。


洗面所に向かい鏡を見る。



あぁ……っ!

この顔は……!




鏡には、あの頃の俺が映っていた。



「あ、健治(けんじ)起きたの。朝ご飯出来てるから、食べたら急いで学校行ってきなさい」



「……母さん……俺って今、何歳だっけ……」



「まだ寝ぼけてるの?あんた今年で10歳でしょ」



「…………15年、前……」




信じられない。

俺は、15年前に戻っていた。











キィーン コォーン カァーン コォーン


学校のチャイムが鳴る。



「おー、けんじ!来た来た、今日遅かったなぁー」




教室に着くと、そこには見覚えのある顔がちらほらあった。




「お前……と、ともや……だよな?」



「はぁ?そうだけど、お前。俺がともやじゃなかったら誰に見えたんだよ」



「い、いや……それならいいんだ」




これは……夢、なのか?

夢にしてはやけに感覚が本物すぎる。


確か俺は今朝、車に轢かれそうになっていた小学生を助けようとした。そして、気がつくと子供に戻っていた。


俺は轢かれたのか?

そうだとすると、ここは死後の世界か何かか?




「おい、何ボッーとしてんだ?それよりあの宿題、やってきたか?」



「宿題?」



「えっ、お前やってねぇの?将来の夢の作文」



鞄の中を漁る。しかし、それらしいものは見当たらない。

まさか、この白紙の原稿用紙がその宿題なのだろうか?



「えっと……忘れたみたいだ」



「ちぇー、お前の夢聞きたかったのに。……俺の夢、教えてやろうか?」



二カァッと友也(ともや)は笑みを浮かべる。

そうだ、友也は何か教えたいことがあるとき、よくこんな笑みを浮かべていた。



「俺の夢は、警察官になって悪い奴らをとっちめることだ!」



「……スーパーマンとかじゃ、なかったっけ?」



「うっせぇ!それは小一の頃の夢だ!……とにかくお前、授業始まる前に早く書いとけよ。なかじま先生怒るとちょー恐いから」




友也とは中学、高校共に同じだった。

俺は大学に進学したが、友也は確か警察学校に行ったはず。


そうか、この頃から友也の夢は変わってなかったのか。



俺は適当な大学に進学して、適当に卒業して、適当に就職して……。

あれ、俺の夢ってなんだっけ。10歳の頃の俺は何をしたかったんだっけ。

そういえば、夢について考えるなんていつぶりだろう。



夢、夢。そもそもここは現実なのか?死後の世界か何かなのか?


分からない、何も分からない。

自分の将来の夢も、ここが夢なのかも。


ただ一つ分かっていることは、現実の俺は屍だった。

夢のない屍だったが、今の俺は確かに生きている。


俺の夢、生きている俺の夢。




……!




ああ、もし神様がいるんだとしたら、俺はこの上なく感謝をしたい。


今、たった一つの大きな夢ができた。















「それでは、作文を発表してください」




「僕の夢は、警察官になることです。理由は…………」


「私の夢は、結婚して幸せなお嫁さんになることです。…………」




「俺の夢は、人生をやり直すことです」






























小学生時代の俺は、優秀な子供ではなかった。

勉強よりも遊ぶことの方が好きで、休憩時間なんかはよく友達と野球をしたものだった。

学校の先生の言うことや親の言うことなんかは屁の河童で、言ってしまえば、どこにでもいるあれふれた生意気小学生だった。


そんな半端な人間だったから、半端な学校に行って、半端な気持ちで進路を選択して、半端な人生を送った。



しかし、人生二周目の俺は違う。

誰よりも勉強して、誰よりも努力して最高の人生を勝ち取ってやる。

人生二周目の俺は、同年代よりも15年長く生きている。

そもそもの人生経験が違うんだ。

中学や高校で習う勉強内容だって既に知っているし、その勉強の仕方も知っている。これから8年後にあるセンター試験だって受けている。

就活のマナーなんかも身体に染みついているし、社会人を3年も経験している。



俺は、絶対に幸せを掴んでみせる。



















数週間して、俺は「天才」と周囲から囁かれるようになった。親や教師からは神童だと言われた。


ここ数週間で、成績が段違いに上がり、休憩時間中の野球でもホームランを量産するようになったからだ。



とても気分が良かった。

周囲からの評価は俺の自尊心を十二分に満たし、一種の全能感を与えた。


以前は俺に怒鳴り散らしていた教師連中も、手のひらを返したように俺を褒めちぎるようになった。

親は教師からの評価を聞いて更に気分を良くし、ご近所さんに自慢していた。


これほど気分の良いことはなかった。




ここは夢の世界なのか、はたまた死後の世界なのか。

むしろ、今までが悪い夢だったのだと俺は思うようになった。


ここが現実だ。この世界こそが本当の世界だ。


俺は、いつしかそう思うようになっていった。



そして、その全能感が強引に臆病な俺の背を押した。







「テスト返すぞー、なんと今回も満点が二人だ!」



ドッとクラスがどよめく。



「えー、まずは平本健治」



「……はい」



「ここ最近の平本の成績はめざましいものがあるなぁ。みんなも、平本みたいに頑張るんだぞ」


「そして、皆勤賞だなぁ。結城(ゆうき)陽乃(はるの)



「はい!」




結城陽乃。

満点の常連なだけあって成績優秀、頭脳明晰、超優等生。それでいて容姿端麗。

学校の中でも頭一つ抜けて目立っている女の子だ。


そして、俺の初恋の人でもあった。







「平本くん、また一緒だね!」



「あ、あぁ……うん」



「次も頑張ろうね!」




結城さんは中学受験をして、私立の中高一貫校に入学する。

入学をするだけでも、かなりの学力を必要とされる学校だが、結城さんは難なく合格したはず。


端的に言って、結城さんは天才だ。

それも、俺のように15年分の経験を生かして満点を取るような奴とは違う、センスだけで満点を取る本物の天才だ。



10歳だった俺は、その天賦の才に憧れた。その整った容姿に見惚れた。

なにより、その底抜けた明るさと無邪気な笑顔が好きだった。


ただ、以前の俺には遥か遠く、雲の上の存在だった。


結城さんが中学生になった後、どうしたかは知らない。

小学校を卒業すると同時に、雲の上の憧憬と初々しい恋心を俺は記憶の奥底に追いやったからだ。



しかし、人生二周目の俺は違う。

人生二周目の俺は最高の人生、幸せを勝ち取ってやる。


そのために、俺は必死に勉強している。

結城さんに並ぶために、結城さんを越えるために。


結城さんの隣に立てる男になるために。















「おーい、けんじまた勉強かー?野球しようぜ!」




放課後、俺は家に籠るようになっていた。

来年に中学受験を控え、勉強に励んでいるのだ。


友也はそんな俺が気にかかるのか、よく家まで遊びに誘いに来るようになった。


友也はいい加減な性格なようで、変なところで察しが良い。些細な人の感情の機微に気づくその性格に、学生時代、俺は何度も救われた。




「悪い友也、また今度な」



「その今度っていつ来るんだよ、前にも言ってたぞソレ!」



「……キャッチボールでいいか?」









「お前、小四から急に勉強するようになったよな。なんでだ?」



「中学受験を、考えてるんだよっ」



「うおっ、結構本気で投げてきたな」




投球に力が入っているのに気づかなかった。

知らない内にストレスでも溜めていたのだろうか。


友也が二カァッと笑う。




「お前、結城さんのこと好きだろ?」




…………!


待て、落ち着け。

ここで慌てて否定なんてしたら思春期真っ最中のガキみたいじゃないか。

俺はもう、精神的には27歳だぞ。


ここは大人の余裕ってヤツを見せてやろう。




「どうしてそう思うんだ?確かに結城さんも中学受験するらしいけど、別に俺はそんな理由で中学受験しないし、そもそもそんなこと言う友也の方が」



「お前、隠し事するとき早口になるよな」




…………そうだった。だから友也は俺の親友だったんだ。




「……いつから、気づいてたんだ?小四からか?」



「小二から。お前めちゃくちゃ分かりやすかったぞ」



「……友也に隠し事は通じないなぁ」




自然と笑みがこぼれた。




「やっと笑った。最近のけんじ、顔が怖かったから」




人生二周目でも、友也には頭が下がる。

たとえ俺が変わってしまっても、こいつは変わらないでいてくれるんだろうと思うと、不思議と安心した。




「けんじも大変だよなぁ、先生とか親がしつこく中学受験勧めてくるんだろ?」



「まあ」




実際そうだった。

成績が伸び始めてから、先生にはよく分からないテストを勧められ、親からはやたらといろんな中学校のパンフレットを渡された。


一周目ではこんなことは全くなかったために、なんだか少し怖かった。

まるで別人のようだった。




「俺は別に、普通の学校でもいいと思うけどな」



「……なんで?」



「別に深い意味はないけど、普通の学校でも難しい学校でも、結局は同じだと思うけどな」



「何が?」



「お前のことだよ、お前の。普通の学校でも難しい学校でも結局、お前は同じだろって話」




…………?


意味が分からない。学校が違うだけで人は大きく変わる。

良い学校ほど、その先の将来は安泰になりやすい。当然のことだ。

なのに何を言っているんだ、こいつは?




「だーかーらっ!…………あー、上手く言えねぇっ!」


「けんじって凄く素直なんだよ!その素直さって別にどの学校行っても同じなんだよ!お前が何しようとその素直さって絶対変わんねぇんだよ!」


「だったら普通の学校でも別にいいじゃんってこと!」




「……お前、頭大丈夫か?俺の素直さと学校の難しさは関係ないだろ」


「んがあぁぁー!!そういうことじゃないんだよ!」



「なんか心配なんだよ、けんじ。お前ってすげー素直だけど、すげー不器用だからさ。一人で勝手に背負い込んで、潰れないか心配なんだよ」



「ま、まあ……ありがとう。でも友也、俺は…………」




友也は変に察しが良い。

きっと今日俺を誘ってくれたのも、友也なりの気遣いなんだろう。

こうして友也が俺に忠告をしてくれるのも、なにか感じるものがあるからなのだろう。




「でも友也、俺は中学受験をする」


人生をやり直すために。



「…………そうか、なんか今のけんじはそんなこと言う気がしてた」


「……お前、ホント小四から急に変わったよな」



「……どんな風に?」



「なんか、急に成績が良くなったり運動神経が抜群になったりしたけど、それより気になったのは……」


「顔に余裕がなくなった気がする」



…………!



「ま、多分気のせいだ!」


「勉強頑張ってるのに、なんか悪かったな。結城さんと上手くいくといいな!またなっ!」




そう吐き捨てると、友也は嵐のように去っていった。



顔に、余裕がない……?




小学校の友達との最後の思い出、残ったのは何とも言えない疑念だった。



そして。























翌年の春、俺と結城さんは同じ中学の門をくぐった。















「あっ!平本くん同じクラスだ、良かったー。同じ小学校だった人、平本くんしかいないからクラスに馴染めるか心配で心配で……」



「……あぁ、俺もだよ」




結城さんと話すことでますます実感が湧いてくる。

心臓の鼓動を加速させる。


俺は今、新たな人生を歩んでいる。

一周目とは全く異なるレールの上を進んでいる。


新しい俺の人生、最高の人生への第一歩が、今始まった。




「これからもよろしくね、平本くん!」



「こちらこそ、結城さん」
















中学に入って、結城さんと同じクラスになって、俺は結城さんとの差を強く実感した。


この人は、本物の天才だ。





中学で習う勉強内容は勿論知っている。しかし、それはあくまで普通の公立学校の内容だ。

この中学校で習う内容は、高校の内容に片足を突っ込んでいた。

加えて、高校の内容を知っている俺でも、かなり難解な授業がいくつもあった。



この学校は、魔境だった。

秀才はこの魔境に潜む龍の餌食となり、天才ですら満身創痍で荒野を彷徨う。

結城さんは、その中でただ一人魔境の龍を喰い物とした。



圧倒的だった。

圧倒的なほどに、結城さんは勉強ができた。

それも、涼しい顔で平然と満点を取るのだ。



俺は天才ではなかった、秀才ではなかった。

ただの凡人だった。

15年の積み重ねがあってなお、この魔境は俺には過酷すぎた。


それでも、それでも必死に喰らいついた。

結城さんの背中を追いかけた。




そんな俺を知ってか知らずか、結城さんはよく俺に話しかけてきた。








「平本くん、問題です!昨日の私の晩ご飯は何だったでしょう?」



「え、えーと……ハンバーグ、とか?」



「ブブー!当てずっぽうはいけませんよ、平本くん」



そう言って、結城さんは指で作ったバッテンを口元に寄せた。


かわいいなソレ。



「もー、ホント平本くん探偵に向いてないよ」



いきなり当てられたらそれはそれで怖くないか?



「ヒントは、今日のお弁当のおかずでーす。ふた開けるから匂いだけで当ててみて!」



弁当の中身がこちらに見えないよう、結城さんはふたを開けた。

なにか香ばしい、食欲をくすぐる香りがした気がするが、結城さんの期待にこもった澄んだ瞳と、口角が上がるのを我慢しているのか、絶妙にニヤけた表情に意識は奪われていた。

端的に、結城さんに見惚れていた。



「ほら!平本くん、なんだと思う?」



「え?あ、ああ……なんだろう、コロッケとか?」



「はぁー平本くんにはがっかりだよ。答えは肉じゃが。結城探偵の助手採用試験は不合格だね、それじゃ、帰っていいよー」




無論、帰らない。

いつも大体、今日のような寸劇がお昼時に始まり、一緒にご飯を食べる。



思うところはたくさんあった。

なぜ結城さんは俺と一緒に昼ご飯を食べるのか。

なぜ友達と食べないのか。

男女でご飯を食べるということに何も思わないのか。

どうして俺なのか。


俺に、特別な感情でもあるのだろうか。




結城さんが話しかけてくるのはお昼時だけではなかった。

朝の教室で、教室の移動中で、帰り際で。

ことあるごとに結城さんは話しかけてくる。


小学生の頃は決してこんなことはなかった。


結城さんが俺にこんなに話しかけてくるのは何か理由があるはず、そう思う一方で、俺はこの状況に甘んじていた。

理由はなんであれ、俺は結城さんとの会話を楽しんでいた。

俺だけに許された特権だとも思っていた。


十数年来の初恋は、思考能力を簡単に失わせた。











結城さんと多く顔を合わせるなかで、結城さんの生態がある程度分かってきた。


結城さんはたまに死ぬほど沈んだ顔をしている日がある。

理由までは分からないが。


ある日のことだった。








「…………!平本くん、ちょっと待ってて!」




出会い頭に突然言われ、突然立ち去った。

夕立のような人だ。


仕方なくちょっとの間待っていた。


10分ほどして、結城さんは何かを後ろに隠すようにして現れた。

少しよそよそしかった。




「……平本くん……コレ、良かったら……」




結城さんが不安げな表情で手渡したのは、両の手の平ほど小さな花冠だった。


そういえば、結城さんは小さい頃よく花冠を作っていた。




「……?……ありがとう?」




意図はよく分からないが、結城さんからの贈り物は素直に嬉しかった。

ありがたく受け取った。




「!」




結城さんはパァァッと笑った。かわいらしかった。

そして、感極まった表情で抱きしめられた。


何がなんなのか、本当に分からなかった。

どうして急にこんなことをするのか、さっぱりだった。



しかし、結城さんに抱きしめられるという大事件に、俺の脳は完全に思考を停止した。

深くは考えないようにした。




花冠を貰ったのはそれっきりだったが、結城さんにはたまにこういう日があった。




結城さんが俺にここまでするのは何か、何か理由があるはず。


しかし、理由があるはずと思う傍ら、その理由を知るのが怖くもあった。

もしその理由が俺とは関わりのないところで発生しているのだとしたら、何処かでそんな不安を感じていた。



だから俺は、今の日常で満足した。

これ以上踏み込みたくなかった。



しかし、中学校生活はそう楽しいことばかりではなかった。


そうだった、そうだった。

この学校に、友也はいなかった。

俺をいじめから守ってくれる人はいなかった。

















中学二年の梅雨時、じめじめと肌にまとわりつく湿気と共に、粘着質なドス黒い感情も俺にまとわりつくようになった。




学年が変わって、結城さんとは別のクラスになってしまったが、それでも以前の関係は続いていた。


それを快く思わない輩が、俺に些細な嫌がらせをするようになったのだ。



結城さんはかなりの美形だ。好意を抱く異性は、俺だけではない。

しかし、好意は抱いても決して結城さんにアプローチはしない。


それは、結城さんはまるで雲の上の存在、殿上人のような存在だという認識を初対面で抱くからだ。

これは俺の私見じゃない、全生徒の総意だ。


話すのも恐れ多いという認識が、結城さんに向かおうとする足を竦ませる。かつての俺のように。

しかしなんと、その結城さん自らが話しかけに行く唯一の異性がいた。それが俺だった。



はっきり言って、これほど目障りな存在はいないだろう。

過度な勉強のストレスも相まって、嫌がらせに発展するのもうなずける。

実際、もし結城さんに話しかけられる異性が俺じゃない誰かだったとしたら、俺も同じことをしているだろう。


それほどまでに、俺という存在は、結城さんに好意を抱く者にとって邪魔なのだ。



俺は最初、その事実に極大な優越感を抱いた。

その気持ち良さはまさしく、俺が夢想した最高の人生の片鱗だった。


しかし、嫌がらせがエスカレートするに連れて、優越感は次第に失せていった。




次第に、俺は結城さんと距離をとるようになった。


結城さんの前で自然体を繕うようになった。

結城さんは俺がいじめられていると知ったら、きっといじめを止めようと俺を庇うだろう。

そして、その行為は更に火に油を注ぐことになる。


結城さんに、俺がいじめられていると悟られてはいけなかった。

結城さんに迷惑がかからないように、といった綺麗な目的ではない。単なる自衛のためだ。


いじめから自分を守るために、出来る限り結城さんを避けた。

一方で、嫌われたくないという自己中心的な気持ちで、結城さんと話すときは欺瞞の笑顔を取り繕った。



端的に、俺はクズだった。

全ては自分を守るためだけの行動だったのだから。










「あのーすみません。平本くんいますか?」



「いや、昼になった途端すぐどっか行ったけど」



「………………そう、ですか。ありがとうございます……」






今頃、結城さんは俺を探しているのだろうか。

それとも、誰か他の人と昼食を共にしているのだろうか。


俺は今、便所にいる。このまま昼休憩が終わるまでここで待機する予定だ。




鼻につくアンモニア臭が漂う密室で、俺は一人孤独に弁当を食べる。

好物のハンバーグも、ここで食べるとまるで汚物を食べているみたいで気分が悪い。


惨めだ、何もかもが惨めだ。





ザバッーー!!


突如、上から水が降ってくる。

そして、ケタケタと声を殺したような笑い声が、バタバタと逃げるように足音を立てて遠のいていく。



あぁ……惨めだ、何もかも。




ふと頭をよぎったのは、一周目の記憶だった。


そういえば、ちょうど今と同じ時期に、俺は一周目でも同じことをされたっけ。

その時は確か、友也が俺の異変に気づいてくれて……。


友也は正義感が強かったから、すぐやり返してくれて、先生にチクられて、友也が必死に説明してくれて。

事情を知った先生が喧嘩両成敗で友也といじめてた奴にゲンコツを落として、いじめはなくなって。


あの時なんで俺はいじめられてたんだっけ。

あの時の俺は、何をしていたんだっけ。


ああそうだ、今と同じだ。隠れてやり過ごそうとしてたんだ。




『なんか心配なんだよ、けんじ』


『お前ってすげー素直だけど、すげー不器用だからさ』



………………俺は……俺は……!



『一人で勝手に背負い込んで、潰れないか心配なんだよ』



…………あの頃から……!



「なんにも……変わってねぇ…………っ!」





頬を滴る水が、先ほど頭から被った水なのか、それとも目から溢れ出た水滴なのかは判断がつかなかった。




ああ、惨めだ。今、俺凄く惨めだ。


精神的にはもう30歳にもなろうとしているのに、性根はガキのままだ。

なんにも変わってない。



結局、俺はいつだって逃げてるんだ。



苦しいとか、辛いとかそういう感情から逃げてるだけなんだ。

それでいて、他人からはさも無傷であるかのように振る舞う。


否定されたくない、失望されたくない、見放されたくない。

それが怖いから。



人生をやり直す?


なんにも成長してねぇじゃねえか。

何一つ、人生は変わってねぇじゃねぇか。



向き合うべきことから目を背け、保身のために逃げ隠れる。


それをそれっぽい理由をつけて、あたかも筋が通っているかのように、自分がそうなってしまうのは仕方がなくどうしようもないことだと振る舞っているだけなんだ。

自分の弱いところを見栄のためだけに隠して隠して、自分を守るためだけの頑強な壁を築いているだけなんだ。

俺が今までやってきたことは努力とかじゃない、自分の弱いところを隠してきただけなんだ。


自分を着飾ることでしか自分を主張できないし、自分の優れているところしか人に見せようとしない。

だから、俺は成長なんかできないし、変わりもしない。

変わるのはいつも、人に見せるための、弱い自分を隠すための仮面なんだ。


本当の俺は、愚図で馬鹿で怠惰で自己中心的で不誠実で鈍くて捻くれ者で臆病で狡猾で傲慢で、どうしようもなく救いようのない自我の塊で、ただのクズなんだ。







俺の中の価値がどんどん死んでいく。


俺は生き返ってなどいなかった。


最初から、俺は死んでいた。



人生が変わるはずなどなかった、やり直せるはずなどなかった。

死んでしまった俺の人生は、ただ腐って朽ちていくのを待っているだけなのだから。




生まれたときから、俺の人生は消化試合だった。



























しばらくして、いじめは自然消滅した。

気が晴れたのだろうか、自分のやっていることの過ちに気づいたのだろうか、結城さんを避けたのが功を奏したのだろうか。



しかし、いじめがなくなっても俺は結城さんを避け続けた。

いじめが再発しないようにしているからなのか、結城さんに負い目を感じているからなのか、結城さんの顔を見るのが怖いからなのか。



どうでもよかった。

俺にはもう、どうでもよかった。















中三になった。

俺と結城さんの関係は少し変わった。


結城さんとは同じクラスだが、結城さんと話すことはほとんどなくなった。

俺が避けるからだ。

俺の態度に最初は困惑した結城さんも、次第に俺と距離をとるようになった。


結城さんは、お昼時になると一人でどこかに行くようになった。きっと友達か誰かと一緒にいるのだろう。



一番の大きな変化は、俺の結城さんへの想いだった。

結城さんのことは相変わらず好きだ。

自己中心的な態度をとってなお、厚顔無恥に、悪びれもなく俺は結城さんを好いている。


ただ、同時に劣等感を抱くようにもなった。

結城さんには俺にはない全てがあるように見えた。


誰よりも勉強ができた。

整った容姿をしていた。

明るく朗らかで、毎日が楽しそうだった。

幸せそうだった。


羨ましい、妬ましい。

何より、ゾンビは活力溢れる人間に憧憬を抱くものなのだ。


俺は死んでいるが、確かに彼女は生きていた。



結城さんは、生きていた。
















そんなある日のことだった。




「えー、それではHR(ホームルーム)を終わります。それでは皆さん、また明日」



淡々と帰りの支度をしていると、突然結城さんが現れた。



「あの、平本くん!放課後、時間ある?」



「…………ない。それじゃ」



「それじゃ一緒に帰ろ!同じ小学校だったから、途中まで同じだろうし!」



結城さんの顔は見たくなかった。

その無邪気な笑顔を見るたびに、俺は自分の惨めさを実感するから。

強い光は濃く影を写し出すように、結城さんという光は腐敗した俺の影を濃く、深くするから。


しかし、結城さんを避けようとする反面、結城さんの申し出が酷く嬉しくもあった。

好きな人と一緒に下校する、これほど心躍ることはなかった。


俺の中で何もかもが矛盾している。

だから俺は、俺が嫌いなんだ。







結城さんとの帰路は、静かだった。

結城さんはずっと何かを話したそうにしているが、タイミングを窺っているのか一向に話そうとしない。

俺自身特に話すこともないので、ずっとダンマリを決め込んでいる。

はっきり言って、気まずかった。



しばらくして、この気まずさを打開する何かを思いついたのか、結城さんはこれだ!といった表情で話しかけてきた。






「……平本くん、問題です!私は今とっても気まずい気持ちです、なぜでしょう?」



「…………俺が無言だから」



「フフン、半分正解です!」



「もう半分は?」



「ぁ……もう半分は、その……私が、緊張してるから……」




そう言って結城さんは視線を落とした。

こんなにしおらしい結城さんは見たことがなかった。

その顔は不安で弱々しかった。


しかしやがて、その顔は意を決した表情に変わった。

強い決断をしたような凛々しい顔に、俺はまた見惚れていた。




「……平本くんは私のこと、嫌いですか?もし嫌いだったら、どんなところが嫌いか教えて下さい。直します」




俺はただ、その実直な質問に驚いた。


なんとなく、結城さんが話したいことは予想がついていた。

なぜ避けるのかとか、何かあったのかとか、おおよその見当はついていた。


しかし、ここまでまっすぐ聞いてくるとは思わなかった。



眩しかった。俺にはただ、結城さんが眩しかった。




「私、平本くんともっと仲良くなりたい。今のまま避けられ続けるのは悲しいよ」




ああ。




「私に何かダメなところがあったら教えて、直すから」




違う、ダメなのは俺の方だ。




「私が気づいてないだけで、平本くんの気に障るようなことをしたんだったら謝る、ごめんなさい!」




謝るべきなのは、俺の方なんだ。




「だから、その……私のダメなところも直すから、また、仲良くしてください」




なんでこの人はこんなにもまっすぐなんだ。

なんでこの人はこんなにも素直なんだ。

なんで、なんでこの人は……。


どうして、どうして俺は……。




「……ダメなのは、俺の方なんだ。……謝るのは、俺の方なんだ……!」


「俺が結城さんを避けていたのは……っ!結城さんに非があったからじゃない……っ!」


「全部、自分のためだった……っ!保身のために結城さんを避けて、勝手に負い目を感じて、結城さんの顔を見るのが怖くなって、劣等感を抱くようになって……っ!」


「全部、全部……俺が悪いんだ。俺が嫌いなのは結城さんじゃない、自分なんだ……っ!何も成長していない、何も変わっていない自分が嫌いなんだ……っ!」




「私は、平本くんのこと好きだよ」




…………はぁっ!?




「平本くんって優しいし、努力家で真面目だけど、ちょっと抜けてるとこあって素直でかわいいし」


「平本くんは気づいてないかもしれないけど、私は平本くんの良いところたくさん知ってるよ」




「…………それは、俺が結城さんの前で良い顔をしていただけで……」




「関係ない、関係ないよそんなこと。それに、平本くんは素直で不器用な人だから、そんな器用なこと絶対できない」




素直で不器用、それはいつぞやに誰かから言われた言葉だった。

俺にとって、かけがえのない唯一無二の大切な人から言われた言葉と同じだった。



ああ、この人も、俺にとって唯一無二の人だった。




「…………俺は、そんなに分かりやすいのか?」




「平本くんといるとなんだか楽しい、居心地が良い。それってなんでだろって考えたら分かったこと」


「私は平本くんのその素直さに居心地の良さを感じてるし、その不器用さに安心を感じてるの」


「だから、私も何か、平本くんの力になってあげたくなるの。平本くんともっと仲良くなりたくなるの」




友也も、そうだったのだろうか。




「俺は……助けられるだけじゃない、誰かの力になれているのか?」



「平本くんの笑顔が、私の力になってるよ!」




そう言うと、結城さんは両手で俺の右手を包むように握った。


満面の笑みを浮かべていた。その瞳は輝いていた。



ああ、だから俺はこの人が好きなんだ。

この底抜けた明るさと無邪気な笑顔がたまらなく好きなんだ。



涙が流れ落ちた。

その涙は、春の陽気にあてられた雪解け水のようだった。




「……今まで…………ごめん……」



「うん、許す!」



「俺と……仲良くして、くれますか……?」



「うん、仲直り!」



結城さんはパァァッと笑った。

俺も笑っていた。




その日、俺は二度目の初恋をした。

























結城さんと話すことが以前より増えた。


朝、昼、授業の合間の休憩、授業でもグループ活動などがあればすぐに駆け寄って来る。

一緒に下校することも多くなった。


とにかく頻繁に寄って来る。



最初は困惑も勿論あったが、それ以上に嬉しかった、楽しかったし、幸せとも思った。

好きな人とこんなに親しい間柄になれたのだから。




しかし、次第にえも言われぬ違和感を抱くようになった。


それは、中学一年生の頃から感じていたものだ。

なぜ俺ばかりとこんなにも話すのだろうか。

友達はどうしたのか。

俺に対して異性としての好意を抱いているのだろうか。



結城さんと話せば話すほど、長い時間を共有すればするほど、ある直感は確信へと変わっていった。


しかし、俺はその確信から目を背けた。

気づきたくなかった。

認めたくなかった。

嘘であってほしかった。

否定したかった。





『結城さんは、依存先を求めているだけでは?』




それは、俺が結城さんにとって、代替可能な依存先でしかないことを意味する。

結城さんからしたら、俺でなくてもいいのだ。




そう思うのが、何よりも怖かった。

しかし、結城さんと話すうちにそうとしか思えないようにもなっていた。







「じゃじゃーん!結城探偵、推参!」


「むむっ、匂う、匂いますぞ。平本くん、あなたのお弁当箱から事件の香りがぷんぷんしますぞ……」




「ああ、今日のおかずはハンバー」


「おおっと待ったぁー!安心して、平本くん。この結城探偵が来たからには、どんな事件も解決に導くよ!」



「だから、今日のおかずはハン」


「事件が起きたのは、午後1時前。お腹を空かせた平本くんがお弁当のふたに手をかけました」



「………………」


「一見すると、犯人は平本くんです。しかし、私は思うのですよ。本当に犯人は平本くんなのか?平本くんは操られていただけなのでは?とね……」


「そう、この事件には真犯人がいた。平本くんを陰で操る者がいた。そいつが真犯人なのです」




「しかし一体、どうやって陰から平本くんの食欲を操っていたのか」


「私は一つの答えに辿り着きました。なんと、そいつは!平本くんの好物だったのです!」



「そしてッ!その真犯人は、今もなおここで平本くんの食欲を操っているッ!」


「そこだぁーーッ!!」




結城さんは勢いよく自分の弁当箱を開けた。




「…………えへへ、おかず、同じだね」




結城さんは照れた様子ではにかんだ。




「ハンバーグ被告は死刑ですね、死刑。平本くん、口を開けてください。今から被告を処して貰います」


「ほら……平本くん、口を開けて……あ、ぁあ、あーんって」




「…………結城さんは友達と食べなくていいの?」




ふと口からこぼれた言葉が、ほんの一瞬、ほんの一瞬だが結城さんの手を止めた気がした。




「……私に気を遣ってくれてるの?大丈夫だよ、私は平本くんと食べたくて食べてるから!」











本当は、本当は。


俺に依存しているだけじゃないのか?

友達がいない、理解者がいない寂しさを俺で埋めているだけじゃないのか?

その寂しさは、俺でなくても埋めることができるんじゃないか?



そんなこと、口が裂けても言えなかった。






結城さんと話せば話すほど、長く時間を共有すればするほど、それは確信に近づいていった。




結城さんは本物の天才だ。

それこそ、他の追随を許さないほどの。


しかし、感性は年相応の女の子なのだ。

身なりには気を遣うし、甘いものを好むし、すぐにドラマの影響を受ける。


しかし、この学校ではそんなことにまで気が回る女子生徒はまずいない。そんな余裕など、普通はないのだ。


しかし、結城さんは普通ではなかった。

与えられてしまった天賦の才によって、感性は年相応の女の子のままに、誰も届かない雲の上の存在になってしまった。



それ故に、理解者がいなかったのではないか。


皆、彼女を天才というフィルターを通してしか見ないために、結城陽乃という一個人に目が向けられることがなかったのではないか。


結城陽乃は、その与えられた才能に見合うだけの孤独をずっと抱えてきたのではないか。


結城さんが俺に依存するのは、その孤独を埋めようとしているだけなのではないか。



俺は、結城さんの理解者にはなり得ない。

年相応の感性と天才という先入観に板挟みされる苦しみなど、分かるわけがないからだ。


俺だけじゃない。きっと誰も、その苦しみを理解してあげることはできない。

結城さんを天才たらしめるその才覚は、他の追随を全くもって許さないのだから。



結城さんはなぜ、俺に依存するのか。

同じ小学校だったから、この一言に尽きるだろう。



俺は特別な存在ではなかった。

俺でなくても良かったのだから。



その確信から、俺は目を背けた。

依存されるこの状況に甘んじた。理由はなんであれ、やはり嬉しいものは嬉しいのだから。





















高校生になった。


俺は非常に焦るようになった。

授業の難易度が格段に上がったからだ。もはや、凡人の15年の積み重ねなど何の意味もなかった。


毎日の授業に追いつくのがやっとで、そのために、起床から就寝までの全ての時間を勉強に費やすようになった。



結城さんはそんな俺に気を遣ってか、あまり話しかけてこなくなった。







朝起きて、英単語帳を朗読する。

就寝前30分と起床後30分は知識の定着にちょうどいいらしい。

食パンを食べながら着替え、歯磨きをしながら学校へ行く支度をする。


家を出て、最寄り駅まで大股で向かう。

歩きながら英単語帳は見ない。一昨年にそれで死にかけたからだ。


電車の中では、その日行われる小テストの範囲の参考書を読む。

高得点を取るためではない、平均点を取るためだ。



俺は天才ではない、秀才ではない、ただの凡人だ。

物覚えは悪いし、要領も良くない。

効率的な勉強に必要とする処理能力をそもそも持ち合わせていないのだ。


とにかく反復して覚える。

それが15年の経験を生かして導き出した最適解だった。

非効率的でも、それしか俺には出来なかった。



学校に着くと授業の予習を始める。あるいは、小テストの対策勉強をする。

一分一秒も無駄にしてはならない。


そして、大体HRの予鈴が鳴る5分前に、結城さんは教室に入ってくる。




「おはよー平本くん」


「おはよう、結城さん」




中学生のときなら、しばらく結城さんと他愛のない話をしていたのだが、高校生になってからはめっきりしなくなった。




「そこ、間違ってるよ」


「……あ、ホントだ。ありがとう」




話はしないと言っても、こうしてたまに勉強を見てくれる。

本当にありがたかった。



午前の授業が終わり昼休憩になると、昼ご飯を急いで腹に入れる。

ご飯を食べ終わると、そそくさと勉強に取り掛かる。昼休憩は貴重な勉強時間なのだ。

そんな俺を、結城さんはご飯を食べながら観察する。


時々、結城さんは頬張っていたご飯を無理矢理お茶で流し込む。こういう時は大抵、何か俺に勉強を教えてくれるときだ。

あまりに流し込む勢いが強いときは、たまにしゃっくりも出たりする。


苦しそうにする結城さんには悪いが、それが勉強中の唯一の癒しだった。



学校が終わると急いで家に帰る。


家では、まずその日の授業の復習から始める。

その日習った内容はその日の内に大体の内容を覚える。

細かな内容は食事前と後、お風呂前と後、と前後10分ほどに時間を分割して、繰り返し覚える過程を設ける。


復習がひと段落つくと、参考書や問題集を利用して内容の定着を図る。

効率的なやり方はしない。とにかく反復する。


大体11時まで勉強をして、そこから30分、翌日の朝に読む範囲の英単語を朗読する。


そして、日付が変わる前に就寝する。




凡人の俺には、この生活が苦痛で仕方なかった。

しかし、勉強から意識を外した瞬間、足場が崩れるような恐怖に襲われる。

逃れることはできない、俺は勉強の呪縛に縛られていた。


これが、この学校、この魔境に潜む龍なのだ。




加えて、高校生になってから成績が伸び悩み、親はよく俺にハードな勉強を催促するようになった。

親の言いなりになるつもりは微塵もなかったが、無視するとそれはそれで面倒くさかった。

それに、一周目とは別人のように過度な期待を押し付けてくる親が、俺は少し怖かった。


だから表面上、俺は従順を取り繕った。


従順を取り繕って分かったことは、この親は俺を自分の子供として見ていないということだった。

この親にとって、俺は自尊心を満たすための道具でしかなかった。

周囲に自分の子供は優秀であると自慢することで、優越を感じ他者との会話において優位に立とうとする。自分もまた、優秀であると感じることで精神的安寧を得る。


そのために、俺の成績が伸びれば褒めそやし、俺の成績が下がれば鬼のように叱咤する。

この親が俺を判断する第一基準は、まず成績が優秀であることだった。


一周目ではこんなことはなかった。

俺を叱ることは勿論あったが、そういう時は大抵、友達と喧嘩をした時や宿題に全く手をつけずに遊び呆けている時だけだった。

一周目とは叱る基準も叱り方も全く違う。

はっきり言って二周目は異常だった。


遺産目当てに人が変わってしまうという話はよく聞くが、自尊心を満たすためだけの承認欲求がここまで人を歪ませるとは思わなかった。



そして、こんな異常なモンスターを作ってしまったのは、ほかでもない俺なのだろう。



怖い。俺は今、親が怖い。











そんな生活を繰り返していた時だった。

高校二年、太陽が猛烈に地を焼く8月の半ば、俺は倒れた。



過労によって弱った身体に、脱水症が決定打を与えてしまったらしい。

幸い、倒れたのが家の中だったので、応急措置が早く済み大事には至らなかった。


親は倒れた俺を必死になって介抱していたが、医者に過労と脱水症と診断されると俺に冷たくなった。


おおよそ、自尊心を満たすための大切な子供が倒れたので焦ったが、思いの外軽そうだったので関心がなくなったのだろう。



夏休みだったので学校を休む必要はなかったが、医者からはしばらく勉強を控えて、体力の回復に努めた方がいいと言われた。






俺は明かりの消えた部屋で一人、横になっていた。



親が必死な顔で俺を介抱してくれたとき、俺は心底嬉しかった。

やはり、親には子を想う親心があるものなのだと。


そして、すぐに裏切られた。

親は俺を必要としていない、勉強のできる子供を必要としている。心底その事実を実感した。



俺はかなり弱っていた。

身体だけではない、心が既にボロボロだった。






……もし、もし俺が大病を患っていたら、親は俺を見てくれたのだろうか。あの必死な顔をもっと見せてくれたのだろうか。


もし俺が死んだら、親は悲しんでくれるだろうか。



そんなことを思ってしまうほどに、俺は弱っていた。


精神年齢は既に30歳を越えている。

それでもやはり、孤独は辛いのだ。

冷たくあしらわれると傷つくのだ。

どこかに安寧を求めたくなるのだ。


30歳を越えても、所詮人は人なんだ。

辛いものは辛いし、苦しいものは苦しい。


誰もいない孤独は、辛いんだ。




その夜、俺は年甲斐もなく枕を濡らした。












療養期間が終わり、俺は再度勉学に励もうとした。数日分の遅れを取り戻さなくてはならない。


しかし、過労するほどの勉強のストレスから一時的にでも解放された反動なのか、俺は勉強をするのが億劫になっていた。

勉強を果てしなく面倒くさいと感じるようになってしまっていた。



一周目では馴染み深い、非常に懐かしい感覚ではあったが、ソレは一周目の比ではなかった。


勉強机の前に立つと感じる不快感。

椅子に座ると急に痛み出す頭。

テキストを開くとこみ上げてくる吐き気。

ペンを持つとはしる悪寒。


俺の身体は、勉強に関しての全てを拒んでいた。



どうしようもないと思った。


コーラを飲んだらゲップが出る。

鼻の穴の中をくすぐったらくしゃみが出る。

欠伸をしたら涙が出る。


それと同じくらい、勉強に対する拒絶反応は俺の身体に染みついていた。




そして、ソレをどうすることもできないまま、学校は始まってしまった。
















勉強ができなくなった俺の成績は、面白いほど下がっていった。

俺は、魔境の龍に喰われてしまった。



親からは散々の言われようだった。

当然だった。この人たちにとって、優秀な成績を取らない子供は子供じゃないからだ。



苦しかった。


しかし、俺は平然を装っていつものように学校では勉強をしていた。している振りをしていた。


いつかのように、結城さんには悟られたくなかったから。

結城さんの前でだけは、今までの自分を取り繕った。



しかしというか、やはりというか、結城さんは俺の些細な変化を見逃さなかった。




「平本くん、最近顔色悪いけど大丈夫?」


「……その、風邪気味で……」


「…………お大事に」




休憩時間中の結城さんは、勉強する俺に気を遣って話しかけてはこないが、その分よく俺を観察している。


明らかに何かに勘付いていた。

だが、その何かを追究するわけでもなかった。




俺は、必死で自分の変化がバレないよう振る舞った。


なぜだか、結城さんにだけはバレたくなかった。

この人にだけは、絶対に気づかれたくなかった。




学校での勉強のストレスからか、帰宅してすぐ、俺は死んだように眠るようになった。


そして、深夜に目を覚まして眠るに眠れず震えて朝を待つ。

朝日は絶望を引き連れて来るようになった。


段々と体内時計は狂い始め、俺は朝に起きられなくなった。



学校への遅刻が増えた。

結城さんに会うのが怖くなって、学校に行かなくなった。

俺は、不登校になった。

















「あんた今日も学校行ってないんだってー!?」



母が怒声をあげる。



「この金食い虫が!さっさと学校に行かないか!」



父が罵声を浴びせる。



「なんで学校にも行けないの!?いつまで甘えてるの!?」



母がなじる。



「このっ!学校に行かないんだったら俺が連れてってやる!」



父がなぐる。



「学生の本分は勉強だろう!学校に行かないのなら飯もやらんぞ!」



そう言って、俺は玄関から投げ飛ばされた。















夜空には、星々が満天に煌めいていた。





ああ、綺麗だ……。


俺も死んだら、あんな風に輝けるかな。





もし、子供の頃をやり直せたら。あの頃に戻れたら。




無駄だった。


どれだけ努力しようと、どれだけ良い学校に入ろうと、俺は俺だった。

どんな選択肢を選んでいたとしても、結局俺は俺なんだ。


何も変わりはしない。何もやり直せはしない。



全部、全部無駄だった。




もう、限界だ。



このまま死ねたら、どれほど楽だろう。


このまま目を瞑ったら、死んでるといいな。





俺は寒空の下、夜風にさらされそっと眠りに就いた。























目を覚ました。


死んでいなかった。




まだ早朝だった。


親が起きてくると面倒だろう、そう思って俺は静かに家から離れた。






あてもなくフラフラと裸足で散歩する。


早朝のシンとした静かな空気が心地良かった。

川のせせらぎが自然と落ち着いた気分にさせてくれた。

小鳥のさえずりが心を躍らせた。



河川敷の芝生に腰を下ろし、流れゆく水を無感情に見る。

そこは全てが静かだった。







空が明るんできた。

そろそろ人目についてしまう。


そう思い、河川敷を跨ぐ橋の下に身を潜めた。


いつか誰かに見つかってしまうだろう。

その時まで、ここに……。



俺はいつの間にか眠っていた。








夕焼けの眩しさに目を覚ました。


橋下の暗がりを、西陽が覗いていた。


何を思い立ったか、俺は橋に登った。



世界は朱色に染まっていた。

世界は黄昏に覆われていた。

えも言われぬ美しさがあった。



橋から河を見下ろす。

やはり、そこは静かだった。








死のう。



手すりに手をかけ、身体を持ち上げ、身を投げようとした時だった。



勢いよく、横から誰かに突き飛ばされた。

俺は河に落ちなかった。自殺は未遂に終わってしまった。


俺を突き飛ばした誰かは、そのまま強く強く俺を抱擁した。





「………………ばかぁ……!」




涙ぐんだその声は、聞き覚えのある声だった。




ああ。


あなたにだけは、あなたにだけは知られたくなかった。




その人は強く強く、失わないように、すがるように、守るように、震えながら俺を抱きしめた。


俺の頬には涙が流れていた。




「…………結城、さん……どうして……」



「…………平本くん、最近学校来てなかったから……心配して家に行ったらいなくて……!」


「必死に探して、やっと見つけたと思ったら……河に飛び込もうとしてて……!」


「ばかぁ……っ!どうして、どうしてそんなことするの……!」









俺はずっと、あなたの顔を見るのが怖かった。


成績が落ちていると知られたくなかった。

勉強ができなくなっていると気づかれたくなかった。


あなたの顔を見ると、劣等感を抱いてしまいそうだった。

その圧倒的な才を渇望したくなりそうだった。

醜い嫉妬をあなたに向けてしまいそうだった。



だから俺は、あなたの理解者にはなり得なかった。

あなたの苦しみなど、分かってあげられるはずがなかった。


俺は、凡人なのだから。








「…………結城さん、ごめん。ちょっとした気の迷いだった。もう大丈夫、ありがとう」




俺は足早に立ち去ろうとした。



これ以上この人のそばにいてはいけない、そう思った。


結城さんに迷惑がかかるからとか、結城さんのそばにいる資格がないからとかではない。


これ以上この人の顔を見ると、抑えがたい負の感情をぶつけてしまいそうになるから。


結城さんを傷つけないようにするため立ち去るのではない、自分が結城さんに嫌われないために立ち去るのだ。


どこまでいっても、俺は自分のことしか頭になかった。

端的に、俺はクズだった。



しかし、俺が俺であるように、結城陽乃もまた結城陽乃だった。





「ダメ……!絶対行かせない……絶対行かせないよ、平本くん!まだ話は終わってないもん!」



「……もう、大丈夫だから……ありがとう」



「大丈夫じゃない!平本くんは大丈夫じゃない!」



結城さんは立ち去ろうとする俺の手を握った。



「平本くんはいっつもそうだよ……!中二のときも一人で何かを抱え込んでた……今だってそう、いっつも一人で苦しんでる……!」


「なんで何も言ってくれないの……!?なんで頼ってくれないの……!?」




俺が、結城さんに何も言わないのは。

俺が、結城さんを頼らないのは。



もう抑えることはできない。



「……結城さんを見る度に、俺の自尊心がズタズタにされるから」


「必死に努力してきた、必死に喰らいついてきた。死ぬほど努力して、死にたくなる苦痛を味わって、人生をやり直すために……っ!」


「それなのに……!俺は結城さんの足元にも及ばなかった……無駄だった……!俺の人生は全てが無駄だった……!」


「結城さんが羨ましかった、妬ましかった。なんの努力もせずに、与えられた才能に胡座をかいて享楽に耽る結城さんが恨めしかった。いっそ、その才能が憎かった」


「俺は……全てが無意味だった。今までやってきたこと全てに意味はなかった。……生まれた時から、俺に意味なんてなかった」



堰を切ったように、口から言葉が流れ出た。

結城さんは、ただ沈黙していた。



「俺は最低なクソ野郎なんだ……結城さんが思ってるような人間じゃないんだ。苦しいこと、辛いことから逃げて隠れるだけの負け犬なんだ」


「頭良くないんだ、真面目じゃないんだ、優しくないんだ」


「見栄のために頑張って、優越のために努力して、自分の弱さを人に隠して」


「何もできない、何も続かない、何も成し遂げられない」


「俺は、何もかもが中途半端なダメ人間なんだ……!」



顔を伏せて独白する。

もう、結城さんに見せる顔なんてなかった。






しばしの静寂が場を包む。


そして、結城さんは俺に語りかけた。



「……私もね、平本くんが思うような人じゃないよ」


「飽きっぽくてそそっかしくて、優柔不断で流されやすいし、おしゃべりでうるさいくせに気が弱くて浮き沈みが激しい」


「甘えたがりで寂しがりで、一人じゃなんにもできないの」




「平本くん、平本くんとお昼ご飯を一緒に食べてないとき、私がどこで昼食をとってるか知ってる?」


「トイレで食べてるの」


「私って、友達がいないんだ。それで、一人でご飯を食べてるとなんだか惨めな気持ちになって、涙が止まらなくなる」




「一人だとダメなの、一人だと私はなんにもできない」


「でも、平本くんがいてくれたから、私は寂しくなかった」


「平本くんがいてくれたから、私は苦しくなかった、悲しくなかった、惨めな思いをしなかった」


「平本くんがいてくれたから、なんにもできない私はなんでもできた」




結城さんの告白に、俺は唖然とした。


そして、あの確信が脳裏を掠め虚しくもなった。




「…………結城さんは依存してるだけなんだ。依存したいだけなんだ。だから、結城さんのそばにいるのは、俺じゃなくてもいいんだ……」



「俺じゃなくても……っ!結城さんの寂しさは埋められる……っ!」


「俺である必要はなかった……っ!俺である必然性はなかった……っ!」


「……俺じゃなくても……良かった……」








言ってしまった。

言ってしまった。



もう、全てがどうでもよくなった。








「……でも、私のそばにいてくれたのは、平本くんだけだったよ……?」


「私のそばにいようとしてくれたのは、平本くんだけだったよ……?」


「俺以外にもっ……あなたのそばにいたい人はたくさんいた……っ!」



「でも、私のそばにいたのは平本くん一人だったよ……?」




「私ってとっても寂しがりだから、確かに依存したい気持ちもあるのかもしれない」


「でも、私はなにも、寂しさを埋めたいだけで平本くんと一緒にいたいわけじゃない」


「ずっと前にも言ったけど、私は平本くんの素直で不器用なところが好きなの」


「その素直さを居心地良く感じているし、その不器用さに安心してるの」


「私は平本くんがいい。平本くんじゃないと、きっと私は一人ぼっちのままだった」







ああ。

そうだった。


俺はこの人の隣に立ちたかったんだ。


だから努力した、死ぬほど勉強して、死ぬような苦痛にも耐えた。


全ては、この人のためだった。

この人のそばにいたかったから、俺は。


「でも……でも……!」


「俺は……俺はもう限界なんだ……っ!」


「これ以上、俺は頑張れない……っ!」


「もう、無理なんだ……っ!」


「あなたのそばに居続ける努力を、俺はもうできない……っ!」



「…………ダメなんだ。頑張る気力も体力も、とっくに果てている」


「俺は……人生に疲れた」





























「亡くなったお婆ちゃんがよく言ってたの」




できなくていい

耐えなくていい

頑張らなくていい

我慢しなくていい


あなたがいてくれる、それだけでいい


世界はあなたが生まれるのを望んでいた

世界はあなたが生まれるのを待っていた


生まれてきてくれてありがとう




「だから、生まれてきてくれてありがとう。平本くん!」



そう言って、結城さんはパァァッと笑った。




その言葉は、まるで魔法のようだった。


心の海に浮かぶ孤独な氷山が、やがて海と同化するように溶けていく。

あるいは、凍えた身体が芯から温まっていく、奥底に沈んでいる心が直接揺り動かされる。

そんな言葉だった。




俺の顔は涙でぐちょぐちょだった。

だけど、笑ってた。









この人を幸せにしたい。


煩瑣だった俺の想いは、その一点に帰結した。





























数ヶ月後、俺は学校に行くようになり、勉強の遅れもほとんど取り戻した。

学校で、結城さんが勉強をみてくれるようになったからだ。



結城さんの教え方は、はっきり言ってドヘタクソだった。


当然と言えば当然だった。結城さんはセンスだけで問題が解けてしまう。

だから、結城さんからしたら何が分からないのかがまず分からないのだ。


結城さんなりに、俺でも分かるように色々な工夫を凝らして教えてくれたりもする。

しかし、その工夫が何よりも問題を難解にさせた。

評論文の文脈判断に幾何を持ち出したときは、本気で正気を疑った。



しかし、そんなムチャクチャな教え方とは裏腹に、着実に成績を取り戻すようになっていった。


結城さんの教え方が効果的だったのではない。

結城さんと一緒に勉強するのが効果的だった。


結城さんと一緒にいるという点が、俺に最大のモチベーションを引き出させた。


身体に染み付いた勉強に対する拒絶反応も、このモチベーションの前では簡単に消え失せた。単純な身体だ。




親の異常性も、俺が成績を取り戻すにつれ鳴りを潜めるようになった。

あのモンスターを生み出してしまったのは俺だ。

生み出してしまったからには、最後まで責任を持つつもりだ。





俺の心は羽が生えたように軽かった。

全てのストレスから解放されたような心持ちだった。


今まで自分にのしかかっていた重りが全てなくなったような、そんな感覚だった。



結城さんには、本当に感謝しかない。


あの人に幸せになってほしい、その一心しかなかった。






























昔話をしよう。



私は幼い頃、花冠をよく作っていた。

それを渡すと、みんな喜んでくれたから。


それを渡すと、みんなは笑顔になってくれた。

私は、花冠の似合うその笑顔が好きだった。


特に、お母さんによく作った。

お母さんは花冠を受け取ると、いつも私を撫でて褒めてくれた。私はそれがたまらなく嬉しかった。



小学生になると、私は花冠を人に作らなくなった。


花冠を作っても、誰も喜んでくれなくなってしまったのだ。


クラスのみんなからは子供っぽいと笑われた。

お母さんから「いつまでそんなことをしてるの」と言われた。


私はなんだか一人ぼっちになった気分だった。


それでも私は花冠を一人作り続けた。

喜んでくれる人はいなかったけど作り続けた。


花冠を作っている時間が、一番楽しかったから。



小学二年生の頃だった。

野原で一人花を摘んでいると、男の子が私に話しかけてきた。



『なにしてるの?』


お花を摘んでるの。


『なんで?』


お花を集めて、花輪にするの。


『バッタつかまえるからジャマなんだけど』



その男の子は傍若無人で自分勝手だった。


しかし、私は頑なに花冠を作り続けた。

すぐに喧嘩になった。

私は意外と強かった。


野原を半分こ、ということで話は落ち着いた。



その男の子の顔が視界に入る度に、私はムカムカした。

こんな奴がいるから世の中から争いはなくならないんだ、なんて思っていた。


すると、しばらくして男の子は花冠を食い入るように見始めた。

よく分からない奴だと思った。


しかし、決して悪い気分ではなかった。

私は得意顔で出来上がった花冠を男の子に見せつけた。


男の子は、目を輝かせすごいすごいと騒ぎ立てていた。

その人は、驚くほど素直だった。


嬉しかった。



それから、その野原で私はよくその男の子に花冠を作るようになった。

次第に私は、花冠を作る時間よりも、その男の子との時間を楽しむようになっていった。


今思えば、あれが最初で最後の恋だった。



その男の子は私と同じ小学校だった。


しかし、学校で話すことはなかった。


彼には彼のテリトリーが、私には私のテリトリーが既に築かれていたのだ。

こう言うとなんだか物々しいが、要は学校だと周りの目があって恥ずかしかった。


学年が上がるにつれて、野原で遊ぶこともなくなり、同じ学校、時には同じクラスなのにも関わらず疎遠になっていった。


彼ともっと仲良くなりたかった。

でも、私からはなんだか恥ずかしくて、話しかけるのが億劫だった。

変なところで、私は気が弱くなる。




小学校の高学年くらいからだった。

親や先生から中学受験をとても勧められた。

私はなんだかよく分からないままに受験をして、合格してしまった。

親はものすごく喜んでいた。

その様子を見て、『ああ、これでいいんだ』と思った。


今でも思う。

あの時落ちていたら、彼と同じ中学校に行けていたらどうなっていたのだろうと。



学校では友達はできなかった。


仲良くなる人はたくさんいた。

しかし、少しずつみんな、私から距離を置くようになった。


原因は私の成績にあった。

私は、私が思う以上に勉強ができてしまった。


最初は尊敬の念を集めたが、次第にソレは嫉妬に変わっていった。

陰口を言われるようになった。

ちょっとしたいじめもあった。

不登校になることもあった。


親は、まるで私に関心がなかった。

親は私の成績しか見ていなかった。

私を見ていなかった。



ある日、私は久しぶりにあの野原で花冠を作った。

自分を慰めるために。


私は愚かだった。

できた花冠を見て、これを親に渡せばきっとあの頃の気持ちを思い出して私を褒めてくれるだろう、そんな気を起こしてしまった。


親は私の花冠を叩き落とし、踏み潰した。

そんなことする暇があるなら、もっと有意義なことに時間を使え、そう言われた。



私から感情は消えた。

ただの傀儡になった。



それ以来、私は親の言うことを聞く機械になった。

親は最初、良い子ちゃんの私を褒めそやしたが、飽きたのだろう。私をネグレクト、育児放棄するようになった。


親が家を空ける日が多くなった。

外で何をしているのだろう。どうでもよかった。


生きるために、自分一人で家事をするようになった。

家にはいつも私一人だった。

寂しかった。


私は人だった。

どこかに安寧を得たかった。

羽を休めるところが欲しかった。


そんな場所はなかった。

学校、家、私が居心地良く感じる場所はなかった。

私に居場所はなかった。

私は孤独だった。


私は既に壊れていた。



もしあの時、彼と同じ学校に行けていたら。

私の未来は変わっていたのだろうか。


今では彼の名前も顔も思い出せない。

私は生きる屍だ。




























高校三年生になって、結城さんと進路について話すようになった。






「平本くん、大学はどうするの?」



「まだ、決まってないなぁ……」



「……そ、そうなんだ」




結城さんはその質問を頻繁にしてくる。


何か言いたいことがある、でもなかなか言い出せない。

結城さんはそんな様子だった。


そしてその日は、意を決した表情であることを提案してきた。




「その、目標は高くってことで……T大なんてどう?」




俺からしてみれば、恐ろしい提案だった。


今の俺の学力では、門前払いされてしまうだろう。

T大は、それほどまでに超難関大学だった。



それは、以前は考えていた進路の一つだった。

T大に入学するだけで箔がつき、就職先も一流大企業やエリート職ばかりだ。


以前の俺は、T大に入ることは人生のやり直しにおいて最重要であると考えていた。



しかし、それは以前の話だ。

俺の考えは変わった。


どんな学校に行こうと俺は俺なのだから、自分に合った大学に行きたい、そう思うようになった。

人生をやり直すのに必要なのは、最善の選択肢ではない、そう思うようになった。


それに、もう死ぬほどの勉強をしたくないというのも本音だった。



だから、俺は。


「俺は普通の大学に行くよ」




「…………そう、だよね……そうだよね」




結城さんは沈んだ顔をした。


結城さんが俺にT大を提案した意図が、ここでようやく分かった。




「……でもその、結城さんが良ければなんだけど……大学に行っても、俺と友達でいてくれますか?」



「……!もちろん!もちろんだよ、平本くん!」




結城さんの志望はT大だった。

俺にわざわざT大を勧めたのは、多分、同じ大学に俺と行きたいからなのだろう。


だから俺は違和感を感じた。


それならなぜ、この人は俺と同じ大学を志望しないのか。


おこがましいが、そんな違和感があった。



中学受験をしたのもそうだ。

この人にエリート校の空気は合わない。

なぜ彼女は、自分に合わない学校を選んでまで、エリート街道をひた走ろうとするのだろう。


結城さん自身に、エリートであることに対する執着は全くないように思われた。


圧倒的なポテンシャルに見合うだけの学校を選んでいるだけ、そんな風でもなかった。



結城さんは、進路を選ばされている。

そんな気がしてならなかった。


俺のせいであのモンスターが生まれてしまったように、結城さんもまた、あのモンスターをその天賦の才のせいで生み出してしまったのかもしれない。


俺には結城さんをどうすることもできなかった。

結城さんのモンスターをどうすることもできなかった。

俺自身、自分が生み出してしまったモンスターに手を焼いているのだから。


肝心なところで俺はいつも無力だ。




そして、それとは別に俺は結城さんとの関係にもどかしさも感じていた。


結城さんは明らかに俺に好意を抱いている。

しかし、その好意がどういった性質のものか分かりかねた。


LIKEかLOVEか。

友愛か恋慕か。



もしこれが友達としての好意だとしたら、そんな想いが俺の足を竦めた。


精神的にはもうおっさんの年齢に片足を突っ込んでいるが、このもどかしさはまさしく青春のソレだった。

いい歳こいたおっさんが、とも思ったが仕方ないのだ。

人は皆、初恋の前では臆病なウサギなのだ。



俺は決して、好意に対して鈍感ではない。

むしろ自意識過剰なほど、超敏感だ。

中学生の頃から、結城さんの好意を常に意識していた。


しかし、俺は臆病だった。

何かと理由をつけて不安がって、結城さんからの好意を無下にしていた。


その度に、結城さんは俺に寄り添ってくれた、俺の全てを包んでくれた。


この人に幸せになってほしい、心底そう思った。


だから、俺も覚悟を決めなくてはならない。

結城さんに想いの丈を伝えなくてはならない。



そう思いながらも、俺の中で踏ん切りがつかなかった。


実は結城さんにその気はなかった。

結城さんは俺を異性として見ていなかった。


俺が自分の想いを伝えることで、以前の関係が壊れてしまうかもしれない。


その一抹の不安がどうしてもあった。

俺は恋する乙女のように弱々しかった。




しかし、ある出来事が俺に覚悟を決めさせた。


俺を衝き動かした。





















高校の卒業式が先ほど終わった。

結局俺は、残り僅かな結城さんとの高校生活を、微妙な関係性を保ちながら終えてしまった。


踏ん切りがつかず、結城さんとの関係性は進展しなかったのだ。


俺は今の関係性に甘んじていた。満足していた。

今の関係性が崩れ去ってしまう不安と想いを伝えなくてはならないという気持ちを天秤にかけたとき、不安が遥かに勝ってしまったのだ。

どこまでいっても、つくづく俺は自分本意だった。



結城さんとは異なる大学に行く。

会う機会はかなり少なくなるのだろう。


言うなら、今日しかない。

今日、覚悟を決めなければならない。






「……平本くんとこうやって話すのも、今日が最後だね」



「……そうだね、結城さん」



お互い何かを言い出そうとしているのか、タイミングを窺いながらも、話すことは他愛のないことばかりだった。



言わなくては。

伝えなくては。

覚悟を、決めなくては。


「………………ぁ」



「あの!平本くん!」




俺はタイミングを失った。


大切な話を切り出すのは、いつだって結城さんからだった。




「私たち、違う大学に行っちゃうけど……!それでも友達でいてくれますか!」




友達。友達。友達。


ああ。

友達か。友達なんだ。友達なのか。




「……もちろん!」




精一杯笑ったつもりだった。

でもやっぱり、その笑顔は曇ってしまった。









「…………やっぱり、寂しい」



結城さんはポツリと呟いた。



「やっぱり友達じゃあ、寂しいな……」



「結城、さん……?」



「……私は大学に行っても、きっと気の許せる人はできない。どこかで壁を作って、この人は私を分かってくれない、なんて思っちゃう気がする。今までがそうだったから」


「私が気を許せる人は、きっと生涯で平本くんただ一人だけだと思う」



「でも、平本くんは大学に行ったら、きっと私のことを忘れちゃって。誰か他の人と仲良くなって、その人と恋仲になって、私はその人にはなれなくて」



「……あはは……変、だよね……私と平本くんは友達、なのに……」






ああ。

結城さんも俺と同じだったんだ。

不安だったんだ。


俺はまた、不安がって結城さんの好意を無下にしていたんだ。




「……俺は、自分が嫌いだった。何もかもが嫌いだった。傍若無人で自分勝手で、自己中心的で自分本意で」


「大好きな人の好意すらをも、俺は無下にしようとした」



「………………へ?」




結城さんは目を丸くする。




「でも、今は違う。俺はあなたのおかげで変わった。あなたがいてくれたから、俺は変われた」


「それでも、この想いだけは決して変わらない。違う大学に行こうと、結城さんが何をしようと。今も昔も、一周目も二周目も決して変わらない」



「ひ、平本くん……あの、それって……?」



「…………俺は……」



言わなくては。

伝えなくては。



「…………俺は……!」



言え。

言え。



「俺は!あなたのことが好」

































プツンッ



佳境を迎えたドラマが突然映らなくなったような、そんな気分だった。








ああ。


俺は夢を見ていた。


夢だった。

全部夢だった。

何もかもが夢だった。





目を醒ますと、俺は病室のベッドで寝ていた。






「先生!平本さんの意識が回復しました!」





長い長い夢だった。













「健治っ!……良かったっ!良かった……っ!」


「目醒めてくれて、本っ当に良かった……っ!」



両親が俺を抱きしめた。

温かった。



その温かさは久しく忘れていた感覚だったが、同時にここが現実だと実感させられた。

あのモンスターはいなかった。








俺は事故にあったらしい。


なんでも、パトカーから逃走中の車が信号を無視して、小学生がはねられそうになっていた所を庇ったとかで。





「健治、お前……っ!本当に……心配させやがって……っ!」




そのパトカーに乗っていたのが友也だった。

友也が迅速に応急措置をして救急車を呼んでくれたのが、俺が一命を取り留めた最大の要因らしい。





「……友也……お前は、俺と同じ高校だったよな……」


「そうだけど……それがどうかしたか?」



「そうか……そうだよな。あれが……現実なわけ、ないよな」


「……健治、お前……大丈夫か?」




「……夢を、見ていた……長い……長い夢……」


「……初恋の夢、だった……」
























半年ほどして、俺は日常を取り戻した。









ちゅんちゅんっ ちゅんちゅんっ




小鳥の囀りが静かに朝の到来を告げる。


今日も一日が始まった。



布団から起きて洗面所へ向かい、眠気を覚ますため冷水を顔いっぱいに浴びる。

鏡には、ただ俺がいた。


身支度を済ませ、家を出る。

天気は晴れていた。空がいつもよりも青く見えた。



いつもの道を、いつものように歩くいつもの作業。

短調ではあるが、大地を踏み締める足は力強く俺を前に進めた。



半年前、俺は事故に遭い夢を見た。

その夢はやけにリアルで長かった。


俺が10歳の頃に戻り、自分の人生をやり直そうとする夢だ。

夢の中で俺は、様々な苦悩にぶち当たった。

夢の中で俺は何度も絶望するが、最後にはいつもある女の子に救われた。


その女の子は、俺の初恋の人だった。

初恋の人は俺に言ってくれた。


『あなたがいてくれる、それだけでいい』


俺はその言葉に何度も救われた。



夢から醒めたとき、俺の魂はしばらく抜けていた。

それから、俺はだんだんと現実を実感するようになった。


だが、不思議と虚しくはなかった。

あの女の子が今でも俺の心にいてくれるような、そんな感じがしたから。


現実に戻ってなお、あの子の言葉は俺を勇気付けた。










ふと、たまに思うことがある。


あの女の子は今、どうしているのだろう。



夢の中では、T大を受験していたが、その後どうしたかは知らない。

第一、あの夢が現実と互換性があるのかも分からなかった。



彼女は今、どうしているだろう。


歳は同じだから25歳、留年でもしてなければ既に就職しているはずだ。

あるいは、誰か想い人と結婚して主婦になっているのかもしれない。



結城さんは今、どうしているのだろう。


幸せにしているだろうか。

誰かと恋仲になっているだろうか。




元々、叶うはずのない恋だった。

今更思うことなどない。


しかし、ただ一つ俺には心残りがあった。



結城さんに感謝を伝えたい。



夢の中で、結城さんは俺の心の拠り所であり続けた。

現実の中であっても、結城さんの言葉は俺に力をくれた。


現実の結城さんからしたら意味が分からなくても、俺にはたいへんな意味があった。


どうしても伝えたかった。



もっと言えば、俺は夢の続きを伝えたかった。

一つの俺のけじめとして。


そして、結城さんにこっぴどく振られたかった。

そうすることで、ようやく俺は結城さんへの想いを捨てられる気がしたから。







俺は、結城さんが今どうしているか知人に連絡して回った。


皆、知らない様子だった。

悲しいが、現実でも結城さんに友達はいなかった。


そして、意外な人物から俺は結城さんの情報を手に入れた。

友也だった。





『結城さん……昔、小学校にいた結城陽乃さんのことだよな?』


『その……なんだ……ちょうどお前の意識が回復した頃だったか……』


『何というか、その……ちょうど……その頃……』
















『結城陽乃は自殺した』




















7月7日の午前7時25分。

その日、結城さんは投身自殺した。



後になって分かったことだ。

















『私は平本くんのその素直さに居心地の良さを感じてるし、その不器用さに安心を感じてるの』




『一人だとダメなの、一人だと私はなんにもできない』


『でも、平本くんがいてくれたから、私は寂しくなかった』


『平本くんがいてくれたから、私は苦しくなかった、悲しくなかった、惨めな思いをしなかった』


『平本くんがいてくれたから、なんにもできない私はなんでもできた』




『私のそばにいたのは平本くん一人だったよ……?』




『私は平本くんがいい。平本くんじゃないと、きっと私は一人ぼっちのままだった』




『……私は大学に行っても、きっと気の許せる人はできない。どこかで壁を作って、この人は私を分かってくれない、なんて思っちゃう気がする。今までがそうだったから』


『私が気を許せる人は、きっと生涯で平本くんただ一人だけだと思う』














『だから、生まれてきてくれてありがとう。平本くん!』













ああ。

霞んでいく。





ドクンッ ドクンッ





言わなくては……!

伝えなくては……!




結城さんに…………っ!!

























「…………!!」




夢から醒めた。


俺は病室のベッドで寝ていた。


カレンダーは7月7日、時計は7時を指していた。



俺は飛び起き、力なく病室を出た。




「…………はあ……はあ……」




全身が悲鳴を上げている気がした。

関係なかった。



手すりをつたい、必死に歩を進める。




ドサッ




バランスを失い、力尽きるように倒れた。




「…………はあ……はあ……」




這いつくばってでも、進む。



言わなくては。

伝えなくては。



全身の力が抜けていく。


ああ。

ダメなのか。


俺は。

俺はまだ。









「…………うおぉっ!!……健治?……って意識戻ったのか!ってかなんでお前こんな所で寝てるんだ!?」




聞き慣れた声。友也の声だ。

お見舞いにきてくれていた。





「……友也……!……俺を連れてってくれ……っ!会光駅まで……俺をっ!!」



「はぁっ!?……お前!それより」



「俺をっ!!連れてってくれっ!!」



「……ああもうっ!!……よく分かんねぇけどっ、俺は知らねぇからなっ!!」




友也は駐車場まで俺をおぶって運んだ。


車にエンジンをかけ、病院を発った。




「ここから……はあ、はあ……会光駅まで、どのくらい……?」



「30分ってところだ」


「飛ばせぇっ!!」


「馬鹿かお前っ!?俺は警官だし、本来は今から出勤なんだぞっ!?」


「頼む……!!頼む……っ!!間に合わなくなる前に……っ!!」



「…………ああクソがっ!!いいよ分かったよ!!テメェ後で覚えてろよっ!!」


















「…………おい、着いたぞ。……死んだか?」






午前7時22分。



車から降り、俺はボロボロの身体に鞭打ち結城さんの元へ向かった。

不思議と身体は動いてくれた。




「……あ、おい!……ちょっと待てお前!」





午前7時23分。



駅のホームに入った。

駅員さんに呼び止められた。

友也に押し付けた。




「健治ーーっ!テメェ、クソがッ!!」





午前7時24分。



結城さんを見つけた。

結城さんは黄昏に包まれて静かな河を見ていた。




「……はあ……はあ……っ!」





午前7時25分。







俺は結城さんを横から突き飛ばした。

結城さんは河に落ちなかった。自殺は未遂に終わった。


俺は、そのまま強く強く結城さんを抱擁した。

人目など気にならなかった。



結城さんの頬には涙が伝っていた。




「…………誰……ですか……?」





言わなくては

伝えなくては








「できなくていい、耐えなくていい、頑張らなくていい、我慢しなくていい……っ!」


「あなたがいてくれる、それだけでいい……っ!」


「世界はあなたが生まれるのを望んでいた、世界はあなたが生まれるのを待っていた……っ!」








覚悟が決まった。

人生が今、変わった。





「俺は……っ!あなたのことが好きだ!!!」


「だから、生まれてきてくれてありがとう。結城さん!」




俺は精一杯、パァァッと笑って見せた。


結城さんの虚な瞳の奥に、光が差し込んだ気がした。




そこで俺の意識は途絶えた。





























「ねぇ見てっ健治くん!」


「コレ、小学校のアルバム!この『将来の夢』ってとこ!」



「懐かしいなぁコレ。10歳のときのか」



「なんと!結城探偵はとても興味深いものを見つけてしまったのです!」



「……あ、陽乃の夢書いてある。……コレ叶うの?」



「……むぅ、いじわる……叶えて貰わないと困りますー!!」


「って話逸らすな!……ふふん、私は見つけてしまったのだよ」


「コレ!健治くんの夢、叶ったの!?ねぇっ!」



「ぁ……コレは……その……」



「あれあれぇー?顔が赤いぞー?その様子だと叶ったってことかな?」



「…………ああ、叶ったよ」



「…………そ、そうなんだ……叶っちゃったか、へー……」








「『初恋の夢』」

稚拙な文章、ご愛読いただきありがとうございました!

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