第三話 水浸しにしてごめんなさい。
スキルが少しずつ分かってきます。ついにメジャースキルの正体も! でも、これは・・・?
司祭長の部屋を出た俺は、自分の部屋に向かいながら考えた。いったい、俺が戦うべきイビルな存在はこの街のどこにいるんだろう。そう考えながら廊下の窓から曇り空を見上げた瞬間、例のアナウンサー声がした。また男の声だ。
「デテクトイビル」
そうして、俺の左手の甲の星のうち、この前光った星の隣、中指の付け根あたりの小さな星が金色に輝いた。
突然俺の脳裏に、この街を俯瞰で眺める映像が浮かんだ。そして、教会を中心に金色の光が、波紋のように拡がるイメージが浮かんだ。おそらくスキルが街をスキャンしたんだ。波紋は城壁の外まで拡がって消えた。
なんてこった! 反応なしだ!
二つ目のスキルがわかったのはよかったが、この街にイビル属性の者が居ないという結果のほうがショックだった。
「オリアルト様! 大丈夫ですか?」
ヴォルトックが駆け寄ってきた。心配顔だ。
俺が、イビル属性の不在を知ってがっくりしたところを見て、異変があったと心配したのだろう。
「あ、ああ、はあ、まあ大丈夫だ」
溜息が出たが、その場を取り繕った。
「さっきの光はオリアルト様の?」
「ああ、二つ目のスキルが発動した。今度のは意図的に発動ってことなんだろうな。イビル属性がどこにいるんだろう、って思ったら光ったから」
「デテクトイビルは僧侶系のスペルにありますが、スキルってことは使い放題ですかね。どれくらいの範囲を調べたんですか?」
「街全体だよ。イビル属性は皆無だ」
俺が残念そうに言ったからだろうか、ヴォルトックは気の毒そうな顔だ。
「この街は、まあ、居ないでしょうが。でも、その範囲はすごいですよ。街全体なんて。司祭長様が唱える呪文並みですよ」
司祭長と比較して、同じくらいだとすごいってことになるということは、司祭長はすごいんだろうな。まあ、死者復活の呪文が使えるくらいだからな。
それにしても、地下の魔物とか、正体を隠して住み込んでる悪魔とか、悪に魂を売り渡した人間とか、なんか居てもよくないか?
まあ、居ないものはしょうがないか。
教会の付属の病院施設のようなもの、ええと、なんて言ったっけ、そう、慈善施設ってやつだ、そこに向かうことにした。俺のスキルのせいでケガをした傭兵のウェッケナーさんが治療を受けているはずだから。
てっきり治癒の魔法ですぐ直すのかと思ったら、そういうものじゃないそうだ。
学校の教室くらいのサイズの部屋に、不規則な配置で寝台が置かれていて、いろんな症状の人がねかされていた。怪我らしいもの、せき込んでる老人。熱を出しているらしい子供、そして、包帯を巻かれたウェッケナーさん。床から十センチほどの低い寝台に寝かされ、従者の女の子が横で両膝ついて面倒を見ている。
部屋の中には尼さんが5人ほどいて、あちこち歩き回って患者たちの世話をしている。
ついてきたヴォルトックといっしょにウェッケナーさんのところへ行って跪くと、向かいにいる従者の少女から睨まれた。嫌われてるなあ。
「ウェッケナーさん、わたしのスキルのせいで。申し訳ない」
目を閉じていたウェッケナーさんは薄目を開けて俺を見て言った。
「君が意図してやったことじゃないのは分かっている。女神クノーティアが与えたもうた力を恨むつもりもない」
できたお人だ。
30歳くらいの尼さんが水差しと手ぬぐいを持ってきた。
「傷口を聖水で洗います」
尼さんと従者がウェッケナーさんの上半身の包帯を取ると、胸や腹に生々しい傷があった。縫合とかしないらしい。まだ血が止まってない傷もあるようだ。尼さんが、手ぬぐいを添えて床が濡れないようにして、傷に水差しの水をかけ始めた。
聖水が掛けられると、傷口のところでシュワワと小さな泡があがりだす。アルコール消毒に似ている。
泡が収まると、傷口が少しふさがってるようだ。
「へええ。聖水って傷が治るんですか」
感心してると、尼さんが、当然でしょうっていう口調で教えてくれた。
「神の祝福を受けた水です。すべての病や傷を、すこしですが癒す力があります。けがれたり汚れたりすることもないし、悪しきものが浴びれば酸のようにそのものを焼きます」
万能なんだ。悪にも効くって、この街にはイビルは居なかったよ、って喉まで出た言葉は飲み込んだ。
「もう少し必要ですね」
手にした水差しの聖水が無くなってしまって、尼さんがそう言った。聖水って、どこかに取りに行くんだろうか。手伝えるかな。
「俺、取ってきますよ、どこにいけばもらえるんですか?」
「聖水は普通の井戸水に司祭長様が儀式を行って祝福を与えたものです。もしくは、こうして、」
尼さんは水差しをウェッケナーさんの寝台の横の棚の上に置くと、何やらもにょもにょと唱えた。すると彼女の声ではない女性の声があたりに響いた。
「クリエイト・ホーリーウォーター」
魔法の呪文らしい。魔法の発動のときは女性アナウンサーなんだ。俺のスキルは男性アナウンサーだけど。
そして、その呪文の効果が現れた。カラになったはずの水差しに手品のように水面が現れて口に向かって上がってくる。みるみるうちに水差しは一杯になった。
つまり、僧侶系の呪文で、無から生み出すことができるってことだ。
尼さんは一杯になった水差しを手に取り、また、ウェッケナーさんの傷にかけ始めた。
見ていると、なんだか喉が渇いてきた。しかしまさか聖水を飲ませてくださいなんて言うわけにはいかない。普通の水を分けてもらえないかと思いつつ、さっき水差しが置かれた棚の上にあった湯飲みのような陶器のコップに左手を伸ばし、その容器に指が触れた瞬間! 左手の甲の星のうち、真ん中の大きなやつが金色に輝いた! メジャースキルの発動だ!
「クリエイト・ホーリーウォーター」
男性アナウンサーの声があたりに響く。容量200CCほどの湯飲みが水で満たされた。おそらく聖水だろう。
これが、メジャースキル!? しょぼくないか?
俺はがっかりしてあきれていたが、尼さんは驚いて褒めてくれた。
「す、すごい。スキルのクリエイト・ホーリーウォーターだなんて! すばらしいわ。 スペルでは、一日にできる量が限られているんです。司祭長様の儀式には、お供えの品が必要で、やはり量が限られてしまって。でも、スキルなら。スキルの使用上限はあるかもしれませんが、ずっと上のはず」
尼さんは部屋の中を見回した。できるだけ大きな容器がないかと探しているんだ。そして彼女の目に止まったのは、
「あの風呂釜! あれに出してください。できるだけたくさん。お願いします」
それは洋風の風呂窯だった。病人やけが人を風呂に入れてやるためのものだろう。陶器でできていて鉄の台がついている。下から火で沸かしたりするんじゃなくて、おそらく水と熱い湯を混ぜて温度調整するんだろう。たしかにあれなら1立方メートルくらい入るだろう。千リットルだ。穢れない水だから、容器は垢で汚れていたって問題ないわけだ。
なんか、これなら役に立てそうじゃないか。
「わかりました。それじゃあ、さっそく」
俺は風呂釜の傍に行って、縁に左手で触れて、念じた。水を、たくさん!
「クリエイト・ホーリーウォーター」
星が輝いて、男性アナウンサーの声が響いた。
風呂釜の底に水面が現れて、水位が上がっていく、という効果を期待したのだが、起こったのはそんな生易しいことではなかった。
まるでそこが、嵐の荒波が打ち寄せる海岸に繋がったように、風呂釜から四方に向かって二メートルくらいの波が立ち上がり、風呂釜の外へあふれ出たのだ。一度でなく、どんどん繰り返し、大量の聖水が押し寄せてくる。水は部屋を瞬く間に子供用プールのような浅い水場に変えた。水位は俺のひざ下くらいまであった。まだ増えそうだ。病人やけが人の寝台は低いものが多いので、身体が水に浸かってしまってる人もいる。ウェッケナーさんなんか、全身水の中で、従者と尼さんが上半身を抱いて支えて、なんとか沈まずに顔が水面から出ている状態だ。
でも、水はまだ止まらない。このままではみんな溺れてしまう。水をかき分け、外に通じる両開きのドアまでたどり着く。なんてこった。内側に開くドアになってるから水圧がかかっただけでは開かないんだ。それどころか水圧のせいでいまさら内側に引っ張って開けられそうにない。水圧を利用して、無理やり外向きに開けるしかない。
俺は肩から体当たりした。壁と扉を繋ぐ蝶つがいが緩んで音を立てた。水位は膝を越えた。水圧が上がってるはずだ。もう一度体当たりした。
蝶つがいが飛び、扉が外に外れて飛んだ。水があふれる。入り口の石段から滝のように落ちて、教会前の石畳の広場にみるみる広がっていく。部屋の水位が下がっていく。風呂釜を見ると、まだ洪水時のマンホールのように水がゴポゴポ出てきていた。
けが人や病人は水につかってしまって大丈夫だったろうか、と見回すと、苦しがってる人はいない。みんな上体を起こして、自分自身を見回している。せき込んでいた老人のせきはとまっていて、熱を出してうなっていた子供は平気な顔でキョトンとしてる。ウェッケナーさんは自分の傷ついた胸のあたりをさすっていた。
この水が全部聖水だから、浸かって症状が好転したってことらしい。だが、部屋の中は散々だ。
「すみません! すみません!」
平謝りして、水で流れてくる布やら容器やらを必死に拾い集める。
風呂釜から出てくる聖水は、やっと収まったようだった。