エイはもういない
私と里佳子は品川区の川辺にいた。私が懐に入れたピースのライトとライターを取り出し煙草を咥えた時だった。
「ねえ、あそこにエイがいるよ」
彼女はガードレールの向こう側を指さした。私は彼女の指す方向を見た。川の底に茶色の生物が佇んでいた。
「うん、確かにエイだ」
「どうしてこんなところにいるの?」
「さあな、エイも困っているんじゃないか?」
ピースに火を点ける。滑らかな煙が喉を通る。息を吐くと煙が風に流され、どこかへと消えてしまった。まだ残っている煙草の火を消し、再び懐に仕舞った。
「りっちゃん、もう行こうか」
私はそう言って歩き始めた。彼女は不満そうに頬を膨れさせ、私の隣に駆け寄った。
「たっくんはそれでいいの?」
「何が?」
「もう二度と無いかもしれないじゃない。エイがここに居ることも、たっくんとここを歩くことも、もう無いかもしれないじゃない」
もう無いのかもしれない。分かっていたことだがそれを日常で意識することは極めて不自然であり、それでありながら余りにも普遍的だった。私は返答することもできず彼女の顔を見つめた。寒風に頬を赤らめた少女がそこに佇んでいた。
「エイはまだいるかい?」
私は尋ねた。口の中にはまだピースの味が残っていた。