~The name of the beast 1~
「今日は日差しが強いわね...」
リザリオは海沿いに南に向かっていた。海沿いは街が点在している筈だが、一向に街に着かなかった。
「少し寄り道をしすぎたかしら?」
リザリオは道中で昼寝をしてしまった事を後悔していた。
「まだお昼だから大丈夫だけれど...夜になるとビーストが出て来るから面倒ね。明日の朝まで寝てしまおうかしら?」
リザリオが開き直って眠れそうな場所を探していると、ヒューマノイドの女性がビーストに追われていた。
「あら、楽しそうね。」
リザリオは無視して行こうとしたが、ビーストが気になり足を止めた。女性を追っているのは、ハーピィと呼ばれる有翼型ビーストだったが、地面を走って追いかけていた。
「...片翼じゃない。」
腕の代わりに翼があるが、右の翼は半分程で切られており、とても飛べるような状態では無かった。加えて右目も抉られており、見えていなかった。それでも必死に目の前の獲物を追いかけている。
「た、助けてください!」
ヒューマノイドがリザリオに気付き、助けを乞うが、リザリオは笑顔のまま動こうとはしなかった。
「な、何故助けてくれないのですか!?」
「じゃあ、逆に質問してあげるわ。どうして助けなくてはいけないのかしら?貴女は大人しく死ぬか、抵抗するしかないのよ?それを他人に、しかも貴女達が劣等種と呼ぶビスティアにね。」
ヒューマノイドの女性は、強くリザリオを睨みつけたあと、罵声の数々をリザリオに浴びせた。
「この...獣め!お前達には心が無いの!?なぜ目の前で助けを求める人に手を差し出さないの!?これだから獣は馬鹿で融通の利かない劣等種!お前達なんて死んでしまえ!死ね!今すぐに...きゃあ!?」
罵声を発していたヒューマノイドの女性は、とうとうハーピィに捕まってしまった。鋭い爪が、細い腕にくい込み、女性は悲鳴を上げていた。
「ぁあぐぅ!?聖歌隊がいれば...こんな獣共を...うぅ!?」
「黙れ!獲物が騒ぐな!」
ハーピィは五月蝿いヒューマノイドの女性を地面に組み伏せ、首に噛み付いた。顎に力を込めて、首を噛みちぎった。
「かっ...ぁ...」
ヒューマノイドの女性は必死に食い破られた首の傷から息をしていた。
「あら、必死ね。何だか可愛らしくていいじゃない。」
出血が多く、意識が段々薄れていく中で、ヒューマノイドの女性は自らの腹がハーピィの爪によって切り裂かれ、内臓を引きずり出される様子を見させられていた。
「っ!?...っ!」
ふくよかな胸にハーピィの牙が突き立てられる、ブチブチと嫌な音を立てながら肉は裂けた。目の前にいる捕食者に、怒りと大きな恐怖を植え付けられながら、永遠の眠りについた。リザリオは捕食している様子を見ながら、満面の笑みを浮かべていた。
「...見られてると、食べにくい。」
「あら、ごめんなさい。でも悪気は無いのよ?少し貴女に興味を持っただけ。気にせず食事を楽しんで。」
ハーピィは食べづらさを感じながらも、ヒューマノイドの女性を満足のいくまで喰らい続けた。食べ終えると、ハーピィは口を翼で拭おうとするが、リザリオが布でハーピィの口を拭いた。
「ん...」
「あまり自分の体を、他人の血で汚さない方がいいわよ。」
「分かってる。でも、水の近くに行くのにも大変だから仕方ない。」
「本当に飛べないの?」
「飛べない。慣れた。」
「さっきのヒューマノイドは、どうしてこんな所に居たのかしら?」
「近くの旅団が襲われて、そこから逃げ出した奴。」
「旅団?ヒューマノイドの旅団なんて、珍しいわよ?しかも襲われたなんて、普通なら聖歌隊に殺されてしまうわよ?」
「聖歌隊?」
「聖歌隊ってなに?」
ハーピィは翼を舐めて毛繕いしながらリザリオに問いかけた。
「聖歌隊はヒューマノイドの中でも特異な戦力よ。私も実際に見たことは無いから分からないけれど。」
「ふーん...というか、さっきから何?ミミアは狼と馴れ合うつもりはない」
「ミミアって言うのね。可愛い名前ね。」
ミミアは口を開けて驚いていた。目の前の会話が出来ない狼は、危険だと判断して逃げようとした。
「あら?逃げるの?」
「来るな!」
ミミアは振り返ると同時に、リザリオに爪を突き立てようとした。しかし、リザリオは一瞬で爪を躱して、ミミアの右目に指を突き入れた。
「あっ...ぐっ...」
眼孔を指で撫でられ、痛みと気持ち悪い感覚が頭に広がる。それなのに目の前にいる狼は、笑顔を崩さずに、残った左目を見つめていた。
「名乗り遅れたわね。私はリザリオよ。貴女のその翼...どうして無いのかしら?」
「お前には関係ない!」
「そう...」
眼孔内に爪を立てると、ミミアは小さな悲鳴を上げた。
「どうして無いのかしら?」
「ヒューマノイドに...やられた...」
「ヒューマノイド...そう。大変だったわね。」
リザリオは指を抜くと、指先についた血を舐めとった。
「これからどうするの?」
「決まってる。復讐する。」
ミミアの目には決意が漲っていたが、リザリオは呆れていた。
「その翼で?その片目で?ヒューマノイドは狡猾で非情。そんな相手に勝てるのかしら?傷付けることが出来るのかしら?」
「今目の前で傷付けた。見ていなかったの?」
「力を持たない者はね。でも、兵器を使われたら?聖歌隊が出て来たら?貴女は何も出来ずに殺されるのよ。」
「...分かってる...」
ミミアの体が震えている。ヒューマノイド達にされた過去を思い出して。
「もしかして...」
「...あいつらは許さない...ミミアから全てを奪ったあいつらだけは...」
ミミアの震える体をリザリオが優しく抱きしめた。ミミアは不思議と穏やかな気持ちになり、震えは収まった。
「...ありがと」
「気にしなくていいわ。それより復讐するのでしょ?それならヒューマノイドの国、黒鉄の國は近いの?」
「分からない。あいつらはビースト狩りとか叫びながら、ミミア達の森に火をつけた...だからその後逃げてたらここにいた。」
「じゃあ黒鉄の國が何処にあるかも知らずに、闇雲に歩いていたの?はぁ...やっぱり貴女はハーピィね。」
「ハーピィだけど?」
「意味が違うのよ。意味が。とりあえず地図を見てみようかしら。」
リザリオが影の中から地図を取り出して、地面に広げた。2人で覗き込むように見ていたが、黒鉄の國を探してもどこにも描いてなかった。
「少し古かったかしら?また書の魔女の所に行かなきゃいけないわね。」
「今どこ?」
「今は...この辺りかしら?」
エルドーナ南側の海岸沿いを指さした。
「近くにあるこれは?」
十字のマークが地図に描かれている。ミミアはそれが気になっていた。
「それは十字路よ。旅人や商人が集まって、露天や宿、情報交換なんかもしてるわね。」
「じゃあ、そこに行けば分かる?」
「そうね。貴女もビーストにしては頭が回るのね。」
リザリオがミミアの頭を撫でると、ミミアは嬉しそうな表情を見せた。
「じゃあ十字路に行きましょう。何か分かればいいけれど」
「飛べれば連れていけるけど...」
「なら貴女に新しい翼をあげるわ。飛べた方が楽ね。」
リザリオが切られた翼の傷口に触れると、影が翼に集まり、無くなった翼を新たに作り出した。
「...動く。これなら飛べるかも...」
ミミアは翼を広げて、一気に飛び上がった。
「飛べる...飛べてる!」
久々に飛べたミミアは、その嬉しさから中々降りてこようとしなかった。
「ミミア、そろそろ行くわよ?」
「分かった!」
ミミアはリザリオに向かって急降下した。そのままリザリオの体を足でしっかりと掴むと、一気に上昇した。
「えっ、まって」
「一気に...いくよ!」
ハーピィは有翼種の中でもトップクラスの飛行速度を有する。その最高速を味わうのはリザリオでも初めてだった。
「きゃっ...」
リザリオはミミアの足を、絶対に離さないように力強く握った。十字路が見えると、ミミアは少し離れた場所に降りた。
「到着...どうしたの?」
ミミアから離れたリザリオは、その場に座り込んだまま動かなかった。
「き、気にしなくていいわ。」
リザリオは立ち上がろうとするが、足が震え、腰が立たなくなっていた。
「もしかして...高いところ、怖かった?」
「普段から高いところには登る時もあるから苦手では無いわ...」
「速かった?」
「...次、速く飛んだら落とすから...」
「わ、わかった...」
腰の抜けたリザリオは、落ち着くまでの間、ずっとミミアを睨みつけていた。目の前に見える十字路に行けない事に蟠りを覚えていたが、リザリオへの後ろめたさを感じているのか、じっと待っていた。この先で待つ自らの悲しき運命を知らずに。