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プリュヴィオーズ③・心変わり

 様々な不安を抱えながらいよいよ三学期に突入した。

 断罪イベントまで残り一ヶ月強。それまでにシャルルの異変を何とかしないと。


 学園へ登校する馬車の中、ジャンヌは一見優雅に肘をついて外の景色を眺めている。けれど彼女の歯は小刻みに震えているし、手の震えを抑える為にスカートのすそをきゅっと握り締めていた。わたしはそんなジャンヌの手に自分の手を重ねる。


「大丈夫だよジャンヌ。わたしが付いているから」

「……ありがとう」


 わたしが力強く頷いてみせるとジャンヌは不安が少し和らいだのか、笑顔を見せてくれた。


「おはようございますカトリーヌ」

「おはようアルテュール。明けましておめでとう」

「ええ、今年もよろしくお願いします」


 馬車から降りて真っ先に会ったのはアルテュール。彼は朗らかな笑みと共に挨拶を送ってくれた。アルテュールはこの休み中に少し筋肉が付いて逞しくなった気がする。公爵令嬢だったかもしれない面影が少しずつ確実に消えている。どこか寂しさも覚えてしまうのは私のせいかな?


「ごきげんようジャンヌ様。あら、この休み中に少し太られたんではありませんこと?」

「ごきげんようクレマンティーヌ様。それはお腹の子が順調に育っている証ですよ」

「それは何よりですわ。何かと不便だったり気苦労が絶えないかもしれませんが、困ったなら遠慮せずに仰いなさい。このわたくしが手助けてして差し上げても良くてよ」

「感謝いたします」


 次にジャンヌに並んで歩んだのはクレマンティーヌ様だった。彼女はお変わりがないように見えて仕草が更に洗練されているような気がする。歩き方一つをとっても魅せるほど優雅で上品なのもあってため息が漏れてしまう程だ。それでいて己に誇りを持ち堂々としているのがこの方らしい。


 以上の四人で学び舎へと足を進めていく。

 そう、休み前にはいらっしゃったもう一人、シャルルの姿はどこにもない。


「ジャンヌ様。怯えていらっしゃるんですの?」

「怯え……そう、これは怯えとも言うのですね。怖い、としか思い浮かびませんでした」


 シャルルの異変はまず王妃様とお母様が察したんだ。ご友人であるジュリエッタ様を通じてクレマンティーヌ様が事情を知っていてもおかしくない。それでいてジャンヌを心配して親身になるクレマンティーヌ様には感謝してもしきれなかった。


「……まさかジャンヌ様はこうなるのを恐れて王太子殿下とこれまで距離を置いていたんですの?」

「……傷つけられるぐらいなら最初から興味をもたれないようにすればいい。そう思っていたんですけれど……結局いつの間にか私は殿下の虜になっていました」

「どんなに辛くても、ゆめ憎悪に身を委ねぬようになさいませ。ジャンヌ様の精神的な負担は程なくお生まれになる御子にも良くありませんし」

「そう、ですね。現実を受け止められるぐらい私の心が強ければ良いのですが」


 そんな、と思わず抗議の声を挙げそうになった。ジャンヌは既に七回も辛い現実に直面している。もうこれ以上裁かれていい筈がない。ましてや今回は悪意なんて抱いていないしメインヒロインに危害は加えられていない。断罪された挙句に破滅するなんて……間違っている。

 予定調和の脚本と戦うと決めたわたしとは対照的にジャンヌは未だシャルルに希望を見出しているようだった。愛していると告白した彼を、守ると誓った彼を信じているんだ。そんな尊い思いが今やジャンヌの弱みになっている。つくづく残酷なものね。


「……ぁ」


 そして、その希望は最悪の形で裏切られた。


 前の方でややゆっくりとした歩調の集団が見えてきた。合計六人のうち殿方が五名に女子が一名。誰もがこの学園内で有名な方々なものだから異常なぐらい目立っている。しかも異質な事に殿方は誰もがたった一人の女子へ熱く語りかけているように見えるんだ。


 ピエール・ド・ナバラ宰相嫡男。

 アンリ・ド・ブルターニュ辺境伯嫡男。

 オリヴィエール・ド・メディシス大商人後継者。

 レオポルド先生、伯爵。

 そしてアルテミシア・ド・ブルゴーニュ伯爵令嬢。


 ここまではいい。次回作ヒロインが『双子座』攻略対象者を陥落させているのは分かっていた。とうとう本性を現して逆ハーレム展開に持って行こうが彼女の勝手だし。落ち度の無い悪役令嬢を追い落とす駒としては不十分なのもある。

 けれど、その輪の中にはもう一人の姿もあった。休み前だったら決して考えられなかった展開。周囲の誰もが驚いている様子だったし、中には汚物を睨むように険しい顔をさせるご令嬢もいらっしゃった。それほどあってはならない事態になっていた。


 シャルル・ド・ヴァロワ王太子。

 ジャンヌの婚約者がアルテミシアと楽しそうに語らい合っている。


「シャルル!」


 わたしが何かをする前に大声を張り上げたのは他でもない、ジャンヌだった。名前を呼ばれたシャルルは一旦アルテミシアとの談笑を中断させてこちらに振り返る。その顔にはほとんどのご令嬢が騙されるだろう爽やかな笑顔を張りつかせて。


「やあジャンヌ、おはよう。今日もいい天気だね」


 わたしは愕然としてしまった。わたしに助けを求めたのがつい先日。それから今日までのたった数日の間にシャルルからは残っていたジャンヌへの愛すら失われていたんだ。今の彼はただ以前までのジャンヌをこの上なく愛した王太子殿下を演じているだけに過ぎない。

 わたしでも分かる変わりようにジャンヌが気付かぬ訳もない。絶望を目の当たりに彼女はその場に力なく崩れ落ちようとなり、慌ててわたしとクレマンティーヌ様で両側から身体を支えた。唇は白く染まり、瞳はせわしなく揺れている。誰から見ても動揺は明らかだった。


「何故……どうしてアルテミシア様とそんなに楽しく会話を弾ませているのですか?」

「どうして? 楽しいからかな?」


 やっとの思いで絞り出しただろう言葉は震えていたしかすれている。そんなジャンヌを目の当たりにしてもシャルルの感情には漣すら立っていないようだった。それは好感でも不快感でもなく、正に無関心。もはやジャンヌを何とも思っていないのは明らかだった。


「あらぁ? ジャンヌ様もご存じなんでしょう? シャルル様を襲った異変については」


 そんなジャンヌを嘲笑うようにアルテミシアがシャルルの腕に絡みつく。その勝ち誇った笑みはわたしの怒りを瞬間的に沸騰させてには十分だったけれど、それ以上にシャルルがまんざらでもなさそうなのが衝撃的だった。


「シャルル様はもう何に対しても心動かなくなっちゃったんですよ。必死になって以前のように振る舞おうとしても何の感慨も湧かない以上は心が追い付かないんです。分かります? シャルル様は生きながらに死んでしまったんです」

「アルテミシアの言うとおりだ。私はね、もう全てが色褪せて見えるんだ。それはあんなにも恋い焦がれていたジャンヌ、君も例外じゃあなかった。初めの内は焦りとか憤りとか覚えたけれよ。でも今となったらそれすらどうでも良くなるんだ。分かるかい、この空しさを?」

「そ、んな……」


 シャルルが補足説明するのはあくまで今まで大切に想っていた相手への義理でしかないんでしょうね。それとは打って変わってシャルルがアルテミシアを見つめる眼差しには情熱がこもっていた。それは以前だったらジャンヌに向けていたものに似ていた。


「そんな死んだ世界の中でアルテミシアだけが輝いていたんだ。彼女は私の救いだったんだ」

「素直に明かしちゃいますとこれも光の魔法のちょっとした応用です。それでも悲しいかな、未熟なわたしは自分を対象に心を開いていただくのが精一杯でした」

「清々しい程に白々しいですわね……っ」


 ぎり、と歯を噛み締める音がこちらまで聞こえてきそうなほどにクレマンティーヌ様は憎悪を込めて吐き捨てる。それでも強硬手段に打って出ないのは彼女を守るように立ちはだかる五人の攻略対象者たちのせいでしょうね。


「そんなわけなのでシャルル様の治療はわたしに任せちゃってください。あ、わたしからは絶対にシャルル様を誘惑しませんってこの場で神様に誓っちゃってもいいですよ」

「シャルル殿下が言い寄ってきた分にはその限りではない、でしょう?」

「ちょっと怖いですよカトリーヌさん。あ、いえ、もうカトリーヌ様って敬称を付けてお呼びしないといけませんね。わたしがシャルル様の意思を誘導出来る訳がないじゃないですか」


 自分が思った以上に低く重い言葉が出た。わたしったらここまで怒りに満ちた声が出せるんだとどこか抜けた感想を抱いてしまった。そんなわたしの憤怒を霧散させたのは一歩前に歩み出たジャンヌだった。その目にはいっぱいの涙を浮かべて。


「私を愛していると言ってくださった貴方は、必要なんだと言ってくださったシャルルはもういないんですか!?」

「正直に言うよ。もう愛してもいないし必要とも思わない。そしてそれを悪いとも思えないんだ」

「これから生まれてくる私とシャルルの子はどうなるんです!?」

「勿論王族として認知はする。けれど私に人並みに父親として期待はしないでくれ。何とも感じなくなってしまったから」


 残酷なまでの言葉の刃はジャンヌを次々と引き裂いていく。言葉を失ったジャンヌは止めどなく涙を流し、ただただシャルルの名を呟き続ける。そんなジャンヌを前にしてもシャルルは「もういいかな?」だなんて単調に言い放って踵を返した。


「待ってシャルル! 私達を置いていかないで……!」


 ジャンヌが必死になって手を伸ばしてシャルルに語りかけても彼は振り向きすらしなかった。先ほどと同じようにアルテミシアと楽しく談笑しながら校舎へと向かっていく。やがてその姿を消す最後までそんな感じ。ただジャンヌの哀願が空しく響くだけだった。


 ジャンヌに対してあまりな仕打ちだ。

 一体彼女が何をしたって言うんだ……!


「う……あぁ……ああああぁぁあっ!!」


 ジャンヌは泣き崩れた。怒りは無くただただ悲しくて。

 気が付けばわたしまで涙を堪えきれなくなっていた。

お読みくださりありがとうございました。

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