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フリュクティドール⑧・王太子の嘆き

 自分でも驚くしかなかった。ジャンヌだと騙せば王太子殿下だって分かりっこないと高をくくっていた。けれど実際にわたしをジャンヌと呼んだ王太子殿下を前にしてわたしに生じたのは意外にも激しい怒りだった。


 よりによって……。

 婚約者の貴方が……!

 ジャンヌとわたしを見間違えるだなんて!


「貴方は最低です……!」


 ただの小娘に過ぎないわたしの平手打ちを王太子殿下はかわさないでそのまま受けた。王太子殿下の頬はもみじのように紅色に染まり、わたしの手の平はじんじんと痛い。わたしのご乱心にしか見えないだろう不敬はあまりに突然で予想外だったからか誰にも止められなかった。


 王族に手を挙げたわたしを直ちに取り押さえようと何人かが動こうとしたが、旦那様がその場に留まるよう一喝する。そんな光景を傍目に捉えながらもわたしは頬を抑えて呆然とする王太子殿下を睨みつけたまま離さなかった。


「ジャンヌ……いや、君はまさか……?」


 もう一度ジャンヌと呼ばれたわたしは頭に血が上って再度平手打ちしてやろうかと思ったのだけれど、ようやく自分の見間違いに気付いたようだ。わたしを見つめる王太子殿下はどう感じたのか分からないけれど顔を青ざめさせていく。


「わたしはカトリーヌです。気付かなかったんですか?」


 無茶を言っているのは十分自覚している。旦那様だって見間違うぐらいにわたしとジャンヌは似すぎてしまっている。わたしだって頭が回らない時に鏡を眺めたらジャンヌがいるって思う時もあるぐらいだし。むしろ些細な違いを見逃さないクロードさんやお母様が凄い。


 けれど王太子殿下には婚約者のジャンヌを大切にしてもらいたかった。愛があれば見分けるのなんて問題ですらない、と信じたかった。メインヒロインって邪魔者がいなくなれば全てが安泰だって思いたかったんだ……!


 けれど現実は残酷。怒りが鎮火したわたしを次に襲ったのは猛烈な悲しさだった。だってあまりにジャンヌが報われない。今日もまた王宮で未来の王妃としての教育を受けている彼女は、このまま一生恋も愛も無い人生を送らないといけないの……?


「何度だって言います。王太子殿下、貴方は最低です。ジャンヌに申し訳ないと思わないんですか?」

「そうか。そうか……」


 王太子殿下は膝から崩れ落ちてがっくりとうなだれた。よほど衝撃を受けたのか、学園内ではあれほど輝いていた王太子殿下の背中からは悲愴感が漂っている。わたしはそんな惨めな姿があまりに悲しくて、気が付いたら涙を流していた。


「……会議は日を改める。皆下がれ」


 そんな旦那様の一声と共に皆さんがわたしを横切って退室していく。程なく会議室の中は王太子殿下、わたし、旦那様、そして腕を掴まれて座るよう促されたアントン様だけになった。王太子殿下お付きの護衛すら退室させる徹底ぶりだった。


「どうやらその様子ですと娘とは上手くいっていないようですな、王太子殿下」

「……っ!」


 旦那様の鋭い指摘に王太子殿下は身体を震わせる。旦那様は厳格な面持ちを崩さないままなので、今の光景は旦那様の方が立場が上に用に見えてしまう。


「家と家との関係を強くする政略結婚は貴族の宿命。婚約後や結婚後に育む愛もありましょう、生涯愛し合わないまま義務だけ果たす者も中にはおりますな。私はそういった常識が異常だとは思いませんし、ジャンヌとてオルレアンに生を受けた女。覚悟は出来ているでしょう」


 しかし、と旦那様は王太子殿下を横目で睨みつけた。あまりの迫力で傍らにいるわたしが軽く悲鳴を上げそうになるぐらいだった。顔だけを上げていた王太子殿下は申し訳なさそうに再び床に視線を落としてしまう。


「期待させるような真似だけはしないでいただきたい。貴族であろうと私もアレの親、我慢出来る限度がありますのでね」


 己の役割を果たすだけならそれに徹しろ、愛するなら徹底的に愛し合え。けれど優しくして相手に好意を持たせておいて後で失意のどん底に落とすような真似は止めろ。


 ――娘を悲しませるな。

 旦那様は暗にそう強く言っているんだ。


「……っ。分からないんだ、私には!」


 王太子殿下はその拳を床に叩きつけた。常に落ち着いた様子で笑顔で紳士的な殿下が声を荒げて感情を露わにするなんて初めてで、わたしは驚きを隠せなかった。


「どうしてジャンヌは私を避けようとするのか。私はこれまで彼女を失望させないよう最大限努めたつもりなのに彼女は応えてくれない」

「殿下……」

「もう私には、ジャンヌが何をどう思っているのかが分からない……」


 王太子殿下の嘆きはご尤もとも思えるし自業自得とも思える。『双子座』の内容を知る私や過去七回から教訓を学んだジャンヌにとっては王太子殿下は無慈悲に婚約者を捨てた男だけれど、今の彼は別にそんな事は無い誠実に生きる殿方なんだから。


 ただ、それだけに今の王太子殿下がどれだけ頑張ってもその七倍も裏切られてきたジャンヌの心を動かすなんてかなりの難題に違いない。解決の糸口を掴めればと思っていたのだけれど、ここまで王太子殿下が深刻に思い悩んでいたのは予想外だった。


「王太子殿下。折角の機会ですし、ジャンヌをどう思っているのか聞かせていただいてもいいでしょうか?」

「……そうだね。ここ最近ジャンヌと親しくしている君だったら何か分かるかもしれない」


 王太子殿下はゆっくりと立ち上がって席に腰を落ち着ける。そして長い溜めの後に少しずつジャンヌについて語り始めた。赤裸々、と言えばいいのかしら?


 ■■■


 まず王太子殿下とジャンヌの出会いは婚約を結んだ直後で変わりない。ところがその際ジャンヌからは非常に冷たい態度を取られたんだそうだ。ジャンヌは単に淡白に扱ったって説明していたけれど、王太子殿下はジャンヌから憎しみと怒り、そして悲しみを感じたらしい。


 今まで敬われ、愛されてきた王太子殿下が初めて受けた敵意。それが逆に王太子殿下がジャンヌを気にするきっかけになったらしい。


 この時を境にジャンヌは王太子妃に、後の王妃になるべく教育を受けてきた。粛々とこなすその様子は王妃様も絶賛したそうだ。だから逆に疑問が湧いたらしい、どうして義務感からそれだけ頑張れるのに自分には取り繕うとすらしないのかって。


 ジャンヌがそんな調子だから婚約を結んだ後も王太子殿下に取り入ろうと無数の貴族が自分の娘を薦めてきた。ご令嬢方は王太子殿下に少しでも気にいられようと美しく装い、上品な振舞いをして、時には色目を使う。

 自分の……いや、王太子の立場にいる者の傍に付こうとする女達は果たして廃嫡されても同じ態度でいられるのか? と考えてしまうとどうしてもご令嬢方を愛する気持ちにはなれなかったんだとか。献身には優しさで答えるだけに留まって。


「どうしてです? ジャンヌは義務的な関係に徹しようって言ったのではなかったのですか?」

「……ジャンヌは私の心を弄ぶんだよ。彼女の一足一挙動が私を惹きつけてやまない。いつしか私はジャンヌの虜になっていったんだ」


 王太子殿下曰く、ジャンヌは始めの宣告以降は完璧な令嬢として王太子殿下の傍に居続けたらしい。大衆の前で微笑み、ダンスで身体を預けて、贈り物に感謝をする。けれどジャンヌは気まぐれで時には王太子殿下から遠ざかり、からかい、時には無視する。


 全く自分の思い通りにならずにむしろ自分が振り回される始末。甘く囁いてきたかと思ったら素っ気なく素通りされて、寄り添って身体を密着させた次には背中を見せて去っていく。時には自分ではない男性の贈り物を身に付けて彼の前に立った事もあったんだそうだ。


 嗚呼、確かにジャンヌは王太子殿下の心を弄んでいる。やっている事は完全に悪女のソレだ。性質が悪いのは絶妙な距離を保って王太子殿下を掴んで離さない所か。現に今の王太子殿下は他のご令嬢ではなくジャンヌを一番強く想っている。


 わたしの勝手な推測でしかないけれど、ジャンヌは王太子殿下の御心を試しているんだ。いずれ確実に自分から離れていく王太子殿下の気持ちがどれほどのものかを。それがかえって王太子殿下の執着の原動力になるって分からずに。


「教えてくれないかいカトリーヌ? ジャンヌは私を一体どうしたいのかって」


 宝玉のような輝きを放っていた瞳は淀み、どろりとした視線がわたしに送られる。思わず叫びそうになってしまったので口元を慌てて押さえた。下手な真似をしたらそれこそ首を絞められそうなぐらいに王太子殿下から狂気を感じる。


「裏切られたくない。それがジャンヌの願いです」


 けれどここで怯んだら駄目だ。事態は何も改善しないし、是が非でも王太子殿下とジャンヌには改めて向き合ってもらわないと。だからわたしはあえて強い口調で彼に言い放った。意識したとは言え自分の声とは思えない程冷たく感じた。


「裏切る? 私が? ジャンヌを? そんなの在り得ない――」

「在り得るからこそですよ、殿下。だから愛想が尽きるようにしているんです。心惹かれてから突き放されるぐらいなら、ってね」

「……ジャンヌにも君にも、そう確信できる何かを私から感じているって?」

「左様です、殿下。貴方様は決してジャンヌを守りませんから」


 わたしの主張には旦那様も軽く驚いていた。けれどあまりに無礼な発言を咎めようとせず、むしろ何か思う所があるのか考え込んでしまった。

 王太子殿下は「そうか……」とつぶやきながら失意のどん底に叩き落とされたようにがっくりと項垂れた。いや、事実わたしが蹴落としたのか。

 けれどここで現実を直視してもらわないと次には進めない。王太子殿下に『双子座』のシナリオから抜け出てもらわないとジャンヌの未来は始まらないから――!


「ご安心ください、とまでは断言出来ませんが、わたしが微力を尽くして殿下の力となります」

「……本当か、カトリーヌ? 君が私の助けに?」

「はい。わたしはジャンヌに幸せになって欲しいですから」


 そうしてわたしは彼に私の計画を伝えた。それはある意味『双子座』のシナリオ通りで、けれど決して『双子座』をなぞる展開とはならない予定だ。上手くいけばジャンヌと王太子殿下の関係は良好な方に軌道が乗る……筈、多分。


 さあて、ここからのメインヒロインはカトリーヌじゃあない。本来悪役令嬢だったジャンヌにメインヒロインになってもらわないとね。

お読みくださりありがとうございました。

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