フリュクティドール⑤・引っ越ししました
立法府への初めての訪問から二週間が経ち、夏季休暇も折り返しに差し掛かろうとしていた。
立法府へのインターンシップもどきはあの日一発限りかと思ったのだけれど、旦那様は当然のようにわたしとアントン様を引き連れて立法府での仕事に明け暮れた。さすがに楽しみにしていた夏期講習を全て潰されるのは勘弁願いたかったので毎日はご容赦してもらったけれど。
いくら立法府を志望していたってどう考えても使用人の業務から逸脱している。まさかとは思うけれど、いずれ立法府の長になるアントン様を補佐出来る身内を確保したい狙いとかあるんじゃあないでしょうね? あまりに期待しすぎでしょう。責任があまり無い平社員がいいのに。
「……アントンと一緒にお父様の仕事のお手伝いを?」
ちなみにジャンヌにその一件を説明したところ、面白いぐらいに目を丸くして驚いていた。あまりに意外だったらしく、そのような展開を愉しもうとする余裕すら無いみたいだった。当たり前だけれど過去七回全て旦那様がメインヒロインを従える展開になんてならなかったし。
まあ、直前のやりとりの落差が酷くて思わず大笑いしてしまったのは秘密だ。
「ねえカトリーヌ。今日はどこに行くって昨日言っていたかしら?」
何しろまず部屋に入った途端に遅参を詫びる暇もなくジャンヌがこちらを問い詰めてきたんだもの。顔には微笑を張りつかせていたけれど目が全然嗤っていなかった。上品な印象を抱かせる声も冷え切っていて鋭いぐらい。正直軽く怯えた。
「就職先の第一志望にしている立法府を案内してもらうって言った」
「とっくに立法府の定時を過ぎているのだけれど、道草をどれだけ食べていたの?」
「色々な部署とか会議とか見学させてもらっていたらこんなに遅くなっただけかな」
「ふぅん、本当に? こんな時間になるぐらいまで濃厚にあの男に案内してもらったのね」
ジャンヌは目を更に細めてわたしを捉えて離さない。そこでようやくわたしはジャンヌの静かに怒っているのか察しがついた。攻略対象のラウールさんに案内してもらうとは正直に打ち明けているから、その延長線上だって考えているのか。
つまりジャンヌは危惧しているんだ。今まで攻略対象を悉く追い払って自分の手元に置いているメインヒロインが、一瞬の隙を突いてその懐を離れる事を。再びメインヒロインと連れ添う攻略対象が自分を破滅させる悪夢となる事を。
「いや、あのね。一階から三階まで案内してもらった所までは順調だったんだけれど――」
別に隠す程でもないので遠慮なくネタ晴らし。結果は唖然とするジャンヌと馬鹿笑いするわたしの構図だ。
彼女は早とちりに羞恥心を感じたのか顔を紅色に染めてわたしから視線を逸らす。その反応がまた珍しくて可愛くて、ついジャンヌを抱き寄せてもう片方の手で頭を撫でてしまった。ジャンヌは驚きを露わにしたけれどお構いなしだ。
「ジャンヌったら、もしかしてわたしが攻略対象になびいちゃうんじゃあないかって心配した?」
「莫迦、心配なんてしてないわよ。カトリーヌがまた尻軽にも殿方を追いかけ回すのかって呆れていただけね」
「そう言う事にしておくよ。大丈夫だって。恋愛とか今はまだどうでもいいし、わたしの恋路よりジャンヌの幸せの方がよっぽど大切だもの」
「……。その言葉は他の方からも、もっと早くに聞きたかったものね」
そこからはいつも通りに他愛ない話をしたり彼女の私的な時間に付き合ったりした。わたしもジャンヌも話題は主に今日一日どう過ごしたか、何を学んだか。今日の天気とか社会情勢とか心底どうでも良くて、ただわたし達の時間を共有し合うんだ。
「カトリーヌさんは気付いているでしょうが、お嬢様はあまり交友関係を広げておりません。それどころか誰に対してもご自分の内側に踏み込ませない、そんな線引きがございました」
最近、帰宅準備中だったわたしにクロードさんがそう打ち明けてきた。『双子座』で誰からも尊敬され敬われた公爵令嬢は、度重なる破滅で誰も信用しなくなったんだ。どうせ最後は自分を見捨てて敵に回るのだから初めからそんな希薄な絆は不要だ、とばかりに。
「カトリーヌさんとお会いになられてからお嬢様は明るくなられました。感情を露わにするようになりましたし、何より生き生きしておられます」
「そうなんですか? わたしはただジャンヌとただ喋っているだけですけれど」
「お嬢様やエルマントルド奥方様の建前、誰も口にはしておりませんが……我々はいつか貴女様には戻って来ていただきたいと考えております」
「……とても嬉しいお誘いなんですけれど、自分の家族は捨てられません。ごめんなさい」
「あ、いえ。願っているのは事実ですがそんな事が言いたいんじゃあなくて……」
クロードさんはわたしに深々と頭を下げてきた。ドレスを汚さないために跪く代わりにスカートを摘まみ上げるカーテシーと違う。社交的な礼ではなく心からの感謝の表れだった。廊下には他のメイドの姿も見えたのだけれど全く気にするそぶりを見せなかった。
「一同を代表して貴女様に多大なる感謝を。これからもお嬢様をよろしくお願い申し上げます」
『双子座』では婚約者や同級生、家からも捨てられる悪役令嬢のジャンヌがこんなにも慕われている。それがわたしにはとても嬉しくてたまらなかった。わたしがこのまま血迷わなくてジャンヌが悪意に染まらなければ、この忠誠は揺るぎないだろう。
「こんなにも大切に想われていて幸せですねジャンヌは」
だから思わずわたしはクロードさんの両肩に手を置いてから跪いて、床に向けられていた彼女の顔を見上げた。
「これからもジャンヌをよろしくお願いします」
「カトリーヌさん! 貴女様が跪くだなんて……!」
「あれ? この場合ってジャンヌに幸せになって欲しい同志としてお互い頑張りましょうねって言えばいいんですかね?」
「……。全く、貴女様と言う方は」
クロードさんは呆れながらもどこか嬉しそうに微笑んでいた。
そうそう、実は引っ越ししました。さすがにお父さんが年頃の女の子を抱えたままいつまでも貧民街に留まるなんて危険な状況は改善したかったらしい。わたしが公爵家からもらう給金とお父さんの賃金を合わせてようやく可能になったので踏み切ったんだとか。
移った先は王都市民の住宅街って言えばいいのかな? 王都で大半を占める一般市民の平均的な家屋が立ち並ぶ一角で、繁華街から遠くないけれど生活を送るには適度に静かな場所だった。学園からは少し遠くなったけれどオルレアン邸からはちょっと近くなった。
「メインヒロインは貧乏娘のままだったのに。大した躍進ね」
事情を説明して引っ越し当日は休ませてくれってジャンヌに言ったらそんな失礼な発言を受けましたよ。
いや確かに『双子座』でも物語進行途中でメインヒロイン家族の経済事情が改善した兆しは全く無かった。玉の輿で最後の最後にってぐらいだったから、夏に引っ越す展開は未知の領域と言っていい。ジャンヌが驚くのも無理はないけれどあまりに酷すぎるでしょう。
そのように考えると今のわたしは段々と本来のメインヒロインからかけ離れていっている。良い兆候だと思う反面そうなると私の知識の及ばなくなってくる不安もある。けれど現実世界はゲームとは違う。その不安を頑張って超えていくしかない。
……そう、わたしは順調だ。表の攻略対象五人衆とはこの夏期休暇中顔を合わせてすらいない。裏の攻略対象三名もラウールさんと接点があるぐらいでアルテュール様もアランソンでお会いして以来めっきり出番が無いし。このまま好感度を上げないままでいけばいい。
けれどそれだけでは駄目なんだと思い知ったのはつい最近だった。
「そう言えばジャンヌは夏季休暇中何をしているの?」
「カトリーヌったら私が王太子殿下の婚約者だって忘れていない? 王太子妃、王妃としての公務を覚えるのに必死よ。学園に通っている間は滞っていたから」
「大変なんだ。その王太子殿下とのお付き合いは上手くいっているの?」
「どうしてわたしを破滅させる方に媚を売らないといけないの?」
そもそもメインヒロインが好感度を上げる抑えるはるか以前の問題になっていたのよ! 早急な改善が必要だわ……。
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